「霊場」カテゴリーアーカイブ

大晦日の振り返り

大晦日です。ということでこの一年、思い出すままに順不同で振り返ってみたいと思います。

1.旅行

今年も結構旅行に行けたと思います。山形旅行2回、四国八十八ヶ所霊場をお参りするための四国旅行6回、湖北五山、下呂温泉、100名城塗り潰しなど一泊旅行は11回、それ以外にも日帰り旅行も。旅行のために休暇を取り、無駄な休暇は取らなくなりました。特に今年は、四国八十八ヶ所霊場のお参りを最優先としたおかげで、今年は11番から64番まで回ることができました。

2.徳島空港管制ミス

四国八十八ヶ所霊場をお参りするのに、自動車じゃ埒があかないということで初の国内線フライトで経験した徳島空港での管制ミスによる重大インシデントとなった飛行機に搭乗したこと。このとき機内から着陸時の動画を撮影していたので、それをTBSに送ったらニュース番組で放映されたのはビッグなニュースでした。その動画はyoutubeでも公開しています。

3.カメラ

今年はカメラの環境に関しては動きがありました。1月にnikonのCOOLPIX P340というミドルクラスのコンデジを買い、2月にはハイエンドコンデジのPanasonic LUMIX DMC-LX100を、さらに4月にはスーパーズームデジカメのnikon COOLPIX P610を購入しました。

そして7月はカメラ環境の大きな転換期となりました。これまで愛用してきたnikonのフルサイズ機D800のレンズ3本を売りに出し、そのお金でPanasonic LUMIX DMC-G7とレンズ4本、8月にレンズ1本を購入、マイクロフォーサーズ環境にシフトしたのでした。

そうは言っても、D800とレンズ2本はまだ手元でお休み中です。マイクロフォーサーズでは撮れない画は当然あるし、そうそう買えるもんじゃないですしね。

4.れくた君売却

2年半連れ添ってくれたれくた君こと、CT200hとさよならしました。48000キロと地球一周分以上も走ってくれたので元気なうちに里子に出す気分です。来年IS300hを出迎えるということで、今はキューブ、アリオンと代車乗り継ぎ中です。

5.腹筋マシン

1月4日にマルチコンパクトジムNeo、つまり腹筋マシンが届きました。それ以来なんと驚くことに、家にいる日は一日たりとも欠かさずに腹筋を継続できてしまいました。1年やれば腹割れるかなと期待はしたものの、割れるならこの辺という筋が分かる程度まで。最近は少し負荷を上げました。それでも継続は力なり。今後も続けます。

6.4Kとyoutube

カメラ環境の変化によって、4K動画を撮影、編集、youtubeへアップするというマイブームが来ています。撮影技術も乏しく、完全な自己満足の世界。それでも動画日記の代わりとも考えており、確かに動画だと後から観る回数も多いですし、現地のことを頭の中で立体的に思い出したりできるので、飽きるまでは続けたいなと思っています。

7.タイムシフト生活

全録マシンのレグザサーバーD-M430を6月に購入してから、これまでのテレビ生活が一変しました。6チャンネルを一日23時間(1時間はメンテ時間のため録画できないので)、約1週間分が録画できるため、リアルタイムでテレビはほとんど見なくなり、録画された番組表から見たいものを選んで見るパターンに完全に移行してしまいました。おかげで見逃した!ということがほぼなくなり、見る番組も感覚的に3倍以上になっていると思います。もう、もとの環境には戻れません。

8.サーバー移転

8月に自サイトのなかもび!のデータを誤ってすべて消してしまったことに気づいたことを機に、お名前.comのSD共用サーバーのからXSERVERへサーバーを移転しました。DBのバックアップを取っていないという仕様が意味ないからです。それとほぼ時を同じくして、現在のnakamo.topが誕生しました。

9.1R資産売却と自宅繰上返済

所有物件の1Rマンションをひとつ売却して、そこで出た利益を自宅の繰上返済へ充てました。これにより、今後のボーナス時返済は半分の金額とできました。老後を考え出した昨今、いかにして60歳を迎えるかがプレッシャーとなってきています。

