大分・宮崎城めぐりの旅 #3-4 臼杵石仏

大分・宮崎城めぐりの旅の締めくくりは、国宝の臼杵石仏です。平安時代末期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われてり、磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定されました。全4群、61体で構成されています。城めぐりではお城に回るのが最優先で他の観光はあまりしないのですが、臼杵城のすぐ近くで国宝ともなれば行きたいということで、今回時間も取れて来れました。

15:03ごろ到着、観覧料550円です。ホキ石仏第二群、ホキ石仏第一群、山王山石仏、古園石仏の4群からなっていて、順路はこの順番です。ホキとは、「がけ」という意味の地名だそうです。

■ホキ石仏第二群

ホキ石仏第二群は2つの龕(がん)からなり、第1龕には阿弥陀三尊像、第2龕は「九品の弥陀」呼ばれる9体の阿弥陀如来像、左右に1体ずつの菩薩立像を配する比較的小さな仏像です。

■ホキ石仏第一群

ホキ石仏第一群は4つの龕からなり、第1龕は如来坐像3体と菩薩立像2体、第2龕は阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、如来坐像の3体、第3龕は大日如来像ほか4体、第4龕は地蔵菩薩半跏像並びに十王像の11体です。

ホキ石仏第一群を出るとすぐ国重要文化財の石造五輪塔の案内表示があったので、そちらもせっかくなので見学しました。刻銘のある五輪塔としては、日本で2番目と3番目に古いそうです。

■山王山石仏

山王山石仏群は、中央に丈六の如来像と左右に脇侍の様に如来を刻む3体の如来像です。

■古園石仏

古園石仏群の手前右側の岩壁には追加で国宝指定された2体の金剛力士立像があります。

古園石仏群は通称古園十三仏とも言われ、金剛界大日如来坐像を中心に曼荼羅を構成し、左右にそれぞれ如来像2体、菩薩像2体、明王像1体、天部像1体を配する臼杵石仏の中心的存在です。臼杵石仏は臼杵八ケ所霊場の一番札所であり、ここに御朱印の無人販売がありました。石仏周辺にも徒歩で無料で見学できる文化財がまだ沢山あり、これを含めて1時間あれば大丈夫と思っていたのですが石仏だけで1時間でした。16:05空港に向けて出発です。

レンタカー返却時の総走行距離は731km、相当走ったなぁという感じです。空港には早めについたので、Standard Coffeeというカフェで、とり天とビールセットを楽しみました。とり天は注文してから揚げるのでサクッとして最高でした。飛行機は19:10発が19:20発に変更になったものの、予定時刻に帰宅できました。今回の大分・宮崎城めぐりの旅、6城予定が7城もめぐれました。今後もこの数くらい回りたいものです。

今日一日の歩数は、25,788歩でした。

大分・宮崎城めぐりの旅 #3-3 臼杵城

大分・宮崎城めぐりの旅、最後に訪れたのは臼杵城です。14:48ごろ臼杵市観光交流プラザに着きました。臼杵城は道を挟んですぐで、畳櫓や大門櫓がです。こちらでスタンプと御城印、パンフレットを入手後、登城します。

■■ 臼杵城 ■■

臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にある城。戦国時代、大友氏により臼杵湾内最大の丹生島に築かれた城です。島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害でした。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれました。廃藩後は周囲の海も埋め立てられました。国指定史跡、続日本100名城の193番です。現在は臼杵公園となっています。

■鎧坂・帯曲輪

古橋口から入ります。堀(以前は海)にかかる古橋を渡った右側は亭櫓跡で、その先は岩を掘り切って作られた鎧(あぶみ)坂で大友時代からの登城路です。上を見ると湾曲した土塀がユニークで綺麗です。坂は落石の防護柵設置工事中で両脇は金属板で覆われていました。金属板が一旦亡くなったところで上を見ると時鐘櫓台が見えます。再度金属板の間をあがると先ほど見えていた湾曲する土塀に出ます。その先に中門櫓跡と畳櫓です。畳櫓は天保年間に再築された櫓で重箱造りの現存建物です。畳櫓横の大きな石垣は、井楼櫓台の石垣です。井楼櫓は最も規模の大きかったものです。道なりに進むと右側に大門櫓があります。これは模擬復原建物でここから二の丸に入ります。

■二の丸

二の丸に入ると臼杵護国神社の鳥居があり、右横方向に井楼櫓跡、左方向には会所櫓跡があります。鳥居をまっすぐ進んだ先に臼杵護国神社。井楼櫓跡前から本丸方向へ向かう道の右側に小さな出入口があり、下まで続いていました。そのまま進むと井戸跡、義太夫前櫓跡、左側はグラウンドになっています。北方向に若干戻る感じで臼杵護国神社の裏手に行くと着見櫓跡がありました。グラウンドの先、二の丸の東側には土橋があって大きな空堀があります。空堀は南側と北側、作られた時代が違うそうです。土橋を渡ると本丸です。

■本丸・井戸丸

鉄門は本丸への入口で鉄門櫓跡があり桝形を形成しています。南の方には武具櫓跡。東側に卯寅稲荷神社がありその参道坂道の鳥居を下りて行ったところに、もうひとつの現存建物である卯寅口門脇櫓があります。「うとら」ではなく、「うとの」と読むそうです。鉄砲薬櫓とも呼ばれ火薬庫としても使われていたようです。さらに下りて行ったところは井戸丸で井戸跡があります。さらに下りて行ったところが搦手口である卯寅口で、かつては海に面していました。

