
京都・大阪・和歌山城めぐりの旅の三日目、今日は 伯母の満中陰法要でお城はめぐりません。
今朝の大阪は雪で、少し舞っているなとホテルの部屋から外を眺めているうちに、普通に雪になりました。
大阪市内のお寺で法要後、会食ののち、16:45新大阪発の新幹線で帰路につきました。
京都・大阪・和歌山城めぐりの旅の二日目、今日は和歌山城をめぐります。
7:40ごろ宿を出て、大阪メトロでなんばへ。南海のなんば駅では斬新なかたちの特急ラピートがあったのでパチリ。やっぱりこのデザインはすごいです、銀河鉄道999を思い起こさせます。8:15発の特急サザンで和歌山市までいきますが、空いていたので自由席で。この特急、指定席はちゃんとした特急車両、自由席は普通の通勤車両なんですね。なんばではガラガラだったのに、次の駅からどんどん人が乗ってきたので帰りは指定席にしようと決めたのでした。
和歌山市駅に9:14着。ここから南へ歩いて和歌山城へ。
和歌山城は和歌山市にあり本丸の北側に二の丸、その外に三の丸が配置された梯郭式平山城です。国の指定史跡、日本100名城の62番です。紀州を平定した秀吉が、弟の秀長に命じて城を築かせたのが和歌山城の始まりで、秀長の家臣の桑山重晴が和歌山城代となり、浅野家、徳川御三家である紀州徳川家と続きます。
駅から南へずっと進んでいくと和歌山城城跡の北西隅の西外堀に出ました。ここの交差点の歩道橋からは天守や乾櫓がよく見えるのでいい写真スポットですね。
さて、どのようなコースで散策しようかと考えるとき、今配布されているパンフレットの案内図では正直物足りないです。公式HPでPDF配布されている旧パンフレットはみどころがちゃんと記載されていたので、これを頼りに西の丸、二の丸、蔵の丸、松の丸、本丸、天守曲輪、砂の丸、南の丸の順に散策しました。
西外堀の東側は埋め立てられていますが、ここは吹上口で吹上橋と吹上御門がありました。その左奥の勘定門跡に寄ってから、わかやま歴史館をすぎたところにある西の丸へ。
西の丸は能舞台や茶室などが建てられ、藩主が風雅を楽しむ場所です。西之丸庭園(紅葉渓庭園)は国の名勝にも指定された江戸時代初期に作庭された池泉回遊式の庭園です。
西の丸東側には二の丸へと通じる御橋廊下が西内堀に架かっています。御橋廊下は靴を脱いで渡ります。
渡った先は二の丸の大奥跡で、御橋廊下を出てすぐ右側に穴蔵状遺構があり何かを収納する施設だったとのこと。二の丸は東へ大奥、中奥、表と続いていて二の丸広場として整備されていますが、みたところ普通の公園という感じ。
東に進んでいくと右側に裏坂がありますが、天守方面へは表坂から行くことにします。進むと右側に伏虎像、和歌山城がたつ山は伏せた虎の姿に似ていることから伏虎山と呼ばれています。左側には一中門跡があります。
一中門の先一番奥は大手門です。大手門へ進んでいくと門の手前左側の石垣の上には県指定天然記念物の一の橋の樟樹、推定樹齢450年だそうです。和歌山城の大手門は、豊臣時代には岡口門でしたが、浅野時代途中からここになりました。内堀に架かる橋は一の橋です。大手門の近くには江戸時代から残る井戸屋形があります。
一中門跡に戻り、ここから岡中門までは蔵の丸で、東側の堀沿いに雁木が続いています。岡中門手前右側の表坂から天守方面へ向かいます。
表坂を登ったところは松の丸で、ここからは岡口門や動物園のある南の丸を見下ろせます。七福の庭は七福神の姿に似た石を配置して宝船乗合いを模したもので、もともと本丸御殿の庭園にあったものです。松の丸西端に本丸表門跡があり、本丸へ続いています。
石段のところに中門跡、石段を登った正面に本丸御殿跡、後ろ側は天守曲輪でその入口は天守一の門跡です。正面階段を登ると本丸御殿跡で天守の写真スポット。本丸御殿跡で入れるのはこのスポット付近のみで、中心部は塀で囲まれています。
天守曲輪に入ると、大天守、多聞、天守二の門、二の門櫓が並びます。おもてなし忍者さんが写真を撮ってくれました。とてもいいサービスですね。一人旅だととても助かります。
