2泊3日の広島・山口めぐりの旅3日目。郡山城、新高山城を巡る予定です。
■ 郡山城 ■
早起きして7:00ごろ安芸高田市歴史民俗博物館へ到着、開館前なので場所だけ確認し、毛利元就公墓所参道駐車場へ。
郡山城は安芸高田市にある日本100名城の72番、国の史跡に指定されています。
毛利元就公墓所参道駐車場は大通院谷遺跡にあります。ここから毛利元就公墓所参道を経由して本丸へ行くルートにしました。
郡山城西端にある大通院谷遺跡では石塁を伴う屋敷跡、約100mの薬研堀が見つかりました。
■毛利元就公墓所
参道に入りしばらく登っていくと毛利元就・一族墓所(洞春寺跡)があります。百万一心碑は元就の「百万一心」の伝説を記念したものです。
■登城道
毛利元就公墓所の階段おりて右から登城道に入ります。
少し上ったところに嘯岳禅師の墓があります。嘯岳禅師は元就火葬時の導師だそうです。天災被害なのか崩れしまっていましたが、直さないのかなぁ。
御蔵屋敷についたのは7:50ごろ。
■御蔵屋敷(下段)
郡山城は山頂にある本丸を中心として放射状の各尾根上に曲輪群が形成されています。御蔵屋敷跡は二の丸西側下の上下2段の曲輪です。
御蔵屋敷跡から本丸の周りを時計回りに散策していきます。
■釣井の壇
釣井の壇は本丸の西側にある曲輪で、城内に残る唯一の石組の井戸があります。
■姫の丸壇
姫の丸壇は本丸の北側にある曲輪で、百万一心石が発見されたと伝わります。
■釜屋の壇
釜屋の壇は本丸の北東側にある曲輪で、一番先は堀切をはさんで羽子の丸に続きます。
■厩の壇
厩の壇は本丸の南東にある曲輪です。尾根に沿った中心部の曲輪群と北側に分かれた曲輪群があります。釜屋の壇からの道で左右へ分かれる分岐があって、左に進むと北側の曲輪群、右を上に進むと中心部の曲輪群です。
■三の丸
厩の壇から三の丸へ入ります。三の丸は石塁等によって東段、南段、西段に分割されています。
三の丸(西段)の北西隅から御蔵屋敷の方へ向かいます。左下側に三の丸石垣跡、進むと右側に二の丸虎口、正面は御蔵屋敷の上段です。
■御蔵屋敷(上段)
■二の丸・本丸
二の丸虎口へ進み、二の丸へ。二の丸は本丸の南側にあります。
本丸の奥には櫓台があります。
御蔵屋敷(下段)まで下りて、勢溜の壇へ向かいます。
■勢溜の壇
勢溜の壇は、本丸の南西へ伸びる尾根を堀切で御蔵屋敷下段と区切って独立させた大きな曲輪です。
展望スポットです。9時前なのですが、朝靄で全く見えませんでした。
満願寺跡に向かいます。勢溜の壇を右手に進み大きく左下へ折れた先に満願寺方面への分岐があります。
■満願寺跡
妙寿寺跡の案内標識があったので、予定していませんでしたが行ってみることに。途中道を間違えたものの、なんとかたどり着きました。
■妙寿寺跡
先ほどの分岐に戻り麓方向へ下りていくと、尾崎丸。
■尾崎丸
尾崎丸は毛利隆元が本城から移り住んだと伝わる曲輪で、北側は堀切と土塁で画されています。
戻って下へ進むとすぐ右に展望スポットとなっている曲輪があります。靄も晴れて街並みを見渡すことができました。
さらに下りていくと本城への分岐です。本城へ向かいます。本城までの道はかなりの旧斜面になっていて道があるよなないような。帰りはこれ登るの?と先に覚悟がいるくらい。
■本城
本城は、毛利元就が郡山全山を城郭とするまでの毛利氏の本城で、郡山の南東山麓に位置しています。
これでひととおり散策したので麓へ下りていきます。途中に展望台がありました。
■山麓部(里)
山麓のエリアでは、興禅寺跡(郡山公園)、清神社、三矢の訓跡碑、毛利元就像、元就火葬場伝承地と順にみて、最後は毛利隆元墓所としました。
10:30頃、毛利元就公墓所参道駐車場に戻ってきて、安芸高田市歴史民俗博物館へ行き、スタンプと御城印をゲットしました。
3時間半程度の散策でしたが、くまなく見ることができた気がします。
次の新高山城までは75分くらいです。