先ほど下りてきた対面側にある階段を登ると本丸の東端部に戻ります。東端右端部には亀首櫓跡、左端部にも櫓跡があります。西方向へ戻り、桜満開の本丸跡を歩いて天守櫓跡に着きました。天守櫓跡は北側の空堀に面しています。天守櫓跡の近くから空堀に下りてそのまま東へ戻っていくと、埋門前櫓跡と埋見門跡。続いて上ノ門跡。ここから畳櫓までが帯曲輪です。

■帯曲輪

帯曲輪を進んで行くと右側に下りる坂と分岐します。坂を下りたところが今橋口で、今橋門櫓跡、今橋門脇櫓跡があります。帯曲輪に戻り進んで行くと弓道場がありますが、ここの北隅が海鹿櫓跡になりますがよくわかりません。弓道場を過ぎると時鐘櫓跡です。この先は大門櫓なのでこれで一周です。城跡から出て、南側から見た畳櫓、古橋の北側の堀の様子など確認して散策終了しました。

次は臼杵石仏に向かいます。14:02ごろ出発しました。

大分・宮崎城めぐりの旅 #3-2 佐伯城

延岡城に続いては佐伯城です。10:04ごろ佐伯市城下町観光交流館に到着しました。佐伯市歴史資料館が休館日のため、こちらでスタンプと御城印をゲットしました。10:09ごろ、佐伯市歴史資料館の駐車場にとめて登城します。

■■ 佐伯城 ■■

佐伯城(さいきじょう)は、大分県佐伯市にある、標高144メートルの八幡山山頂一体に築かれた山城で、江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれました。国指定史跡、続日本100名城の194番です。初代藩主毛利高政により築城、1606年に完成しました。山麓の三の丸は三代藩主毛利高尚が開きました。

■三の丸

駐車場の西側高くなったところは三の丸です。三の丸にはかつて御殿がありました。三の丸櫓門は現存する唯一の建築物で、高尚の代に城の正門として建てられました。石畳の坂を登り門を抜けると工事中のただただ広い佐伯文化会館の跡地に銅像が建っているのみです。村上勇先生像で、日本の戦後復興のために尽力した自民党の政治家の銅像だそうです。登城道沿いにある櫓は御下櫓と名付けられたトイレですが、ちゃんと城っぽいです。

■登城路

登城口にある鳥居は、昭和初期天守台跡に建てられた毛利神社のものですが鳥居のみ残っています。坂を登り切った場所から登城ルートが分かれます。ここからは独歩碑の道、翠明の道、登城の道のいずれかからです。なお、ルートには山の反対側からの若宮の道もあります。今回は一番緩やかで登りやすいという独歩碑の道から登ります。どのコースも20~30分とのこと。独歩碑の道だけが舗装されていて、あと2ルートは昔の細い山道です。独歩碑の道を登っていくと100メートルごとに頂上までの距離表示柱があります。

頂上まで200メートルを切った先の左に戻る感じで折れる場所に雛壇状石垣の案内板がありますが、ここまで独歩碑の道の開始地点から約14分ほどでした。まっすぐ進むと4段になった雛壇状石垣を下から見ることができます。道に戻り少し先、頂上まで100メートル地点の左側に捨曲輪があります。特に案内等はなく眺望はいいですが上からの眺望の方がもっとよいです。少し上に本丸外曲輪の石垣が見え、あと少しです。

■本丸外曲輪

坂を登り切ると本丸外曲輪で、正面の立派な階段がついて高くなっているところが本丸です。虎口右側にある独歩碑は、明治時代に佐伯に英語教師として赴任した国木田独歩が、後に佐伯を舞台とした作品を多く残し、城山山頂を舞台としたものもあったことからここに建立されたものです。独歩碑の左側に少し下がるところがあって先ほど下から見た階段状石垣を上から見ることができます。また釣りバカ日誌19のロケ地の表示もあり、佐伯市街地を望むことができます。その隣には二重櫓跡があります。

■本丸

階段を登って本丸にあがると、地元のおじさんに「撮っちゃだめだよ、写っちゃうよ、昔裏が処刑場だったから」と言われ、ちょっと変なの写ったら怖いなぁと思いつつ、撮らないことはないわけで。まぁ、城跡に関してはどこも同じようなものですよね。一段高くなったところは天守台跡で三重の天守があったと伝わっています。ここには小さな祠が建っていますがのちの毛利神社の跡です。本丸からは二の丸や北出丸を望むことができます。本丸の南西隅に本丸虎口があります。本来本丸への入口はここのみで、東側の階段は毛利神社を作った際のもの。本丸虎口を出ると廊下橋跡、渡った先は二の丸ですが、先にこの橋をくぐって北出丸へ向かいます。

■北出丸、雄池・雌池

本丸外曲輪の北側の虎口から出ると北出丸です。入ってすぐに若宮の道への虎口があります。北出丸は南北に細長く伸びていて、北端にはかつて二重櫓が建てられていたそうです。

雄池・雌池は北出丸にある若宮の道へ続く虎口から結構下がったところにあります。上下二段構えの人口の池で上に雄池、下に雌池となっています。上から6分ほど雌池までかかりました。実は二の丸に行った際見るのを忘れていたことに気づき、一度戻って見学してから二の丸へ戻ったのでした。

本丸外曲輪に戻って本丸南側石垣沿いに進むと廊下橋跡の下に出て、二の丸へつながります。

■二の丸、西出丸

二の丸に入ると正面、二重櫓跡に独歩文学碑があります。二の丸の中央には屋形と呼ばれる建物がありました。二の丸南端の虎口は櫓門跡でその先は西出丸です。西出丸に入ってすぐ左側は虎口になっていて、翠明の道と登城の道につながっています。南西隅には櫓台跡があり、その近くには井戸跡のようなものがありましたが、これは城の遺構ではないそうです。

