静岡城めぐりの旅二日目は横須賀城、丸子城です。小山城にも行きたいので早起きし、6:39ごろ出発しました。
■■ 横須賀城 ■■
7:03ごろ横須賀城跡公園駐車場に到着しました。

16:26ごろ鳥羽山公園駐車場に着きました。
鳥羽山城は、浜松市天竜区二俣町にある山城で、「二俣城跡及び鳥羽山城跡」として国の史跡に指定されています。徳川家康が二俣城を攻める際に徳川方の本陣が築かれました。その後堀尾氏により改修され、枯山水庭園や破格の大きさの大手道など迎賓館的な性格が強くなっています。




案内板によると駐車場があるところは腰曲輪、隣にもう一つ、腰曲輪があり、そこの対面が大手道入口で、そこから登城します。大手道入口の階段を登ると大手道です。右側に堀切があり、右側(東側)を登ってみると荒れ放題ですが石壇と小さな祠跡のようなものがありました。ここも曲輪だったんですかね。



大手道を登ると正面に本丸東側石垣、それに面して右側は東曲輪です。石垣は本丸の東門まで続いています。


左側に南2曲輪、その上段に南1曲輪があります。


南1曲輪の北側は大手門跡で、外枡形の構造です。門跡西脇の石垣には、排水のために設けられた暗渠があります。





大手門を通って本丸に入ります。 南側には展望所が建っていて、浜松市方面を望むことができます。



東側には東門跡。東門跡は外枡形の構造で、ここにも北脇の石垣に暗渠が見られます。規模や位置から通用門として使われていたと思われます。


西側には枯山水庭園跡と礎石建物跡があります。



北側には搦手門跡。脇から土塁にも登ってみました。

搦手門跡から本丸を出ると、右下の方に見えるのは北曲輪です。わんぱく広場との名称がつけられていますが、あまり人は来ない感じです。




搦手門跡から左(西)方向、石段を登ると笹曲輪があります。


笹曲輪の南側は腰曲輪。


腰曲輪から遊歩道を南方向へ道なりに進むと本丸西側斜面の鉢巻石垣や腰巻石垣が見られます。この先駐車場に至り、散策終了です。


17:32ごろ駐車場を出発し、18:30ごろ掛川ターミナルホテル近くの駐車場に着きました。このホテル、ほんとに掛川駅前で飲食店も近くに多く便利です。夕飯はミライザカでリーズナブルに済ませました。
高根城の次は、二股城です。
二股城は、浜松市天竜区二俣町にある山城で、「二俣城跡及び鳥羽山城跡」として国の史跡に指定されています。天竜川と二俣川に挟まれた天然の要害に恵まれた中世城郭で、北側から南側に外曲輪・北曲輪・本丸・二の丸・蔵屋敷・南曲輪を配置した連郭式山城です。二股城は自然地形を生かした軍事的要塞だったのに対して、隣接する鳥羽山城は、迎賓機能を持つ領主の居館だったと考えられ、両城は二つで一つの城の役割を果たしていました。

15:22ごろ二股城駐車場に到着しました。

駐車場前の登城口を少し登ると、右下から正面に伸びる本丸と北曲輪を分断する堀切があります。右側が本丸、左側が北曲輪です。



北曲輪には堀切にかかる橋を渡っていきます。北曲輪には旭ヶ丘神社が鎮座しています。




本丸手前には馬出しがあり、馬出しの先は本丸の喰違い虎口(搦手門跡)です。




本丸には立派な石垣の天守台があります。


南東隅に本丸中仕切門跡があります。


本丸の南側一段下は二の丸です。



東側に大手門跡があります。




大手門跡の南側からは土塁になっていて、その下は蔵屋敷との間にある二の丸南側堀切です。土塁上を進んだあと蔵屋敷に行こうとしましたが、遊歩道のロープが張られているので立ち入りできないと判断しちゃいましたが行ってもよかったのかな。




そのまま北西に伸びる下り坂を進むと、左側は西曲輪の段曲輪が続いて水の手曲輪へ。さらにその先は天竜川の土手上の道になり鳥羽山城に行けますが、ここは一旦戻ってクルマで移動することにします。


