正月3日は毎年我が家の菩提寺へ初詣です。お札をいただき、お守り買って、そのあとお墓参り。
明日から仕事初めです。
松本旅行2日目、昨晩3時ごろまで飲んじゃった。朝風呂のあと朝食。朝食のあとまた寝てしまいました。チェックアウトは12時なので時間的に余裕があって、11時すぎにチェックアウト。
さて今日の観光ですが、松本と言えば松本城ですが、コロナの影響で天守には入れないし行ったこともあるし、市内の観光スポットがことごとくコロナ影響で臨時休館とかしているので、行ったことない大王わさび農場行くことに。
大王わさび農場は安曇野市にある日本一広大なわさび田がある農場でテレビでもよく見る観光スポット。入場は無料ということで良心的です。レストランや体験工房、売店などもかなり充実しているのと、農場の美しい景色もあって散策するにはすごくいいところです。
せっかくなので、わさびのソフトクリームを食べました。すっきりした上品な甘さがよかったです。
次に向かったのは善光寺。松本周辺では全くないですが、知人が善光寺行ったことないというので。自分は善光寺好きなので何度も行ってます。
善光寺をお参りする前に、境内を通って門前へ。尾張屋というお蕎麦屋さんで遅めの昼食としました。
善光寺といえばお戒壇巡り。コロナの影響で中止しているんじゃないかと心配でしたがやってました。三連休中だというのにお戒壇巡りもがらがらでした。
今日は2か所の観光でしたが、共通して言えるのは中国人観光客が全くいなかったということ。最近はどこ行っても中国人観光客が群れてわいわいしてるのが当たり前でしたが、久しぶりに静かに観光を楽しめました。
帰りは高速で帰ってきましたが、一人当たり14000円程度の旅行でした。
さて2日目、シンプルだけどおいしい朝食と朝風呂のあと、久遠寺へお参りしました。
久遠寺(くおんじ)は、山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の総本山です。自分はお寺お参りしたときに般若心経を読むので、読まない日蓮宗のお寺はあまりご縁がないんですね。四国八十八ヶ所や、日本百観音(西国、坂東、秩父)の霊場もそういう関係で日蓮宗のお寺はないんです。
駐車場から境内までは歩いても行けますが、無料の斜行エレベーターで。
エレベーターからは奥之院のある身延山が見えます。
エレベーターを降りるとすぐ境内で大きな本堂、その対面に五重塔。
五重塔の先は三門へ続く長ーい石段。本来なら歩いて登ってこないといけないですよね。三門の写真を撮りたかったので、一度降りてこようかと思ってましたが、実際見てやめました。
境内はすごく大きいです。
本堂の隣の棲神閣祖師堂は日蓮聖人像が安置され申し込みにより開帳されるそうです。
お堂の中には報恩閣が入口になっていて、ここで御朱印をお願いします。
お堂はみな廊下で結ばれていて、かなりのお堂をめぐることができて、その広さに驚きます。
次は身延山ロープウェイで身延山頂にある奥之院思親閣へ。ロープウェイは往復1500円です。
仁王門の手前には日蓮聖人お手植杉が。父妙日・母妙蓮、御師道善坊の追善のために日蓮聖人が植えられたものと伝えられています。
思親閣祖師堂は“親を思うお堂”という意味で名付けられているそうです。
祖師堂の先には展望台があり、素晴らしい眺望でした。
富士山もひょっこり頭を出していました。
ロープウェイ降りて最後はクルマで三門まで戻ってお参り完了です。
さて後は帰るのみ。その前に昼飯。
河口湖町にある食事処 まるきゅうさんで。
帰り道、突然現れた富士山東口本宮富士浅間神社へ立ち寄りました。
富士山本宮浅間大社(富士宮市・富士宮口)、北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市・富士吉田口)等と共に、富士山登山道の麓に鎮座する神社のひとつです。
ということで今回の旅は終了ですが、Fくん宅に着いてから駅前の居酒屋で飲みました。電車で行くとこういういいことがあるんですねぇ、次からも電車になりそう。
令和元年を迎えました。令和初めての食事は温泉宿の朝食なんですが、昨晩飲んでたので、令和初めて食べたものはジャーキーカルパスでした。