ひととおり散策を終え、昔からの登城ルートである登城の道で下りることにしました。11:56ごろ廊下橋跡から下城、かなり急な道ですが、まぁ山城ってこんなもんでしょうという感じで11分で降りてこれましたが、行きは独歩碑の道、帰りにこっちで正解でした。

さて次は今回の旅最後の城、臼杵城へ向かいます。12:22ごろ出発しました。

大分・宮崎城めぐりの旅 #3-1 延岡城

2泊3日の大分・宮崎城めぐりの旅最終日の今日は、延岡城佐伯城臼杵城をめぐ ります。

延岡城の御城印を販売している延岡城・内藤記念博物館は月曜日休館日ということで、御城印が買えないと分かったので、ホテルの朝食は諦めてさっさと出発することにしました。効率よく回れば、今回行くのを諦めた臼杵石仏も行けるかもしれないとの希望も湧いてきました。6;11ごろホテルを出発し、 延岡城のある城山公園北駐車場には6:16ごろ到着しました。

■■ 延岡城 ■■

延岡城は、宮崎県延岡市にある城で、1603年に高橋氏が築き、有馬氏、三浦氏、牧野氏と藩主が変わったのち、1747年に内藤氏が藩主となり、以降、明治維新まで内藤氏が治めました。本丸、二の丸、三の丸からなる平山城で、続日本100名城の195番、別名は亀井城です。

■北大手門周辺

駐車場の近くで早速石垣が目に入ります。北櫓跡の石垣で内堀跡に面しています。あとで入手した石垣マップの2です。案内板の脇の道を登っていくと北大手門に至ります。手前右側には旧藩主内藤家の墓所がありましたが門が閉まっていて入れません。門左側には北大手門東側石垣(石垣マップ1)があります。北大手門は発掘調査後に再建されたものです。

■二ノ丸

北大手門を抜けると正面に本丸の高い石垣がそびえたっています。これは千人殺しの石垣(石垣マップ5)とよばれ、敵が攻め入った時に一番下の根石をはずすと石垣全体が崩れ落ち、一度に千人を殺せるといい、高さは19メートル、延岡城最大のみどころです。千人殺しの石垣の西側一面が二ノ丸です。二ノ丸にある城山公園管理事務所でスタンプが押印できますが、ここでショックなことが。御城印の案内が貼られており、延岡城・内藤記念博物館が休館日も購入可能とのこと。御城印入手は諦めてたので嬉しい反面、あと2時間以上ここに滞在しないといけない。。。相当ゆっくり散策するしかありません。なおパンフレットと石垣マップも置かれていました。管理事務所の脇から、内藤家墓所を上から見ることができます。二ノ丸の南西側では二階櫓台の石垣(石垣マップ4)が見れます。

■本丸

千人殺しの石垣下の坂道を階段を上がると本丸です。先に西方向右側の曲輪に行った突当りには先ほど石垣を確認した二階櫓跡がありました。戻って東側には二階門櫓跡があり、本丸への枡形虎口となっています。この石垣は石垣マップ6です。本丸には内藤政挙公像が建っています。

■天守曲輪

本丸南東隅から坂道を上がると延岡市内が一望できる天守曲輪です。途中に門跡のような石垣がありましたが、こちらが本来の虎口です。天守曲輪には天守が建っていた可能性もありますが発掘調査では根拠は得られなかったそうです。ここには鐘撞き堂が建っており、現在も1日に6回、鐘守の手によって市民に時刻を告げているそうで、次は8時、30分ほどあるのでまた来ることにします。

■三階櫓跡・腰曲輪

戻って天守曲輪下の道を進んで行くと三階櫓跡があります。城内で一番大きい建物が三階櫓でした。三階櫓台石垣は石垣マップ9です。東面は立入禁止になっているので、スティック使って撮影しました。三階櫓跡の南側に腰曲輪があり一番奥には櫓台がありました。ここでいったん天守曲輪に戻って、8時の鐘撞きを見学しました。鐘守の方に聞いたら撮影はネットに上げなければいいですよ、とのことでした。鐘は一回ではなく何度もつくんですね、8回でした。さて戻って三階櫓跡から続く坂は吹上坂でつづら折れになっています。吹上坂の石垣は石垣マップ7です。

■三ノ丸

吹上坂を下りたところは三ノ丸です。庭園があるなど綺麗に整備されています。一段高くなったところには仲田又次郎翁像が建っています。延岡市の初代、第9代市長だそうです。東側にある石御門跡は岩盤を削った切通しに作られた搦手門にあたる門です。三ノ丸東面石垣は石垣マップ8です。

■北曲輪

三ノ丸から東方向に進むと北曲輪(牧水広場)が見えてきます。その石垣の手前に下りる道があるのでそのまま進んで行くと最初に見た北櫓跡に着きました。戻って北曲輪です。現在は延岡に縁のある歌人・若山牧水にちなんで牧水広場として整備されています。ここから見る内藤家墓所は縦方向に見えるのがいいですね。

これで城内のみどころは一通り見たのですが、石垣マップの3、二ノ丸西櫓の石垣が残っています。北大手門抜けてすぐ左方向、内藤家墓所の手前の小径を進んで行くと確認できます。

■西ノ丸

さて9時前になったので、延岡城・内藤記念博物館へ移動します。受付で御城印をゲットしました。領収証を作るのでお待ちくださいと言われた間に館内を見渡していると、西ノ丸跡に延岡城・内藤記念博物館が建てられたと知りました。

