


さて今回の旅の最後は水城です。水城の前に大宰府市役所に立ち寄って、水城のスタンプをゲットしに行きました。ここは12月に行く予定の大野城のスタンプも入手できます。スタンプを押すと、パンフレットとマップをいただけました。
■■ 水城 ■■
水城は、太宰府市・大野城市・春日市にまたがり築かれた古代の城です。1350年前の百済の役敗戦に際し、日本を守るため初めに築かれた城砦です。水を貯えた濠と土塁とからなり、今も長さ1.2kmもの巨大な土塁を目にすることができます。国の特別史跡、続日本100名城の182番です。時間の関係で今回は東門跡周辺を散策しました。



水城跡第2広場駐車場に15:30すぎに到着しました。ここからは東側の土塁(大堤)が遮るものがなくよく見え、九州自動車道に向かって続く巨大な防壁の長さと高さを実感できます。

東門跡や水城館(月曜休館)、展望台などがある南東方向へ向かいます。土塁が見えているので迷うことはなくすぐです。

水城大堤之碑は、水城の青年会が大正天皇大典記念として建てた石碑です。博多から碑文の石を、宝満山から台座の石を自力で運んで建立した歴史ある石碑です。裏面には当時の水城跡の測量結果などが刻まれています。



水城東門跡は水城大堤に、東西2箇所だけ設けられた城門の東側の跡地です。大宰府へと繋がる官道が通り、都からの役人や外国の使節を迎える大宰府の事実上の表玄関でした。東門の柱を支えていた礎石が1つ残っています。

水城館は水城の土塁をイメージした特徴的な外観の歴史ガイダンス施設ですが月曜の今日は休館です。

水城館の前庭には歌を詠みあった大伴旅人と児嶋の万葉歌碑があります 。


水城館の東側から土塁を登ったところには水城東門跡展望所があります。長さ約1.2㎞、高さ約10m、基底部の幅は約80m、博多湾側(右側)には幅約60mの外濠を持っていたとされる水城のようすを見渡すことができます。

東門跡から県道を渡り土塁の方へ向かいます。北側を少し歩いた後、南側へ。


南側の入口には木碑の大きさや設置されていた場所などを再現した四角い構造物があります。

水城瓦窯跡は、水城の城門や関連施設に使用する瓦を焼いていた古代の窯の跡です。地下に保存されています。

木樋跡は土塁の底部を貫通するように埋められていた木樋(もくひ)という巨大な木製の水道管が発見された地点です。水城の内側(南側)から外側(北側)の外濠へ水を送り、濠の満水を維持していました。ここはその取水口です。

ここからは菅原道真公の伝説エリア(旧日田街道沿い)に入ります。衣掛石は都から大宰府へ左遷されてきた道真公が長旅の末に水城へ辿り着いた際、汚れを落とすために旅衣を脱ぎ、傍らにあったこの石と松の木に掛けたという伝承が残っています。現在は県道に面した祠の中に祀られています。

衣掛天満宮は道真公が大宰府へ入る前に、着替えた衣を松と石に掛けたという故事に因み、後世の人が建てた社です。

姿見井は衣掛天満宮のすぐ近くにある井戸跡です。道真公が大宰府へ西下した際、身支度を整えるため、この地にあった池に自らの姿を映したといいます。あまりにもやつれた姿を嘆き、池の水をかき回したところ水はたちまち濁り、その後決して澄むことがなかったと伝えられています。
これで予定していたみどころの散策は終了、帰路につきます。16:50ごろ出発、17:30ごろレンタカー返却、19:00のSFJ便は時刻通りに出発し、帰宅したのは23:05ごろでした。
さて今回はGoogle AIに散策ルートなどを作ってもらったわけですが、その印象は、かなりちゃんと使える!でした。ただし誤情報も入ってくる(平気でうそをつく)ので、ちゃんと指摘して反映させることは必須ですね。今回言うこと聞いていればと思う失敗もありましたし。
これで日本100名城はあと5城、続日本100名城はあと6城となりました。次の城めぐりの旅は12月に予定しています。




















































































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