本丸に戻って、本丸下の腰曲輪など確認していると、なんとカモシカさんが散歩していました。こんな低山でみかけたのは初めてです。
ゆっくり散策して1時間、16:22ごろ駐車場を出て鳥羽山城へ向かいます。
今日から一泊二日で静岡城めぐりの旅、計画では、
・1日目:高根城、二股城、鳥羽山城
・2日目:横須賀城、丸子城
をめぐる予定です。
6:13ごろ自宅を出発、何度か休憩挟みながら最初に立ち寄ったのは、ヤマタケの蔵に移転した天竜区観光協会です。

二股城と鳥羽山城の御城印が目的だったのですが、(予想通り)売切れだったのでさっさと高根城に向かいます。


高根城の御城印は城跡のすぐ手前、水窪総合体育館で購入、パンフレットもいただきました。
高根城は浜松市天竜区水窪町にある山城で、浜松市の指定史跡です。信濃国との国境、遠江国最北端の標高420m、比高150mの通称三角山の山頂部に位置します。


12:39ごろ高根城公園駐車場に到着、少し休憩してここから登城する予定でしたが高根城への「楽道」(林道立山線)案内が貼ってあり、そちらから登城することにしました。


楽道最寄りの駐車場には12:54到着しました。トイレもあります。

楽道は確かに坂も少なく楽な道を6分ほど歩くと、三の曲輪と二重堀切を挟んだ対面、二の曲輪まで見渡せる城外の高台に出ました。復元された柵列がいかにも山の砦のような雰囲気を醸し出しています。




高台から階段を下りると二重堀切で城の南端部です。幅約29m中央に高さ約4mの土塁があります。堀は薬研堀です。




その先階段を登ると三の曲輪です。



三の曲輪の先は箱堀の堀切を挟んで二の曲輪。堀切の東端は土橋になっています。堀切に入って先まで行ってみるとすごい崖でした。絶対登れない。。。


二の曲輪の切岸に沿って進みます。反対側もすごい崖で、すごい場所に建てられたことを実感します。

階段を上がると本曲輪下の段に出ます。正面に木橋と城門、左側に二の曲輪へ上がるはしごがあります。



はしごの設置場所は当時のままですが形状は違うそうで、安全確保を優先しているそうな。それでもかなり気をつけて登らないと危ないです。


二の曲輪から見た本曲輪もかっこいいです。



木橋を渡ったところも小曲輪になっています。


階段の先は本曲輪の搦手門です。







本曲輪には、主殿、井楼櫓、倉庫、城門や土塀が復元されています。いやぁ、この雰囲気はすごくいいですね、よくぞここまで復元したものです。主殿の西側には土塁がありました。





大手門から本曲輪を出ると腰曲輪があり、ここから水窪の街並みを望むことができます。最初にとめた公園駐車場から登るとここにきます。
14:17駐車場に戻ってきました。とてもコンパクトながらしっかりと山城の雰囲気を堪能できる素晴らしい城跡でした。
二股城へ向かいます。
18:30から東京駅界隈で飲み会があったので、その前に江戸城の外周を一周しました。前回の江戸城めぐりでは、北の丸を見ていないので、今回の目的は北の丸ですが、そのついでに周りも一周してみようということです。


16時ごろ和田倉門からスタートしました。和田倉濠にかかる渡倉橋を渡り、和田倉用水公園を抜けて巽櫓の前から反時計回りに進みました。この堀は桔梗濠です。



大手門から先は大手濠です。平川門があります。

竹橋駅あたりに竹橋門跡がありました。竹橋駅って橋からきてたんですね。知りませんでした。竹橋を渡った先は竹橋門跡ですが、ここは渡らずに堀に沿って進みます。

竹橋から先は清水濠です。北の丸の清水門が見えてきました。こんなに大きな門があったとは。




清水門の先は牛ヶ淵ですが、堀沿いにほとんど道がないので、ここから北の丸に入ります。


北の丸には日本武道館があります。





武道館前を進んで田安門から外周へ戻ります。


田安門から先は千鳥ヶ淵です。すぐにある高燈籠(常燈明台)は巨大な灯籠で明治時代に靖國神社の灯籠として設置されました。

千鳥ヶ淵沿いは千鳥ヶ淵緑道という遊歩道で桜の名所だそうです。もう完全に散った後ですね。


首都高速が見えてきて代官町通りを渡ったところから半蔵濠です。



ずっと進むと半蔵門が見えてきます。半蔵門も初めて見ました。



その先は桜田濠です。緩やかに堀を見ながら坂を下りていく風景はいい感じ。桜田門から先は凱旋濠です。もともとは日比谷濠の一部でしたが、日露戦争勝利を記念した凱旋道路と祝田橋ができた際に日比谷濠から分かれました。