さていよいよ天守へ。天守前券売所で御城印(2月限定版:300円)をゲット、入場料は410円です。天守二の門から入ります。天守は、大天守から時計回りに南多門、天守二の門、二の門櫓、西多門、乾櫓、北多門、御台所、小天守へと続く連立式です。
天守内部には小天守から入り、ぐるり一周して御台所が出口です。中に入るとは史料館になっていています。大天守最上階で外に出ると360度のすばらしい眺望で、西側は淡路島や四国まで見渡せ、東側では先ほど見られなかった本丸御殿跡もよく見えます。
天守を出て西側の新裏坂から天守北側の埋門への小道があるようなので行ってみましたが通行禁止でした。続いて本丸裏門跡から裏坂で下りました。裏坂の途中には銀名水と呼ばれる井戸があります。その先の台所門跡付近にはナニコレ珍百景でMV珍に選ばれたという、階段をよじ登っている人型のように見える根っこを発見。確かに見えて面白いです。
台所門跡から二の丸に下りて西方向へ進みます。二の丸南西隅の切手門跡から山吹渓、西之丸庭園入口、鶴の渓と進み、奥階段を登ると鶴の門跡で砂の丸に出ます。
砂の丸は勘定御門から不明門まで続いています。砂の丸を南に進んでいくと左側、鶴の渓の上の方に石垣が見えました。おそらくあれが水の手門跡のようです。さらに進むと右側に追廻門があります。西から和歌山城に入る高麗門形式の朱色に塗られた門で、現存する江戸時代の建造物です。
戻って砂の丸をさらに南へ進むと現在は護国神社があり、新裏坂登り口、その先は駐車場となっていて、駐車場入口が不明門跡となっています。不明門跡を出て左側は空堀(南堀)です。
駐車場の北東奥部分から南の丸へ続きます。南の丸は和歌山城動物園になっています。
南の丸の東側に出ると右側に岡口門、左側は岡中門跡。岡口門に進みます。岡口門は築城当時の大手門でした。空襲でも焼けずに残った数少ない遺構で、北側の土塀とともに重要文化財に指定されています。岡口門を出たところには東内堀が広がっています。岡中門跡をとおり、二の丸、御橋廊下、勘定御門を通って13時半前、約三時間半の散策終了です。
さてせっかく和歌山にきてのお昼ということで、事前に調べておいた和歌山ラーメンを食べてきました。伺ったのは、まるイ 十二番丁店さんです。一番ベーシックなラーメン950円をいただきました。山盛りしゃきしゃきのねぎがたくさんのった豚骨醤油ラーメンで、こってりしているのかと思いきや、意外にあっさりしていて最後まで食べ飽きずにおいしくいただけました。
14:30和歌山市発特急サザンで今度は指定席でゆったりと戻ってきました。いったん宿に戻り、夜はいとこと飲みに梅田で待ち合わせて飲んできました。
飲んだ後は静かなところでコーヒーということで淀屋橋まで歩いたんですが、知らなかった中之島図書館や中央公会堂、水晶橋など、いとこが案内してくれました。
さて明日は法事なので観光はなしです。
その1からの続きです。
西橋から南へ内堀沿いに進んでいくと内堀南西隅に重要文化財の西南土蔵(米蔵)があります。西橋を挟んで北の西北土蔵と対になっています。土蔵はかつて10つあり、現在は3つ残っています。城に土蔵が残るのは二条城だけだそうです。進むと右側に重要文化財の西南隅櫓。
内堀沿いに東方向には梅林があり、梅が少し咲き始めていました。
梅林の先には重要文化財の南中仕切門があり、内堀の北側にある北中仕切門と対になっています。門をくぐって右側は桜の園ですが、春には桜が咲いてきれいなんでしょうね。
内堀南東隅には重要文化財の桃山門があり、北の鳴子門と対になっています。内堀に沿って北上して、再度本丸櫓門から本丸御殿・庭園を経由して西橋の分岐点に戻ってきました。ここからは北上します。
内堀の北西隅に重要文化財の西北土蔵(米蔵)があります。土蔵の西側奥には重要文化財の西門があるのですが、そこまでは立ち入りできず、遠くから眺めるのみです。土蔵を過ぎて内堀沿いに東へ進むと重要文化財の北中仕切門。
門の先は清流園のエリアです。清流園は昭和に作られた庭園です。西側は書院・香雲亭と茶室・和楽庵が建つ日本庭園、東側は洋風の芝庭という、和洋折衷の造りです。