宿はこんな佇まいです。温泉宿というより、ペンションですが、女将さんに聞いたことによると、この建物を購入して今の宿を始めたとのこと、その前はきっとペンションだったんですね。
池の平温泉は妙高山のふもとにあります。
宿は禁煙なので玄関口で一服したときにちょっと周りを散策してみました。場所・時期的に水芭蕉とか咲いてないかなぁと見渡してみると、咲いてました!なんだか得した気分。
さて、今日ですが妙高近辺には観光スポットが少ない、いえ、あるんですが、自分たち好みのがないので、上越市にある林泉寺に行くことにしました。林泉寺は曹洞宗のおてらで、7歳から7年間過ごした上杉謙信公ゆかりのお寺として知られているそうです。拝観料は500円。
惣門は春日山城の搦手門が移築されたものといわれています。
山門は江戸時代に失われ、大正時代に再建されたものです。
とてもきれいな境内です。境内奥左手に御墓所入口があり、登っていくと上杉謙信公の御墓もありました。
宝物館には謙信公にゆかりのある沢山の品々が展示されています。こちらで御朱印もいただけます。
御朱印はご本尊の釈迦牟尼仏。期せずして令和元年皐月壱日の御朱印となりました。
空模様もあまりよくないし、帰りの混雑もいやだなということで観光はここのみとして帰路につきました。
松井田妙義ICで高速降りて、昨日のリベンジです。麺屋 なんなんに行ってみると今日はやってました。なんなん塩ラーメン、これ、多分前回もいただいたやつです。多分、自分は塩ラーメンが一番好きなので、とても満足。チャーシューも柔らかく、細麺がまたいいです。
安中からはずっと下の道で帰ってきましたが、自宅についたのは16:30ごろ。ほんとは、この後飲みに都内に出ようかと思ってたんですが、いざ家に着いちゃうと、もう外に行く気はしませんでした。
ホテルを出発して向かったのは予定通り日本寺、そう、鋸山にある大きな寺院です。日本寺は約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けて、行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。以前からテレビなどで知り、一度来てみたいと思っていた場所です。
山の斜面が境内となっていてとても広い境内で、低いところから、表参道エリア、中腹エリア、大仏広場、羅漢エリア、山頂エリアとなっていて、ロープウェイで登る方法もありますが、今回はクルマで行って駐車場にとめて登ることになりました。クルマで行くとなると、よく調べないと有料道路を使うことになりますが、無料の鋸山観光自動車道というのもあって、そこを使えば中腹の入口に行ける駐車場も無料です。
大仏(薬師瑠璃光如来)です。
大仏広場にある売店で御朱印をいただけます。
羅漢エリアにはたくさんの羅漢像が。中にはなぜでしょう、首のない羅漢像が並んで座っているところもありました。
そして目指したのは地獄のぞきです。山頂エリアまでひたすら登っていくような感じで相当疲れます。そしてこのあいにくの天気。おそらく絶景は見られないでしょう。
横から見るとこんな感じ。霧でぼんやりです。
ほんとなら恐怖すれ覚える場所、だから地獄のぞきと言われているんでしょうけど、今日は地獄というより天国のような感じです。あー、晴れた日に見てみたい。
ということであと見どころとしては百尺観音がありますが、皆の足腰の負担を考えて?山を下りました。
昼飯は金谷港にあるザ・フィッシュというレストラン。
天ぷらセットにしましたが大きな穴子が入ってます。
ということで帰路につき、蘇我駅で解散、自宅に着いたのは20時ごろでした。今度また鋸山リベンジします。
今日はFくんと新潟の弥彦温泉と寺泊あたりをめぐる一泊の旅行です。今回のクルマはFくんのピカピカの新車Fozzyです。
途中、越後川口SAで鶏のわっぱご飯の昼飯。旅館の夕飯に備え少なめの量を狙って正解でした。
■椎谷観音堂
どこで観光するかは、その場でサーチ。Fくんが見つけたお寺がよさそうということで向かったのは柏崎にある椎谷観音堂でした。写真の上はGoProの動画切り出し、下はD800。D800が旅についてきたのはもう何年振り?