祝田橋から先は日比谷濠です。堀に沿って直角にまがります。



馬場先門跡に至ります。そこから先は馬場先濠で東京駅正面から皇居へ続く行幸通りまで続きます。


その先は和田倉濠で和田倉橋で一周終了です。
時刻は18:16です。大急ぎで飲み会へ向かい、なんとか間に合いました。
大分・宮崎城めぐりの旅の締めくくりは、国宝の臼杵石仏です。平安時代末期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われてり、磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定されました。全4群、61体で構成されています。城めぐりではお城に回るのが最優先で他の観光はあまりしないのですが、臼杵城のすぐ近くで国宝ともなれば行きたいということで、今回時間も取れて来れました。


15:03ごろ到着、観覧料550円です。ホキ石仏第二群、ホキ石仏第一群、山王山石仏、古園石仏の4群からなっていて、順路はこの順番です。ホキとは、「がけ」という意味の地名だそうです。



ホキ石仏第二群は2つの龕(がん)からなり、第一龕には阿弥陀三尊像、第二龕は「九品の弥陀」呼ばれる9体の阿弥陀如来像、左右に1体ずつの菩薩立像を配する比較的小さな仏像です。





ホキ石仏第一群は4つの龕からなり、第1龕は如来坐像3体と菩薩立像2体、第2龕は阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、如来坐像の3体、第3龕は大日如来像ほか4体、第4龕は地蔵菩薩半跏像並びに十王像の11体です。



ホキ石仏第一群を出るとすぐ国重要文化財の石造五輪塔の案内表示があったので、そちらもせっかくなので見学しました。刻銘のある五輪塔としては、日本で2番目と3番目に古いそうです。


山王山石仏群は、中央に丈六の如来像と左右に脇侍の様に如来を刻む3体の如来像です。

古園石仏群の手前右側の岩壁には追加で国宝指定された2体の金剛力士立像があります。





古園石仏群は通称古園十三仏とも言われ、金剛界大日如来坐像を中心に曼荼羅を構成し、左右にそれぞれ如来像2体、菩薩像2体、明王像1体、天部像1体を配する臼杵石仏の中心的存在です。


臼杵石仏は臼杵八ケ所霊場の一番札所であり、ここに御朱印の無人販売がありました。石仏周辺にも徒歩で無料で見学できる文化財がまだ沢山あり、これを含めて1時間あれば大丈夫と思っていたのですが石仏だけで1時間でした。16:05空港に向けて出発です。

レンタカー返却時の総走行距離は731km、相当走ったなぁという感じです。空港には早めについたので、Standard Coffeeというカフェで、とり天とビールセットを楽しみました。とり天は注文してから揚げるのでサクッとして最高でした。飛行機は19:10発が19:20発に変更になったものの、予定時刻に帰宅できました。
今回の大分・宮崎城めぐりの旅、6城予定が7城もめぐれました。今後もこの数くらい回りたいものです。
今日一日の歩数は、25,788歩でした。



大分・宮崎城めぐりの旅、最後に訪れたのは臼杵城です。14:48ごろ臼杵市観光交流プラザに着きました。臼杵城は道を挟んですぐで、畳櫓や大門櫓が見えています。こちらでスタンプと御城印、パンフレットを入手後、登城します。

臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にある城で、戦国時代、大友氏により臼杵湾内最大の丹生島に築かれました。島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害でした。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれました。廃藩後は周囲の海も埋め立てられました。国指定史跡、続日本100名城の193番です。現在は臼杵公園となっています。