10.父七回忌

今年は父の七回忌がありました。早いもので丸6年たったということです。そう言えば伯父がなくなり、京都へ行って久しぶりに母方の従妹にも会いました。

ということで、まだ思い出していないことも多々ありそうですが、旅行とカメラと4Kが今年の三大キーワードだった気がします。

お世話になった皆さま、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

お遍路さんの旅 7-4

二日目の今日は、昨日一つ予定より巡れたので、朝は少しだけゆっくりしてしまいました。それでも7:15出発なのでかなり頑張っています。ということで今日は58番からです。

第58番 作礼山 千光院 仙遊寺

仙遊寺は高野山真言宗、本尊は千手観世音菩薩です。天智天皇の勅願により伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立しました。本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、海から上がってきた竜女が彫ったとされます。のちに弘法大師が四国霊場開創の折に訪れ、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、荒廃していた七堂伽藍を修復して再興しました。

7:39に到着しました。当初の予定では07:55に58番なのでまだ余裕があります。境内は月曜日の朝ということもありとても静かです。紅葉も美しい。このお寺ではご本尊の千手観音像を拝顔できます。

7:14、59番へ向かい出発、山門は下の方にあるので、忘れずに写真を撮りました。

■第59番 金光山 最勝院 国分寺

国分寺は真言律宗、本尊は薬師瑠璃光如来です。聖武天皇の勅願により行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられます。のちに何度も兵火により堂塔を焼失し荒廃しました。本格的な復興は江戸時代後期からだそうです。

8:32に到着です。境内にある薬師のつぼは病気平癒を願ってご真言を唱えながらなでると、薬師如来のご利益があるそうです。ここで一旦お遍路さんは休憩、今治城へ向かいます。

■今治城

今治城へは9:13に到着しました。当初予定よりも35分程度前倒しです。見学所要時間の目安は80分としていますが多少余裕ができました。今治城日本100名城に選出されており、別称「吹揚城(吹上城)」とも言います。天守を始めとする建造物はすべて復元・再建されたもので、再建天守は当初の建築の実在について明確な資料が少ないため史実に基づかない模擬天守で、内部は展示室と展望室になっています。
一方石垣と内堀はほぼ江戸時代の姿を残しています。まずは天守入口にて日本100名城スタンプをゲット。展示室は撮影不可となっているので三脚とミラーレス一眼は受付にて預かってくれるとのこと。展望室での撮影だけならコンデジで充分です。

最上階の展望室からは三連つり橋である来島海峡大橋なども眺めることができます。室内にはスタンプラリーの案内。スタンプラリーで天守、山里櫓、武具櫓、御金櫓に設置されたスタンプを全て揃えると粗品がをもらえるということです。粗品ってなんだろうと期待したのですが、絵はがきでした。武具櫓から多聞櫓までの一連の内部は撮影可とのことなので、動画はiPhone 6s Plusにしてみました。画質はそうでもないのですが、Plusの光学手ブレ補正はかなりいいいう印象を持っています。ということで、建物内部の映像は頑張ってもらいました。

見学はほぼ2時間となりました。計画通りの11:10に出発して次は60番です。

■第60番 石鈇山 福智院 横峰寺

横峰寺は真言宗御室派、本尊は弘法大師作と伝えられる大日如来です。役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていた際に、山頂付近に現れた蔵王権現の姿を彫り、小堂を建てて安置したのが始まりとされています。弘法大師がこの寺で厄除けと開運祈願の星供養の修法をしたのは大同年間とされ、このときやはり蔵王権現が現れたのを感得され堂宇を整備し霊場としました。

12:11に到着。ここは四国霊場では3番目の高地にあり、「遍路ころがし」の最難所。林道が完成した現在は境内から500m離れた駐車場までクルマで行くことができますが、この林道は往復1800円必要です。クルマでさえ難所だなぁと感じるくらいなので仕方ありませんね。駐車場から境内へは山道を下がっていきます。これはきっと帰りは疲れるぞと覚悟しながら降りていくと大師堂の方から境内に入る形になります。その先に本堂、その右下に納経所。納経所をさらに進んで下がっていくと山門があります。

12:58、駐車場から境内までの見積もりに余裕を取りすぎたおかげで予定より20分早く出発、次の61番へ向かいます。

■第61番 栴檀山 教王院 香園寺

香園寺は真言宗御室派、本尊は大日如来です。用明天皇の病気平癒を祈願して子である聖徳太子が建立したという屈指の古刹です。のちに弘法大師が訪れ、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて霊場に定められました。

