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大阪・兵庫城めぐりの旅 #3-2 芥川山城

飯盛城の次は芥川山城です。

■ 芥川山城 ■

芥川山城は高槻市の三好山にある続日本100名城の159番、国指定史跡です。山裾の三方は芥川が流れる摂津峡の深い峡谷の天然の要害です。芥川山城への主な登城ルートは、上の口ルート、塚脇ルート、大手筋ルートがありますが、今回は上の口ルートで計画、11:30ごろ、芥川漁業協同組合上の口駐車場に着きました。芥川漁業協同組合で駐車料金を支払いにいったものの誰もいないため、帰りに払えばいっかと停めさせてもらいました。

芥川漁業協同組合上の口駐車場
芥川漁業協同組合上の口駐車場

芥川漁業協同組合
芥川漁業協同組合

駐車場から100m足らずで芥川山城跡上の口側入口です。ここから道なりに進みます。

芥川山城跡上の口側入口
芥川山城跡上の口側入口

芥川山城跡案内図
芥川山城跡案内図

アクセスマップにある「滑落注意!」と書かれた場所はどんな斜面で危険なのだろうと不安でしたが、行ってみると芥川沿いの絶壁で確かに危険ですが、山城ではこのような場所は当たり前の感じでした。

「滑落注意!」
「滑落注意!」

ここを過ぎればそれほどきつくない普通の山登りです。11:50ごろ塚脇ルートとの合流地点の城入口につきました。

城入口城入口
城入口

■東曲輪群

城跡案内図に番号が振られた曲輪をめぐります。城入口から東曲輪群に入り、最初に右側に曲輪25があります。

東曲輪群東曲輪群
東曲輪群

曲輪25曲輪25曲輪25曲輪25
曲輪25

曲輪25の西側一段高いところに曲輪23。

曲輪23曲輪23
曲輪23

曲輪23とその西側にある曲輪22の間に一段高くなった場所があるましたが、これはどちらに属するのでしょう。

曲輪23と22の間
曲輪23と22の間

曲輪22
曲輪22

曲輪22と23の北側に曲輪24があります。

曲輪24
曲輪24

曲輪22の南側虎口から登城道へ出ると左側に竪土塁が斜面に沿って伸びていました。

竪土塁
竪土塁

登城道を西へ進むと土橋と堀切I 、この先は中央曲輪群になります。

土橋と堀切I土橋と堀切I
土橋と堀切I

堀切I
堀切I

■中央曲輪群

土橋の先は切通しになっていて中央曲輪群に入ります。右側に曲輪20、その向かいあたりに曲輪17・16へ続くと思われる道がありましたが柵があり通行できませんでした。後で柵に扉があることを知りました、残念。

切通し切通し
切通し

曲輪20
曲輪20

さらに西に進むと南から上ってくる大手道と合流します。大手道を下りていくと大手石垣がありますが、これはのちほど見るとして西へ進みます。

大手道
大手道

■西曲輪群

虎口ウを過ぎると西曲輪群に入ります。道なりに左に折れると左側に曲輪10、その先すこし登ると曲輪11です。曲輪11からの眺望は素晴らしく、先ほど訪れた飯盛山や生駒山、大阪平野を見渡せます。

虎口ウ
虎口ウ

曲輪10
曲輪10

曲輪11曲輪11曲輪11
曲輪11

その先は分岐になっていますが、主郭めざし右側の道を登っていきます。

分岐
分岐

登りきると右側に曲輪9、左側に曲輪3、その先道なりに登ると虎口アを通って主郭(曲輪1)に到着です。三好長慶社がありました。主郭の南側一段下がったところは曲輪2です。

曲輪9曲輪9
曲輪9

曲輪3
曲輪3

虎口ア
虎口ア

主郭(曲輪1)主郭(曲輪1)
主郭(曲輪1)

三好長慶社
三好長慶社

曲輪2
曲輪2

主郭の北端へ行ってみました。北東方向下側に曲輪6、北西方向下側に曲輪4が見えました。曲輪4~8は行けるのかもわからず。たぶん行けない感じでした。

曲輪6
曲輪6

曲輪4
曲輪4

曲輪11の分岐に戻って直進し、堀切Cを見て戻りました。本当は田ノ丸と勘違いしてしまい、戻ってしまったのでした。

堀切C
堀切C

大手道分岐で大手道を下りて大手石垣を見て今日はここまでかなということで、もと来た道を戻ります。

大手石垣

曲輪21を見れないかなと曲輪20の手前で、登城道北側一段下の曲輪に下りてみると北側に確認できました。

曲輪21
曲輪21

城入口までもどり、最後曲輪26と27を見ようと塚脇ルートをすこし進んで曲輪26と思っていた曲輪はどうやらそうではなかったようです。あとから案内図と照らし合わせてもそもそもそこへ続く道へ行けない、入れない感じ、どちらも行けないようですね。最初の城入口の写真中央奥に見えるのが曲輪26のような気がします。今回は自分のチョンボもあったりで見ようと思って見られなかったところが多かった気がします。もう少し現地の案内板とかあればいいですね。

下城し上の口駐車場について芥川漁業協同組合で駐車料金支払いに行ってみたところ今度は人がいたのでちゃんと1000円後払いしました。

13:40ごろ、上の口駐車場をでて高槻市立しろあと歴史館に14:10すぎに到着しました。高槻市立しろあと歴史館では、芥川山城のスタンプと御城印、高槻城の御城印をゲット。こちらはおもに高槻城に関する展示になっていて、高槻城のことを係員の方が説明してくれました。高槻城の遺構はほとんどないとのことでしたが、高槻城三の丸北郭に位置する野見神社内の摂社、永井神社の社殿と唐門が遺構だとお聞きしたので見てきました。あいにく社殿は修理中のようでした。

高槻市立しろあと歴史館
高槻市立しろあと歴史館

#159 芥川山城スタンプ芥川城御城印高槻城御城印

永井神社唐門
永井神社唐門

15:50すぎにレンタカーを返却し、新大阪から新幹線で今日の宿、姫路駅前ユニバーサルホテル南口のある姫路へ向かいました。

大阪・兵庫城めぐりの旅 #3-1 飯盛城

部屋からのながめ
部屋からのながめ

ニューコマンダーホテル 大阪 <寝屋川>ニューコマンダーホテル 大阪 <寝屋川>

3泊4日の大阪・兵庫めぐりの旅3日目。城めぐり再開、飯盛城芥川山城を巡る予定です。どちらも山城で疲れそう。
6:40ごろホテルを出発しました。

■ 飯盛城 ■

飯盛城は大東市および四条畷市にまたがる飯盛山にある続日本100名城の160番、国指定史跡です。戦国時代に三好長慶が居城としたことで知られ、長慶は芥川山城からここに拠点を移しました。この城は政権が所在する「首都」といえるような場所で織田信長に先駆ける天下人ともいわれているそうです。

大東市側にある飯盛城跡駐車場に7:20ごろ到着しました。スタンプと御城印があるキャンピィだいとうは10時からなので、先に登城します。

飯盛城跡駐車場
飯盛城跡駐車場

飯盛城跡案内図
飯盛城跡案内図

駐車場のある道が登城道、そのまま上っていくと途中2本連続して竪堀を見ることができます。

竪堀竪堀
竪堀

さらに進むと馬場(X郭)で楠公寺があります。トイレの壁面にパンフレットがあるはずが、空っぽでした。楠公寺は楠木正行はじめ四條畷の戦いの戦死者を弔うために開山されたお寺で、高櫓郭には小楠公銅像があります。

