3月27日発売されたLUMIX S1RII、ヨドバシアキバに在庫ありとなったので、買ってきました。ポイントはつきませんが、ゴールドポイントカードプラスで請求時に3%つきます。
さて、これを買ったからには、手持ちのカメラとレンズ売りに出さないと!
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UGREEN NASync DXP6800 Proが今日届いたので早速設置しました。
HDDはこのために事前調達しておいた、Seagate ST12000NM000DのホワイトラベルHDD(再生品)12TBを6発です。Yahooショッピングの超PayPay祭での獲得ポイントすぐ利用等で109930円だったので、一台あたり売値20980円が18321円でした。再生品って不安もあるけれど、HDDって新品でもすぐ壊れる個体にあたることもあるので運ですよね。商品レビューも良好なので、壊れるリスクを考慮した運用にして、壊れたらまた再生品買えばよしです。
RAIDは5と6のどちらにするか迷った末に5にしました。54.5TBのボリュームとなりました。でかい!
今日は埼玉県小川町にある腰越城へ行ってきました。県指定史跡で、槻川に三方を囲まれた天然の要害に築かれた戦国時代の山城です。
小川町総合福祉センター「パトリアおがわ」の駐車場にクルマを停めて、そこから城跡入口までは数分です。10:35すぎに登城開始です。
登城道をひたすら登り、本郭の北側下にある二重堀切に挟まれた郭に出たのが、10:50すぎ。ここに配置図があります。
配置図をスマホで撮り、これを頼りに散策します。最初に急な階段、上りきったら左に進みしばらく行くと、上下への分岐に出ます。上は二の郭方面、下は横堀方面です。
二の郭方面は配置図によると二の郭へは行き止まり表示となっていますが、行ってみました。
さらに分岐があり、右方向が二の郭ですが通行止め。左の本郭方面への迂回に進んでみました。途中左に道が分かれておりその先には、二の郭の東側下の郭に出ました。案内も何もないのでどのような郭なのかはわかりません。
来た道を先ほどの上下に分かれる分岐まで戻り、横堀方面へ進みます。分岐から下りたところに竪堀が2連続、というより分岐にかかる橋の下から1つめの竪堀が始まっているような感じです。
道に沿って進んでいくとまた竪堀があり、横堀に出ます。
横堀の先にはまた竪堀。
進むと右へ登る階段があり、その先には二の丸南側下に位置する郭に出ます。
配置図にある囮小口の方に向かう階段があり、そこを登ってみました。登った先は見たところ竪堀のようになっており、そのまま上に進むと本来の小口のある郭に出てしまいました。これのどこが囮というのか?と思いましたが、昔は行き止まりだったとか?ここまで出られるとは想定していなかったので、フライングで二の郭を下見してから、囮小口の下まで戻ってきました。囮小口の下には石垣が残っています。
さてここから西の郭へ。西の郭北側は堀切になっており階段を登ると西の郭です。
次は二の郭、本郭に向かいます。堀切を西側に降りるとその先は竪堀になっていて、左(南側)に郭があり、右(北方向)の道を進むと先ほど囮小口を登り切ったところにあった郭の小口に出ました。
小口のある郭の南端は西の郭北側の堀切です。
二の郭へ続く坂道があり、その右はさきほどの囮虎口につながっているところです。二の郭へ向かいます。
本丸へ向かいます。
11:45ごろ本郭に到着しました。
本郭からは小川町の街並みが一望できました。
WIFIルーターのTUF AX6000がどうも不調で、インターネットとか劇遅になったりして再起動したら回復するものの、すぐに遅くなる状態が続いたので、引退してもらい、前に使っていたTUF AX5400に復帰いただきました。
リセットとかしたら直るのかと思いますが、使用感全く変わらないので、もういいです。
今回の城めぐりの旅、最後に訪れるのは新高山城です。新高山城は広島県三原市にある続日本100名城の173番、国の史跡に指定されています。
12:10ごろ本郷生涯学習センターに到着、こちらでスタンプをゲットしました(御城印はうきしろロビーで入手済み)。
12:20ごろ新高山城跡駐車場に到着。
登城案内によれば登城道を進んで番所跡まで出て、そこで分岐して鐘の段へ行くようになっていますが、途中で鐘の段へ行く道への分岐がある情報を得ていたので、効率考え先に鐘の段へ行きます。登城道左側にあるその分岐の表示が「ノ」しか残ってなく、なんともわかりにくいです。
道を進んでいくと鐘の段を取り囲む八百段に出ました。鐘の段西側の八百段の手前右に登る道があり、そこを登ると鐘の段です。
鐘の段の北側の郭を北に進んでいくと元の登城道に合流します。合流地点が番所跡で、番所跡は上から軽石の段、中の段、下の段となっています。
番所跡から登城道を道なりに進んでいくと匡真寺跡。
匡真寺跡は小早川氏の菩提寺の跡です。
匡真寺跡北東隅から中の丸に向かうかなり急な登城道を進むと途中でベンチがあったので休憩しましたが、不安定でかなり危ない!