古橋口から入ります。堀(以前は海)にかかる古橋を渡った右側は亭櫓跡です。



その先は岩を掘り切って作られた鎧(あぶみ)坂で大友時代からの登城路です。上を見ると湾曲した土塀がユニークで綺麗です。坂は落石の防護壁を設置していて両脇は金属板で覆われていました。金属板が一旦亡くなったところで上を見ると時鐘櫓台が見えます。


再度金属板の間をあがると先ほど見えていた湾曲する土塀に出ます。




その先に中門櫓跡と畳櫓があります。畳櫓は天保年間に再築された櫓で重箱造りの現存建物です。


畳櫓横の大きな石垣は、井楼櫓台の石垣です。井楼櫓は最も規模の大きかったものです。


道なりすぐ右側に大門櫓があります。これは模擬復原建物でここから二の丸に入ります。




二の丸に入ると臼杵護国神社の鳥居があり臼杵護国神社に続いています。神社の少し南側には大友宗麟公碑があります。



右横方向には先ほど畳櫓前から見上げた井楼櫓跡があります。


左方向には会所櫓跡があります。


井楼櫓跡前から本丸方向へ向かう道の右側に小さな出入口があり下まで続いています。出入口を出ると城跡の南側斜面を眺めることができます。



戻り進むと井戸跡、義太夫前櫓跡、左側はグラウンドになっています。


北方向に若干戻る感じで臼杵護国神社の裏手に行くと着見櫓跡がありました。




グラウンドの先、二の丸の東側には土橋があって大きな空堀があります。空堀は南側と北側、作られた時代が違うそうです。土橋を渡ると本丸です。




鉄門は本丸への入口で鉄門櫓跡があり桝形を形成しています。その南側に武具櫓跡。



東側に卯寅稲荷神社がありその参道坂道の鳥居を下りて行ったところに、もうひとつの現存建物である卯寅口門脇櫓があります。「うとら」ではなく、「うとの」と読むそうです。鉄砲薬櫓とも呼ばれ火薬庫としても使われていたようです。




さらに下りて行ったところは井戸丸で井戸跡があります。西側に卯寅口門櫓跡、その先奥に搦手口である卯寅口(写真奥の冠木門のところ)があり、かつては海に面していました。


本丸に続く階段を登ると本丸の東端部に出ます。東端右端部には亀首櫓跡、左端部に海雲櫓跡があります。



西方向へ戻り桜満開の本丸跡を歩いて天守櫓跡に着きました。


天守櫓跡は北側の空堀に面しています。



天守櫓跡の近くから空堀に下りてそのまま腰曲輪を東へ進むと松明櫓跡、埋門前櫓跡と埋見門跡と続きますが、埋見門跡は正直どこなのかよくわかりませんでした。


その先、上ノ門跡から畳櫓までは帯曲輪です。




帯曲輪を進んで行くと右側に下りる坂と分岐します。このあたりは中ノ門跡です。坂を下りたところが今橋口で、今橋門櫓跡、今橋門脇櫓跡があります。



帯曲輪に戻り進んで行くと弓道場がありますが、ここの北隅が海鹿櫓跡のようですがよくわかりません。弓道場を過ぎると時鐘櫓跡です。この先は大門櫓なのでこれで一周です。


城跡から出て、南側から見た畳櫓、古橋の北側の様子など確認して散策終了しました。
次は臼杵石仏に向かいます。14:02ごろ出発しました。



延岡城に続いては佐伯城です。10:04ごろ佐伯市城下町観光交流館に到着しました。佐伯市歴史資料館が休館日のため、こちらでスタンプと御城印をゲットしました。

10:09ごろ、佐伯市歴史資料館の駐車場にとめて登城します。
佐伯城(さいきじょう)は、大分県佐伯市にある、標高144メートルの八幡山山頂一体に築かれた山城で、江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれました。国指定史跡、続日本100名城の194番です。初代藩主毛利高政により築城、1606年に完成しました。山麓の三の丸は三代藩主毛利高尚が開きました。





駐車場の西側高くなったところは三の丸です。三の丸にはかつて御殿がありました。三の丸櫓門は現存する唯一の建築物で、高尚の代に城の正門として建てられました。石畳の坂を登り門を抜けると工事中のただただ広い佐伯文化会館の跡地に銅像が建っているのみです。村上勇先生像で、日本の戦後復興のために尽力した自民党の政治家の銅像だそうです。