ということで椎谷観音堂とは?案内板からの引用です。
今より千二百余年の昔、嵯峨天皇の弘仁二年(八一一)のこと、当椎谷の海に毎夜不思議な光が現れました。村人達は何の光かと思い、網を下ろしますと正観世音菩薩の御像が上がりました。村人達は山の上に立派な御堂を建て、御像を安置しました。
それから八〇〇年余の寛永元年(一六二四)の冬、山伏がこの御堂に泊まり、暖を取るため仏像などを燃やし、本尊様をも燃やそうとしました。するとその瞬間轟然たる大音響、百雷が一時に落ちたかと思われる様な恐ろしい音がし、御堂は焼け落ちてしまいました。御堂に行き火を消し本尊様の御像を探しましたが見当たりません。
ちょうどこの時、佐渡の国羽茂郡宿根木村の丸山治久という人が有りました。最早五十歳になるのに子どもがありません。そこで遥か海を隔てた椎谷の観音様のご利益を信仰し、何卒男の子を授け賜えと一心にお願いし、観音様のお告げを蒙って可愛らしい男の子を授かりました。名前を忠三郎とし、それはそれは大切に育てました。この忠三郎さんは僅か二歳か三歳で最早立派に読み書きが出来る世にも稀な天才児でした。治久さん夫婦はいよいよ可愛がって育てます内に、寛永七年となり忠三郎さんが七歳の正月十七日、別段苦しむ様子もなく眠るように息絶えて死んでしまいました。葬儀を営むこととなり、時にお母さんが今一目と御棺の蓋を取ってみると、御棺の中には忠三郎さんの影も形もありませんでした。
お母さんが不思議なことに思われて
玉手箱 両親ここに 置きながら 掛子は抜けて 何処なるらん
と詠まれました。すると何処からともなく
吹き散らす 風にうらみは 春の花 紅葉の秋に 一葉残らん
と言う返歌がありました。
忠三郎さんが死なれた前夜、椎谷観音堂の住職の夢に観音様が現れ「我は佐渡の丸仙治久が切なる願いに答えて、彼が一子忠三郎となって生まれたが、今又帰る時節が来たので当山に帰るであろう」というお告げがありました。翌日山に登り御堂を開いてみますと、昨日まで居られなかった本尊様がお帰りになられました。今この御本尊様を秘仏として、住職一代に一回の御開帳としています。
現在の御堂は明和七年(一七七〇)のものです。
ということで観音堂は茅葺屋根の綺麗なお堂でした。
観音堂は海沿いにあって、ちょっとした駐車スペースと展望台。そこから遠くに佐渡島が望めました。
観光の後は買い出し後宿へ。今日の宿は四季の宿みのやさんです。いつも泊まるようなこじんまりした旅館とは少し違って、かなり大きな宿でした。ということで今日の夕食。
量は少なめというプランですが、酒飲みにはちょうどいいし、飲まなくても十分かな。大き目の旅館ですが、清潔だし無線LANもあって便利、当然ウォシュレットと足りないものがない充実感があります。なんといってもうれしかったのはお風呂。最上階に温泉と露天風呂があることはわかってたんですが、大好きなサウナまでありました。
明日は弥彦神社にお参りして寺泊でも行こうかという感じです。
いつも正月の3日に檀家のお寺に初詣に行くので今日もその予定でいたのですが、なんだか体の調子が悪い。のどは痛むし、悪寒がすごく、どうやら熱もありそう。
ということで今日は行くのをやめようかと思ったんですが、薬のんだら少しマシになったので、このマシな間に行ってしまおうといってきました。
今日から一泊で長野の戸倉上山田温泉旅行です。もともとは人知れず佇むお寺などを訪れて写真を撮るというのがなんとなくの目的だったFくんとのカメラ旅行ですが、いつしか温泉行ってうまいもの食って飲んでという飲み会の延長と化した旅行となってます。
途中、横川のおぎのやで昼食。Fくん、おぎのや知りませんでした。自分的にはおぎのや来たら当然釜めしです。おっきりこみとのセットを食べました。ちなみにFくんは上州もち豚カツカレーでした。
食事のあとは観光スポットをFくんが検索しつつ、とりあえず温泉に向かいます。上田市まではまったく雪の気配すらなかったのに、その先は急に雪景色っぽくなってきました。温泉地に近づいたところで、今日訪れるスポットが決定し、そこに行ってから宿へ向かうことに。
訪れたのは、信濃三十三観音霊場第14番の長楽寺です。すっかり雪景色でスタッドレスでよかったと思えるくらい雪国と化してました。せっかくの観音様なのに、自分もFくんも御朱印帳持って来てません。すっかり飲み会の延長であることがここでもはっきりしてしまいました。
さて、今日の宿は湯本柏屋さんです。初代がこの上山田温泉を開湯したということで、それならここに泊まるしかないでしょというくらいなわけですが、これが2食ついてても10000円しないというびっくりなお宿。食事も文句なしでおいしいです。
夕飯後はちょっと温泉街を散策してみましたが、女将さんいわく、インターナショナルにも楽しめますとのこと、言ってみて意味が分かりました。温泉街というより、歓楽街という方がイメージが合うかな。