登城道石段を登ったところは門跡で、そこから西側の中の丸です。ここと本丸の北側の中の丸、釣井の段、東の丸が二の丸にあたります。
中の丸の土壇にはあとで行くことにして本丸へ登ります。手前に崩れた石垣が残っています。
本丸に出たところは本丸の南西隅で桝形土塁が残り、本丸の北東部には大きな建物の礎石が残っています。
本丸東側へ進むと詰の丸です。
詰の丸は新高山の山頂で多くの巨石と石仏や石碑がありました。新高山は廃城後も修験道の山だったそうです。眺望はすばらしく、眼下の沼田川の対岸に小早川隆景が以前居城にしていた高山城があった高山や、新幹線が見えます。新幹線の動画を撮りたくて10分以上粘りました。
さて本丸へ戻り、北側にある虎口(大手門跡)から釣井の段の方へ下りていきます。
釣井の段は上下二段からなる城内最大の郭で6つの円形石積井戸が残っています。東側にはライゲンガ丸とその奥に東の丸。
釣井の段の西側には北側の中の丸があります。
東側の中の丸に戻り、土壇へ。
中の丸に西側に配置されているのが西の丸、西の丸の北西に北の丸、これらが三の丸にあたります。西の丸の東端の郭は石弓の段で二の丸を守る箱薬研の堀切の役割を果たしています。
北の丸を見て新高山城の散策はおわりにし、14:30ごろ駐車場へ戻ってきました。
15:25ごろレンタカーを返却、15:44三原発の普通電車で福山までいき、16:35発ののぞみで帰路につき、21時前には熊谷に着きました。
ほぼ計画通りに今回の旅は終了です。おみやげはもみじ饅頭です。
2泊3日の広島・山口めぐりの旅3日目。郡山城、新高山城を巡る予定です。
早起きして7:00ごろ安芸高田市歴史民俗博物館へ到着、開館前なので場所だけ確認し、毛利元就公墓所参道駐車場へ。
郡山城は安芸高田市にある日本100名城の72番、国の史跡に指定されています。
毛利元就公墓所参道駐車場は大通院谷遺跡にあります。ここから毛利元就公墓所参道を経由して本丸へ行くルートにしました。
郡山城西端にある大通院谷遺跡では石塁を伴う屋敷跡、約100mの薬研堀が見つかりました。
参道に入りしばらく登っていくと毛利元就・一族墓所(洞春寺跡)があります。百万一心碑は元就の「百万一心」の伝説を記念したものです。
毛利元就公墓所の階段おりて右から登城道に入ります。
少し上ったところに嘯岳禅師の墓があります。嘯岳禅師は元就火葬時の導師だそうです。天災被害なのか崩れしまっていましたが、直さないのかなぁ。
御蔵屋敷についたのは7:50ごろ。
郡山城は山頂にある本丸を中心として放射状の各尾根上に曲輪群が形成されています。御蔵屋敷跡は二の丸西側下の上下2段の曲輪です。
御蔵屋敷跡から本丸の周りを時計回りに散策していきます。
釣井の壇は本丸の西側にある曲輪で、城内に残る唯一の石組の井戸があります。
姫の丸壇は本丸の北側にある曲輪で、百万一心石が発見されたと伝わります。
釜屋の壇は本丸の北東側にある曲輪で、一番先は堀切をはさんで羽子の丸に続きます。
厩の壇は本丸の南東にある曲輪です。尾根に沿った中心部の曲輪群と北側に分かれた曲輪群があります。釜屋の壇からの道で左右へ分かれる分岐があって、左に進むと北側の曲輪群、右を上に進むと中心部の曲輪群です。
厩の壇から三の丸へ入ります。三の丸は石塁等によって東段、南段、西段に分割されています。
三の丸(西段)の北西隅から御蔵屋敷の方へ向かいます。左下側に三の丸石垣跡、進むと右側に二の丸虎口、正面は御蔵屋敷の上段です。
二の丸虎口へ進み、二の丸へ。二の丸は本丸の南側にあります。
本丸の奥には櫓台があります。