内堀に沿って少し南下し重要文化財の鳴子門を見てから来た道を戻ります。東へ進んでいくと左側奥に重要文化財の北大手門が見えます。東大手門に対する控えの門です。
右側には重要文化財の土蔵があります。土蔵の南側には重要文化財の二の丸御殿台所・御清所があるのですが、このエリアには入れなくて殿台所の北端部をちらり見できる程度でした。
これで見るべきものは全部見たと思っていましたが、よかったです、南門をすっ飛ばしていたことに気づいて。唐門くぐる前に南門を見てから進むコースになっていたんですね。南門は大正時代に天皇の入城口として建てられたそうです。
さて時刻は13:50、旅程上ほぼ予定どおりで次の大阪城へ向かうことにしていたのですが、大阪城の規模からするとここと同じ予定所要時間3時間では到底回り切れないと思うのと、正直疲れたので、急遽大阪城は今回の旅程から外すことにしました。次回たっぷり時間取っていこうと思います。
時間ができたので、ゆっくり約2kmの外堀外周を反時計回りに一周することにしました。
東大手門から北へ進み北東隅を曲がると北大手門、北西隅付近には堀や石垣などの文化財に親しんでもらえるようにと説明版などが設置された散策路がありました。
西側に来ると西門。中からの西門はほとんど何も見えないので外周一周は大正解、立派な門でした。南西隅では外側からの西南隅櫓、南側では外側からの南門を見て東南隅櫓まで戻ってきました。時刻は14:30ごろ、ゆっくり歩いて大体40分で一周です。
ということで今日の散策は終了、京都市営地下鉄、阪急電車と乗りついて今日の宿、ホテルクライトン新大阪に16時ごろチェックイン。夕飯は事前に目星をつけた居酒屋のつもりが、駅前でぎょうざの満州を発見!行ったことなかったし宿から近いのでそこに決定。ビールと塩ゆで秘伝豆(ハーフ)、小松菜と玉子炒めセット(焼き餃子・ライス・スープ・漬物つき)と日本酒。しめて2,260円なり、安い!大変満足でした。
さて明日は和歌山城です。
伯母の満中陰法要に合わせて計画した2泊3日京都・大阪・和歌山城めぐりの旅、二条城、大阪城、和歌山城をめぐる予定です。
6:46熊谷発の上越新幹線、7:48東京発ののぞみ、京都市営地下鉄と乗り継いで二条城前駅についたのは10:30ごろ。改札出たところのコインロッカーに荷物預けて地上に出ると目の前は二条城でした。
二条城は京都市街にある平城で、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために徳川家康が築城し、正式名称は元離宮二条城。15代将軍慶喜が二の丸御殿で「大政奉還」の意思を表明したことでも有名です。国指定史跡、世界文化遺産、二の丸は国宝に指定され、日本100名城の53番となっています。
地上に出ると東南隅櫓と外堀が見えます。東南隅櫓は重要文化財です。かつて外堀の内側の四隅に隅櫓が建てられていましたが今残っているのは東南隅櫓と西南隅櫓です。
外堀に沿って少し北へ行くと重要文化財の東大手門があります。券売所で入城券+二の丸御殿観覧券(1,300円)を買って中へ。

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東大手門を入るとかなりの広さの広場になっていて、すぐ右にあるのは番所です。9つあった番所のうちただ1つ残っている建物だそうです。番所の北方向にある大休憩所で通常版(300円)とお正月限定特別版(700円)の御城印をまずゲット、番所の南方向にある総合案内所で100名城スタンプをゲットしました。二条城は2011年9月に来たことがありスタンプは入手済みですが、2冊目のスタンプ帳にはないので。その奥には先ほどの東南隅櫓があります。
さてここからは公式HPにあった観覧モデルコースのよくばりコース(2時間30分)に沿って散策です。煌びやかな唐門は重要文化財で、二の丸御殿の正門です。
門を入ると正面に国宝の二の丸御殿。二の丸御殿の中は撮影禁止なのが残念です。面白かったのが廊下です。歩くと鳥の鳴き声のような音がきゅいきゅいとなり、鶯張りと呼ぶそうですがこれがなんか心地よいです。
