津和野城から3時間半ちょっとかけて、14:15ごろ道の駅広瀬・富田城に到着しました。
■ 月山富田城 ■
月山富田城は島根県安来市の標高190mの月山の山頂の主郭部、尾根上の多くの曲輪からなる複郭式山城で、日本100名城の65番、国指定史跡になっています。
道の駅並びの安来市立歴史資料館でスタンプ、御城印(300円)を入手してから登城です。
■山麓部
道の駅から千畳平へつづく登城道に入ったところに尼子興久の墓、道なりに進むと馬乗馬場と千畳平の谷間を登っていきます。登り切ったところの後ろ側は馬乗馬場、まっすぐは千畳平へ続いています。
千畳平入ってすぐ右側に尼子神社。千畳平は城兵集合の場として使われたそうです。
千畳平から本丸方面へずっと南に向かって進みます。南へ少し登ると時と戦を知らせる大太鼓が置かれていたと伝わる太鼓壇で、山中鹿介幸盛祈月像があります。
進むと左側に折れる道があり、そこをいくと奥書院があったと伝わる奥書院平です。奥書院平には戦没者慰霊塔が立っています。
奥書院平から少し進むと花ノ壇で主屋と侍所が復元されています。ここからは主郭部がよく見えますが、登るの結構きつそう。
進んでいくと、花ノ壇と山中御殿平の北側の曲輪の間に堀切、堀切と道を挟んだ反対側に通路跡があります。山中御殿平の北側の曲輪はかなり広いですが、曲輪名がよく分からず。山中御殿平は南北の上下二段に分かれているようなので、ここが北側下段かもしれません。
山中御殿平はとても広大で、城主の居館があったとされ、周囲は石垣で囲まれています。多聞櫓跡、山中御殿跡、軍用大井戸、雑用井戸、菅谷口虎門跡・櫓台跡などを見て、菅谷口の西側から月山軍用道を進み主郭部方面へ向かいます。
■山頂部
少し登ると分岐があり左側に親子観音、右側は塩谷口方面へ降りる道になっています。まっすぐ進むと山中御殿平から山頂までの険しい道の七曲りですが、石畳で舗装されているので登りやすくはあります。七曲りの途中には山吹井戸。このあたりで雨も降ってきました。
親子観音から15分足らずで七曲りを登り切り主郭部に着きました。三ノ丸石垣があり、右側には西方を監視する櫓があったとされる西袖ヶ平。
石段を上がると三ノ丸で勝日高守神社の鳥居があります。
南側へ一段上がる手前に井戸跡、上がると二ノ丸で南側奥に休憩所があります。二ノ丸は水や食糧を蓄えていたとされます。二ノ丸から深さ7~8mの大きな堀切を挟んで月山最高所に位置する本丸があります。
二ノ丸西側の虎口から下りて堀切経由で本丸に登ります。本丸には山中鹿介幸盛記念碑があり、奥にある勝日高守神社は城の守護神社で築城前からあったそうです。
本丸から下りて二ノ丸・三ノ丸の西側下の石垣を見ながらを進むと西袖ヶ平に出ます。
親子観音まで下りてきて左側の道を下ると山中御殿平の塩谷口の近くに出ました。狭間土塀跡、塩谷口搦手門跡、北に進んで大手門跡。
山中御殿平の西側にある大土塁から能楽平を経由するルートで降りていきます。大土塁から先は行きのルートとは違って薄暗い山の中を下っていく感じです。能楽平、御茶庫台跡・堀尾吉晴公の墓と山中鹿之介幸盛公供養塔、巖倉寺、御子守神社と順にめぐり、散策は終了、2時間40分ほどでした。
今日の宿は米子ユニバーサルホテルで18時ごろ到着。ユニバーサルホテルは例のごとく、夕飯が無料、大浴場つきで格安で泊まれるので、これまでも姫路駅前、倉敷駅前と利用していますが、今回は大浴場が修理中とかでやっていなかったのはがっかりでした。先書いといてよー。