時刻は9:10ごろ次の佐伯城へ向かいます。

大分・宮崎城めぐりの旅 #2-2 岡城

佐土原城の次は岡城です。2時間以上のドライブ後、史跡岡城跡駐車場の直前で駐車待ちの渋滞が。。。そっか、みんな桜を見に来てるのか、仕方ありません。10分くらい待って駐車できたのは13:04ごろでした。

■■ 岡城 ■■

岡城は大分県竹田市にある、源義経を迎えるため築城されたと伝わる断崖絶壁に位置する難攻不落の山城で、国指定史跡、日本100名城の95番です。臥牛城(がぎゅうじょう)・豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)とも呼ばれます。志賀氏が拠点とし、後に中川秀成が近世城郭へ改修し280年続いたそうです。滝廉太郎作曲の「荒城の月」は、この城の荒れ果てた風景がモデルと言われています。

駐車場は総役所跡で、高く西の丸の石垣が見えて、すごそうだぞ、このお城と気持ちも高鳴ります。しばし桜と石垣などの写真撮りながら休憩後、料金所で入城料300円、スタンプ押印、御城印通常版(白地)と300円、切絵版(黒地)800円を購入しました。13:27ごろ登城開始です。

■大手道・大手門

登城道を進んでいくと、巨大な岩の壁が見えます。阿蘇溶結凝灰岩の岸壁です。城が阿蘇山の火砕流でできた岩山の上に建っていることが分かります。しばらく進むと大手坂に着きます。脇にはアーチ形状の石垣、通称「かまぼこ石」が見られます。石段を登っていくと大手門跡です。当時は櫓門が構えられていました。右側にある通路みたいなところは、古大手門跡ですが、外側には堀切と小さな曲輪が先にありました。行けないことはないけれど、やめました。

■西の丸

さてここからの散策ルートですが、西の丸から下りる七曲りが通行できないため、先に西側から散策して本丸、東側の順に回ることにしました。正面西方向には西の丸の大階段がありますが入ることはできません。大階段の手前南側に西の丸東御門前の表示、大階段を登ったところに東御門があったようです。西の丸へは大階段の左、南側の坂道を進んでいくのがルートですが、左側に下りていく道も見えたのでそちらに行ってみました。一番奥の石段を登れば西の丸?と思いきや、石垣でふさがれていました。戻って坂を登ったところが新屋敷門跡です。先ほど石垣でふさがれていたところは新屋敷門の当初の虎口だったようです。そこを抜けると西の丸で、正面に桜と菜の花が咲き誇っていて天国のようとはいいすぎでしょうか。西の丸は西の丸御殿跡で、城内で一番広い曲輪だそうです。一番西側に行ってみると一段下の左側に物見台跡、右側に角櫓跡、眼下には駐車場が見渡せます。駐車場から見えていた石垣はここですね。物見台跡に下りました。そこから一段下の曲輪を通って角櫓跡に行こうと思いましたが、さすがにこれは危険すぎると思い、西の丸へ戻ってから行きました。 西の丸から家老屋敷へ続く坂には井戸があり、そこを戻るように石垣に沿って進むと角櫓跡です。

■家老屋敷、ほか

先ほどの井戸に戻り下りたところは家老屋敷の中川民部屋敷跡です。調査により確認された屋敷の間取りを礎石で復元しています。その北東には近戸門跡があり、ここから七曲りにつながっています。門の上につながる石段を登ると普請方跡があります。普請方とは、建築や修繕、土木工事を管理担当する部所です。普請方跡の北東端から家老屋敷の中川覚左衛門屋敷跡へ降りると、屋敷の間取り等がわかる建物の床面が復元がされています。隅櫓の石垣も残っています。ここからは景色は絶景で清水谷を挟んで本丸方面を望むことができます。屋敷跡から出て石段を下り、石垣に沿って進んでいくと石垣に四角い穴がありました。これは普請方に至る埋門で立体交差になっています。道なりに進んで行くとトイレがある曲輪に出ます。ここは賄方跡で、来客者などのもてなしによる賄いを行う部所だそうです。北側から下を見ると古井戸がありました。賄方跡を抜けて坂道をあがった上がった先は、家老屋敷の中川但見屋敷跡で、奥一段下がったところに武具方跡、東側一段上がった場所は、御朱印状等公文書の保管をしていた朱印状倉跡です。本丸方面へ進んで行くと中休所跡、桜馬場跡、城代屋敷跡(城代とは城主の不在時に代わって城の管理、防衛、政務を行う重臣)、米を保管していた籾倉跡と続き、西中仕切跡に至ります。

■三の丸・二の丸・本丸

西中仕切跡は城内で最も狭い場所で、石垣により通路を折り曲げ、敵が直進できないようにしています。ここを抜けると正面に太鼓櫓跡・鐘櫓跡があり城の中心部への入口です。その先一段上がったところは三の丸で、他藩からの使者や家臣が藩主と対面するところです。正面には本丸の高い石垣がそびえたっています。三の丸の先は二の丸で、来客の歓迎や藩主が楽しむための空間だったようです。二の丸の入口付近は井戸跡があります。瀧廉太郎像もここに建てられています。石段を登ると本丸です。本丸には本丸御殿が建っていました。右奥には天守に相当する御三階櫓跡があり、左奥の方には岡城天満宮が建っています。こちらをお参りし、御朱印もいただきました。その右側奥には御金倉跡、いわゆる金庫の跡です。

