お遍路さんの旅の第6回目の二日目です。今日は46〜50番と大洲城、湯築城、松山城に行く計画です。6:15に起床、6:50にホテルを出発、まずは46番へ向かいます。今日はかなり余裕のある時間取りなので20分遅れですが問題ありません。
■第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺
浄瑠璃寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、布教に訪れ伽藍を建立、白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍の日光・月光菩薩、十二神将を刻んで安置し開基したとされます。その後弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復、四国霊場の一寺としたといいます。
12分遅れの7:12に到着です。今日は雨は残らない予報だったと思うけど、少しまだ降っています。今日の一番目の参拝者となりました。そんなわけで境内はとても静か。説法石は「おかけ下さい おしゃかさまが説法され修行されたインドの霊鷲山の石が埋め込んであります」と書かれているけど、あいにくの雨で濡れてて座れませんでした。
10分遅れの7:45、次の47番へ向かって出発。
■第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺
八坂寺は真言宗醍醐派、本尊は恵心僧都作と伝えられる阿弥陀如来です。修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられ、1300年の歴史を有する古刹です。文武天皇の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立したとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来するそうです。その後弘法大師が荒廃した寺を再興して霊場と定めました。
8分遅れの7:48に到着です。
まずは駐車場の端にあるいやさか観音を参り、屋根付き橋のようになった単層小型の山門から境内に入ります。山門は天井には絵が描かれている極楽橋です。本堂前の石段の手前左側には、鎌倉時代に作られた宝筺印塔があり寺宝とされています。そして本堂に上がる石段の下から10段目の左側には「九難を去る救いの手」と言われる手形があり、足や目の病気にご利益があるそうです。本堂と大師堂をお参り後は、その間にある閻魔堂へ。左に地獄の径、左に極楽の径。トンネルのようになっていて、それぞれ地獄絵と極楽絵が壁に描かれています。
10分遅れの8:25、次は一旦お参りはお休みして、前回行くことを諦めた大洲城へ向かって出発。
■大洲城
大洲城は、鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって修築され、伊予大洲藩の中心として城下町は繁栄したそうです。明治維新後ほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、その後老朽化により天守は解体されました。その後、地元住民の城郭への保護活動と寄等により平成16年に復元されたのが現在の天守です。江戸時代から残る台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓は国の重要文化財です。
8分遅れの9:23に到着です。大洲市民会館駐車場に駐車し、二の丸跡を通り、井戸丸を経由して、本丸へ。日本100名城スタンプは大洲城内入口となっている、台所櫓入口にてゲット。天守は復元されたものですが、当時の工法・木造で復元、資料が充実していたためほぼ正確に復元できたそうです。確かに内部に入ると木は新しいけど構造はまさしく本物の城。こういう復元天守は好きです。ほんとに素晴らしい!肱川堤防上にある苧綿櫓は時間もないので、遠くから鑑賞。
ここではLX100をスタビライザーに装着して動画を撮影。なんとなくうまい感じで調整できた気がします。この手のスタビライザーの調整においてはカメラストラップを外すようですが、今回あえて着けてみました。するとこれがいい塩梅に舵取りの道具として役割を果たしちゃうような感じです。
ということで、10:27に48番に向けて出発しましたが18分も余裕ができているたことに気づきました。見学所要時間を90分としていたのに、60分のつもりで見てた。なので時間がある場合に予定していた、三の丸南櫓に行きました。ちょっとした公園として整備されていて中にも入れるようになっていましたが、それほど時間もないので入らずに写真と動画撮って48番へ向かいます。
■第48番札所 清滝山 安養院 西林寺