馬場(X郭)
馬場(X郭)

楠公寺に向かって左には登城道が続き、しばらく登ると三方向への分岐に出ますが、右の山道を進み少し行くと石垣1があります。崩壊防止のための布団かごが設置されていました。この山道の下側にも石垣69があるはずなので少し探しました。あれかなぁと思われる石垣を木の枝の間から見つけましたが正しいかどうか。

石垣1石垣1石垣1
石垣1

石垣69
石垣69

山道を戻り、先ほどの分岐を道なりに登っていくと高櫓郭(Ⅰ郭)と千畳敷郭(Ⅷ郭)の間の大きな堀切に出ます。

堀切堀切
堀切

ここを境に大きく北側と南側に分かれていて、先に北側を見ていきます。2本の階段がありますが、どちらも高櫓郭(Ⅰ郭)に行けるようです。堀切と土橋があり、ここを登ると高櫓郭(Ⅰ郭)ですが手前はロープのある急な登り坂でした。

堀切と土橋堀切と土橋
堀切と土橋

急な登り坂
急な登り坂

高櫓郭(Ⅰ郭)に出ました。高櫓郭(Ⅰ郭)は飯盛山の山頂です。高櫓郭(Ⅰ郭)には、小楠公銅像(楠木正行像)があり、その横には戦時中に供出された小楠公銅像を再建した田伐兼松の像、他に国旗掲揚台があります。

小楠公銅像(楠木正行像)
小楠公銅像(楠木正行像)

田伐兼松銅像
田伐兼松銅像

国旗掲揚台
国旗掲揚台

高櫓郭(Ⅰ郭)から北側すこし下がったところが本郭(Ⅱ郭)で、展望台からは大阪平野が一望できます。

展望台
展望台

展望台からの眺望
展望台からの眺望

展望台からの眺望(大阪城)
展望台からの眺望(大阪城)

本郭(Ⅱ郭)から北側すこし下がったところがⅢ郭で、Ⅲ郭手前右方向の山道を行ってみると、石垣3・石垣4を見ることができます。

石垣3石垣3
石垣3

石垣4
石垣4

Ⅲ郭から西側にある曲輪群A・北條神社へ続く山道を少し下りると石垣5・6・7があります。

Ⅲ郭Ⅲ郭
Ⅲ郭

石垣5
石垣5

石垣6(上)・7(下)
石垣6(上)・7(下)

Ⅲ郭から北側への山道はかなり急になっています。下りたところは旧道と新道へ分岐になっていますが、旧道は法面崩壊の恐れがあるため新道へとの案内が出ていました。三本松丸(Ⅳ郭)はここをすこし上がった旧道沿いのため、安全そうなところまで行って戻ってきました。

Ⅲ郭北側山道
Ⅲ郭北側山道

旧道新道分岐
旧道新道分岐

三本松丸(Ⅳ郭)
三本松丸(Ⅳ郭)

新道へ進みます。分岐を下りだしてすぐ右に振り替えると山道の下側に石垣90が確認できました。

石垣90石垣90
石垣90

進むと御体塚郭(Ⅴ郭)の南側に出ますが、その手前右側には石垣14・15・16が確認できます。

石垣14・16
石垣14・16

石垣14
石垣14

石垣16
石垣16

石垣15
石垣15

階段をずっと登ると御体塚郭(Ⅴ郭)です。御体塚郭(Ⅴ郭)は三好長慶の死を公表しなかった2年間の仮埋葬地だといわれています。

御体塚郭(Ⅴ郭)御体塚郭(Ⅴ郭)
御体塚郭(Ⅴ郭)

Ⅵ郭へ向かいます。御体塚郭(Ⅴ郭)北側から山道を下りていくと右側に石垣18がありました。さらに下りて、御体塚郭(Ⅴ郭)とⅥ郭間の大堀切にでました。岩盤が削り抜かれいていて見事です。

大堀切
大堀切

大堀切を左手に山道を進むと北端のⅥ郭です。比叡山、六甲山、淡路島、南河内まで見渡せる視界270度の眺望が広がります。

Ⅵ郭Ⅵ郭Ⅵ郭Ⅵ郭Ⅵ郭
Ⅵ郭

飯盛山史蹟碑
飯盛山史蹟碑

ここまででⅠ郭からⅥ郭までの北側遺構を見たので、Ⅴ郭(御体塚郭)の東側の山道経由で南側へ戻ります。途中で石垣19を確認できました。

石垣19
石垣19

御体塚郭(Ⅴ郭)の南側でもと来た山道に合流し、三本松丸(Ⅳ郭)南側の分岐(行きに通った旧道新道分岐)で左側石垣1方向へつながる山道を進みます。Ⅲ郭東側あたりでⅢ郭へつながる山道に進みすこし上がったところに石垣9、つづいて石垣54を確認しました。

Ⅲ郭へつながる山道(右)
Ⅲ郭へつながる山道(右)

石垣9
石垣9

石垣54
石垣54

Ⅲ郭に戻り、石垣3・4を経由してそのまま進んでいけば石垣71が見られるはずでしたが、よくわかりませんでした。

そのまま進んで、高櫓郭(Ⅰ郭)と千畳敷郭(Ⅷ郭)の間の大きな堀切へ戻ってきました。これから南側を見ていきます。管理用道路を登るとっていくと千畳敷郭(Ⅷ郭)です。千畳敷郭の最高部にはNHK・FM送信所が立っています。

中断を西方向へ行くと土塁が見られます。

千畳敷郭(Ⅷ郭)千畳敷郭(Ⅷ郭)
千畳敷郭(Ⅷ郭)

土塁
土塁

千畳敷郭(Ⅷ郭)の南側は南丸(Ⅸ郭)です。南丸(Ⅸ郭)には石垣で築かれた虎口があります。

南丸(Ⅸ郭)
南丸(Ⅸ郭)
南丸(Ⅸ郭)
南丸(Ⅸ郭)

石垣31(左)石垣30(右)と虎口
石垣31(左)石垣30(右)と虎口

石垣30
石垣30

これで飯盛城散策は終了、行きとは違う道で帰りました。虎口から南へ道なりに進み、途中、「桜池・野外活動センター」の道標で左折し、山道をひたすら下っていくと駐車場近くまで戻れました。

「桜池・野外活動センター」の道標
「桜池・野外活動センター」の道標

時刻はちょうどキャンピィだいとうが開館するちょうど10時すぎ、スタンプと御城印をゲットしました。

#160 飯盛城スタンプ飯盛城御城印

次は芥川山城へ向かいます。

大阪・兵庫城めぐりの旅 #1-2 篠山城

■ 篠山城 ■

続いて篠山城です。篠山城は丹波篠山市にある日本100名城の57番、国指定史跡です。篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城で、篠山藩の藩庁だったそうです。

三の丸西駐車場
三の丸西駐車場

15:20ごろ三の丸西駐車場に到着しました。当初計画では16:00着としていたのでかなり時間に余裕ができました。逆に言えば黒井城を福知山城へ変更していなければ、まったく時間がなかったはず。予報どおり雨模様になっています。

■二の丸

三の丸西駐車場は三の丸西側にあり、西内堀沿いに東へ進むと北廊下門跡、左は北内堀、進むと二の丸に入り表門跡、中門跡、鉄門跡と続き、左側に塀重門跡と大書院、正面に史料館があります。

