お遍路さんの旅 7-2

11:25に松山空港に着きました。10分の遅れです。向かい風の影響もあってということですが、このあとの予定にどう影響しますか。かなり綿密に計画しているつもりなので、この10分は意外と大きいのです。

11:38、日産レンタカーが送迎にきて、店舗に着き今日の相棒のマーチ、ん?あれ?今日はノートなのね。そして受付はさっさと終わりました。これなんです、トヨタ車乗りの自分がトヨタレンタカーではなく日産レンタカーを選ぶ理由。受付が早い!トヨタレンタカーは次の予定を気にする身にはイライラするほど待たされたりします。まあ、確かにクルマの装備はトヨタの方がいい感じではありますが。待たされるのはねぇ。受付5分で済んで、52番に向けて11:48出発です。

■第52番 龍雲山 護持院 太山寺

太山寺は真言宗智山派、本尊は十一面観世音菩薩です。開基とされる真野長者が商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音様に祈願したところ、高浜の岸で救われました。この報恩にと一宇の建立を大願し、夜を徹して一夜にして建立し以来「一夜建立の御堂」と伝えられています。その後、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が十一面観音像を彫造し、その胎内に真野長者が見つけた小さな観音像を納めて本尊にしたといいます。のちに弘法大師が訪れ、法相宗から真言宗に改宗したそうです。

12:11に到着しました。何かイベントなどがなければ三の門下まで行けるというので行ってみました。停められない場合は結構離れた駐車場に停めることになります。運良く三の門下の駐車場に停めることができました。これで時間短縮です。

こちらでの見どころはなんといっても国宝の本堂で鎌倉時代に建てられた入母屋造本瓦葺きで県下最大の木造建築だそうです。そして重要文化財の二の門(二王門)。こちらは入母屋造本瓦葺き八脚門で鎌倉時代のもの。庫裏よりもっと下、つまり駐車場へ向かう途中にそびえています。

納経所では外国の若者が何やら聞いていました。相手しているのは60くらいでしょうか、納経所のおばさまなのですが、なかなか話が成り立ってないようだったので、お付き合いさせてもらいました。でも結局自分も分からなくてダメでした。英語の勉強頑張んなきゃ

11:54、53番に向けて出発です。

■第53番 須賀山 正智院 圓明寺

圓明寺は真言宗智山派、本尊は行基菩薩作と伝えられる阿弥陀如来です。聖武天皇の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を刻み、七堂伽藍を建立したのが始まりとされています。のちに弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興、鎌倉時代には度重なる兵火で衰え、土地の豪族・須賀重久により現在地に移されたそうです。

13:00に到着、予定より10分前倒しです。みどころはキリシタン石塔(マリア観音像)で、大師堂左の塀ぎわにある高さ40cmほどの灯籠です。キリシタン禁制の時代、この地方には信者が多くいて寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたことを偲ばせます。

13:22出発と予定より23分も前倒しです。確かにこじんまりした境内でしたが、今回動画撮影も割り切りが必要と意識していることもあってか22分で参拝を終えました。これは今まででも相当早い方です。先にお参り、納経したのち、まとめて撮影としたのが良かったのかもしれません。

■第54番 近見山 宝鐘院 延命寺

延命寺は真言宗豊山派、本尊は行基菩薩作と伝えられる不動明王です。聖武天皇の勅願により行基菩薩が不動明王像を彫造して本尊とし開創されました。のちに弘法大師が嵯峨天皇の勅命をうけ再興、その後、再三火災に遭い堂宇を焼失しましたが、再興をくり返し、本尊とともに現在地へ移されたといいます。

14:16、29分前倒し拡大で到着しました。

駐車場から境内へ向かうところにある総けやき造りの山門は今治城の城門のひとつで、明治時代に今治城を取り壊したときに譲り受けたものだそうです。その山門をくぐると「御本尊仮安置所」の立て看板が。みると本堂屋根改修工事のための仮本堂が納経所の手前にありました。近見二郎と近見三郎と名の付いた二つの鐘楼がなんか面白いと思いました。

一番で買った蝋燭がそろそろなくなってきて今回参拝分まで持たないため買いました。31分前倒しの14:49、55番へ向かって出発です。

■第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊

南光坊は真言宗醍醐派、本尊は大通智勝如来です。伊予水軍の祖といわれた国主・越智玉澄公が、文武天皇の勅をうけて大三島に大山祇神社を建てた際、法楽所として24坊の別当寺を建立したことが始まりといわれています。のちに行基菩薩が24坊のうち8坊を「日本総鎮守三島の御前」と称して奉祭、さらに弘法大師がこの別当寺を霊場に定めたそうです。のちの「天正の兵火」により焼失しましたが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興されました。

15:00、35分前倒しで到着です。

駐車場は境内の中になっており、境内自体は広々しています。まずは山門から。四天王が守護する大型の楼門で南光坊の別称「日本総鎮守三島地御前」の扁額が掲げられているます。外側と内側の四箇所に持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が祀られていました。

納経所の人がとても気さくな方でどちらからということで埼玉と答えると、次から次へと埼玉の市の名前が出てきてビックリです。軸のケース用の名札書いてくれたり写真撮ってくれたりととても楽しい時間を過ごさせて頂きました。一人で回ってるとこういうのは凄くうれしいものです。

15:35、56番へ向かって出発です。

■第56番札所 金輪山 勅王院 泰山寺

泰山寺は真言宗醍醐派、本尊は弘法大師作と伝えられる地蔵菩薩です。弘法大師が蒼社川の人命を失う悪霊のたたりと信じられていた水難を、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法しました。満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願の成就を告げたといいます。大師は、この地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩を彫造して本尊とし堂舎を建てました。一時は巨刹として栄えましたが度重なる兵火により縮小し、現在地の大師お手植えの「不忘の松」があったところに移ったと伝えられています。

15:44に到着。境内はとても整然とした雰囲気です。本堂斜め前には地蔵車とよばれる、石塔に丸い輪があり、これを回すと六道輪廻の絆を断てるそうなので、回しておきました。不忘の松もみどころとされていて、大師堂の側にあった松ですが今は切り株だけが残っていて、これにに腰をかけると腰痛に霊験あらたかだそうです。しかしながら切り株が分かりませんでした。まぁまだ腰は痛いことはあまりないのでよしとしましょう。

ということで時刻は、16:14。予定よりも41分も前倒しになったことで明日行く予定の57番へ行くことにしました。

■第57番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺

栄福寺は高野山真言宗、本尊は阿弥陀如来です。嵯峨天皇の勅願により、大師は内海の風波、海難の事故の平易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法されました。その満願の日、風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂い、この阿弥陀如来の像を府頭山頂まで引き揚げて堂宇を建て、本尊として安置したのが始まりだそうです。

17:20に到着です。境内には紅葉が映えていました。まだ四国は紅葉真っ只中の印象があります。見どころとしては少年の箱車。足の不自由な15歳の少年が、犬に引かせて巡礼した箱車で、この寺で足が治ったそうです。箱車には千羽鶴のお供えが沢山されていました。

今日のお参りはここまで。16:50、ホテルに向かいます。途中買い出ししてホテルには17:22到着。お宿はホテル菊水今治です。チェックインして夕飯は今治の焼鳥にするか、それともホテルの夜御膳にするか考え中です。

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