御蔵屋敷(下段)まで下りて、勢溜の壇へ向かいます。
勢溜の壇は、本丸の南西へ伸びる尾根を堀切で御蔵屋敷下段と区切って独立させた大きな曲輪です。
展望スポットです。9時前なのですが、朝靄で全く見えませんでした。
満願寺跡に向かいます。勢溜の壇を右手に進み大きく左下へ折れた先に満願寺方面への分岐があります。
妙寿寺跡の案内標識があったので、予定していませんでしたが行ってみることに。途中道を間違えたものの、なんとかたどり着きました。
先ほどの分岐に戻り麓方向へ下りていくと、尾崎丸。
尾崎丸は毛利隆元が本城から移り住んだと伝わる曲輪で、北側は堀切と土塁で画されています。
戻って下へ進むとすぐ右に展望スポットとなっている曲輪があります。靄も晴れて街並みを見渡すことができました。
さらに下りていくと本城への分岐です。本城へ向かいます。本城までの道はかなりの旧斜面になっていて道があるよなないような。帰りはこれ登るの?と先に覚悟がいるくらい。
本城は、毛利元就が郡山全山を城郭とするまでの毛利氏の本城で、郡山の南東山麓に位置しています。
これでひととおり散策したので麓へ下りていきます。途中に展望台がありました。
山麓のエリアでは、興禅寺跡(郡山公園)、清神社、三矢の訓跡碑、毛利元就像、元就火葬場伝承地と順にみて、最後は毛利隆元墓所としました。
10:30頃、毛利元就公墓所参道駐車場に戻ってきて、安芸高田市歴史民俗博物館へ行き、スタンプと御城印をゲットしました。
3時間半程度の散策でしたが、くまなく見ることができた気がします。
次の新高山城までは75分くらいです。
広島城・原爆ドームの次は岩国城です。岩国城は日本三名橋の1つに数えられる錦帯橋とセットで行くべきところ。
12:40ごろ錦帯橋下河原駐車場に着きました。駐車料金は300円。ここから徒歩で錦帯橋を渡り岩国城へ。
錦帯橋入口でセット券(970円:錦帯橋入橋券、ロープウェー(往復)、岩国城)を買って錦帯橋を渡ります。
錦帯橋を渡ると数軒お店が並んでいてさらにまっすぐ進むと右側に岩国藩家老香川家長屋門があります。その先の吉香公園には国重要文化財の旧目加田家住宅があり無料で庭から中を見たりできました。
すぐ先に岩国城ロープウェーの山麓駅。ここから山頂駅までは約3分です。
山頂駅から岩国城へは舗装された広い道か裏手の山道のどちらでも行けますが、石垣など楽しめるのが山道だそうなので山道から。途中舗装道と行き来できる道との分岐があり、さらに進むと石垣が見られます。出丸石垣を左に折れると二の丸石垣を正面にT字路になり、右が北の丸方面、左が二の丸・本丸方面です。
予定しているルートはおおまかに、出丸石垣→本丸石垣→北の丸石垣→北の丸→空堀跡→旧天守台→天守→二の丸跡→大釣井跡なので右の北の丸方面へ。二の丸石垣がしばらく続き、途中から本丸石垣、石垣が切れるあたりが御本門跡(平虎口)。北の丸石垣をめざし、さらに直進したのですが、道を間違えていることに気づき、御本門跡まで戻ってきて。。。
マップによれば御本門跡あたりから北の丸周辺散歩道が出ているはずなのですが、そのような道がありません。しばらく探していると、地面に置かれ小さすぎて全く目立たない「北の丸周辺散歩道→」の標識を発見しました。えっ、ここ行くの?というような下にのびている獣道を進みました。
北の丸下の隅櫓台石垣、北の丸下石垣、北の丸石垣と石垣がずっと連なっています。
北の丸石垣あたりで問題発生、散策しながら撮影してきた歩き動画が、錦帯橋の途中からスロー録画に!かと言ってまるまる撮り直しはないので、この後のルートは考えながら進むことに。