登城口脇にある櫓は御下櫓と名付けられたトイレですが、ちゃんとお城してます。 登城口にある鳥居は、昭和初期天守台跡に建てられた毛利神社のものですが鳥居のみ残っています。



坂を登り切った場所から登城ルートが分かれます。ここからは独歩碑の道、翠明の道、登城の道のいずれかからです。なお、ルートには山の反対側からの若宮の道もあります。今回は一番緩やかで登りやすいという独歩碑の道から登ります。どのコースも20~30分とのこと。独歩碑の道だけが舗装されていて、あと2ルートは昔の細い山道です。独歩碑の道を登っていくと100メートルごとに頂上までの距離表示柱があります。




頂上まで200メートルを切った先の左に戻る感じで折れる場所に雛壇状石垣の案内板がありますが、ここまで独歩碑の道の開始地点から約14分ほどでした。まっすぐ進むと4段になった雛壇状石垣を下から見ることができます。

道に戻り少し先、頂上まで100メートル地点の左側に捨曲輪があります。特に案内等はなく眺望はいいですが上からの眺望の方がもっとよいです。少し上に本丸外曲輪の石垣が見え、あと少しです。




坂を登り切ると本丸外曲輪で、正面の立派な階段がついて高くなっているところが本丸です。虎口右側にある独歩碑は、明治時代に佐伯に英語教師として赴任した国木田独歩が、後に佐伯を舞台とした作品を多く残し、城山山頂を舞台としたものもあったことからここに建立されたものです。また釣りバカ日誌19のロケ地の表示があり佐伯市街地を望むことができ、そこには二重櫓跡があります。

独歩碑の左側に少し下がるところがあって先ほど下から見た雛壇状石垣を上から見ることができます。




階段を登って本丸にあがると、地元のおじさんに「撮っちゃだめだよ、写っちゃうよ、昔裏が処刑場だったから」と言われ、ちょっと変なの写ったら怖いなぁと思いつつ、撮らないことはないわけで。まぁ、城跡に関してはどこも同じようなものですよね。一段高くなったところは天守台跡で三重の天守があったと伝わっています。ここには小さな祠が建っていますがのちの毛利神社の跡です。


本丸からは二の丸や北出丸を望むことができます。





本丸の南西隅に本丸虎口があります。本来本丸への入口はここのみで、東側の階段は毛利神社を作った際のもの。本丸虎口を出ると廊下橋跡、渡った先は二の丸ですが、先にこの橋をくぐって北出丸へ向かいます。




本丸外曲輪の北側の虎口から出ると北出丸です。入ってすぐに若宮の道への虎口があります。北出丸は南北に細長く伸びていて、北端にはかつて二重櫓が建てられていたそうです。





雄池・雌池は北出丸にある若宮の道へ続く虎口から結構下がったところにあります。上下二段構えの人口の池で上に雄池、下に雌池となっています。上から6分ほど雌池までかかりました。実は二の丸に行った際見るのを忘れていたことに気づき、一度戻って見学してから二の丸へ戻ったのでした。

本丸外曲輪に戻って本丸石垣沿いに進むと廊下橋跡の下に出て、二の丸へつながります。




二の丸に入ると正面、二重櫓跡に独歩文学碑があります。二の丸の中央には屋形と呼ばれる建物がありました。


二の丸南端の虎口は櫓門跡でその先は西出丸です。





西出丸に入ってすぐ左側は虎口になっていて、翠明の道と登城の道につながっています。南西隅には櫓台跡があり、その近くには井戸跡のようなものがありましたが、これは城の遺構ではないそうです。