御殿内部見学後は特別名勝の二の丸庭園です。庭園入口手前右側に京都所司代屋敷の下屋敷で使用されていた釣鐘があります。
右手に二の丸御殿、左手に二の丸庭園を見ながら進みます。
二の丸庭園から東側に出ると内堀、東橋と重要文化財の本丸櫓門があります。
門を入ると正面に本丸御殿の御常御殿が見えてきます。本丸庭園を見ながら重要文化財の本丸御殿へ。
本丸御殿は、明治時代に桂宮御殿の玄関、御書院、御常御殿、台所、雁の間が移築されたものです。本丸御殿内部も残念ながら撮影禁止です。本丸御殿内部見学は11:50枠を予約済み(1,000円)。最初にビデオを見てからその後は自由見学でした。
本丸庭園の南西隅には天守閣跡があります。二条城に五重の天守閣があったんですね、知りませんでした。と思いきや、2011年に来た時の写真にありました。落雷で焼失したそうです。天守台からは御殿と庭園が見降ろせます。
本丸御殿の西側から坂を下り、内堀にかかる西橋を渡ると休憩所があるので、そこでしばし休憩。ここはよくばりコースの分岐点となっていて、北へ進むか南へ進むかというところなんですが、まずは南へ。
その2へ続きます。。。

狩野城に続いて韮山城に向かいますが、御城印は反射炉物産館たんなんで入手できます。11:15ごろたんなんに到着しましたが、韮山反射炉の隣なので見学はせずともよく見えました。たんなんの裏手にある反射炉・富士山展望デッキはフォトスポットです。さてここから韮山城まではクルマで5分足らずです。
韮山城は、伊豆の国市韮山にあった室町時代後期から安土桃山時代にかけての城で、城跡は国の史跡に指定されています。丘陵に沿って縦に曲輪が連なる典型的な平山城です。
散策には江川邸の無料駐車場を利用しました。スマホで地図を見ながら西の方へ歩いていくと三ノ丸の東側の堀跡に出ました。南へ進むと城池があり、右側は登城口で道は堀切になっています。
堀切を登った先は城の北端にある三ノ丸で現在は韮山高校のテニスコートになっています。高土塁が残っています。道を西へ進むと韮山高校のグラウンドの上に出ますが韮山高校は御座敷跡です。
道の手前に南へ続く道がありそこを行くと権現曲輪です。権現曲輪には北条早雲)が城の守護神として創建した熊野神社があります。
権現曲輪とその南側の二ノ丸の間は堀切2(堀の番号は韮山城跡「百年の計」縄張図でのもの)です。二ノ丸切岸に沿って階段を登っていくと二ノ丸です。
二ノ丸は土塁で囲われています。二ノ丸とその南西、本丸の間は堀切1です。
道に沿って進むと本丸に出ます。富士山と御屋敷跡をのぞめます。
本丸から伸びる土塁の上を南に進んでいくと、立ち入り禁止になるのですが、その先に塩蔵が見えました。
戻って権現曲輪と二ノ丸間の堀切を下り城池のほとりに出ました。遊歩道を南に進んで、現在確認ができる堀切3から5を確認し、城池の周りを半時計回りに進んで戻ってきました。
13:30前、帰路に着きました。
朝食は自分的には珍しく和ではなく洋にしてみました。洋もいいもんです。
8:15ごろ宿を出発し、8:40ごろ狩野城跡駐車場に到着しました。駐車場には狩野氏の系図と狩野派の系図、狩野氏の歴史年表の看板や案内板が設置されています。狩野城は伊豆市の狩野川と柿木川合流点の南側、標高189mの丘陵に築かれた山城で、伊豆市の指定史跡になっています。平安時代に狩野氏の祖狩野維景により造られたと考えられています。絵師狩野派の祖先の地なんだそうです。
城跡までは遊歩道が整備されています。遊歩道を進んで少し行くと直進と右に折れる道の分岐点。直進は城跡に東側から行くコース、右は西側から行くコースです。今回は直進しました。遊歩道ではいくつか分岐がありますが、案内があるので迷うことはありません。
20分ほど歩き城跡に入ると出丸があります。ここから主郭部めざして東へ進みます。
途中小さな曲輪のような空間があり、これが東郭かなと思ったりしますが、そのうち堀切が現れます。右に登ると東郭、左へ登ると本郭方向へ続いています。東郭は郭の内部がえぐれていて2段になっています。
