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仏壇検討

とんでん
とんでん

  今日は弟宅行ってから昼飯にとんでん行って、お仏壇のはせがわに仏壇検討に出かけた。その前に家の仏壇を置く場所の寸法もちゃんと測っておいた。初めて検討する仏壇、ほんとピンからキリまである。中には金ぴかの100万以上するものも。見てるとやっぱりいいなと思うものはそれなりに値段の方もする。色とかもいろいろあって、やっぱ仏壇は黒というイメージもあるけど、そうじゃないのもいいかもしれない。  

久兵衛屋
久兵衛屋

俺は赤紫色って好きだからまずひとつ紫檀という色のやつが候補として決まり、あとひとつ明るい色のケヤキというやつがもうひとつ。あとちょっと高くなるけど、黄王壇という色のやつ。結局今日はどれとも決めなかったけど、やっぱ紫檀かなということで一応予約。仏像や仏具などと合わせて、370000円くらい。特に高い仏壇っていうわけではなく、むしろ一番お値ごろのものなのに、高いもんだね。あとどこかお寺を紹介してもらえないかと聞いてみたところ、探してくれるって。お仏壇のはせがわサービスいいぞ

夜は久兵衛屋でしゃぶしゃぶ。

墓地さがし

慶岩寺
慶岩寺

 

今日はナームというインターネットで見つけた葬儀・お葬式の無料相談所から情報提供してもらったお寺を見に行ってきた。先日インターネットで探して電話して相談してみたのである。そこまでするなんて俺も相当困ってるんだなと認識。でもよかったよ、電話して。ナームは結構良心的な対応でちゃんと浄土宗(うちは浄土宗なのだ)の近辺のお寺を紹介してくれた。

 

喜多方ラーメン蔵
喜多方ラーメン蔵

慶岩寺というお寺でとりあえずは見にいっただけで、住職とも会っていない。場所は行田とちょっと近いとは言えないけど、仕方ない。まずは見学。お寺は結構立派なお寺だし、ナームによるといい住職ということ。それにホームページもあった。調べると墓地分譲案内があって、値段のこと言っても仕方ないけど、はっきり言って安い。良心的な価格である。

クルマならそんなに遠くないし、こっちも困ってるからここでもいいかもしれないなぁ

夜は喜多方ラーメン蔵

あと家整理してたら、ホールインワン賞ってのが出てきた。親父すごいじゃん、グラウンドゴルフだけどね。

 

ホールインワン賞
ホールインワン賞

手続き

役所支所に行って、戸籍謄本もらいに行ってくる。そのあと銀行。親父の口座があるから解約手続きについて聞いてきた。人が亡くなると銀行口座が止められちゃうのだ。ちゃんと解約などの手続きしないと、いくら金が必要でも使えないのだ。でも手続きマジ面倒。親父が生まれたときから現在までの戸籍が必要だって。ようは法定相続人が母、俺、弟以外にいないことを証明する必要があるのだ。早速京都の実家の役所に電話して必要な書類をつけて戸籍申請を送付。あと親父が亡くなったのが土曜日だったからまだ銀行には連絡が入ってないそうでまだお金下ろせることがわかった。マジこれからお金がたくさん掛かるから、少しでも手元にあったほうがいい。

葬式代、墓地、墓、仏壇、、、主だったものだけでもこんなにある。数百万はかかりそう。大変だ。日赤へ親父の入院治療費支払いにいった後、ヨーカドーでお金下ろした。

ふー、疲れた。でもまだまだ。やることは山ほどあるぞ

夜はjoyfull

 

joyfull
joyfull

香典管理

マック
マック

 

11時すぎてから起床。疲れてたんだろう。今日は一日中データ入力。何のって、親父の葬式で香典をいただいた人の管理のためのデータである。こういうのって貸し借りだから、いつ誰にいくらいただいたとか、わたしたとかが重要なのだということだ。今のうちにやっておかないとやらなくなちゃうだろうし。ほんと時間が掛かった。今日はこれで終わった。

昼はマックで夜は信濃路

 

信濃路
信濃路

霊園めぐり

土曜日に父がなくなって、昨日の告別式が終わるまであっという間の3日間が過ぎた

昨日弟宅に泊まって、従兄弟2人を駅まで見送りに行った。んで駐車場で止めるとき、車体が大きくゆれた。よくあるバーをまたぐ形式の駐車場だけど、バーのボックスに左前車輪が乗っかったらしい。んで無理やり乗り越えたら。。。トホホ、ホイールにギザギザ傷がついちゃったよぉ。プチショック。