13:27と35分以上も早く到着しました。他の霊場と大きく異なる印象を持つのが近代的な大聖堂で、本堂と大師堂を兼ねています。2階に本尊と大師像が祀られていますが、その前面には椅子が並べられ、講堂、あるいは教会のような感じを受けました。

安産、子育ての信仰が厚く、大聖堂の右手前には背中にゴザ、右手に錫杖、左手に赤ん坊を抱いた子安大師像が祀られています。

1411、30分前倒しで次の62番へ向かって出発です。

■第62番 天養山 観音院 宝寿寺

宝寿寺は高野山真言宗、本尊は十一面観世音菩薩です。天平のころ聖武天皇の勅願を受けて大和の僧・道慈律師が創建したのがはじまりとされます。当時は「金剛宝寺」と称し、現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったそうです。弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間で、聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を刻み本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改め霊場とされました。

14:14に到着、35分前倒しです。みどころとしては山門を入った左手にある道標で、真念が建てたものだそうです。

14:34、55分前倒しで次の63番へ向かって出発です。

■第63番 密教山 胎蔵院 吉祥寺

吉祥寺は真言宗東寺派、本尊は毘沙聞天です。弘仁年間にこの地を訪ねた弘法大師は、1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得し、この霊木で毘沙聞天像を刻み、貧苦からの救済を祈願して堂宇を建立したのが始まりとされます。

14:40に到着。みどころとしては成就石という穴の開いた石があり、この石の穴に、金剛杖を通すと願いが叶えられるそうですが、飛行機&レンタカーの身である自分は金剛杖はありません。。。

さて、いよいよ今回最後の第64番へ向かって15:10出発です。1時間も早い。。

■第64番 石鈇山 金色院 前神寺

前神寺は真言宗石派の総本山、本尊は役行者作と伝えられる阿弥陀如来です。修験道の祖・役行者小角が石鎚山で修行中に釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済するために石蔵王権現となって現れたのを感得し、その像を彫って安置し祀ったのが始まりとされます。弘法大師は若い空海のころ、この石鎚山に2度入山し、虚空蔵求聞持法や37日におよぶ護摩修法、あるいは三七日(21日間)の断食修行をしたそうです。

15:16に到着。石鎚山は山岳信仰の山として崇拝される日本七霊山の一つであり、修験道の根本道場でもある寺のその境内は広く、ピーンと張りつめた緊張感をなんとなく感じました。法螺貝の音が鳴り響くのも聞けたりして、いかにも修験道という趣を感じることができました。

ということで16:06、1時間以上の前倒しで、だいぶ時間がありますが、65番は離れているため行くことはできません。ということで高速を使わずに松山を目指すことにしました。それでも到着予定時刻は45分位まど早い感じです。結局時間つぶしに空港通り越してセルフのガススタで給油した後ちょうどいい感じで混雑してて18:.03に日産レンタカーに到着しました。

18:10には松山空港です。土産物など見ているとバリーさんのワンカップを見つけました。このワンカップになったゆるキャラグッズは一番です。とにかく安い!ふっかちゃんもワンカップありましたがやはり凄く安かったですし。

飛行機は18:20、少し遅れての出発、20:40羽田に到着しました。この後はここ最近のパターンで、21:50過ぎに上野の酔虎伝でお疲れ様の一人飲み。今日は着くまでにメニュー決めときました。イノブタしゃぶしゃぶ、キャベツ、焼きおにぎりでした。

今回の旅、ちょっと計画に余裕を持たせ過ぎましたね。1日目、2日目ともに大幅に時間が余ったことになりました。はやりコンパクトな境内のお寺だと標準参拝目安として意識している35分は長すぎるようです。この辺は次回30分かな。

お遍路さんの旅 7-3

さて悩んだ結果ですが、夕飯は結局このホテルの御膳の方がいいという結論を出しました。でもまだ少し時間が早いのでフロントで夜御膳の予約だけしてそのまま夜の今治城散策へ。ホテルからは8分位と近くて便利です。今治城は模擬天守ということですが、四方を堀で囲まれライトアップされた様はいいねぇという感想です。夜でも敷地内は入れるようなので夜の今治城を堪能しました。いいなぁ、こういう場所がある所って。近くにあったら夜とか散歩とかジョギングとかしたいなぁという気分になります。

