鷲羽山展望台はドラクエウォークのおみやげスポットで、瀬戸大橋が展望できるということで向かいました。15:15前に到着。駐車場からおみやげスポットの第二展望台へウォーキング。無事おみやげゲットして展望台からの風景を楽しみました。
2日目の観光はここまで。宿に向かいます。今日の宿は倉敷市にある瀬戸大橋温泉やま幸。
日帰り温泉施設を併設したホテルです。素泊まりですが、夕飯を温泉施設で取れるので問題なしです。お風呂とサウナにゆっくり浸かってからレストランで夕食。
11:00すぎに鬼城山ビジターセンターに到着しました。計画の45分前倒しで順調です。
鬼ノ城は総社市にある標高約400mの鬼城山山頂付近に築かれた古代の山城で、日本100名城の69番、国の史跡に指定されています。
鬼城山ビジターセンターで日本100名城スタンプをゲットしましたが、御城印は聞くと公式では発行していないとのことでした。
大きな鬼ノ城総合案内図(散策マップ)をスマホで撮り、それを見ながら散策へ。城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っているので、それに沿った遊歩道を進みます。
歩き出して少し進んだところで右手に折れた先には展望デッキ(学習広場)があり、西門を望めます。
遊歩道に戻り、西門方面へ進むと左側に角楼があります。背面からの攻撃への備えと西門防備を意図した防御施設と考えられています。
角楼のすぐ横に西門。古代城ということで、お城というより砦という感じがします。鬼ノ城で復元された建造物は角楼と西門で、西門は一番のみどころです。
西門をくぐって城外側へ。城壁沿いに東へ下りたところに第0水門がありました。
城内へ戻ります。敷石は城壁の下の面に接して板石を多数敷き詰めて通路状としたもので、城壁が雨水によって壊されることを防ぐためのものと考えられています。
南門の方へ進みますが、案内図の第1水門と第2水門あたりまでは上側と下側の遊歩道がありどちらがよいか迷いましたが下側を行くことにしました。結果正解、第1水門と第2水門に着きました。
水門は、城内の排水のために設けられたものです。さらに進むと南門跡があります。
南門は、規模・構造ともに西門と同じということです。東門の方へ進むと第3水門に着きました。
さらに進むと内側列石、その先は高石垣の上、展望ポイントに出ました。
遠くに東門跡と屏風折れの高石垣も望めます。内側には岩切観音様。
東門跡を目指します。分岐点があり右側の石段を下りた先に第4水門。
第4水門を過ぎると東門跡に出ます。東門は西門や南門より小ぶりです。ほかの門が角柱を多用するのに対し東門はすべて丸柱だそうです。
さて、屏風折れの方へ向かいます。左側に鍛冶工房跡。
分岐点を屏風折れの方へ進むと巨石が並んでおり、その先からは屏風折れが見えました。
さてここからが何を思ったか、巨石群の上方にある展望台の方へ行って眺望を楽しんでから、そこにあった道を間違って行ってしまい。。。気が付くと湿地が出てきて、屏風折れとは全く逆の礎石建物群のある方向に進んでしまっていたのでした。
仕方ないので礎石建物群、北門跡と進んで降りることにしました。鬼ノ城の中心部分委は、7頭の礎石建物跡が発見されています。
礎石建物群を見た後は、北門へ向かいました。北門は唯一背面側にある門で、東門同様ややこぶりです。
北門跡からは一気に山頂広場まで。山頂広場を少し下りると角楼に戻ってきました。
ということで、結果第5水門と屏風折れ(高石垣)に行けなかったという悔いの残る結果に。まぁ屏風折れ(高石垣)は遠くから見れたからよしとしましょう(するしかない)。
13:40すぎに鬼城山ビジターセンターをあとにしました。次に向かうは急遽目的地に加えた鷲羽山展望台です。
8:20ホテルを出発予定でしたが、早めに出発すべく7:00すぎに朝食をとり、出発しました。
最初の目的地の蛙が鼻築堤跡には、予定より40分ほど早い8:30すぎに到着しました。駐車場は2-3台しかとめられませんが誰も先客はいませんでした。
備中高松城は羽柴秀吉の水攻めで有名ですが、水攻めに使われた現存する堤防の一部が蛙が鼻築堤跡。周囲が沼や湿田に囲まれている備中高松城が浅い盆地状の地形の中心にあることを逆手にとり、城を遠巻きにして堤防を築き水攻めにしたというなんとも壮大な奇策です。蛙が鼻付近はそのただ一つの水の出口だったそうです。高松城跡 附水攻築堤跡として国の史跡に指定されています。
蛙が鼻築堤跡の前には高松城水攻め史跡公園が整備されていて、発掘された杭列や土俵の痕跡等の基礎地業の複製があります。
さて、8:45ごろ、ここから徒歩で秀吉公本陣跡へ向かいます。
羽柴秀吉が水攻めの築堤を築く際に陣を構えたのが石井山の秀吉公本陣跡です。太閤岩入口から山道を登っていきます。
10分もかからず本陣跡に到着しました。
すぐそばに自刃した備中高松城主の清水宗治公の首塚跡もあります。
さて、駐車場に戻り、備中高松城へ向かいます。
9:15ごろ備中高松城址公園駐車場に到着。備中高松城は岡山市にある続日本100名城の171番、国の史跡に指定されています。日本100名城スタンプと御城印がある備中高松城址資料館の開館は10:00なので、それまでみどころを散策します。
駐車場は三の丸にあり、まずは三の丸にある船橋、高松山妙玄寺にある清水宗治公自刃の地、ごうやぶ遺跡といったみどころを散策しました。ごうやぶ遺跡は宗治公を追って、家臣らが互に刺し違えて殉死した所です。
備中高松城址公園駐車場にもどり、公園内に入りますがここも三の丸です。公園入口入ってすぐ左側に、高松城水攻図案内盤があり、水攻めの範囲や城を囲んだ武将の位置がわかるようになっていました。
備中高松城址資料館の奥側が二の丸で、手前は公園です。
二の丸から本丸へ向かいます。蓮池にかかる橋を渡って本丸へ。
本丸跡には清水宗治公首塚で山から移設されたものだそうです。隣には、清水宗治辞世の句石碑が。
本丸をまっすぐ進むと駐車場のある広場に出ます。その先は家中屋敷の区域で、そこにある清水宗治公胴塚へ。同塚は住宅の間にひっそりとたたずんでいました。
これでひととおりみどころは押さえたので、本丸経由で備中高松城址資料館まで戻ってきました。ちょうど開館時間の10:00すぎ、資料館内へ入り、日本100名城スタンプと御城印(300円)をゲット!
職員の方がこちらも見ていってくださいと案内してくれたのは、1985年6月にこの地域が洪水になった時の写真と水攻め図の展示でした。洪水時のようすがまるで水攻めされた時の様子とかぶり、感動しました。
さてそれでは次のお城へ。という計画が、もう一か所行くべき場所を見つけてしまいました。水攻め水取入れ口遺跡です。足守川をせき止めて水を引き入れた場所です。ここからクルマで15分です。
駐車場などはなく、道端に少しだけ停めさせてもらいました。特に遺構などはなく案内のみですが、想像力を膨らませましょう。これで備中高松城の散策が完結です。
次の鬼ノ城へ向かいます。