 

ギザ傷
ギザ傷

2人を見送った後、今日くらいはゆっくり何もせず休もうと話してたんだけど、結局は霊園見学に出かけた。親父は長男だけど、こっちに移ってきたので、実家は叔父が継いでいる。だから家には仏壇もないし、お墓もないからこれから全部そろえなくてはならないのだ。

今日見てきたのは森林湖畔霊苑森林公園昭和浄苑。どちらも森林公園の近くという土地なので自然に囲まれており、また永代供養料などは区画面積に対しては街中よりは安い。まず森林湖畔霊苑。こちらはすごく墓地の前に湖ってか大きな池があって綺麗でいいところ。でも区画って思ったより狭いもんだ。うちは京都の出で、皆どこかのお寺の檀家になっていることもあってか、お墓は大きいイメージがある。っつかあれが普通って思ってた。でも実際はあんなに広い区画は、お値段も相当な額。はぁ、現実は厳しいもんだ。次は森林公園昭和浄苑。こちらはいかにも墓地という感じの霊園で、森林湖畔霊苑とは違う雰囲気。だけど妙に落ち着く感じがした。

その後お仏壇のはせがわに行った。仏壇屋に行くのって初めて。んで電気のろうそくを購入。あと線香を横に置いてあげられるやつを聞いたけど、在庫切れ。親父のお骨を弟宅においているけど、甥が小さいので安全のために見にいったのだった。あと分かったのが森林湖畔霊苑お仏壇のはせがわでもお願いできるということ。聞くとあそこをやっている須藤石材とは、業界の大手ということだ。あそこは須藤石材はせがわしか入れないということだけど、2大大手がやってるなら潰れる心配はなさそうだ。なら森林湖畔霊苑でいいかなと思った。

さっぱり顔
さっぱり顔

 

夜はとんでん髭も剃って髪も黒くなったさっぱり顔を写真に収めといた。

明日からも色々と生活上の手続きが盛り沢山。あと家の整理と掃除。考えただけでぞっとする。

人一人亡くなるってのはホントに大変なことなんだと実感

告別式

11時から告別式。その前に一旦家に戻って親父の茶碗と湯飲み、ネコ達の世話して葬儀屋へ戻る。

告別式では喪主の挨拶をやった。仕事で慣れてて人前で話すのは緊張しないけど、変な話、仕事で話すときみたいにはきはきと話すのもどうかと思い、ゆっくりとすごく落ち着いた話し方にした。

告別式の最後、とうとうお別れ、家族の思い出とか考えちゃって、泣き崩れた。初七日までやった後、棺の中に花と一緒に持っていってもらう遺品とかを入れる。いつでも見守ってもらえるよう、そして頑張ってもらえるよう、写真も入れた。そして出棺、弟と俺とで顔の扉をゆっくり閉める。これで親父の顔はもう見れないんだ。さようなら。

葬儀屋を出て、自宅の前で止まってもらう。「お父さん、帰ってきたよ、でもちょっとまっちゃん(弟)のところ行ってから帰ってくるからね」。今回急な出来事だったので、家が片付いていなくて、お骨は弟宅に置くことにしたのだった。

斎場について焼香。2回やったら1回ですって言われちゃった。大事なとこで間違えた。んで焼却炉に棺が入っていって、外に出ると煙突から親父が空に舞っていった。あー、これでおしまい。さようなら。これからも守ってください。育ててくれてほんとにありがとう。そんなことを考えながら煙を見てた。約1時間後遺骨を拾う。ここでは遺骨はトレーに集められていて、人の形にはなっていない。のど仏も説明がなく、関西に比べてあっさりしたもの。

葬儀屋に戻ってお清めし、精進落しの宴。母の姉二人が母に会ってから帰りたいと言い出して聞かなくなってちょっと困った。そりゃ家が綺麗に片付いてるなら泊まってもらうこともできるけど、とてもじゃないけど、人様に見せられるような状況ではないし。仕方ないので今度迎えに行くからと言って納得してもらった。ふー。変なとこで疲れた。宴席の最後、皆の写真を親父挟んで撮って終わり。16時ごろに駅へバスを手配して、親戚のみんなは従兄弟の2人以外はお帰り。