■東の郭

残るは本丸より東側の曲輪の遺構です。三の丸にある御三階櫓下の埋門跡から本丸石垣にそって東へ進んで行くと東中仕切跡があります。ここから先は観光客は激減しました。御金倉跡の石垣は二重になっています。このあたりには米倉跡があります。先に進んで行くと左側に清水門跡があります。清水門は藩主が稲葉川のほとりに建てた休息場へ向かうため設けられたものです。さらにその先に三楽亭跡、荘嶽社跡、御廟所跡。荘嶽社は初代藩主中川秀成、その兄中川秀政、その父中川清秀を祀っていた神社、御廟所には歴代藩主の位牌が祀られていました。そして東側の曲輪の東端に下原門(しもばるもん)跡があり、こちらは搦手門でした。
以上でひととおり遺構は見れたので散策は終了、駐車場には16:20ごろ戻ってきました。それにしても岡城、すばらしい山城で自分的にもトップクラスの山城でした。

今日の城めぐりは終了です。今日の宿、ホテル延岡ヒルズには18:04ごろ到着しました。夕飯は延岡が発祥だというチキン南蛮が食べたくて予め調べておいた居酒屋さんにいったもののなんと閉まってた!飲食店がありそうな方へ歩いていくとJoyfull発見!Joyfullは九州のファミレスだから、多少本場のものとは違えどチキン南蛮あるかもと行ってみるとやった!ありました!ということで夕飯はチキン南蛮定食です。普通においしくいただきました。

そういえばホテルのフロントでアプリはお持ちではないですか?と聞かれ、そういえば最近BBHホテルグループのホテル、やたら泊まってるなと思い、アプリ会員になりました。昨日の鶴崎ホテルさん も、先々週のホテルクラウンヒルズ高岡さんもそうなのでした。会員になるの遅すぎたかも。

明日は延岡城佐伯城臼杵城をめぐる予定です。

今日一日の歩数は、16,963歩でした。

大分・宮崎城めぐりの旅 #2-1 佐土原城

大分・宮崎城めぐりの旅2日目の今日は佐土原城岡城をめぐります。佐土原城までは2時間程度かかるので朝食は抜きかと思いましたが、ホテル朝食6時からということで助かりました。朝食は、とり天やニラ豚など大分名物もあるバイキングでした。6:45ごろ出発しました。

■■ 佐土原城 ■■

佐土原城(さどわらじょう)は、宮崎市にある日本の城で江戸時代には佐土原藩の藩庁が置かれました。2代藩主島津忠興の代に城は山の上から山の下へ移されました。国指定史跡、続日本100名城の196番です。

■二の丸・鶴松館

9:00ごろ、二の丸御殿が木造復元されている宮崎市佐土原歴史資料館(鶴松館)に到着しました。駐車場は三の丸にあたります。鶴松館に向かって階段のある辺りは内堀跡で、その先は二の丸で鶴松館が建っています。鶴松館は二の丸御殿の一部が復元されたもので、大広間、書院、数寄屋が再現されています。案内所?でスタンプを入手、内部見学は無料で掛け軸・屏風・鎧兜など佐土原島津家の調度品などが展示されています。念のため撮影について資料館の方に聞いてみると、展示物や資料は撮影禁止とのことでした。なので内部でも建物の様子などはよいようです。なお、鶴松館は土日祝日のみの開館です。さて次は山の上へ、今散策できる場所を聞いてから登りました。大手道から登って、本丸、天守台を見て中の道から下りるコースになり、現在も南の城、松尾丸は行けないとのことです。

■大手道

鶴松館の西側の道を南に進むと大手道の入口です。時刻は9:30ごろ、ここから両側にそびえた崖の下を登っていきます。尾根を縦に断ち割って作られているそうです。途中で道が立ち入り禁止となって右側へ登る階段(迂回路)がありました。登ったところは曲輪になっていてそのまま進むと大手道に戻りました。そのすぐ先左に今は行けない松尾丸への分岐、そのまま進むと堀切があります。堀切の先左に今は行けない南の城への分岐、その先に曲輪があり、本丸、三層櫓跡方面と番屋坂、あずま屋方面の分岐にでます。

■本丸

本丸方面を進んで少し行くと本丸桝形虎口を抜けて本丸に出ます。本丸はかなりの広さで、土塁なども残っています。本丸の奥の方に天守台が残っています。

天守台の東側から中の道を通って下りてきました。途中左側にあずま屋のある曲輪があります。

■二の丸

中の道を下り切ったところは二の丸で、正面に見える建物は出土文化財管理センターです。周辺を見渡すと何やら遺構表示柱が見えます。センターに向かって左、少し上がったところに右側に御馬繋場跡、センターの向かい側の広い敷地はなんとなくですが区画分けされていて、反米役所跡、御代官所跡、御厩役所跡となっていました。駐車場に10:30ごろ戻ってきたので鶴松館含めて90分の散策でした。

御城印は鶴松館の道挟んで東側にある城の駅佐土原いろは館で入手しました。

時刻は10:43ごろ、次は岡城へ向って出発です。

大分・宮崎城めぐりの旅 #1-2 大分府内城

角牟礼城の次は大分府内城です。土日は城跡内の臨時駐車場が使用できないとの情報から、市営荷揚立体駐車場に駐車しました。15:56に到着です。ここから大分府内城までは歩いてすぐです。

■■ 大分府内城 ■■

大分府内城は大分市にある梯郭式平城で、大分城、荷揚城(にあげじょう)、白雉城(はくちじょう)とも呼ばれます。城跡は大分城址公園となっていて、人質櫓(二階櫓)と宗門櫓(平櫓)が現存しています。それ以外3棟の二階櫓と大手門が外観復元、土塀、廊下橋が木造復元されています。日本100名城の94番です。