尾崎は北の丸の下側にある曲輪です。内桝形虎口を抜けて北の丸、すぐ脇に堀切跡。
ということでここから予定ルートを変更し、旧天守台には向かわず、御本門跡方面へ向かい。途中右へ折れ本丸下方面へ。空堀跡にかかる橋の正面は東矢倉(三重櫓)跡。
本丸下の土塀越しに錦帯橋など岩国の街並みを一望できます。
本丸下から本丸内桝形虎口をとおって、左に天守、正面に旧天守台。歩き動画の必要最低限の撮り直しのため、天守は後にして旧天守台、大釣井(井戸跡)と進みました。
大釣井からは山頂駅へ向かい舗装道で山道へつながる分岐まで行き、そこから歩き動画を撮り直しながら、北の丸方面と二の丸・本丸方面分岐点へ戻ってきました。二の丸へ。
天守へ向かいます。
天守を見終わったあとは、東矢倉(三重櫓)跡と本丸隅櫓跡を見て北の丸下経由して散策終了としました。
ロープウェーで山麓まで下りてきて、駅周辺を少し散策し駐車場へ戻りました。
今日の宿は2時間以上かけて、北広島町にある広島北ホテルです。お風呂は天然療養ラドン温泉です。夕飯はちょっと贅沢してホテルにあるレストラン名水の里でステーキセットにしました。
明日最終日は、郡山城と新高山城をめぐる予定です。
2泊3日の広島・山口めぐりの旅2日目。広島城、原爆ドーム、錦帯橋、岩国城を巡る予定です。
6:30すぎにホテルで朝食をとり約1時間かけて広島市中央駐車場に着いたのは8時すぎ。駐車場から広島城まではすぐです。
広島城は広島市にある日本100名城の73番、国の史跡に指定されています。最初に内堀の周りを左回りに一周約1.7kmを散策。
内堀の周りを一周後、二の丸へ。
内堀にかかる御門橋を渡って二の丸へ。
二の丸は本丸の南方にある馬出の構造になっている小さい区画で、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が復元されています。
表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓はつながっていて、平櫓から中に入れますが、9時前なので後で見学します。
二の丸には他に番所跡、井戸跡、馬屋跡や被爆して生き残ったのはこれだけという被爆樹木ユーカリノキがあります。
二の丸からの橋を渡り中御門跡から本丸の下段へ。
被爆した中御門の石垣は赤く変色してひび割れています。
中御門跡から伸びる石垣に登りました。反対側に南東隅二重櫓跡。
石垣を下りて本丸下段へ。
東側の石垣に沿って北へ進むと裏御門跡に出ます。
階段を上り、本丸上段へ。
上段北西角に天守、上段一帯は広島藩の役所と殿様の住居を兼ねた本丸御殿跡です。
広島城とは関係ありませんが、広島に水道が引かれたことを記念して作られた桜の池、日清戦争の際天皇が戦争を指揮する機関だった広島大本営跡、 昭憲皇太后が日清戦争の際滞在した昭憲皇太后御座所跡などもあります。
一旦本丸上段から東側に降りて本丸の北側へ。藩主・福島正則が広島城の無断修復を幕府にとがめられた際に取り壊した石垣の跡である「崩された石垣」、石垣の色々な刻印を見ることができます。
石垣は本丸上段北面多聞櫓(東側)跡、本丸上段北面二重櫓跡、本丸上段北面多聞櫓(西側)跡、東小天守跡、天守と続いています。
本丸上段へ戻ります。上段北面石垣の上を西へ進むと東小天守跡。
いよいよ天守です。石垣を下りて天守に向かう手前に、撤去した旧天守の礎石がそのまま移されています。
天守の入館料は370円です。入口でスタンプ、御城印はミュージアムショップでゲットしました。カープ版の御城印も!