大勢親戚が来てくれたから葬儀も悲しみが和らいだというか、皆で悲しみを分かち合えた安心感があって、とてもありがたかった。本当に感謝しています。ありがとうございました。従兄弟の2人は今日は弟宅に泊まって、明日ガンダム見に行くということで、俺も弟宅へ後から行ってまた宴会して今日は終わった。

父が亡くなってやっと本当に独り立ちするような気持ちが出たような気がする。俺はまだ独り身だから、これから一人で生きていかなくてはならない。まぁいつか伴侶が現れるかもしれないけど。今までのままではいけない。もっと大人にならないといけない。今まではやっぱり親がいる安心感とか甘えがあったんだな。「お父さん、本当に今までありがとう。これから頑張って生きていきます。お母さんのことも見守ってあげてください。」

通夜

朝起きてから親父の写真を探しに自宅に帰りPCのデジカメ写真を探す。最近のだと、鬼怒川温泉に行ったやつとオフクロのところに行ってるときに撮る写真にいいのがあるかな。んでいいの見つけた。オフクロと一緒に笑ってる写真。他にもいくつか候補もプリントアウトして葬儀屋へ戻り弟とどれにするか相談。やはり最後はその笑ってる写真にしようと決めた。親父恥ずかしがりやから笑ってる写真なんかほとんどない。なのにこれ一枚だけは笑ってる。思い出した、あのとき俺が「もっと笑いい」って言ったら口つむんで笑ったんだった。今考えると今日のこのために笑うように言ったんかもしれない。

あとね、実は髪を黒く染めて、ヒゲも全部剃り落とした。真面目でしょ?って実は昨日叔父に、「喪主なんやから頭染めてヒゲも剃らなあかんぞ」と言われたのであった。言われなかったら気づかなかったよ俺。確かに今回ばかりはちゃんとした格好で親父を送らなくちゃね。頭黒くなってヒゲがなくなった自分を見て、いつもと全然違うイメージに驚いた。俺ってこんな顔だっけ?

京都とか大阪から親戚が11:40頃の新幹線でそろって来てくれるので迎えに行ったあと、13時半くらいから湯灌。実はそれに間に合うように、施設に頼んでオフクロをつれてきてもらった。いくらほとんど分からない状態って言っても、最期くらい親父と会わせてやりたい。オフクロが着いたとき、親戚の叔母たちはオフクロを見て皆泣いてくれた。バスタブで親父きれいに全身洗ってもらい、ヒゲも剃ってもらって旅支度。オフクロもいつもと全く違って、ほんと落ち着き払って物静かだった。やはり分かるのかもな。家族4人が揃うのはこれで最後と思って何とも言えない気持ちになった。どうしてこんな風になっちゃったんだろう?結構な仕打ちじゃないか、いや考えても仕方ない。湯灌が終わったら納棺し、祭壇へ。祭壇がどんどん花で飾られていき最後はすごく立派な祭壇になった。出来上がった親父の写真は、やっぱあの写真で大正解ってくらいいい写真に仕上がってて、通夜なのに悲しみをやわらげてくれる感じがした。

通夜は18時からだったけど、意外に多くの人々が来てくれて正直驚いた。親父ってこんなに慕われてたのか?って。真面目な人だったからなぁ。通夜の後はお清めの席。終わってからも部屋でまた飲み。もともとホテルを予約しようと思ってたんだけど、父方も母方も皆、ここでいい!っていうもんだから結果、人がいっぱいいて悲しみもまた和らいだ。

こういう場で写真撮るのってどうなんだろうと思ったけど、やっぱ撮っておきたい!ってことで撮っておいた。後で後悔したくないしね。俺は明け方4時過ぎてやっと寝た。あーあ、起きたらとうとう親父ともほんとにお別れなんだな。。。

父逝く

今日突然父が他界しました。入院先の病院で。

朝弟から連絡が入り、病院から容態がいつもと違うので来てくれといわれたから俺にも来てくれって。すぐさま病院へ。病室に着くと親父は眼をつぶって口には酸素マスク、激しく腹を動かして呼吸している。血中酸素が朝50くらいまで落ちてたらしく、駆けつけたときは85くらいまで回復した状況だけど、決してよくない。弟は俺が来る前に個室に移動させてくれるよう依頼していた。弟と二人で親父の横に付き添いながらモニターを見ていた。あと10上がれば落ち着くと思うけど、一向に変化なし。しばらくすると88くらいまで上がってきて期待できそうな感じになったところで個室の用意ができたので移動。ところが。。。