西内堀
西内堀

二の丸阿北枡形石垣
二の丸北枡形石垣

篠山城案内板
篠山城案内板

北廊下門跡
北廊下門跡

北内堀
北内堀

表門跡表門跡
表門跡

中門跡
中門跡

鉄門跡
鉄門跡

塀重門跡
塀重門跡

大書院と史料館
大書院と史料館

■大書院

大書院は廃城令によって大半が壊された城建物の中でただ1つ残されましたが、火災により焼失、現在の建物は2000年に復元されたものです。大書院へは史料館から入り、入館料は400円、スタンプ・御城印をゲットしました。

大書院入口(史料館)
大書院入口(史料館)

史料館史料館
史料館

#57 篠山城スタンプ篠山城御城印

大書院には襖絵などに囲まれた8つの部屋(虎之間、手鞠之間、源氏之間、葡萄之間、次之間、上段之間、孔雀之間、闇りの間)があり、上段の間は最も格式の高い部屋です。闇りの間は入ることができませんでした。

虎之間虎之間
虎之間

手鞠之間
手鞠之間

広縁と落縁
広縁と落縁

P1000532史料館

塀重門跡
塀重門跡

大書院北側庭
大書院北側庭

勅使門跡
勅使門跡

史料館
源氏之間

葡萄之間
葡萄之間

梵鐘
梵鐘

次之間
次之間

上段之間
上段之間

孔雀之間
孔雀之間

■二の丸

大書院から出て左側に井戸、進むと二の丸の御殿跡。南側には二の丸井戸、搦手口埋門跡があります。本丸を見てから南側を散策したのですが、埋門は閉まっていました。着いた直後は開いていたのかも。

井戸
井戸

二の丸御殿跡二の丸御殿跡二の丸御殿跡
二の丸御殿跡

大書院大書院大書院
大書院

小書院跡
小書院跡

二の丸井戸
二の丸井戸

搦手口埋門跡
搦手口埋門跡

大書院

■本丸

二の丸の東側、青山神社が立っている区域が本丸です。本丸は築城当初は現在の二の丸が本丸で、現在の本丸は南東隅に天守台が作られたことから殿守丸と呼ばれていたそうです。天守台は今も残っていて、東側と南側の石垣は最も高い石垣です。青山神社は藩主家だった青山氏が祀られています。

本丸本丸
本丸

青山神社
青山神社

一の井戸
一の井戸

天守台天守台天守台
天守台

天守台より天守台より
天守台より

■三の丸・南馬出

二の丸、本丸と見た後は三の丸と馬出を見に行きます。三の丸西駐車場の方へ戻り、西内堀沿いを南に進みます。二の丸南西隅石垣の脇からは埋門へつながる石段があります。三の丸の南西側の南門跡から出て外堀の先に南馬出があります。

三の丸西側と西内堀
三の丸西側と西内堀

二の丸南西隅石垣
二の丸南西隅石垣

搦手口埋門
搦手口埋門

三の丸南西側
三の丸南西側

三の丸南側三の丸南側
三の丸南側

南門跡
南門跡

西外堀
西外堀

南外堀
南外堀

南馬出
南馬出

■東馬出

駐車場前に戻り再度東方向へ進み、北廊下門跡を超えてすぐに、櫓台跡があり、さらに道なりに三の丸北側を進み東門跡から出て外堀の先に東馬出があります。

櫓台跡
櫓台跡

東門跡
東門跡

東外堀
東外堀

東馬出東馬出
東馬出

■大手馬出

東馬出から北外掘沿いを西に進んでいくと大手馬出跡に出ます。大手馬出跡から南に進むと大手門跡です。

北外堀
北外堀

北外堀と大書院
北外堀と大書院

大手馬出跡大手馬出跡
大手馬出跡

西外堀
西外堀

大手門跡
大手門跡

篠山城散策はここまで。時刻は17:30前、今日の宿は丹波ささやまホロンピアホテル。ホテルのまわりには、系列のレストランや居酒屋があり便利です。夕飯はファミリーダイニングパラパラで。

パラパラで夕飯

さて明日は叔父の三回忌法事でお城めぐりは明後日再開です。

大阪・兵庫城めぐりの旅 #1-1 福知山城・黒井城

3泊4日の大阪・兵庫城めぐりの旅1日目。ただし2日目は法事のため、城めぐりとしては3日間です。

計画では、
・1日目:黒井城、篠山城
・2日目:(法事)
・3日目:飯盛城、芥川山城
・4日目:姫路城

でしたが、今日の天気がわるそうなので、黒井城を福知山城に変更することにしました。

熊谷駅近くの有料駐車場に止めて、5:12普通電車で東京へ。東京駅でEX予約していた新幹線切符受け取り時にパスワードが分からない状況に陥った結果、6:33発が7:09発に変更になってしまいました。新大阪9:36着です。

ルーミー

新大阪からはバジェットレンタカー、相棒はルーミー。12時前に福知山城公園観光駐車場に到着しました。

■ 福知山城 ■

福知山城は福知山市にある続日本100名城の158番、福知山市の史跡に指定されています。明智光秀が築城しました。

福知山城

駐車場から福知山城がよく見えます。川に架かる昇龍橋を渡って登城しますが、川沿い右側にお城の形をした佐藤太清記念美術館があり、福知山城とマッチして雰囲気がいいですね。

昇龍橋
昇龍橋

佐藤太清記念美術館
佐藤太清記念美術館

昇龍橋を渡ると登城道、土塀と石垣が続いています。石垣が切れたところを右に入ると本丸石垣と転用石、釣鐘門につながる石段があります。

登城道
登城道

釣鐘門
釣鐘門

登城道に戻り登りきると天守の下に出ます。天守は大天守と続櫓と小天守からなる外観復元天守です。

大天守大天守大天守
大天守

小天守と続櫓
小天守と続櫓

天守の西側にある銅門番所は、もともとは二ノ丸の登城口にありましたが大正年間に天守台に移築され、天守閣の再建に伴い現在の本丸跡に移転されました。隣には未使用の転用石が多く置かれていました。

銅門番所銅門番所
銅門番所

未使用の転用石
未使用の転用石

天守台から本丸にかけての石垣は野面積みで、多くの五輪塔や宝篋印塔などの石造物が転用石として使われているのが特徴です。

天守台石垣と転用石
天守台石垣と転用石

天守入口の方へ向かいます。天守閣の東側にある豊磐の井(とよいわのい)は、深さ50メートルと城郭内の井戸としては日本有数の深さで、今も水をたたえているそうです。

豊磐の井
豊磐の井

天守の東側には釣鐘門、天守復元鯱瓦、朝暉神社など。

釣鐘門
釣鐘門

天守復元鯱瓦
天守復元鯱瓦

朝暉神社
朝暉神社

小天守
小天守

大天守大天守
大天守

天守は福知山市郷土資料館になっています。入館料は330円。こちらでスタンプと御城印をゲット。

#158 福知山城スタンプ福知山城御城印

天守は鉄筋コンクリート造ですが、目に見えるところは木になっていていいですね。最上階からは二の丸や伯耆丸をのぞむことができます。とはいっても二の丸は見る影もないですが。