駐車場から出て東へまっすぐ進むと内堀と西之丸西北隅櫓跡、廊下橋が見えてきます。さてどう回ろうかと考える前に、御城印が購入できるセブン・イレブン大分荷揚町店が近いことに気づき、先に御城印を入手しました。セブン・イレブンの西隣にあるゆうえんかん広場は、遊焉館という府内藩校があった場所です。内堀の外周は回った方がいいとのおすすめ情報があったので、まず北之丸から時計回りに内堀外周を回ることにしました。

■北之丸(山里丸)・帯曲輪

北之丸(山里丸)からは廊下橋で西之丸へ渡れるようになっていますが、この橋は跡で渡ることにします。北之丸には松榮神社が建っています。廊下橋に向かって右側には慶長の石垣があります。ここからは本丸北櫓跡、天守台が見えます。内堀に沿って帯曲輪を進んで、人質櫓、扇櫓跡、菱櫓跡、北東角の水手口、東之丸東北隅櫓と順にみていきます。今日は桜が満開、この辺りから花見客でいっぱいで皆さん楽しそうです。東丸三階櫓跡、平櫓、着到櫓(東之丸南西隅櫓)と見てきて、スタンプが設置されている大手門に着きます。大手門から少し中に入ってみました。なんだ?クルマ一杯停まってる。。。どうやら今日は駐車場利用できたようでした。有料駐車場に停めたのに。。。再度内堀外周へ戻り、宗門櫓、西之丸西南隅櫓と見てから城跡に入る道(土橋)を渡って中へ。城にはもともと内々堀があって、本丸と西之丸、東之丸は分かれていましたが、内々堀は埋め立てられ全部区切りなく広大な広場です。さきほど渡った土橋もなかったものです。

■西之丸・東之丸

土橋から入ったところは西之丸跡。今度は城跡内側を半時計回りに回ることにします。敷地の外周以外は何もないので散策は楽です。西之丸平櫓台、西之丸西南隅櫓、宗門櫓。は外からは平櫓に見えますが、内から見ると二重櫓です。大手門、東之丸西平櫓台、着到櫓(東之丸南西隅櫓)、平櫓、東之丸三階櫓跡。東之丸三階櫓は天守の次に大きなものでした。東之丸北東角櫓とみたところで、天守台へ。

■本丸

天守台からは庭園、人質櫓、廊下橋、内堀がいい感じで見降ろせます。南側はただただ広い殺風景な駐車場、内々堀跡が分かるくらいには整備されるといいですね。次に本丸北櫓跡を見て、天守台の東側へ。天守台の東と北側は庭園になっていて、一番奥に人質櫓です。人質櫓から続く塀の切れ目あたりは行けそうだったので行ってみると内堀の上です。戻って西之丸跡に入り、冠木門跡、西之丸西北隅櫓跡。最後に廊下橋を渡って時刻は17:40ごろ、約1時間40分の散策でした。

18:23ごろ、今日の宿、鶴崎ホテルさんに到着しました。夕飯はホテルにある、居酒屋おとづでの天刺膳を堪能しました。

さて明日は岡城延岡城の計画でしたが変更します。少し遠いですが、佐土原城まで足を延ばし、延岡城は明後日の早朝にずらして、最後の観光に予定している臼杵石仏を諦めれば行けそうです。ということで、明日は佐土原城岡城を巡ります。

今日一日の歩数は、13,778歩でした。

大分・宮崎城めぐりの旅 #1-1 角牟礼城

2泊3日の大分・宮崎城めぐりの旅1日目。計画では、
・1日目:角牟礼城大分府内城
・2日目:岡城延岡城
・3日目:佐伯城臼杵城
をめぐる予定です。

羽田で朝食
羽田で朝食
大分行きのJAL便
大分行きのJAL便

熊谷駅近くの有料駐車場に止めて、6:57の新幹線で羽田空港へ向かい、東京モノレールで羽田空港第1ターミナルには8:20前に到着し、出発までに朝食。羽田から9:35発大分行きのJAL便、11:30ごろ大分に約20分遅れで到着でした。

ポムポムプリン
ポムポムプリン
相棒はノート
相棒はノート

大分空港は大阪・関西万博の開催に合わせ、期間限定で愛称を「大分ハローキティ空港」ということで、サンリオのキャラがいたるところでお出迎えしてくれます。大分空港からは日産レンタカー、今回も相棒はノートで、角牟礼城へ向かいました。角牟礼城は山口・福岡・大分城めぐりの旅で計画しておきながら諸事情で取りやめたので今回組み入れてリベンジです。

■■ 角牟礼城 ■■

角牟礼城は、大分県玖珠郡玖珠町の角埋山(つのむれやま)にある山城で、国指定史跡、続日本100名城の192番です。13:16ごろ、角牟礼城の三の丸駐車場に到着しました。

■三の丸

駐車場が三の丸の中にあるので、石垣が出迎えてくれました。石垣の角には櫓台跡があります。石垣の向こう側は急斜面なので眺望もとてもいいです。しばし三の丸を散策。西の方にも石垣や櫓台跡があります。三の丸から本丸に向かって、道を上っていきます。道の南側は竪堀が続いています。

■二の丸

左に大きく折れて右にまた折れる場所に現れるのは二の丸石垣で、その先には二の丸南虎口石垣は全長100メートルの立派なもので奥の方まで続いています。

ここで左に折れて少し先には大手門跡があります。以前は搦手門と考えられていたようです。櫓台跡も残っています。少し中に入ると右の方に井戸跡があり、伝井戸曲輪跡と表記がされていました。