西林寺は真言宗豊山派、本尊は十一面観世音菩薩です。聖武天皇の勅願により行基菩薩が伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」に堂宇を建立、本尊に十一面観音菩薩像を刻んで安置したのが始まりとされ、その後弘法大師が寺をいまの地に移して四国霊場と定めたそうです。
13分前倒しの11:27に到着です。お参りしていると後から袈裟を来たかっこいい姿のお坊さんでしょうか、お参りに来られました。もう完全にタイムスリップしたような光景に見えます。実際何者だろう?福授地蔵は納経所前の庭園にあり、お詣りすると1つだけ願いを叶えてくれるという、幸せを授けてくださるお地蔵様です。
16分前倒しの11:59、次の49番へ向かって出発。
■第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺
浄土寺は真言宗豊山派、本尊は行基菩薩作と伝えられる釈迦如来です。天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩が刻んだ釈迦如来像を本尊とし法相宗の寺院として開創されたとされます。のち弘法大師が荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗したとのことです。本堂と内陣の厨子は和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物で、国の重要文化財に指定されています。
19分前倒しの12:11に到着です。参拝客があまりいなかったので、お経をあげる自分を撮影してみました。どんな風に聞こえるかちょっと気になります。
24分前倒しの12:41、次の50番へ向かって出発。
■第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺
繁多寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を刻んで安置し建立したのが始まりで当時は光明寺と号されました。その後弘法大師がこの地を訪れ、寺に逗留された際に繁多寺と改め、霊場とされたそうです。
34分前倒しの12:49に到着です。境内は高台にあり静かなところです。鐘楼堂の天井には絵が描かれています。
37分前倒しの13:13、次は湯築城なのですが、約40分も時間に余裕ができたので、急きょ51番に行くことにしました。
■第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺
石手寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。神亀5年に伊予の豪族、越智玉純が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となり、天平元年に行基菩薩が薬師如来像を刻んで開基し、法相宗の安養寺としたのが始まりとされ、その後弘法大師が真言宗に改めたとされます。
13:25に到着です。50番ととても近かったのでちょうどいい感じ。
参道が回廊になっていて仲見世のみやげ店が並んでおり、観光客も多い。なんとミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定されたこともあるそうです。このお寺は見どころがとても多く、特に、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されているというすごさ。国宝は二王門、重要文化財に本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、「建長3年」の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘です。境内では住職の説教が流れておりました。納経をすると「本来の仏教 ブッダの真実」という冊子を頂けた。面白そうな本です。
ほんとはもっとゆっくり色々なものを見たかったのですが、何せ急きょ加えた参拝なので早めに次の湯築城へ向かって14:07に出発。
■湯築城
湯築城(ゆづきじょう)は松山市道後町の県立道後公園内にある、14世紀前半に伊予国守護河野氏によって築城された城跡で、城郭の堀や土塁などの縄張り遺構が良好に残り、国の史跡に指定、そして日本100名城に指定されています。中世の城郭である湯築城は石垣や天守が無い地形を利用して作られた平山城です。
51番を入れたにも関わらず、8分遅れの14:13に道後公園西口駐車場に到着です。この駐車場は、搦手門跡そばにあり湯築城の復元区域に面していて、湯築城資料館、武家屋敷などの展示施設に行くには最も便利。まずは資料館で日本100名城スタンプをゲットしました。ただし月曜定休日のため今日は資料館も武家屋敷も見学することはできません。内堀にそって南側の外郭を回り、追手門跡手前で石段を登って本丸跡、続いて二の丸跡、最後に石像湯釜(通称:湯釜薬師)を見て城郭を一回りするような感じでおおよそ40分の散策でした。
10分前倒しの14:55、松山城へ向かって出発。
