■ 芥川山城 ■
芥川山城は高槻市の三好山にある続日本100名城の159番、国指定史跡です。山裾の三方は芥川が流れる摂津峡の深い峡谷の天然の要害です。芥川山城への主な登城ルートは、上の口ルート、塚脇ルート、大手筋ルートがありますが、今回は上の口ルートで計画、11:30ごろ、芥川漁業協同組合上の口駐車場に着きました。芥川漁業協同組合で駐車料金を支払いにいったものの誰もいないため、帰りに払えばいっかと停めさせてもらいました。
駐車場から100m足らずで芥川山城跡上の口側入口です。ここから道なりに進みます。
アクセスマップにある「滑落注意!」と書かれた場所はどんな斜面で危険なのだろうと不安でしたが、行ってみると芥川沿いの絶壁で確かに危険ですが、山城ではこのような場所は当たり前の感じでした。
ここを過ぎればそれほどきつくない普通の山登りです。11:50ごろ塚脇ルートとの合流地点の城入口につきました。
■東曲輪群
城跡案内図に番号が振られた曲輪をめぐります。城入口から東曲輪群に入り、最初に右側に曲輪25があります。
曲輪25の西側一段高いところに曲輪23。
曲輪23とその西側にある曲輪22の間に一段高くなった場所があるましたが、これはどちらに属するのでしょう。
曲輪22と23の北側に曲輪24があります。
曲輪22の南側虎口から登城道へ出ると左側に竪土塁が斜面に沿って伸びていました。
登城道を西へ進むと土橋と堀切I 、この先は中央曲輪群になります。
■中央曲輪群
土橋の先は切通しになっていて中央曲輪群に入ります。右側に曲輪20、その向かいあたりに曲輪17・16へ続くと思われる道がありましたが柵があり通行できませんでした。後で柵に扉があることを知りました、残念。
さらに西に進むと南から上ってくる大手道と合流します。大手道を下りていくと大手石垣がありますが、これはのちほど見るとして西へ進みます。
■西曲輪群
虎口ウを過ぎると西曲輪群に入ります。道なりに左に折れると左側に曲輪10、その先すこし登ると曲輪11です。曲輪11からの眺望は素晴らしく、先ほど訪れた飯盛山や生駒山、大阪平野を見渡せます。
その先は分岐になっていますが、主郭めざし右側の道を登っていきます。
登りきると右側に曲輪9、左側に曲輪3、その先道なりに登ると虎口アを通って主郭(曲輪1)に到着です。三好長慶社がありました。主郭の南側一段下がったところは曲輪2です。
主郭の北端へ行ってみました。北東方向下側に曲輪6、北西方向下側に曲輪4が見えました。曲輪4~8は行けるのかもわからず。たぶん行けない感じでした。
曲輪11の分岐に戻って直進し、堀切Cを見て戻りました。本当は田ノ丸と勘違いしてしまい、戻ってしまったのでした。
大手道分岐で大手道を下りて大手石垣を見て今日はここまでかなということで、もと来た道を戻ります。
曲輪21を見れないかなと曲輪20の手前で、登城道北側一段下の曲輪に下りてみると北側に確認できました。
城入口までもどり、最後曲輪26と27を見ようと塚脇ルートをすこし進んで曲輪26と思っていた曲輪はどうやらそうではなかったようです。あとから案内図と照らし合わせてもそもそもそこへ続く道へ行けない、入れない感じ、どちらも行けないようですね。最初の城入口の写真中央奥に見えるのが曲輪26のような気がします。今回は自分のチョンボもあったりで見ようと思って見られなかったところが多かった気がします。もう少し現地の案内板とかあればいいですね。
下城し上の口駐車場について芥川漁業協同組合で駐車料金支払いに行ってみたところ今度は人がいたのでちゃんと1000円後払いしました。
13:40ごろ、上の口駐車場をでて高槻市立しろあと歴史館に14:10すぎに到着しました。高槻市立しろあと歴史館では、芥川山城のスタンプと御城印、高槻城の御城印をゲット。こちらはおもに高槻城に関する展示になっていて、高槻城のことを係員の方が説明してくれました。高槻城の遺構はほとんどないとのことでしたが、高槻城三の丸北郭に位置する野見神社内の摂社、永井神社の社殿と唐門が遺構だとお聞きしたので見てきました。あいにく社殿は修理中のようでした。
15:50すぎにレンタカーを返却し、新大阪から新幹線で今日の宿、姫路駅前ユニバーサルホテル南口のある姫路へ向かいました。