本郭方向へ登ります。案内図によればこの道沿いに中郭があってそのまま入れるように読めるのですが、進んでいくと本郭についてしまいました。先ほどの堀切上がってすぐ左に上がる道が中郭へ続く道でした。中郭に着くと題目堂と掲げられた建物がありますが、どのようなものかよくわかりません。中郭は城跡で一番広い郭です。中郭の右奥にあるのが南郭で一番高いところにあります。
先ほどの遊歩道に戻って進むと水手方向に下りていく竪堀状の道と本郭へ続く階段に分かれます。本郭の手前東側には堀切があります。
本郭は名前にしては小ぶりの曲輪で中央が臼状にえぐれ周囲の土塁が残っています。ということで主郭は本郭ではなく中郭とも考えられているようです。
本郭東側の堀切を下りてみました。突当りは整備されていない獣道。西の方へ進んでから戻ると先ほどの竪堀状の道との分岐、さらに進んでいくと水手に出ました。
本郭に戻って遊歩道を西へ進むと二重堀があり、その先に西郭。西郭の西側は大きな堀切(案内図での空堀)となっています。ひととおり案内図にある遺構はめぐったので西側のコースで下山しました。

次は狩野城の御城印を買いに行きます。10:20ごろ駐車場を出発しました。御城印は伊豆市観光協会天城支部(天城会館横)で入手しました。次は韮山城へ向かいます。
1泊2日で伊豆の長浜城、狩野城、韮山城をめぐる旅です。今日は長浜城へ。

7時過ぎに出発し高速使わずに長浜城の御城印が買えるJAふじ伊豆 OH!MOS(オーモス)さんに着いたのは13:10すぎでした。御城印とみかんを購入しました。
長浜城は沼津市の内浦地区にあった城で現在まで戦国時代の海賊城の遺構を多く残しています。国の史跡に指定されています。
OH!MOSさんの目の前は長浜城の田久留輪の一部でガイダンス広場になっており、安宅船原寸大模型が展示されています。発掘調査で見つかった石積みのレプリカなども整備されています。
ここからも登城できますが、すぐ近くの長浜城跡見学者駐車場へ移動し登城しました。駐車場周辺には長浜城に関する説明や案内板が設置されています。
登城路は整備されていて階段をずっと登っていくと直進は弁天社、左は第四曲輪へ続く堀切Ⅳとの分岐にでます。堀切Ⅳを進むと左側に第四曲輪があります。この位置から尾根伝いに登ってこようとする敵をここで撃退する役目を担っていたと考えられています。
堀切Ⅳ右側の階段を進むと第二曲輪と第三曲輪の間の堀切Ⅲに出ます。ここには当初跳ね橋がありその後虎口に改造して門が建てられたそうです。今来た道は昔の道ではないような気がしたので、一旦堀切Ⅳの分岐に戻って弁天社へ続く階段を登っていきました。登り切ったところに長浜城弁財天社が建っている第三曲輪に来ました。南側から南東側に土塁があります。弁天社が建っている部分は削り取られて低くなっていますが、本来は南側の高くなっている部分の高さだそうです。
弁天社の脇を進むと先ほどの堀切Ⅲに出て、そのまま直進すると第二曲輪へ。第二曲輪は城跡で一番広い曲輪で、南側と西側に土塁が築かれています。
掘立柱の建物が建っていたと考えられ、最大の大きさの第1号建物とそれに直文する第6号建物の柱が復元表示されています。
北東隅の第一曲輪との境に、半地下式構造の掘立柱建物跡が確認され、当時の状況を推定し再現した櫓が建っています。海側の見張りと第一曲輪と第二曲輪をつなぐ登り口を兼ねた櫓と推定されています。西側北端にある堀は断面形が逆台形をしている箱堀で、下の竪堀とは分断されています。櫓と組み合わせて第一曲輪を守るためのものだったようです。
櫓に登ると第一曲輪へ。第一曲輪は城内の最高地点にあります。西側から北側にかけて、土塁がL字状に設けられています。東側に2つの柱穴、南側から西側にかけてL字状に延びる柱穴列が発見され、門と塀があったと推定されています。北端からは内浦湾と遠く沼津市街と富士山を眺めることができます。