来た道に戻って先に進むと左側に二の丸西曲輪石垣が見えてきます。右側の曲輪には建物跡(土蔵)があります。

虎口から二の丸西曲輪に入ると伝二の丸の表記があります。曲輪には礎石建物跡。北側には櫓台跡があり、西門跡や二の丸西虎口を上からのぞむことができます。

西門跡から少し下がって階段状遺構を見に行ってみましたが、さっぱり何か分かりませんでした。

西門跡から本丸へ向けて進んで行きます。左側に切岸の表記があり、本丸(曲輪群)のものと思われます。その先には上の本丸虎口まで続く道がありますが、これは作業用の道で本来あったものではないようです。中にも入れないようになっています。しばらく行くと角埋神社が左側に、右側は竪堀になっています。展望所の案内板に沿って進んで行くと、素晴らしい眺望の展望所に着きます。

■本丸

展望所で左に大きく折れて登っていくと本丸曲輪群が連なり、本丸へ着きます。本丸はとても広いのですが、北側半分が工事中で立ち入りできません。隅櫓跡や北側石垣が見たかったのに残念です。

先ほど下から見えた本丸虎口は、特に入ってはだめ的な感じではなかったので少し下りてみました。本丸曲輪群が段曲輪のように連なっていました。以上で散策は終了、駐車場に戻って14:34に出発しました。予定2時間の散策を予定していたので、随分と余裕ができました。

10分ほどでくすまちメルサンホールに到着、こちらでスタンプと御城印をゲットしました。

続いて大分府内城 へ向かいます。

石川・富山城めぐりの旅 #2-3 金沢城その3

その2からのつづきです。

■新丸

新丸
新丸
新丸
新丸
新丸
新丸
新丸
新丸

河北門から新丸へ。新丸は広大な広場になっています。東側は藩の重臣の屋敷、西側は作事所や下台所などの役所があったとされます。

大手門(尾坂門)跡
大手門(尾坂門)跡
大手門(尾坂門)跡
大手門(尾坂門)跡
大手門(尾坂門)跡
大手門(尾坂門)跡
大手門(尾坂門)跡
大手門(尾坂門)跡
大手堀
大手堀
大手門櫓台
大手門櫓台

北側に大手門(尾坂門)跡があり、外には大手堀が残っています。

黒門跡
黒門跡
黒門跡
黒門跡
新丸
新丸
湿生園(新丸南堀)
湿生園(新丸南堀)

大手堀に沿って歩いていくと黒門跡で、金沢御堂、佐久間時代の大手です。ここから再度新丸に入ります。湿生園の護岸は往時の新丸南堀の外郭を再現しています。

■北の丸

北の丸
北の丸
北の丸
北の丸

新丸の南西隅に見える階段を上がって右側は北ノ丸(御宮・藤右衛門丸)ですが、立ち入りはできません。

■三の丸・二の丸

土橋門跡
土橋門跡
土橋門跡
土橋門跡
切手門
切手門
二の丸(数寄屋屋敷跡)・旧第六旅団司令部庁舎
二の丸(数寄屋屋敷跡)・旧第六旅団司令部庁舎

道なりに左に進むと土橋門跡、ここからまた三の丸です。正面には移築された現存遺構である切手門があり、その先は二の丸の数寄屋屋敷跡です。明治時代に建てられた旧第六旅団司令部庁舎が残っています。

二の丸北面石垣と内堀
二の丸北面石垣と内堀
裏口門跡
裏口門跡
裏口門跡
裏口門跡

切手門左手方向では裏口門跡と内堀、二の丸北面石垣を見ることができます。裏口門は黒門、土橋門からつづく登城経路で、二の丸に入ります。

■いもり坂

松坂
松坂
いもり坂
いもり坂
石垣
石垣
石垣
石垣
石垣
石垣

先ほど見た松坂門跡から下りていくと右側に松坂が続きますが、そのまま坂を直進します。この坂は江戸時代にはなかったいもり坂で玉泉院丸に面した斜面を下りていきます。 ところどころに庭園向きの石垣を見ることができます。

■玉泉院丸

玉泉院丸
玉泉院丸
玉泉院丸
玉泉院丸
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園
色紙短冊積石垣・石垣群
色紙短冊積石垣・石垣群
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園
玉泉院丸庭園

いもり坂を下りて右に折れると玉泉院丸で、玉泉院丸庭園があります。利長の正室玉泉院(永姫)が屋敷を構えたことがその名の由来です。庭園は三代目藩主利常が庭作を始め廃藩時まであった池泉回遊式の大名庭園で、2015年3月、江戸時代末期の姿をもとに再現されました。滝と一体となった色紙短冊積石垣など、石垣群が庭園の特徴となっています。

紅葉橋跡
紅葉橋跡
鼠多門
鼠多門
鼠多門
鼠多門
鼠多門橋
鼠多門橋
金谷出丸
金谷出丸

庭園の北側は松坂から紅葉橋、鼠多門へと道が続いています。鼠多門は、鼠多門橋でつながる金谷出丸(現在の尾山神社境内)からの出入口です。他の白い海鼠壁とは異なり黒い海鼠漆喰が特徴で、2020年7月復元完成しました。

鼠多門二階
鼠多門二階
鼠多門一階
鼠多門一階
番所跡
番所跡

鼠多門の内部は公開されています。鼠多門を出たところは番所跡です。

■稲荷屋敷跡・御花畑跡

稲荷屋敷跡
稲荷屋敷跡
本丸南面石垣
本丸南面石垣
いもり堀
いもり堀
被災石材展示説明板
被災石材展示説明板
被災石材
被災石材
被災した本丸南石垣
被災した本丸南石垣

玉泉院丸を出て道なりに南東へ進むと稲荷屋敷跡、御花畑跡と続きます。御花畑跡はいもり堀園地として整備され、いもり堀が鯉喉櫓台まで続いています。また能登半島地震で被災した石垣の石材が展示されていて、ここからは実際に被災した本丸南石垣が見えます。