ホテルに戻り夕飯です。予約した夜御膳は月コースのミニ懐石。目玉は鯛の兜煮と、鯛飯の釜飯。それ以外は日により変わるようですが、牛の冷しゃぶと焼物の海老から始まりました。そして鯛の兜煮ですが、もうそれは美味でした。これ食べただけで夕飯の選択は正しかったと思わされました。そして炊き上がった鯛の釜飯。これで1600円なのか!ファミレスのちょっとしたセットと同じ値段?大満足でした。酒飲みとしては量もベスト。前も書きましたが料理豪華なのはいいけど量が多過ぎがちな旅館が多いので出す側も自分が食べられる量出そうよ、と思うのでした。

部屋に戻りとりあえずお風呂。今日は和室ですがここは大浴場はないので部屋のユニットバス。でも入浴剤がついてるのです。ということでせっかくなのでユニットバスでお湯張りました。時間はかかりましたがユニットバスでもお湯張れば気持ちいい!次からはどこ行ってもお湯張った方がいいなと思います。

話は変わりますが今回先日入手したiPad Airを持ってきました。いまどきホテルではWIFI使えるので、接続しましたがやっぱりiPhoneとは使い勝手が違います。ネットも今日撮った写真や動画も楽しめて最高。で忘れ物に気づいてしまいました。そうです、同じく先日入手したばかりのJBL GO、スピーカーです。あれだけ小さくて軽いと荷物にもならないのに、全く朝の準備にも頭に浮かびませんでした。次は忘れずに!

忘れ物といえばもっと大事なものを忘れていました。数珠です。先日の叔父のお葬式に行った時頭陀袋から出してそのままでした。ごめんなさい。お許し下さい。

ということで、明日は予定の一箇所今日行けたので55分の余裕ができました。55分遅く起きるか、ちゃんと起きてバッファーにするか、それは明日の朝次第です(^^)

お遍路さんの旅 7-2

11:25に松山空港に着きました。10分の遅れです。向かい風の影響もあってということですが、このあとの予定にどう影響しますか。かなり綿密に計画しているつもりなので、この10分は意外と大きいのです。

11:38、日産レンタカーが送迎にきて、店舗に着き今日の相棒のマーチ、ん?あれ?今日はノートなのね。そして受付はさっさと終わりました。これなんです、トヨタ車乗りの自分がトヨタレンタカーではなく日産レンタカーを選ぶ理由。受付が早い!トヨタレンタカーは次の予定を気にする身にはイライラするほど待たされたりします。まあ、確かにクルマの装備はトヨタの方がいい感じではありますが。待たされるのはねぇ。受付5分で済んで、52番に向けて11:48出発です。

■第52番 龍雲山 護持院 太山寺

太山寺は真言宗智山派、本尊は十一面観世音菩薩です。開基とされる真野長者が商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音様に祈願したところ、高浜の岸で救われました。この報恩にと一宇の建立を大願し、夜を徹して一夜にして建立し以来「一夜建立の御堂」と伝えられています。その後、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が十一面観音像を彫造し、その胎内に真野長者が見つけた小さな観音像を納めて本尊にしたといいます。のちに弘法大師が訪れ、法相宗から真言宗に改宗したそうです。

12:11に到着しました。何かイベントなどがなければ三の門下まで行けるというので行ってみました。停められない場合は結構離れた駐車場に停めることになります。運良く三の門下の駐車場に停めることができました。これで時間短縮です。

こちらでの見どころはなんといっても国宝の本堂で鎌倉時代に建てられた入母屋造本瓦葺きで県下最大の木造建築だそうです。そして重要文化財の二の門(二王門)。こちらは入母屋造本瓦葺き八脚門で鎌倉時代のもの。庫裏よりもっと下、つまり駐車場へ向かう途中にそびえています。

納経所では外国の若者が何やら聞いていました。相手しているのは60くらいでしょうか、納経所のおばさまなのですが、なかなか話が成り立ってないようだったので、お付き合いさせてもらいました。でも結局自分も分からなくてダメでした。英語の勉強頑張んなきゃ