ひととおり散策を終え、昔からの登城ルートである登城の道で下りることにしました。11:56ごろ廊下橋跡から下城、かなり急な道ですが、まぁ山城ってこんなもんでしょうという感じで11分で降りてこれましたが、行きは独歩碑の道、帰りにこっちで正解でした。
さて次は今回の旅最後の城、臼杵城へ向かいます。12:22ごろ出発しました。
2泊3日の大分・宮崎城めぐりの旅最終日の今日は、延岡城、佐伯城、臼杵城をめぐ ります。
延岡城の御城印を販売している延岡城・内藤記念博物館は月曜日休館日ということで、御城印が買えないと分かったので、ホテルの朝食は諦めてさっさと出発することにしました。効率よく回れば、今回行くのを諦めた臼杵石仏も行けるかもしれないとの希望も湧いてきました。
延岡城は、宮崎県延岡市にある城で、1603年に高橋氏が築き、有馬氏、三浦氏、牧野氏と藩主が変わったのち、1747年に内藤氏が藩主となり、以降、明治維新まで内藤氏が治めました。本丸、二の丸、三の丸からなる平山城で、続日本100名城の195番、別名は亀井城です。


6;11ごろホテルを出発し、 延岡城のある城山公園北駐車場には6:16ごろ到着しました。駐車場の近くで早速石垣が目に入ります。北櫓跡の石垣で内堀跡に面しています。あとで入手した石垣マップの2です。





案内板の脇の道を登っていくと北大手門に至ります。手前右側には旧藩主内藤家の墓所がありましたが門が閉まっていて入れません。門左側には北大手門東側石垣(石垣マップ1)があります。北大手門は発掘調査後に再建されたものです。




北大手門を抜けると正面に本丸の高い石垣がそびえたっています。これは千人殺しの石垣(石垣マップ5)とよばれ、敵が攻め入った時に一番下の根石をはずすと石垣全体が崩れ落ち、一度に千人を殺せるといい、高さは19メートル、延岡城最大のみどころです。




千人殺しの石垣の西側一面が二ノ丸です。二ノ丸にある城山公園管理事務所でスタンプが押印できますが、ここでショックなことが。御城印の案内が貼られており、延岡城・内藤記念博物館が休館日も購入可能とのこと。御城印入手は諦めてたので嬉しい反面、あと2時間以上ここに滞在しないといけない。。。相当ゆっくり散策するしかありません。なおパンフレットと石垣マップも置かれていました。管理事務所の脇から、内藤家墓所を上から見ることができます。

二ノ丸の南西側では二階櫓台の石垣(石垣マップ4)が見れます。先にも小さな曲輪があるのですが、立ち入りできませんでした。



千人殺しの石垣下の坂道を階段を上がると本丸です。先に西方向右側の曲輪に行った突当りには先ほど石垣を確認した二階櫓跡がありました。



戻って東側には二階門櫓跡があり、本丸への枡形虎口となっています。この石垣は石垣マップ6です。



本丸には内藤政挙公像が建っています。



本丸南東隅から坂道を上がると天守曲輪です。途中に門跡のような石垣がありましたが、こちらが本来の虎口です。天守曲輪には天守が建っていた可能性もありますが発掘調査では根拠は得られなかったそうです。



天守曲輪からは延岡市内が一望できます。鐘撞き堂が建っており、現在も1日に6回、鐘守の手によって市民に時刻を告げているそうで、次は8時、30分ほどあるのでまた来ることにします。





戻って天守曲輪下の道を進んで行くと三階櫓跡があります。城内で一番大きい建物が三階櫓でした。



三階櫓台石垣は石垣マップ9です。東面は立入禁止になっているので、スティック使って撮影しました。


三階櫓跡の南側に腰曲輪があり一番奥には櫓台がありました。
ここでいったん天守曲輪に戻って8時の鐘撞きを見学しました。鐘守の方に聞いたら撮影はネットに上げなければいいですよ、とのことでした。鐘は一回ではなく何度もつくんですね、8回でした。




さて戻って三階櫓跡から続く坂は吹上坂でつづら折れになっています。吹上坂の石垣は石垣マップ7です。



吹上坂を下りたところは三ノ丸です。庭園があるなど綺麗に整備されています。一段高くなったところには仲田又次郎翁像が建っています。延岡市の初代、第9代市長だそうです。