鯉喉櫓台
鯉喉櫓台
鯉喉櫓台
鯉喉櫓台
鯉喉櫓台
鯉喉櫓台
鯉喉櫓台
鯉喉櫓台

いもり堀の先には鯉喉櫓台があります。実際は塀のみで櫓はなかったと考えられています。

本丸南面高石垣
本丸南面高石垣
鯉喉櫓台と本丸南面高石垣
鯉喉櫓台と本丸南面高石垣
本丸南面高石垣
本丸南面高石垣

この隣の本丸南面高石垣が迫力満点です。明治時代に上部が取り壊されて今の姿になりましたが、もとの高さは約22m以上ある城内随一の高石垣でした。一番上は辰巳櫓跡です。

さてここから百間堀跡を石川門の方へ戻っていきます。すぐに車橋門跡の説明板がありますが、なんとなくこの辺?程度にしか分かりませんでした。東の丸東面石垣をすぎ、三の丸東面石垣、その先が石川門です。石川橋をくぐってすぐ左側に前田利家像がありました。このルートで帰ってこないと見逃すところでした。

車橋門跡
車橋門跡
東の丸東面石垣
東の丸東面石垣
三の丸東面石垣
三の丸東面石垣
三の丸東面石垣と石川門
三の丸東面石垣と石川門
前田利家像
前田利家像

これで金沢城の散策は終了です。時刻は12:30頃なので、散策時間は4時間20分くらいでした。もともと3時間ちょっとの予定だったので驚きました。それだけみどころがあったということでしょう。

ということで、冒頭でも書いたとおり次のお城は結果キャンセルになってしまったので残念でした。今日一日の歩数は、14,850歩でした。

石川・富山城めぐりの旅 #2-2 金沢城その2

その1からの続きです。

■本丸附段

極楽橋
極楽橋
空堀(本丸附段-二ノ丸)
空堀(本丸附段-二ノ丸)
空堀(本丸附段-二ノ丸)
空堀(本丸附段-二ノ丸)

極楽橋から本丸の方へ向かいます。二の丸と本丸附段の間の空堀に架かる極楽橋を渡ると本丸附段です。

本丸附段
本丸附段
三十間長屋
三十間長屋
三十間長屋
三十間長屋
戌亥櫓石垣
戌亥櫓石垣
戌亥櫓石垣
戌亥櫓石垣

本丸附段は本丸西側の一段下がったところで、三十間長屋があります。二層二階の多聞櫓で国重要文化財に指定されています。また本丸戌亥櫓の石垣もここで見ることができます。

■本丸

鉄門跡
鉄門跡
鉄門跡
鉄門跡
本丸
本丸
戌亥櫓跡
戌亥櫓跡
旧陸軍弾薬庫隧道
旧陸軍弾薬庫隧道

本丸附段の東側から鉄門跡をすぎると本丸で、入ってすぐ左側に戌亥櫓跡があります。その東側には大きな空堀があり、旧陸軍により明治から大正期に作られた旧陸軍弾薬庫隧道が見えます。この場所はもともと本丸なのであとからつくられたものですね。

本丸
本丸

本丸は、前田利家が天守を建てたとされ、天守焼失後も三階櫓が建てられましたが、寛永の大火後中心は二の丸になったそうです。それ故か本丸は森のようで何もありません。

東の丸

東の丸
東の丸
辰巳櫓跡
辰巳櫓跡
戌亥櫓跡から
辰巳櫓跡から
辰巳櫓跡から
辰巳櫓跡から

遊歩道を進んだ先に直進と左に折れる分岐点があります。ここから東の丸です。分岐点を直進すると辰巳櫓跡です。展望台になっていて、兼六園や段々になった石垣、鯉喉櫓台などを見降ろせます。

丑寅櫓跡へ
丑寅櫓跡へ
丑寅櫓跡
丑寅櫓跡
丑寅櫓跡
丑寅櫓跡
丑寅櫓跡から
丑寅櫓跡から

先ほどの分岐点を左に折れてさらに右に折れると丑寅櫓跡です。ここからも兼六園や二の丸方面を見渡せます。

■東の丸附段

土蔵(鶴丸倉庫)
土蔵(鶴丸倉庫)
土蔵(鶴丸倉庫)と東の丸附段石垣
土蔵(鶴丸倉庫)と東の丸附段石垣
土蔵(鶴丸倉庫)と東の丸附段石垣
土蔵(鶴丸倉庫)と東の丸附段石垣

東の丸から坂を下りたところに土蔵(鶴丸倉庫)がありますが、ここは東の丸附段です。土蔵(鶴丸倉庫)は武具土蔵で、国重要文化財に指定されています。

■鶴の丸

鶴の丸
鶴の丸
鶴の丸からの橋爪門
鶴の丸からの橋爪門
鶴の丸休憩館
鶴の丸休憩館
鶴の丸休憩館から
鶴の丸休憩館から

さらに一段下は鶴の丸です。整備された広場になっていて鶴の丸休憩館があります。ここから見る橋爪門から菱櫓までの一連の眺めはおすすめです。照明などよく考えられているのかガラスに余計なものが写りませんでした。

土塀構造の説明板
土塀構造の説明板
井戸の枠
井戸の枠
辰巳用水の石管
辰巳用水の石管
南門跡
南門跡
東の丸北面石垣
東の丸北面石垣

ほかにも土塀構造の説明板や井戸の枠展示などがあります。辰巳用水の石管が展示されているあたりは南門跡です。南門は三の丸と鶴の丸を仕切っていました。

その3へつづく。。。


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