備中松山城からは先にレンタカーを返却してから岡山城、岡山後楽園に行きます。12:30ごろに返却しましたが今回約333km走破しました。
岡山駅で荷物をコインロッカーに預けたあと、雨が降ってきたので傘を買ってから路面電車に乗って城下停車場で下車しました。片道120円です。
■岡山城
城下停車場から徒歩約10分で岡山城です。岡山城は岡山市にある不等辺五角形をした三層六階建ての天守が有名な城で、日本100名城の70番、国の史跡に指定されています。
停車場のすぐ近くに、西の丸西手櫓があります。空襲による消失を免れた建物で国重要文化財です。
停車場のある交差点を東に進むと右側に西の丸跡、正面は石山公園、奥に旭川、川沿いに出ると前方に天守が見えました。第一印象は細っ!です。旭川対岸は岡山後楽園で、月見橋で結ばれています。
川沿いの歩道はそのまま本丸下の段へ続いています。天守は戦前は国宝に指定されていましたが、岡山大空襲により焼失、天守台の石垣も焼けて赤く変色しています。現在の天守は再建されたものです。
廊下門から本丸中の段へ入りますが、門手前右側には小納戸櫓の石垣、その奥には月見櫓が見えます。
廊下門をくぐり石段を上ると本丸中の段です。この広い敷地には表書院が建っていました。
本丸中の段の北東隅に小納戸櫓跡、北西隅には国重要文化財の月見櫓。
月見櫓に接する石垣には、内側から鉄砲で狙い撃ちするためにすき間がくりぬかれた銃眼石があります。穴倉は非常用の食料保管庫です。
本丸中の段の西側には北から数寄方櫓跡、多門櫓跡、伊部櫓跡と続きます。多門櫓の前には表書院中庭にあった泉水が復元されています。
伊部櫓跡からさらに南方向へ多門櫓跡、本丸中の段南西隅の大納戸櫓跡と続きます。大納戸櫓は本丸の大手を守る城内最大の三重四階建てだったそうです。
本丸中の段には、発掘調査で発見された石垣の実物露出展示が二か所あります。
不明門から本丸本段へ入ります。不明門の右側には鉄門跡。不明門は普段閉ざされてていたため、不明門(あかずのもん)なのだそうです。
本丸本段に入ると広い敷地の奥に天守が見え、その前にはかつて本丸御殿が建っていました。
戦災で焼失前の天守の柱を支えていた礎石が移され、元どおりに並べられています。
六十一雁木上門は下の段へ直接通じる通用口です。
天守はその石垣や1階平面が不等辺五角形なのが特徴で、地盤にあわせたためといわれています。付櫓としての塩蔵が付属した複合式天守です。入場料は後楽園との共通券で720円(天守だけなら400円)。内部は資料館等になっています。
日本100名城スタンプは受付近く、御城印(300円)は天守内売店でゲットしました。
本丸中の段、本段に続いて下の段を散策します。中の段に下り、不明門横の鉄門跡から下の段へ。
鉄門跡を下りたところには、巨大な岩盤が露出していて、その上に自然石を積み上げているのがわかる石垣があります。
右側に復元された供腰掛があります。藩士らの付き人が待機する場所でした。供腰掛の裏手の方には高石垣。整備中なのか、特に案内板などはない中門跡、宍粟櫓跡などがあります。
下の段をもう少し見てみます。トイレの裏側に舂屋櫓跡。
本丸大手の方に行ってみます。右側に大納戸櫓石垣、左方面に本丸大手門である内下馬門枡形跡、その付近の石垣には城主の威厳や権力を誇示するために使われた巨石(鏡石)があります。門を出ると内下馬橋です。
大手から北に進んで中の段南西部の石垣、月見櫓と石垣を見ながら岡山城散策は終了です。
そのまままっすぐ進むと岡山後楽園につながる月見橋に出ます。月見橋からは天守の特徴的な形がよくわかります。様々な石垣が楽しめました。
■岡山後楽園
次は岡山後楽園です。岡山後楽園は、江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された元禄文化を代表する日本庭園(大名庭園)で、日本三名園のひとつです。国の特別名勝に指定されています。
正直なところ早く帰りたい、でも、岡山来て後楽園に行かないという選択肢はないわけで。。。パパっと散策してきました。
足早に回りましたが、沢の池、唯心山と岡山城天守の定番写真を撮れたのが一番よかったです。
岡山駅前に16時ごろ到着しました。岡山駅できびだんごを買いました。
帰りの新幹線は自由席は心配なので指定席で16:52発のぞみ102号、東京から20:24発とき343号で帰ってきました。
今回の岡山城めぐりの旅、失敗もありました。鬼ノ城で道を間違えて屏風折れに行けなかったこと、今回の旅でドラクエウォークの岡山のおみやげ4か所制覇のはずが備中松山城で取るのを忘れてしまったこと、今日買った傘を帰りの新幹線に置いてきてしまったことなど。まぁ、予定5城をほぼ予定通り回ることができ大満足です。次はどの県にしようか計画を練るのが楽しみです。