天守

天守より北側のぞむ
天守より北側のぞむ

天守より北西側のぞむ
天守より北西側のぞむ

天守より二の丸のぞむ
天守より二の丸のぞむ

天守より伯耆丸のぞむ
天守より伯耆丸のぞむ

天守より東側のぞむ
天守より東側のぞむ

天守より南側のぞむ
天守より南側のぞむ

本丸北西側にある門を出て階段を下り、小天守と本丸石垣を見ながら、本丸の散策は終了です。

小天守
小天守

本丸石垣
本丸石垣

本丸のあとは二の丸に少し残る石垣などを見に行きました。

本丸西側石垣
本丸西側石垣

二の丸石垣跡
二の丸石垣跡

二の丸銅門跡
二の丸銅門跡

福知山城

これで福知山城の散策はおわりですが、せっかくなので、千原ジュニアさん句碑が駐車場脇にあるので見に行きました。プレバトでジュニアさんが詠んだ俳句の碑です。ちょうど句碑の話をプレバトでやっていたのを見ていたのでちょっとうれしい。

千原ジュニアさん句碑
千原ジュニアさん句碑

■ 黒井城 ■

時刻は13:40ごろ。時間に少し余裕があるので、黒井城のスタンプと御城印のみいただくことにしました。14:20頃丹波市の春日住民センターに到着。スタンプは春日住民センター、御城印はすぐ近くの丹波市観光協会事務所にてゲットしました。

#163 黒井城スタンプ黒井城御城印

大雨予報だったので、福知山城に変更したわけですが、そこまで悪天ではなく、行けたかもとも思いましたが、登城はまた別の機会に。

黒井城
黒井城

駐車場から黒井城を写真に収め、次の篠山城へ向かいました。

烏山城

今日は烏山城へ行ってきました。栃木県那須烏山市の町の中心から北西にある八高山に築かれた山城で国指定史跡になっています。別名「臥牛城(がぎゅうじょう)」とも呼ばれています。

まず御城印入手のため、山あげ会館へ寄ったのですが在庫切れとのこと、展示してあるものでよければということで、もちろんゲットしました。

山あげ会館
山あげ会館

烏山城御城印

烏山城址駐車場(市役所烏山庁舎北側駐車場)にクルマを停めて10:00すぎより登城開始。スマホに入れておいた地図を見ながら進むも道を間違えてしまい、かなり時間をロスしてしまいました。

三の丸につづく城山・毘沙門山入口に10:20ごろ。しばらく舗装道を登っていくと右側に三の丸石垣が見えてきます。正面には寿亀山神社、こちらも三の丸跡に鎮座しています。

城山・毘沙門山入口
城山・毘沙門山入口

三の丸石垣と寿亀山神社
三の丸石垣と寿亀山神社

三の丸石垣三の丸石垣
三の丸石垣

三の丸は大きく二段に分かれています。

三の丸三の丸三の丸三の丸三の丸
三の丸

寿亀山神社
寿亀山神社

三の丸をしばし散策してから七曲りコースの登城ルートへ。七曲口とある場所にはかつて通用門があったそうです。

烏山城案内板
烏山城案内板

七曲口
七曲口

七曲口をすぎると本当に七回曲がっている七曲りを登っていきます。城跡と毘沙門山との分岐がありますが、ここが多分七回目で七曲りの終了です。

七曲り七曲り
七曲り

城跡方面へ進むと車橋跡。車輪がついた引橋が架けられていたそうです。ここの堀切を超えると常盤門跡があり常盤曲輪に入ります。石を割るためにつけれらた人工的な穴(矢穴)の痕跡が残る石があります。

車橋跡
車橋跡

常盤門跡
常盤門跡

常盤曲輪
常盤曲輪

矢穴跡
矢穴跡

常盤曲輪から坂道を登っていくと吹貫門跡に出ます。門跡脇には石垣が残っており、烏山城のシンボル的な石垣です。

吹貫門脇石垣
吹貫門脇石垣

吹貫門跡
吹貫門跡

吹貫門跡は分岐になっていますが、そのまま直進すると正門跡。付近には石列の跡が残っています。正門から本丸までは右に2回曲がる内枡形となっていて、本丸石垣が残っています。本丸の西側は空堀となっています。

正門跡
正門跡

正門付近石列
正門付近石列

本丸石垣
本丸石垣

空堀(本丸西側)
空堀(本丸西側)

本丸はもともとは二の丸でしたが(古)本丸が火災で使用されなくなり主郭になったと考えられています。

本丸本丸本丸本丸
本丸

本丸の先に古本丸がありますが空堀で区切られています。東側には横矢が見られます。

空堀(本丸-古本丸)
空堀(本丸-古本丸)

古本丸古本丸
古本丸

横矢
横矢

古本丸の北側は中城で、かなり深い空堀で区切られています。中城に入ったところは土塁になっています。

空堀(古本丸-中城)空堀(古本丸-中城)
空堀(古本丸-中城)

中城中城中城
中城

中城の北側は北城で、こちらもかなり深い空堀で区切られています。北城には堀へ下りて東へ少し進んだところに虎口。北城北西隅の土塁に上がると空堀を挟んだ先に物見台が見えました。北城西側は土塁が続いています。

空堀(中城-北城)
空堀(中城-北城)

北城北城北城
北城

物見台
物見台

空堀(北城西側)
空堀(北城西側)

戻って中城と北城間の空堀を西へ進みます。右側に堀なのか曲輪なのかよくわからない区域があります。そのまままっすぐ進むと空堀の先に大野曲輪。

堀?曲輪?
堀?曲輪?

大野曲輪へ
大野曲輪へ

空堀(大野曲輪東側)空堀(大野曲輪東側)
空堀(大野曲輪東側)

大野曲輪大野曲輪
大野曲輪

戻って中城の手前で右(南方向)へ曲がり、しばらく進んで空堀の堀底道を行くと西城に出ます。

西城へ
西城へ

空堀(西城北側)
空堀(西城北側)

西城西城西城
西城

西城の南側に下りたところは若狭曲輪ですが、資料によってこの東上の曲輪を指しているものもあってどちらも若狭曲輪なのかよくわかりませんが、今回はどちらも若狭曲輪ということにします。

若狭曲輪へ
若狭曲輪へ

若狭曲輪若狭曲輪若狭曲輪
若狭曲輪

若狭曲輪から本丸へとつづきます。

本丸へ
本丸へ

ふたたび本丸を経由して古本丸と中城間の空堀まで行って東方向へ堀を下りていくと、吹貫門跡からつづく道に出ます。正面に厩跡があり、道のすぐ左に搦手門である桜門跡。この道をさらに進んだ先は北城です。

厩跡
厩跡

桜門跡桜門跡
桜門跡

せっかくなので十二曲りの分岐、そして再度北城によって戻ってきてから吹貫門跡の方へ進みます。門跡直前に塩倉跡があります。

塩倉跡
塩倉跡

予定していたところはほぼ見終わったのでお城を下ります。現地にあった案内図には、車橋と七曲りあたりの西側に鼓楼跡とあったため、そこに行ってみました。車橋を過ぎて、七曲りへの分岐の手前に右にのぼる脇道があり、そこをのぼったところが鼓楼跡とあった、太鼓丸で烽火台ともいわれています。

太鼓丸
太鼓丸

ここまで見てきて12:40ごろになりました。せっかくなので往きとは違う筑紫山、
毘沙門山を経由する毘沙門天ルートで下山することにしました。毘沙門山には毘沙門天像があります。

毘沙門天像
毘沙門天像

毘沙門山から麓への毘沙門山遊歩道はそれはもうひたすら長い階段が続いていたので、こちらから上らなくて大正解でした。駐車場に戻ってきたのは13:20ごろで約3時間の散策でした。