11:54、53番に向けて出発です。

■第53番 須賀山 正智院 圓明寺

圓明寺は真言宗智山派、本尊は行基菩薩作と伝えられる阿弥陀如来です。聖武天皇の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を刻み、七堂伽藍を建立したのが始まりとされています。のちに弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興、鎌倉時代には度重なる兵火で衰え、土地の豪族・須賀重久により現在地に移されたそうです。

13:00に到着、予定より10分前倒しです。みどころはキリシタン石塔(マリア観音像)で、大師堂左の塀ぎわにある高さ40cmほどの灯籠です。キリシタン禁制の時代、この地方には信者が多くいて寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたことを偲ばせます。

13:22出発と予定より23分も前倒しです。確かにこじんまりした境内でしたが、今回動画撮影も割り切りが必要と意識していることもあってか22分で参拝を終えました。これは今まででも相当早い方です。先にお参り、納経したのち、まとめて撮影としたのが良かったのかもしれません。

■第54番 近見山 宝鐘院 延命寺

延命寺は真言宗豊山派、本尊は行基菩薩作と伝えられる不動明王です。聖武天皇の勅願により行基菩薩が不動明王像を彫造して本尊とし開創されました。のちに弘法大師が嵯峨天皇の勅命をうけ再興、その後、再三火災に遭い堂宇を焼失しましたが、再興をくり返し、本尊とともに現在地へ移されたといいます。

14:16、29分前倒し拡大で到着しました。

駐車場から境内へ向かうところにある総けやき造りの山門は今治城の城門のひとつで、明治時代に今治城を取り壊したときに譲り受けたものだそうです。その山門をくぐると「御本尊仮安置所」の立て看板が。みると本堂屋根改修工事のための仮本堂が納経所の手前にありました。近見二郎と近見三郎と名の付いた二つの鐘楼がなんか面白いと思いました。

一番で買った蝋燭がそろそろなくなってきて今回参拝分まで持たないため買いました。31分前倒しの14:49、55番へ向かって出発です。

■第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊

南光坊は真言宗醍醐派、本尊は大通智勝如来です。伊予水軍の祖といわれた国主・越智玉澄公が、文武天皇の勅をうけて大三島に大山祇神社を建てた際、法楽所として24坊の別当寺を建立したことが始まりといわれています。のちに行基菩薩が24坊のうち8坊を「日本総鎮守三島の御前」と称して奉祭、さらに弘法大師がこの別当寺を霊場に定めたそうです。のちの「天正の兵火」により焼失しましたが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興されました。

15:00、35分前倒しで到着です。

駐車場は境内の中になっており、境内自体は広々しています。まずは山門から。四天王が守護する大型の楼門で南光坊の別称「日本総鎮守三島地御前」の扁額が掲げられているます。外側と内側の四箇所に持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が祀られていました。

納経所の人がとても気さくな方でどちらからということで埼玉と答えると、次から次へと埼玉の市の名前が出てきてビックリです。軸のケース用の名札書いてくれたり写真撮ってくれたりととても楽しい時間を過ごさせて頂きました。一人で回ってるとこういうのは凄くうれしいものです。

15:35、56番へ向かって出発です。

■第56番札所 金輪山 勅王院 泰山寺

泰山寺は真言宗醍醐派、本尊は弘法大師作と伝えられる地蔵菩薩です。弘法大師が蒼社川の人命を失う悪霊のたたりと信じられていた水難を、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法しました。満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願の成就を告げたといいます。大師は、この地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩を彫造して本尊とし堂舎を建てました。一時は巨刹として栄えましたが度重なる兵火により縮小し、現在地の大師お手植えの「不忘の松」があったところに移ったと伝えられています。

15:44に到着。境内はとても整然とした雰囲気です。本堂斜め前には地蔵車とよばれる、石塔に丸い輪があり、これを回すと六道輪廻の絆を断てるそうなので、回しておきました。不忘の松もみどころとされていて、大師堂の側にあった松ですが今は切り株だけが残っていて、これにに腰をかけると腰痛に霊験あらたかだそうです。しかしながら切り株が分かりませんでした。まぁまだ腰は痛いことはあまりないのでよしとしましょう。