続いて第一曲輪の海に向かって北東へ伸びる尾根上にある曲輪に進みます。櫓の半地下部分から整備された散策路は曲輪Aに続いています。第一曲輪に近い方からAからDの便宜上の名称がついていて、腰曲輪と呼ばれます。
曲輪Cまでは上からもよく見えていますが、曲輪Dは木に覆われてよく見えず曲輪Cから急な道を下りたところになります。曲輪Dの先は岩礁になっていて下りることもできます。
戻って櫓からの散策路の下側、曲輪Iに行ってみました。
最後に上から安宅船原寸大模型を見下ろせる曲輪K方面へ。曲輪Aの西側からつづく道を進むと曲輪Jがありますが、これを曲輪というのかと思うほどよくわかりません。その先少し進むと曲輪Kに出ます。下方に安宅船原寸大模型、テレビでも見たことのある光景でした。曲輪Kの先はまだ道が続き、行き止まりには第二曲輪にあった堀に位置を合わせて作られた竪堀があります。
案内図によれば曲輪の遺構は他にもありますが行けないのでこれで散策終了です。
15:15ごろ今日の宿へ向けて出発、宿に着いたのは16:10ごろでした。今日の宿は伊藤園ホテル土肥さんです。部屋はオーシャンビューの和室で、海に沈む太陽を見ることができました。
今回の旅最後に訪れるのは、昨晩散策した小倉城です。最寄りの勝山公園地下駐車場に12:55ごろ到着しました。



小倉城は北九州市にある梯郭式平城で続日本100名城の181番です。江戸時代には小倉藩の藩庁が置かれました。駐車場から地上に出て西へ進むと石垣が現れますが、石垣の切れ目が走る白い忍者のようにみえてかわいいです。ここから天守の方向へ進み、右側一段高くなっているところは御城米屋跡、正面にしろテラス。ここはお土産屋で、スタンプと御城印はここで入手できます。
しろテラス手前左側が大手門枡形・大手門跡で正面に天守がそびえています。天守に入る前に付近を散策します。
大手門から入り、右に曲がった後左に折れた先にある槻門(けやきもん)跡は藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された本丸への正門です。槻門跡と西側にある鉄門(くろがねもん)跡の間の本丸石垣下部に「卍」の刻印(このあたりの石垣を請け負った家臣の家紋)や井戸跡があります。
南側の郭は松ノ丸跡で南端部に白洲灯台岩松翁記念塔が建っています。鉄門跡は中老以下一般武士が通行した門です。さらに西側にある西ノ口門跡は裏門にあたり、二の丸から本丸と松ノ丸へ入る門です。
戻って槻門跡から本丸へ向かいます。石段を登ると本丸、天守の前にでます。天守には続櫓がついています。
天守に入ります。天守は連結式望楼型4重5階の復興天守で、歴史や文化を学べる体験型展示はエンターテイメント性に富んでいます。1階はエンターテイメントエリア「小倉城シアター&体験コーナー」です。時間があればひとつずつ展示を体験するのも楽しそう。バーチャル技術で江戸時代のさまざまな衣装に着替えられるデジタルなりきりで遊びました。
2階は細川家・小笠原家の歴史と小倉の歩みのフロア、3階は宮本武蔵と佐々木小次郎のフロアで、巌流島の決闘の歴史や、二人の伝説を体感できる展示などがあります。
4階はギャラリースペース。
5階は小倉の街を一望できる展望スペースでカフェもありました。
天守から出て西側には巌流島の戦いをイメージした宮本武蔵と佐々木小次郎のモニュメント、本丸の北西側に着見櫓があります。沖からの通航船を監視した木造三重二層の櫓が再現されています。北西隅から多聞口門跡を抜けて北ノ丸へ。門跡抜けて右側の本丸石垣を見ると毛利氏時代と細川氏時代の石垣の境目がはっきりと確認できます。
北ノ丸には八坂神社が建てられています。八坂神社の東楼門から一旦外へ出て北ノ丸石垣を見て戻り東へ進みます。
北口門跡は八坂神社参道の門の入って右側(このルートでは門の手前左側)が門跡です。八坂神社参道の門の東側は下台所。参道を東に進み鳥居の先に、中津街道の出入り口であった中津口門で使われていた大石があります。
続いて小倉城庭園へ。小倉城庭園は池泉回遊式庭園で、御下屋敷跡を復元した大名庭園と、江戸時代の典型的な武家書院が再現されています。ここから見る天守は絵になりますね。