腰越城

今日は埼玉県小川町にある腰越城へ行ってきました。県指定史跡で、槻川に三方を囲まれた天然の要害に築かれた戦国時代の山城です。

パトリアおがわ駐車場
パトリアおがわ駐車場

腰越城案内板
腰越城案内板

小川町総合福祉センター「パトリアおがわ」の駐車場にクルマを停めて、そこから城跡入口までは数分です。10:35すぎに登城開始です。

城跡入口城跡入口
城跡入口

登城道登城道
登城道

登城道をひたすら登り、本郭の北側下にある二重堀切に挟まれた郭に出たのが、10:50すぎ。ここに配置図があります。

二重堀切(北側)二重堀切(北側)
二重堀切(北側)

本郭北側下の郭本郭北側下の郭
本郭北側下の郭

配置図
配置図

二重堀切(南側)
二重堀切(南側)

配置図をスマホで撮り、これを頼りに散策します。最初に急な階段、上りきったら左に進みしばらく行くと、上下への分岐に出ます。上は二の郭方面、下は横堀方面です。

階段
階段

分岐
分岐

二の郭方面は配置図によると二の郭へは行き止まり表示となっていますが、行ってみました。

分岐
分岐

さらに分岐があり、右方向が二の郭ですが通行止め。左の本郭方面への迂回に進んでみました。途中左に道が分かれておりその先には、二の郭の東側下の郭に出ました。案内も何もないのでどのような郭なのかはわかりません。

左へ分岐
左へ分岐

郭(二の郭東側下)
郭(二の郭東側下)

来た道を先ほどの上下に分かれる分岐まで戻り、横堀方面へ進みます。分岐から下りたところに竪堀が2連続、というより分岐にかかる橋の下から1つめの竪堀が始まっているような感じです。

分岐:横堀方面へ
分岐:横堀方面へ

竪堀竪堀

道に沿って進んでいくとまた竪堀があり、横堀に出ます。

竪堀
竪堀

横堀と土塁横堀と土塁
横堀と土塁

横堀の先にはまた竪堀。

竪堀
竪堀

進むと右へ登る階段があり、その先には二の丸南側下に位置する郭に出ます。

郭(二の丸南側下)郭(二の丸南側下)
郭(二の丸南側下)

配置図にある囮小口の方に向かう階段があり、そこを登ってみました。登った先は見たところ竪堀のようになっており、そのまま上に進むと本来の小口のある郭に出てしまいました。これのどこが囮というのか?と思いましたが、昔は行き止まりだったとか?ここまで出られるとは想定していなかったので、フライングで二の郭を下見してから、囮小口の下まで戻ってきました。囮小口の下には石垣が残っています。

囮小口へ囮小口へ
囮小口へ

囮小口囮小口
囮小口

先に小口
先に小口

囮小口下の石垣
囮小口下の石垣

さてここから西の郭へ。西の郭北側は堀切になっており階段を登ると西の郭です。

堀切(西の郭北側)堀切(西の郭北側)
堀切(西の郭北側)

西の郭西の郭西の郭
西の郭

西の郭(最南端)
西の郭(最南端)

次は二の郭、本郭に向かいます。堀切を西側に降りるとその先は竪堀になっていて、左(南側)に郭があり、右(北方向)の道を進むと先ほど囮小口を登り切ったところにあった郭の小口に出ました。

堀切(西の郭北側)堀切(西の郭北側)
堀切と竪堀(西の郭北側)

郭(西の郭西下)
郭(西の郭西下)

二の郭へ
二の郭へ

小口小口
小口

小口のある郭の南端は西の郭北側の堀切です。

堀切(西の郭北側)
堀切(西の郭北側)

二の郭へ
二の郭へ

二の郭へ続く坂道があり、その右はさきほどの囮虎口につながっているところです。二の郭へ向かいます。

二の郭へ
二の郭へ

二の郭二の郭
二の郭

本丸へ向かいます。

本丸へ本丸へ本丸へ

小口前腰郭
小口前腰郭

本郭小口
本郭小口

11:45ごろ本郭に到着しました。

本郭本郭本郭本郭本郭本郭
本郭

本郭からは小川町の街並みが一望できました。

広島・山口城めぐりの旅 #3-2 新高山城

今回の城めぐりの旅、最後に訪れるのは新高山城です。新高山城は広島県三原市にある続日本100名城の173番、国の史跡に指定されています。

12:10ごろ本郷生涯学習センターに到着、こちらでスタンプをゲットしました(御城印はうきしろロビーで入手済み)。

本郷生涯学習センター
本郷生涯学習センター

#173 新高山城スタンプ

■ 新高山城 ■

12:20ごろ新高山城跡駐車場に到着。

新高山城跡駐車場
新高山城跡駐車場

新高山城登城案内
新高山城登城案内

新高山城登城道入口
新高山城登城道入口

登城道登城道大説明板大説明板

登城案内によれば登城道を進んで番所跡まで出て、そこで分岐して鐘の段へ行くようになっていますが、途中で鐘の段へ行く道への分岐がある情報を得ていたので、効率考え先に鐘の段へ行きます。登城道左側にあるその分岐の表示が「ノ」しか残ってなく、なんともわかりにくいです。

鐘の段への分岐鐘の段への分岐
鐘の段への分岐

■鐘の段

道を進んでいくと鐘の段を取り囲む八百段に出ました。鐘の段西側の八百段の手前右に登る道があり、そこを登ると鐘の段です。

八百段(鐘の段東側)八百段(鐘の段東側)
八百段(鐘の段東側)

八百段(鐘の段南西側)
八百段(鐘の段南西側)

八百段(鐘の段西側)
八百段(鐘の段西側)

鐘の段鐘の段
鐘の段

鐘の段北側郭
鐘の段北側郭

■番所跡

鐘の段の北側の郭を北に進んでいくと元の登城道に合流します。合流地点が番所跡で、番所跡は上から軽石の段、中の段、下の段となっています。

番所跡(下の段)
番所跡(下の段)

番所跡(中の段)
番所跡(中の段)

番所跡(軽石の段)
番所跡(軽石の段)

番所跡から登城道を道なりに進んでいくと匡真寺跡。

■匡真寺跡

匡真寺跡は小早川氏の菩提寺の跡です。

匡真寺跡匡真寺跡

匡真寺跡北東隅から中の丸に向かうかなり急な登城道を進むと途中でベンチがあったので休憩しましたが、不安定でかなり危ない!

中の丸へ中の丸へ

■中の丸(西側)

登城道石段を登ったところは門跡で、そこから西側の中の丸です。ここと本丸の北側の中の丸、釣井の段、東の丸が二の丸にあたります。

中の丸(西側)
中の丸(西側)

中の丸土壇
中の丸土壇

中の丸の土壇にはあとで行くことにして本丸へ登ります。手前に崩れた石垣が残っています。

崩れた石垣
崩れた石垣

■本丸

本丸に出たところは本丸の南西隅で桝形土塁が残り、本丸の北東部には大きな建物の礎石が残っています。

桝形土塁
桝形土塁

本丸本丸
本丸

礎石
礎石

本丸東側へ進むと詰の丸です。

詰の丸へ
詰の丸へ

■詰の丸

詰の丸は新高山の山頂で多くの巨石と石仏や石碑がありました。新高山は廃城後も修験道の山だったそうです。眺望はすばらしく、眼下の沼田川の対岸に小早川隆景が以前居城にしていた高山城があった高山や、新幹線が見えます。新幹線の動画を撮りたくて10分以上粘りました。