二の丸の櫓内部の見学に向かいます。
本丸下段には広島護国神社、太平洋戦争の末期に設けられた中国軍管区司令部の防空作戦室跡もあります。
二の丸に戻り、復元建物の見学をしました。こちらは無料です。平櫓から入り、表御門、多門櫓、太鼓櫓とすべて見学できます。
これで広島城散策は終了です。せっかく広島へ来たのだから原爆ドームも少し寄ります。
広島城から徒歩15分くらいで原爆ドームです。
修学旅行で原爆ドームに一度訪れています。メディアでよく見る平和の灯、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像も見ました。
駐車場へ戻る途中ですが、広島城中堀跡を見つけました。
次は岩国城へ向かいます。
福山城の次は三原城です。福山13:58糸崎行きの普通電車に乗って、糸崎にて乗り換え1駅で三原に14:31着です。
三原城は三原市にある続日本100名城の172番、国指定史跡です。毛利元就の三男・小早川隆景によって築城が始められた海城で、満潮時に城が浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれます。
主な遺構は、天主台、船入櫓、本丸中門など。
まずは天主台から。JR三原駅が本丸を通る形になっているため天主台はJRのコンコースから直接行くようになっています。
階段を上がると天主台です。とても広く広島城の天守が6つも入る広さですが実際に天守は立てられなかったそうです。
本丸の石垣を新幹線がまたいでいるのも見られます。
天主台の次は、天主台の周りを散策しました。
駅の西口を出ると天主台の石垣と大きな堀に圧倒されます。
隆景広場の一角に小早川隆景像。
天主台の周りを時計回りに進んでいくと、西国街道、西国街道石列跡、長屋門跡、後藤門石垣跡。
天主台の堀を挟んで東側の鍛冶曲輪跡では石垣がところどころに残っています。
天主台の南東側からJRのガード下をくぐっていくところにある通称「かくれ城跡」の本丸石垣を見ながら、三原駅の南口へ。
三原駅観光案内所「うきしろロビー」があり、三原城のスタンプと御城印をゲット、それと明後日登城予定の新高山城の御城印も忘れずゲットしました。
続いて、三原駅南口エリアの遺構を回りました。
本丸中門跡の南北に石垣がのびています。ここの堀は内堀でかつては天主台周りの内堀につながっていたそうです。石垣の南先端に臨海一番櫓跡。臨海の名のとおり、かつては海に面していました。
臨海一番櫓跡から東にずっと進むと船入櫓石垣に着きました。ここに三原城址之碑が立っています。船入櫓は船入を監視していたそうで、今は堀になっていますが石垣の下は海でした。
船入櫓のすぐ近くに郵便局があり、そこにも石垣遺構があります。
予定より時間に余裕があったので、三原駅の北東エリアの遺構に向かいました。途中「三原城跡船入(内堀)」と書かれた案内があったので向かうと、城内に直接入港できる船の停泊地が残っていました。
三原駅の北東エリアの東大手門跡と和久原川水刎の石垣は、交差点挟んで対角線上に隣接しています。和久原川水刎の石垣は、川岸から川中へ向けて三角形に作られ、川の流れを弱め方向を変えるために作られたそうです。
最後に駅前に戻り、本丸五番櫓跡から船入櫓跡へ。
今日の城めぐりはここまで。タイムズカー三原駅前店で今回借りたのは、スイフト。今日の宿は東広島市にあるホテルカモ。天然温泉ホットカモという日帰り温泉施設が併設されているのでここを予約しました。
明日は広島城と岩国城をめぐります。
2泊3日の広島・山口めぐりの旅1日目。旅のしおりを作って計画、昨日のうちに、三原までの往復乗車券と行きの東海道新幹線の自由席特急券を購入済みです。
熊谷駅近くの有料駐車場に止めて、5:12普通電車で東京へ。東京6:33発のぞみ5号の自由席で福山10:03着です。
新幹線ホームからもお城がよく見えるとのことだったので、上りホームへ移動して写真に収めました。
福山城は福山市にある日本100名城の71番、国の史跡に指定されています。
福山駅北口から西に向かって石垣沿いを道なりに直進し南口から入ります。
南口の階段を上ると二之丸(南側)、右に折れると正面に伏見櫓があります。伏見櫓は、京都伏見城・松の丸にあったものを水野勝成の福山城築城に徳川2代将軍秀忠が移築させたもので、国重要文化財です。