移動してから状況がまた悪化してしてきた気がする。そこからが実に早かったな。どんどん血中酸素が落ちてきて、呼吸数も見る見る落ちてきてしまって、、、最後は当直の先生が来て一言、呼吸も心臓も止まってますって。実に静かに逝ってしまった。隣で泣き崩れる弟、呆然とする俺。11時40分、72歳だった。楽に逝けたのかな?苦しまなかったかな?途中看護婦さんが呼んだとき、一瞬眼を開けたけど、意識はあったのかな?苦しんでなかったらいいな。月曜日に気道を広げる器具をつける予定だったのに。あと2日だよ、そこまで行ければもう少し生きられたかもしれない、いや、もしかしたらもっとかもしれなかったのに。弟が昨日見舞いに来たとき、確かに前日よりちょっと苦しい感じだと言ってたらしいけど、月曜も頑張ろうって言ってたんだって。

でも今日亡くなることは親父が選択した気がする。ちゃんと俺も休みで時間が取れる時間に逝った。一昨日親父の見舞いに行ったその前夜、オフクロが治って親父の見舞いに来た夢を見たんだよね。それで安心しちゃったのかなぁ。子供二人がいる所で逝くなんて、お互いよかったと思うし、最後まで優しい父だったと思う。俺は認めたくなかったのか、真っ白になってしまったのか、しばらく泣かないでいたんだけど、急にこみあげてきて俺も泣き崩れてしまった。相当な覚悟は既に出来ていたけど、こんなに突然この瞬間が来るとは思いも寄らなかった。

売店で荷物持ち帰る袋買って、浴衣買ってヒゲ剃ってもらう。弟が葬儀屋に連絡して、迎えに来るのを待ってる間、俺は親父の預金をおろしに行った。病室に戻るともういなくて葬儀屋へ。あまりに家が汚いもんだから、親父家に戻らず葬儀屋で安置。んで葬儀屋に着いてしばらくしたら葬儀の打合せ。親父ここ(やすらぎホール深谷)の互助会に加入してたんだよね。確かに互助会なしでやるより相当割安で葬儀が挙げられるみたいで、子孝行だな。

初めての葬儀だから分からないことばかりなんで、けぶさんにも来てもらった。こういうのすごく詳しいんだよね。あと隣組ってことでご近所さんにも来てもらって打合せしたり。途中猫の世話をしに家に帰ったら子供時代に住んでた社宅の近所だったおばさんがきてくれて少し話した。葬儀屋に戻り、夕方叔父(親父の弟)が京都から駆けつけてくれ打合せ再開。ほんと悲しむ暇もないほど葬儀の準備が忙しくて、かえって気が安まったかもしれない。

今日から葬儀屋に泊まる。ちゃんと泊まれる施設があって、ホテル来たって感じがするほど、いい部屋で意外。叔父、弟夫婦、けぶさんと夜は飲みながら過ごした。通夜は明日、告別式が明後日。あっという間に一日が過ぎていった。

俺って性格が親父そっくりだからよく分かるんだけど、お互いなかなかストレートに言えてなかったかもしれない。弟は思いっきりぶつけるんだけどね。でも性格を知ってるから何考えてるか聞かなくても分かってたつもりだけどね。親父は俺の性格が自分と同じってことあまり分かってなかった?でもこれからどうしようと不安になる。結局いつもどこかで親父のこと頼って甘えてたんだよなぁ。いなくなって分かる。親孝行もロクに出来てないし。寂しい。

重大なことなんで日記の方は飛ばしたけど追々埋めていきます。(後日談、やっと追いついたのが12月14日)

いまだに年末調整

き美久亭
き美久亭

 

夕方不動産屋さんのTさんとアポで、いまだになんだけど年末調整の話、って昨年のだよ。年末調整ってのは決められた期限があるように思ってたけど、実は還付だったら期限すぎてても全く問題ない(らしい)のである。んで最後の調整を打ち合わせてやっと昨年の年末調整が終わる。毎年毎年面倒なんだよねぇ。

夜はき美久亭。