詰の丸詰の丸詰の丸
詰の丸

高山
高山

新幹線
新幹線

沼田川と本郷の街並み
沼田川と本郷の街並み

さて本丸へ戻り、北側にある虎口(大手門跡)から釣井の段の方へ下りていきます。

大手門跡
大手門跡

■釣井の段

釣井の段は上下二段からなる城内最大の郭で6つの円形石積井戸が残っています。東側にはライゲンガ丸とその奥に東の丸。

釣井の段
釣井の段

円形石積井戸円形石積井戸円形石積井戸円形石積井戸
円形石積井戸

ライゲンガ丸と東の丸(奥)
ライゲンガ丸と東の丸(奥)

■中の丸

釣井の段の西側には北側の中の丸があります。

中の丸(北側)中の丸(北側)
中の丸(北側)

東側の中の丸に戻り、土壇へ。

中の丸土壇中の丸土壇中の丸土壇
中の丸土壇

西の丸へ
西の丸へ

■西の丸・北の丸

中の丸に西側に配置されているのが西の丸、西の丸の北西に北の丸、これらが三の丸にあたります。西の丸の東端の郭は石弓の段で二の丸を守る箱薬研の堀切の役割を果たしています。

石弓の段
石弓の段

西の丸西の丸西の丸
西の丸

北の丸北の丸北の丸
北の丸

北の丸を見て新高山城の散策はおわりにし、14:30ごろ駐車場へ戻ってきました。

新高山城

15:25ごろレンタカーを返却、15:44三原発の普通電車で福山までいき、16:35発ののぞみで帰路につき、21時前には熊谷に着きました。

ほぼ計画通りに今回の旅は終了です。おみやげはもみじ饅頭です。

もみじ饅頭

広島・山口城めぐりの旅 #3-1 郡山城

2泊3日の広島・山口めぐりの旅3日目。郡山城、新高山城を巡る予定です。

広島北ホテル
広島北ホテル

■ 郡山城 ■

早起きして7:00ごろ安芸高田市歴史民俗博物館へ到着、開館前なので場所だけ確認し、毛利元就公墓所参道駐車場へ。

郡山城跡案内図

郡山城は安芸高田市にある日本100名城の72番、国の史跡に指定されています。

毛利元就公墓所参道駐車場は大通院谷遺跡にあります。ここから毛利元就公墓所参道を経由して本丸へ行くルートにしました。

毛利元就公墓所参道駐車場
毛利元就公墓所参道駐車場

郡山城西端にある大通院谷遺跡では石塁を伴う屋敷跡、約100mの薬研堀が見つかりました。

薬研堀跡
薬研堀跡

大通院谷遺跡
大通院谷遺跡

■毛利元就公墓所

毛利元就公墓所参道
毛利元就公墓所参道

参道に入りしばらく登っていくと毛利元就・一族墓所(洞春寺跡)があります。百万一心碑は元就の「百万一心」の伝説を記念したものです。

毛利元就墓所(洞春寺跡)
毛利元就墓所(洞春寺跡)

毛利一族墓所(洞春寺跡)
毛利一族墓所(洞春寺跡)

毛利元就墓所(洞春寺跡)
毛利元就墓所(洞春寺跡)

百万一心碑
百万一心碑

■登城道

毛利元就公墓所の階段おりて右から登城道に入ります。

登城道登城道
登城道

少し上ったところに嘯岳禅師の墓があります。嘯岳禅師は元就火葬時の導師だそうです。天災被害なのか崩れしまっていましたが、直さないのかなぁ。

嘯岳禅師の墓
嘯岳禅師の墓

登城道(鹿発見!)
登城道(鹿発見!)

郡山第1号古墳
郡山第1号古墳

登城道(本丸へ350米)
登城道(本丸へ350米)

登城道(井戸の壇・御蔵屋敷下)
登城道(井戸の壇・御蔵屋敷下)

御蔵屋敷についたのは7:50ごろ。

■御蔵屋敷(下段)

郡山城は山頂にある本丸を中心として放射状の各尾根上に曲輪群が形成されています。御蔵屋敷跡は二の丸西側下の上下2段の曲輪です。

御蔵屋敷(下段)
御蔵屋敷(下段)

御蔵屋敷(上段)と二の丸(奥)
御蔵屋敷(上段)と二の丸(奥)

御蔵屋敷跡から本丸の周りを時計回りに散策していきます。

■釣井の壇

釣井の壇は本丸の西側にある曲輪で、城内に残る唯一の石組の井戸があります。

釣井の壇釣井の壇釣井の壇
釣井の壇

姫の丸壇へ
姫の丸壇へ

■姫の丸壇

姫の丸壇は本丸の北側にある曲輪で、百万一心石が発見されたと伝わります。

姫の丸壇姫の丸壇姫の丸壇姫の丸壇
姫の丸壇

釜屋の壇へ釜屋の壇へ
釜屋の壇へ

■釜屋の壇

釜屋の壇は本丸の北東側にある曲輪で、一番先は堀切をはさんで羽子の丸に続きます。

釜屋の壇釜屋の壇釜屋の壇釜屋の壇
釜屋の壇

羽子の丸
羽子の丸

釜屋の壇
釜屋の壇

厩の壇へ
厩の壇へ(分岐)

■厩の壇

厩の壇は本丸の南東にある曲輪です。尾根に沿った中心部の曲輪群と北側に分かれた曲輪群があります。釜屋の壇からの道で左右へ分かれる分岐があって、左に進むと北側の曲輪群、右を上に進むと中心部の曲輪群です。

厩の壇(北側)厩の壇(北側)厩の壇(北側)
厩の壇(北側)

厩の壇厩の壇厩の壇厩の壇
厩の壇

三の丸へ
三の丸へ

■三の丸

厩の壇から三の丸へ入ります。三の丸は石塁等によって東段、南段、西段に分割されています。

三の丸(南段)・石塁跡
三の丸(南段)・石塁跡

三の丸(東段)三の丸(東段)
三の丸(東段)

三の丸(西段)三の丸(西段)三の丸(西段)
三の丸(西段)

三の丸(西段)の北西隅から御蔵屋敷の方へ向かいます。左下側に三の丸石垣跡、進むと右側に二の丸虎口、正面は御蔵屋敷の上段です。

三の丸石垣跡三の丸石垣跡
三の丸石垣跡

二の丸虎口
二の丸虎口

■御蔵屋敷(上段)

御蔵屋敷(上段)
御蔵屋敷(上段)