伏見櫓下を左へ進んだ先に外八番櫓(神辺一番櫓)跡と西坂口御門跡。
西坂口御門跡から北に二之丸(西側下段)を進むと右側は崩れた二之丸西側上段石垣が奥まで続いています。
道は右に軽く折れ、右側に二之丸西側上段へ上る段状の道、上らずに進むと左側に旧内藤家長屋門でそこは三之丸(西側)です。もともと外堀近くにあった内藤家の長屋門を移築したものです。
来た道を戻って左側の段上の道を上がったあたりでしょうか、特に遺構や案内もないので場所ははっきりしませんが水の手御門跡、その先が二之丸(西側上段)です。
本丸石垣にある砂留は、排水口から雨水と一緒に多量の砂が二之丸に流出したため自然石で囲んだもの。
本丸石垣沿いに南へ進むと左側は内八番櫓(人質櫓)石垣、右側には外六番櫓(神辺三番櫓)跡、阿部正弘之像、
外七番櫓(神辺二番櫓)跡があります。
さらに進んで
二之丸(南側)に戻ってきました。伏見櫓下から筋鉄御門(国重要文化財)に入ると本丸です。
本丸の中心の広い部分は本丸御殿跡です。反時計回りに、筋鉄御門、本丸御殿跡、番所跡、御湯殿、月見櫓、鏡櫓、冠木門と見ていきます。
御湯殿は伏見城から移築された風呂屋ですが空襲で焼失し今ある建物は再建されたものです。
月見櫓も伏見城から移築されたのですが空襲で焼失し今ある建物は再建されたものです。
さていよいよ天守です。天守は5層6階、2層3階の小天守を接合する層塔型複合天守です。搦手の防御のため北側が鉄板張りとなっているのが特徴です。空襲で焼失したため現在の天守は外観復元されたもので福山城博物館となっています。入館料は500円。スタンプは管理事務所前、御城印は天守ミュージアムショップでゲットしました。
天守から出て天守の周りを反時計回りに内四番櫓(玉櫓)跡、内五番櫓(塩櫓)跡、内六番櫓跡。
右側一段下がったところの棗木御門跡から南へ順に、内七番櫓(荒布櫓)跡、その前に、黄金水(井戸)、八方よしの松。
右に曲がり右奥に、内八番櫓(人質櫓)跡、左奥に、御台所門跡。
さらに南に鐘櫓、その奥に内九番櫓(火灯櫓)跡。
最後に伏見櫓(国重要文化財)で本丸一周しました。
筋鉄御門から本丸を出て二之丸(南側)へ。伏見櫓門下を左へ進むと、石垣の外まではみ出した御湯殿。
進むと月見櫓とその下に巖谷小波の句碑。
左に折れると二之丸(東側)に入り、冠木門の下に出ます。
東登城路を通りまで下りていきます。
通りまで出ると三之丸(東側)で、北側には馬場跡。東登城路の南側は二の丸(内堀側)で、東内堀北端の東西石垣ラインが5cm幅の白いタイルで表示されています。
東登城路を戻り、二之丸(東側)を回ります。右側に、東坂三階櫓跡、その手前を右に折れると二の丸東側石垣。登城路に
戻り、冠木門方面へは行かずに右に折れた左手前の石垣は、鹿角菜櫓跡、その先は東揚楯御門跡。
石段上って右に折れると、右側は広場になっており南東隅に東坂三階櫓跡、広場中央に水野勝成之像、
北東隅に外三番櫓(鬼門櫓)跡。
北側を見下ろすと、二之丸(北側)の望城亭。
西に進むと天守の北面に張り巡らせた鉄板の壁面を見ることができます。
天守の北側には、蔵口御門跡、旧天守の礎石、その北側の広場は、五千石蔵跡とその隣に福寿会館。福寿会館は、海産物商で財を成した安部和助(あんべわすけ)氏が、昭和初期に建造したもので、建物はすべて国の登録有形文化財だそうです。中庭越しの天守が絵になります。
天守北側を西に進むと二之丸(西側上段)に入り、外四番櫓(乾櫓)跡、南に進むと右側に外五番櫓(神辺四番櫓)跡と続き、水の手御門跡に出ます。
さて、本丸、二之丸とひととおり散策したので、残りの遺構を。水の手御門跡から下りて、東へずっと延びる階段と歩道をふくやま美術館を右手に進み、通りに出たあたりが西外堀跡。
通りを左折し南下、突当りT字路左手前に番所跡、突当り高架下に三之丸西御門櫓台跡の石垣。駅方向へ進み、広島県立歴史博物館に入る歩道の左側に、石組水路。さらに駅方向へ進むと西内堀跡で、さらに進むと南口に出ます。
このまま駅前へ。駅前は東内堀跡となっています。
できるだけ隈なく回ったので、大体3時間程度の散策でした。
次は三原城へ向かいます。