その2からのつづきです。
■新丸




河北門から新丸へ。新丸は広大な広場になっています。東側は藩の重臣の屋敷、西側は作事所や下台所などの役所があったとされます。






北側に大手門(尾坂門)跡があり、外には大手堀が残っています。




大手堀に沿って歩いていくと黒門跡で、金沢御堂、佐久間時代の大手です。ここから再度新丸に入ります。湿生園の護岸は往時の新丸南堀の外郭を再現しています。
■北の丸


新丸の南西隅に見える階段を上がって右側は北ノ丸(御宮・藤右衛門丸)ですが、立ち入りはできません。
■三の丸・二の丸




道なりに左に進むと土橋門跡、ここからまた三の丸です。正面には移築された現存遺構である切手門があり、その先は二の丸の数寄屋屋敷跡です。明治時代に建てられた旧第六旅団司令部庁舎が残っています。



切手門左手方向では裏口門跡と内堀、二の丸北面石垣を見ることができます。裏口門は黒門、土橋門からつづく登城経路で、二の丸に入ります。
■いもり坂





先ほど見た松坂門跡から下りていくと右側に松坂が続きますが、そのまま坂を直進します。この坂は江戸時代にはなかったいもり坂で玉泉院丸に面した斜面を下りていきます。 ところどころに庭園向きの石垣を見ることができます。
■玉泉院丸








いもり坂を下りて右に折れると玉泉院丸で、玉泉院丸庭園があります。利長の正室玉泉院(永姫)が屋敷を構えたことがその名の由来です。庭園は三代目藩主利常が庭作を始め廃藩時まであった池泉回遊式の大名庭園で、2015年3月、江戸時代末期の姿をもとに再現されました。滝と一体となった色紙短冊積石垣など、石垣群が庭園の特徴となっています。





庭園の北側は松坂から紅葉橋、鼠多門へと道が続いています。鼠多門は、鼠多門橋でつながる金谷出丸(現在の尾山神社境内)からの出入口です。他の白い海鼠壁とは異なり黒い海鼠漆喰が特徴で、2020年7月復元完成しました。



鼠多門の内部は公開されています。鼠多門を出たところは番所跡です。
■稲荷屋敷跡・御花畑跡






玉泉院丸を出て道なりに南東へ進むと稲荷屋敷跡、御花畑跡と続きます。御花畑跡はいもり堀園地として整備され、いもり堀が鯉喉櫓台まで続いています。また能登半島地震で被災した石垣の石材が展示されていて、ここからは実際に被災した本丸南石垣が見えます。




いもり堀の先には鯉喉櫓台があります。実際は塀のみで櫓はなかったと考えられています。



この隣の本丸南面高石垣が迫力満点です。明治時代に上部が取り壊されて今の姿になりましたが、もとの高さは約22m以上ある城内随一の高石垣でした。一番上は辰巳櫓跡です。
さてここから百間堀跡を石川門の方へ戻っていきます。すぐに車橋門跡の説明板がありますが、なんとなくこの辺?程度にしか分かりませんでした。東の丸東面石垣をすぎ、三の丸東面石垣、その先が石川門です。石川橋をくぐってすぐ左側に前田利家像がありました。このルートで帰ってこないと見逃すところでした。






これで金沢城の散策は終了です。時刻は12:30頃なので、散策時間は4時間20分くらいでした。もともと3時間ちょっとの予定だったので驚きました。それだけみどころがあったということでしょう。
ということで、冒頭でも書いたとおり次のお城は結果キャンセルになってしまったので残念でした。今日一日の歩数は、14,850歩でした。




























































































































































































































_thum.jpg)


















































































