御蔵屋敷(上段)土塁跡
御蔵屋敷(上段)土塁跡

■二の丸・本丸

二の丸虎口へ進み、二の丸へ。二の丸は本丸の南側にあります。

二の丸二の丸
二の丸

本丸
本丸

本丸の奥には櫓台があります。

本丸櫓台本丸櫓台本丸櫓台
本丸櫓台

本丸櫓台から本丸・二の丸のぞむ
本丸櫓台から本丸・二の丸のぞむ

御蔵屋敷(下段)まで下りて、勢溜の壇へ向かいます。

■勢溜の壇

勢溜の壇は、本丸の南西へ伸びる尾根を堀切で御蔵屋敷下段と区切って独立させた大きな曲輪です。

勢溜の壇勢溜の壇勢溜の壇勢溜の壇勢溜の壇

展望スポットです。9時前なのですが、朝靄で全く見えませんでした。

勢溜の壇勢溜の壇勢溜の壇
勢溜の壇

満願寺跡に向かいます。勢溜の壇を右手に進み大きく左下へ折れた先に満願寺方面への分岐があります。

満願寺方面への分岐
満願寺方面への分岐

■満願寺跡

満願寺跡満願寺跡満願寺跡

妙寿寺跡の案内標識があったので、予定していませんでしたが行ってみることに。途中道を間違えたものの、なんとかたどり着きました。

■妙寿寺跡

妙寿寺跡妙寿寺跡
妙寿寺跡

先ほどの分岐に戻り麓方向へ下りていくと、尾崎丸。

■尾崎丸

尾崎丸は毛利隆元が本城から移り住んだと伝わる曲輪で、北側は堀切と土塁で画されています。

尾崎丸尾崎丸堀切尾崎丸堀切尾崎丸尾崎丸尾崎丸尾崎丸
尾崎丸

戻って下へ進むとすぐ右に展望スポットとなっている曲輪があります。靄も晴れて街並みを見渡すことができました。

展望スポット展望スポット
展望スポット

さらに下りていくと本城への分岐です。本城へ向かいます。本城までの道はかなりの旧斜面になっていて道があるよなないような。帰りはこれ登るの?と先に覚悟がいるくらい。

本城への分岐本城へ本城へ本城へ本城へ

■本城

本城は、毛利元就が郡山全山を城郭とするまでの毛利氏の本城で、郡山の南東山麓に位置しています。

本城本丸南側の曲輪
本城本丸南側の曲輪

本城本丸
本城本丸
本城本丸

本城本丸から二の丸・三の丸のぞむ
本城本丸から二の丸・三の丸のぞむ

本城二の丸
本城二の丸

本城三の丸
本城三の丸

これでひととおり散策したので麓へ下りていきます。途中に展望台がありました。

展望台展望台

■山麓部(里)

山麓のエリアでは、興禅寺跡(郡山公園)、清神社、三矢の訓跡碑、毛利元就像、元就火葬場伝承地と順にみて、最後は毛利隆元墓所としました。

登城道入口
登城道入口

興禅寺跡(郡山公園)
興禅寺跡(郡山公園)

清神社
清神社

三矢の訓跡碑
三矢の訓跡碑

毛利元就像
毛利元就像

元就火葬場伝承地
元就火葬場伝承地

毛利隆元墓所
毛利隆元墓所

10:30頃、毛利元就公墓所参道駐車場に戻ってきて、安芸高田市歴史民俗博物館へ行き、スタンプと御城印をゲットしました。

安芸高田市歴史民俗博物館
安芸高田市歴史民俗博物館

#72 郡山城スタンプ郡山城御城印

3時間半程度の散策でしたが、くまなく見ることができた気がします。

次の新高山城までは75分くらいです。

広島・山口城めぐりの旅 #2-2 錦帯橋・岩国城

広島城・原爆ドームの次は岩国城です。岩国城は日本三名橋の1つに数えられる錦帯橋とセットで行くべきところ。

12:40ごろ錦帯橋下河原駐車場に着きました。駐車料金は300円。ここから徒歩で錦帯橋を渡り岩国城へ。

■ 錦帯橋 ■

錦帯橋入口でセット券(970円:錦帯橋入橋券、ロープウェー(往復)、岩国城)を買って錦帯橋を渡ります。

錦帯橋下河原駐車場
錦帯橋下河原駐車場

錦帯橋と岩国城錦帯橋と岩国城
錦帯橋と岩国城

錦帯橋入口
錦帯橋入口

錦帯橋
錦帯橋

錦川
錦川

錦帯橋を渡ると数軒お店が並んでいてさらにまっすぐ進むと右側に岩国藩家老香川家長屋門があります。その先の吉香公園には国重要文化財の旧目加田家住宅があり無料で庭から中を見たりできました。

香川家長屋門
香川家長屋門

旧目加田家住宅
旧目加田家住宅

すぐ先に岩国城ロープウェーの山麓駅。ここから山頂駅までは約3分です。

岩国城ロープウェー山麓駅
岩国城ロープウェー山麓駅

岩国城ロープウェー
岩国城ロープウェー

■ 岩国城 ■

P1015776

山頂駅から岩国城へは舗装された広い道か裏手の山道のどちらでも行けますが、石垣など楽しめるのが山道だそうなので山道から。途中舗装道と行き来できる道との分岐があり、さらに進むと石垣が見られます。出丸石垣を左に折れると二の丸石垣を正面にT字路になり、右が北の丸方面、左が二の丸・本丸方面です。

二の丸下の石垣
二の丸下の石垣

二の丸石垣二の丸石垣
二の丸石垣

出丸石垣
出丸石垣

予定しているルートはおおまかに、出丸石垣→本丸石垣→北の丸石垣→北の丸→空堀跡→旧天守台→天守→二の丸跡→大釣井跡なので右の北の丸方面へ。二の丸石垣がしばらく続き、途中から本丸石垣、石垣が切れるあたりが御本門跡(平虎口)。北の丸石垣をめざし、さらに直進したのですが、道を間違えていることに気づき、御本門跡まで戻ってきて。。。

二の丸石垣
二の丸石垣

本丸石垣
本丸石垣

御本門跡(平虎口)御本門跡(平虎口)
御本門跡(平虎口)

マップによれば御本門跡あたりから北の丸周辺散歩道が出ているはずなのですが、そのような道がありません。しばらく探していると、地面に置かれ小さすぎて全く目立たない「北の丸周辺散歩道→」の標識を発見しました。えっ、ここ行くの?というような下にのびている獣道を進みました。

北の丸下の隅櫓台石垣、北の丸下石垣、北の丸石垣と石垣がずっと連なっています。

北の丸周辺散歩道入口
北の丸周辺散歩道入口

隅櫓台石垣(北の丸下)(奥)
隅櫓台石垣(北の丸下)(奥)

北の丸下石垣
北の丸下石垣

北の丸石垣
北の丸石垣

北の丸石垣あたりで問題発生、散策しながら撮影してきた歩き動画が、錦帯橋の途中からスロー録画に!かと言ってまるまる撮り直しはないので、この後のルートは考えながら進むことに。

尾崎は北の丸の下側にある曲輪です。内桝形虎口を抜けて北の丸、すぐ脇に堀切跡。

尾崎
尾崎

北の丸内桝形虎口
北の丸内桝形虎口

北矢倉跡
北矢倉跡

北の丸内桝形虎口
北の丸内桝形虎口

北の丸
北の丸

空堀跡
空堀跡

ということでここから予定ルートを変更し、旧天守台には向かわず、御本門跡方面へ向かい。途中右へ折れ本丸下方面へ。空堀跡にかかる橋の正面は東矢倉(三重櫓)跡。

東矢倉(三重櫓)跡
東矢倉(三重櫓)跡(正面)

空堀跡
空堀跡

本丸下
本丸下

本丸下の土塀越しに錦帯橋など岩国の街並みを一望できます。

本丸下からの錦帯橋
本丸下からの錦帯橋

本丸下から本丸内桝形虎口をとおって、左に天守、正面に旧天守台。歩き動画の必要最低限の撮り直しのため、天守は後にして旧天守台、大釣井(井戸跡)と進みました。

本丸内桝形虎口
本丸内桝形虎口

天守
天守

旧天守台旧天守台
旧天守台

旧天守台と櫓門跡
旧天守台と櫓門跡

大釣井(井戸跡)大釣井(井戸跡)
大釣井(井戸跡)