小倉城庭園の南東には虎ノ門跡。大手門、西の口門と並ぶ正門の一つです。
天守東側を堀沿いに西に進むと左側に大手先門跡があります。時間が少しあるのでもう少し城内を散策してから駐車場へ戻りました。
15:45ごろ駐車場を出発し北九州空港へ向かい、直前でガソリンを補給、レンタカー返却時の総走行距離は424kmでした。空港にはメーテル像がありました。銀河鉄道999は大好きなので、うれしい。ということで18:05の飛行機で帰りました。
夕飯はすき家で鬼おろしポン酢牛丼テイクアウト、22:10ごろ帰宅です。
山口・福岡・大分城めぐりの旅の最終日、今日は中津城と小倉城をめぐります。
あさのホテルさんでの朝食後、7:25ごろ中津城へ向けて出発、9:10ごろ中津城第3駐車場へ到着しました。
中津城は大分県中津市にある梯郭式の平城で、大分県指定史跡、続日本100名城の191番です。黒田官兵衛が築城し、細川忠興が完成させました。
駐車場は二ノ丸にあります。二ノ丸公園として整備されています。
二ノ丸と本丸の間には薬研堀があり、模擬天守が建っています。薬研堀に面した本丸上段北面石垣では黒田時代(右側)と細川時代(左側)の石垣の継ぎ目を確認できます。近くには黒田官兵衛(如水)像と正室光姫像が仲良く並んでいます。
堀に沿って進んでいくと天守の南側に大鞁櫓を見ることができます。
堀が切れるところの石段を上がって鳥居を抜けると本丸の上段で、料金所があります。スタンプはここにで押して入城料は1,000円(ドリンク付き)です。有料区域内に入ると右側に黒田官兵衛資料館があり、大鞁櫓、天守と並んでいます。左側奥には藩主であった奥平家の祖を祀った奥平神社があります。


黒田官兵衛資料館に入ったところでドリンクをいただきました。黒田官兵衛資料館の売店で御城印を入手。
大鞁櫓は望楼型の二重櫓です。天守は本丸上段の北東隅櫓跡に建てられた模擬天守です。
天守に入ると奥平家歴史資料館となっていて、奥平家歴代の当主の甲冑など色々展示されていますが、何よりもものすごい量の造花で館内が彩られているところに驚きます。これに関しては色々と辛口な意見も多いようですが、自分的にはこれはこれで華やかでいいんじゃない?と思います。最上階は外に出られて眺めがいいです。
有料区域から出ると先ほどの料金所の対面には高輪地蔵、南へ進むと本丸下段で、三斎池という池があります。この西側は中津城第1駐車場で広大です。中津大神宮は、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉斎し、『豊前の国のお伊勢様』とも言われますがこちらは本丸の上段にあります。
本丸下段西側の松の御殿跡には中津神社が鎮座しています。本丸下段の南西隅は水門跡で虎口の石垣が残っています。
東の方へ戻ると右側に大鳥居があり三ノ丸へ道が続いていますが、本丸南側石垣のこの部分は道を作るために分断されました。東側の石垣は戦後撤去された上半分を復元したとのことで、上下で若干色が違っています。西側の堀に面した石垣は昔のままです。
独立自尊碑は福澤諭吉の偉業を称えて建立された記念碑ですが福澤諭吉の生誕地だったんですね、知りませんでした。本丸南東隅の鳥居がある入口は椎木門跡です。門跡北側の天守方向へ続く石垣の切れ目はかつて扇型だった石垣にあった入口のひとつ。椎木門跡の外は二ノ丸です。
椎木門跡から東へ進み角を右へ曲がったところは黒門跡、その南側は三ノ丸です。南へ進むと小学校があり大手門跡石垣。道挟んで反対側の公民館は御用屋敷跡です。
西側へずっと進み三ノ丸西端まで行くと搦手門だった西門跡で、その先城下町、西へ進むと城戸口のひとつだった小倉口があります。
すぐ北側は中津川なので川沿いに北側の石垣を眺めながら駐車場へ戻りました。最後に天守をバックにハートの木をパチリ。
約2時間の散策を終え、中津城で計画した最後の遺構のお囲い山・広津口へ。お囲い山は城下町外周の外堀の内側に築かれた総構えの土塁のことですが、城戸口のひとつだった広津口で確認できます。