■松山城
松山城は標高132mの勝山に立つ、加藤嘉明が築き始めたお城で攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城です。現存12天守のひとつでもあり江戸時代以前に建造された天守を有する城郭で日本100名城にも選出、天守、櫓、塀など21もの建造物が国の重要文化財で、城山公園全体が国の史跡に指定されています。
10分前倒しの15:05に松山城駐車場に到着。松山城へは徒歩でも行けますが、ロープウェイとリフトがあるのでそれを使います。駐車場からのりばまでは数分です。山麓駅で観覧券と往復券がセットになった総合券1020円を購入。ロープウェイは10分感覚の運行で所要時間3分、リフトは6分。ちょうどいいロープウェイがなかったのでリフトで登りました。山頂駅から天守入口までは約10分、そこまでの間も巨大な石垣が出迎えてくれます。
本丸に入る戸無門が最初に見る重文。高知城も本丸の建造物がよく残り重要文化財が多い城でしたが、規模はそれ以上。戸無門に続く門は筒井門ですが、その奥に隠門とそれと続いている隠門続櫓が重文。なのでこちらから入りました。広場に出て太鼓門をくぐると本丸の広場に出ます。本丸の広場は奥方向に広く伸びた感じで、一番奥に連立式の天守が見えてきます。天守手前にチケット売り場があり16:30で入場打ち切り。
ここから先の本壇が目に入ってくる建造物の半数以上が重文。石垣を右に見ながら坂を登ります。その石垣の上に見えるのが手前から二ノ門南櫓、一ノ門東塀、一ノ門南櫓の重文。正面の紫竹門東塀が重文。坂を右に折れると正面に重文の大天守とその下に重文の鉄筋門東塀。右に折れて一ノ門(重文)をくぐると正面が二ノ門南櫓(重文)、左に折れて二ノ門(重文)をくぐると左側に三ノ門東塀(重文)、少し広場になっており左にUターンするような感じで三ノ門(重文)をくぐった正面が三ノ門南櫓(重文)、右に折れて左に鉄筋門東塀(重文)を見ながら進みます。ここまで重文の連続。
正面にある鉄筋門は連立式天守を構成している門のひとつでここをくぐると本壇の内庭に出ます。因みに連立式天守を構成しているのは、右回りに筋鉄門、小天守、多聞櫓、南隅櫓、十間廊下、北隅櫓、玄関多聞、玄関、内門ですが、これらは1968年に復元されたもの。
天守入口は大天守の階下にあり、中に入ると左回りにぐるりと一周して大天守に戻り、上層階へ登る順路となっています。現存天守では階段がとても急で狭く登るのに一苦労という印象がありますが、松山城の場合、それほどではないという感じ。天守最上階からの眺めは素晴らしいものでした。内門から左に仕切門内塀(重文)を見ながら仕切門(重文)をくぐると二ノ門に出ます。
本壇の見物後、紫竹門(重文)をくぐり乾櫓(重文)や野原櫓(重文)のある方へ進み、戻ってきた時のこと。ああああーっ!スタンプゲットしてない!やばい!焦りました。時刻はもう16:30を過ぎていて、本壇にはもう入ることはできない!もうしまっているチケット売り場で聞いてみました。するとこの時間は管理事務所(馬具櫓)にあるとのこと。ふー、よかった。無事ゲットすることができました。
さて時間的には出発予定時刻の17:55まで大分あります。ただこの季節、17:55なんて暗くなってるでしょうからあまり遅くまでいても意味はない。ということで現存12天守の城郭では彦根城と松山城でしか確認されていないという登り石垣を見に行ってみました。ロープウェイとは逆の方ねと石段をどんどん下がっていくもなかなかそれらしきものが見えない。しかも地図ではこんなにくねくねしてなかったと思うんだけど、地図がいい加減なのかと思いました。でもあとから分かったこと、ショックなことにこの道じゃなかったんですね。見つからないわけでした。ということで登城はここまで。帰りはリフトは止まっていて、ロープウェイ。
ということで25分前倒しの17:20に空港へ向かって出発です。あまり早く着いても暇ですが、あたりも暗いので留まっても仕方なし。途中コンビニで荷物整理したりしてゆっくり向かいました。空港近くのガススタで給油したんだけど、レギュラー142円とはとんだ誤算。トヨタレンタカーでも給油設備があったけど、132円とかだったので絶対外で入れた方が安いと思ったのでした。ここまで242.3km、13.6L入ったので、パッソ君の燃費は17.8km/L。ヴィッツより悪い。。。でも今回は結構のろのろ走るシーンも多かったからなぁ。パッソ返却時では244.2km走破なのでした。
空港まで送迎してもらいさっさと手荷物預けてから時間があるので、空港内のヴァンヴェールというお店でちょい呑みセットというビールとつまみのセット1000円で時間を潰しました。早めに来てこういうのがいいかも。
ということで飛行機は時刻通りに松山を出発して帰ってきたのでした。今日は月曜だけど、休日の合間なので酔虎伝開いてるかなと電話入れると普通にやってるとのことなので、今回も疲れたから飲んで泊まり。明日早く帰宅するつもりです。