大釣井からは山頂駅へ向かい舗装道で山道へつながる分岐まで行き、そこから歩き動画を撮り直しながら、北の丸方面と二の丸・本丸方面分岐点へ戻ってきました。二の丸へ。

二の丸方面へ
二の丸方面へ

大手門跡
大手門跡

冠木門
冠木門

二の丸二の丸
二の丸

天守へ向かいます。

天守天守天守天守天守天守天守天守
天守

天守を見終わったあとは、東矢倉(三重櫓)跡と本丸隅櫓跡を見て北の丸下経由して散策終了としました。

東矢倉(三重櫓)跡
東矢倉(三重櫓)跡

本丸隅櫓跡
本丸隅櫓跡

北の丸下
北の丸下

本丸石垣
本丸石垣

岩国城ロープウェー山頂駅岩国城ロープウェー山頂駅から
岩国城ロープウェー山頂駅

ロープウェーで山麓まで下りてきて、駅周辺を少し散策し駐車場へ戻りました。

錦雲閣
錦雲閣

吉香 鵜の里(鵜飼育施設)
吉香 鵜の里(鵜飼育施設)

吉川広家公像
吉川広家公像

錦帯橋
錦帯橋

今日の宿は2時間以上かけて、北広島町にある広島北ホテルです。お風呂は天然療養ラドン温泉です。夕飯はちょっと贅沢してホテルにあるレストラン名水の里でステーキセットにしました。

広島北ホテル
広島北ホテル

IMG_3679

明日最終日は、郡山城と新高山城をめぐる予定です。

広島・山口城めぐりの旅 #2-1 広島城・原爆ドーム

2泊3日の広島・山口めぐりの旅2日目。広島城、原爆ドーム、錦帯橋、岩国城を巡る予定です。

朝食

6:30すぎにホテルで朝食をとり約1時間かけて広島市中央駐車場に着いたのは8時すぎ。駐車場から広島城まではすぐです。

■ 広島城 ■

広島城は広島市にある日本100名城の73番、国の史跡に指定されています。最初に内堀の周りを左回りに一周約1.7kmを散策。

太鼓櫓と二の丸多聞櫓
太鼓櫓と二の丸多聞櫓

本丸石垣
本丸石垣

南東隅二重櫓跡
南東隅二重櫓跡

東面二重櫓跡
東面二重櫓跡

裏御門跡・裏御門外枡形跡
裏御門跡・裏御門外枡形跡

北東隅二重櫓跡
北東隅二重櫓跡

天守天守天守天守
天守

南西隅二重櫓跡
南西隅二重櫓跡

三の丸
三の丸

内堀の周りを一周後、二の丸へ。

■二の丸

内堀にかかる御門橋を渡って二の丸へ。

御門橋
御門橋

二の丸は本丸の南方にある馬出の構造になっている小さい区画で、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が復元されています。

表御門表御門
表御門

平櫓平櫓
平櫓

表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓はつながっていて、平櫓から中に入れますが、9時前なので後で見学します。

多聞櫓
多聞櫓

太鼓櫓
太鼓櫓

二の丸には他に番所跡、井戸跡、馬屋跡や被爆して生き残ったのはこれだけという被爆樹木ユーカリノキがあります。

番所跡
番所跡

井戸跡
井戸跡

馬屋跡
馬屋跡

被爆樹木ユーカリノキ
被爆樹木ユーカリノキ

■本丸下段

二の丸からの橋を渡り中御門跡から本丸の下段へ。

中御門跡中御門跡
中御門跡

被爆した中御門の石垣は赤く変色してひび割れています。

変色した中御門の石垣
変色した中御門の石垣

中御門跡から伸びる石垣に登りました。反対側に南東隅二重櫓跡。

南東隅二重櫓跡
南東隅二重櫓跡

石垣を下りて本丸下段へ。

本丸下段本丸下段
本丸下段

東側の石垣に沿って北へ進むと裏御門跡に出ます。

裏御門跡
裏御門跡

裏御門跡・裏御門外枡形跡
裏御門跡・裏御門外枡形跡

内堀
内堀

階段を上り、本丸上段へ。

■本丸上段

上段北西角に天守、上段一帯は広島藩の役所と殿様の住居を兼ねた本丸御殿跡です。

広島城図本丸上段(裏御門跡から)
本丸上段(裏御門跡から)

広島城とは関係ありませんが、広島に水道が引かれたことを記念して作られた桜の池、日清戦争の際天皇が戦争を指揮する機関だった広島大本営跡、 昭憲皇太后が日清戦争の際滞在した昭憲皇太后御座所跡などもあります。

桜の池
桜の池

広島大本営跡
広島大本営跡

昭憲皇太后御座所跡
昭憲皇太后御座所跡

■本丸(北側)

一旦本丸上段から東側に降りて本丸の北側へ。藩主・福島正則が広島城の無断修復を幕府にとがめられた際に取り壊した石垣の跡である「崩された石垣」、石垣の色々な刻印を見ることができます。

北東隅二重櫓跡
北東隅二重櫓跡

崩された石垣
崩された石垣

石垣の刻印
石垣の刻印

石垣は本丸上段北面多聞櫓(東側)跡、本丸上段北面二重櫓跡、本丸上段北面多聞櫓(西側)跡、東小天守跡、天守と続いています。

本丸上段北面多聞櫓(東側)跡
本丸上段北面多聞櫓(東側)跡

本丸上段北面二重櫓跡
本丸上段北面二重櫓跡

本丸上段北面多聞櫓(西側)跡
本丸上段北面多聞櫓(西側)跡

東小天守跡・天守
東小天守跡・天守

■本丸上段

本丸上段へ戻ります。上段北面石垣の上を西へ進むと東小天守跡。

本丸上段北面二重櫓跡
本丸上段北面二重櫓跡

東小天守跡東小天守跡
東小天守跡

東廊下跡と天守
東廊下跡と天守

■天守

いよいよ天守です。石垣を下りて天守に向かう手前に、撤去した旧天守の礎石がそのまま移されています。

旧天守の礎石
旧天守の礎石

天守と南小天守跡(手前)
天守と南小天守跡(手前)

南小天守跡
南小天守跡

天守の入館料は370円です。入口でスタンプ、御城印はミュージアムショップでゲットしました。カープ版の御城印も!

天守入口
天守入口

ミュージアムショップ
ミュージアムショップ

#73 広島城スタンプ広島城御城印広島城御城印カープ版

天守天守天守天守天守
天守

二の丸の櫓内部の見学に向かいます。

■本丸下段

本丸下段には広島護国神社、太平洋戦争の末期に設けられた中国軍管区司令部の防空作戦室跡もあります。

広島護国神社
広島護国神社

中国軍管区司令部防空作戦室跡
中国軍管区司令部防空作戦室跡

本丸下段
本丸下段

■二の丸

二の丸に戻り、復元建物の見学をしました。こちらは無料です。平櫓から入り、表御門、多門櫓、太鼓櫓とすべて見学できます。

復元建物入口
復元建物入口

平櫓
平櫓

表御門
表御門

多門櫓
多門櫓

太鼓櫓
太鼓櫓

これで広島城散策は終了です。せっかく広島へ来たのだから原爆ドームも少し寄ります。

■ 原爆ドーム ■

広島城から徒歩15分くらいで原爆ドームです。

原爆ドーム原爆ドーム原爆ドーム
原爆ドーム

修学旅行で原爆ドームに一度訪れています。メディアでよく見る平和の灯、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像も見ました。

平和の灯
平和の灯

原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑

原爆の子の像
原爆の子の像

原爆ドーム
原爆ドーム

駐車場へ戻る途中ですが、広島城中堀跡を見つけました。

広島城中堀跡
広島城中堀跡

次は岩国城へ向かいます。