東側にある石御門跡は岩盤を削った切通しに作られた搦手門にあたる門です。三ノ丸東面石垣は石垣マップ8です。



三ノ丸から東方向に進むと北曲輪(牧水広場)が見えてきます。その石垣の手前に下りる道があるのでそのまま進んで行くと最初に見た北櫓跡に着きました。




戻って北曲輪です。現在は延岡に縁のある歌人・若山牧水にちなんで牧水広場として整備されています。ここから見る内藤家墓所は縦方向に見えるのがいいですね。


これで城内のみどころは一通り見たのですが、石垣マップの3、二ノ丸西櫓の石垣が残っています。北大手門抜けてすぐ左方向、内藤家墓所の手前の小径を進んで行くと二ノ丸西側石垣の一番奥で確認できます。



さて9時前になったので、延岡城・内藤記念博物館へ移動します。受付で御城印をゲットしました。領収証を作るのでお待ちくださいと言われた間に館内を見渡していると、西ノ丸跡に延岡城・内藤記念博物館が建てられたと知りました。
時刻は9:10ごろ次の佐伯城へ向かいます。
岡城その1からの続きです。




西中仕切跡から城の中心部です。ここからの三の丸石垣は素晴らしいです。西中仕切跡は城内で最も狭い場所で、石垣により通路を折り曲げ、敵が直進できないようにしています。ここを抜けると鐘櫓跡。


続いて正面に太鼓櫓跡があり城の中心部への入口です。




その先一段上がったところは三の丸で、他藩からの使者や家臣が藩主と対面するところです。中央付近には武器庫跡があります。正面には本丸の高い石垣がそびえたっています。くじゅう連山を望める絶景も。





三の丸の先、一段上がると二の丸で、入口付近には井戸跡があります。瀧廉太郎像も建っています。二の丸にあった御殿には、玄関、大広間、書院、北端に数寄屋風の月見櫓、東端に風呂屋がありました。二の丸は来客の歓迎や藩主が楽しむための空間だったようです。


風呂屋跡に建つ二の丸休憩所は、階段で本丸に行ける構造になっていて、なんでこんなの作っちゃったの?と思ったのですが、風呂屋が二階から階段で本丸へ通じていたんですね。




石段を登ると本丸です。中央に本丸御殿、それを取り囲むように、天守に相当する御三階櫓、角櫓、 多門櫓、金倉などが建っていました。南西隅に御三階櫓跡があり、ここから三の丸を見渡せます。




東奥の方には岡城天満宮が建っています。こちらをお参りし、御朱印もいただきました。その右側奥には金倉跡、いわゆる金庫の跡です。ここからは東中仕切跡とその先が見えます。




残るは本丸より東側の曲輪です。三の丸にある御三階櫓下の埋門跡から本丸石垣にそって東へ進んで行くと東中仕切跡があります。ここから先は観光客は激減しました。金倉跡の石垣は二重になっています。


東中仕切跡をすぎたあたりに米倉跡があります。先に進んで行くと左側に清水門跡があります。清水門は藩主が稲葉川のほとりに建てた休息場へ向かうため設けられたものです。



さらにその先に三楽亭跡、荘嶽社跡、御廟所跡。荘嶽社は初代藩主中川秀成、その兄中川秀政、その父中川清秀を祀っていた神社、御廟所にはかつて歴代藩主の位牌が祀られていました。




東側の曲輪の東端に下原門(しもばるもん)跡があり、こちらは搦手門でした。
以上でひととおり遺構は見れたので散策は終了、駐車場には16:20ごろ戻ってきました。それにしても岡城、本当にすばらしい山城で自分的にもトップクラスでした。



今日の城めぐりは終了です。今日の宿、ホテル延岡ヒルズには18:04ごろ到着しました。夕飯は延岡が発祥だというチキン南蛮が食べたくて予め調べておいた居酒屋さんにいったもののなんと閉まってた!飲食店がありそうな方へ歩いていくとJoyfull発見!Joyfullは九州のファミレスだから、多少本場のものとは違えどチキン南蛮あるかもと行ってみるとやった!ありました!ということで夕飯はチキン南蛮定食です。普通においしくいただきました。
そういえばホテルのフロントでアプリはお持ちではないですか?と聞かれ、そういえば最近BBHホテルグループのホテル、やたら泊まってるなと思い、アプリ会員になりました。昨日の鶴崎ホテルさん も、先々週のホテルクラウンヒルズ高岡さんもそうなのでした。会員になるの遅すぎたかも。
今日一日の歩数は、16,963歩でした。