ということで時刻は、16:14。予定よりも41分も前倒しになったことで明日行く予定の57番へ行くことにしました。

■第57番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺

栄福寺は高野山真言宗、本尊は阿弥陀如来です。嵯峨天皇の勅願により、大師は内海の風波、海難の事故の平易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法されました。その満願の日、風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂い、この阿弥陀如来の像を府頭山頂まで引き揚げて堂宇を建て、本尊として安置したのが始まりだそうです。

17:20に到着です。境内には紅葉が映えていました。まだ四国は紅葉真っ只中の印象があります。見どころとしては少年の箱車。足の不自由な15歳の少年が、犬に引かせて巡礼した箱車で、この寺で足が治ったそうです。箱車には千羽鶴のお供えが沢山されていました。

今日のお参りはここまで。16:50、ホテルに向かいます。途中買い出ししてホテルには17:22到着。お宿はホテル菊水今治です。チェックインして夕飯は今治の焼鳥にするか、それともホテルの夜御膳にするか考え中です。

次のお遍路さん予約

大まかに計画ができたところで次のお遍路さんの予約完了です。36500円のところクーポン1500円引とリクルートポイント5000ポイント充当して、丁度30000円です。

出発日は12/6でじゃらんJALパックのレンタカー付き。今回は日産レンタカーが予約出来、マーチの喫煙車、宿はホテル菊水今治の素泊りプランです。

次のお遍路さん計画

そろそろいつ行くかは別として次のお遍路さんの計画を立てなきゃと検討し始めました。

52番からと今治城がマスト。宿泊先は今治周辺が候補です。広島からしまなみ街道経由で今治に入るのもアリかと思いましたが観光するわけではないので。

一通り計画を立ててみると、香川よりの愛媛最後の65番札所が時間的に無理そうです。となると少し時間が余る感じなので何か別のスポット入れなきゃというところで今日は終了。

お遍路さんの旅 6-3

お遍路さんの旅の第6回目の二日目です。今日は46〜50番と大洲城、湯築城、松山城に行く計画です。6:15に起床、6:50にホテルを出発、まずは46番へ向かいます。今日はかなり余裕のある時間取りなので20分遅れですが問題ありません。

■第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺

浄瑠璃寺 御朱印浄瑠璃寺 御影浄瑠璃寺 記念御影
浄瑠璃寺 御朱印・御影
浄瑠璃寺 本堂
浄瑠璃寺 本堂
浄瑠璃寺 大師堂
浄瑠璃寺 大師堂
浄瑠璃寺 説法石
浄瑠璃寺 説法石

浄瑠璃寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、布教に訪れ伽藍を建立、白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍の日光・月光菩薩、十二神将を刻んで安置し開基したとされます。その後弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復、四国霊場の一寺としたといいます。

12分遅れの7:12に到着です。今日は雨は残らない予報だったと思うけど、少しまだ降っています。今日の一番目の参拝者となりました。そんなわけで境内はとても静か。説法石は「おかけ下さい おしゃかさまが説法され修行されたインドの霊鷲山の石が埋め込んであります」と書かれているけど、あいにくの雨で濡れてて座れませんでした。

10分遅れの7:45、次の47番へ向かって出発。

■第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺

八坂寺 御朱印八坂寺 御影八坂寺 記念御影
八坂寺 御朱印・御影
八坂寺 本堂
八坂寺 本堂
八坂寺 大師堂
八坂寺 大師堂
八坂寺 救いの手
八坂寺 救いの手

八坂寺は真言宗醍醐派、本尊は恵心僧都作と伝えられる阿弥陀如来です。修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられ、1300年の歴史を有する古刹です。文武天皇の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立したとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来するそうです。その後弘法大師が荒廃した寺を再興して霊場と定めました。

八坂寺 いやさか観音
八坂寺 いやさか観音
八坂寺 山門
八坂寺 山門
八坂寺 閻魔堂
八坂寺 閻魔堂

8分遅れの7:48に到着です。

まずは駐車場の端にあるいやさか観音を参り、屋根付き橋のようになった単層小型の山門から境内に入ります。山門は天井には絵が描かれている極楽橋です。本堂前の石段の手前左側には、鎌倉時代に作られた宝筺印塔があり寺宝とされています。そして本堂に上がる石段の下から10段目の左側には「九難を去る救いの手」と言われる手形があり、足や目の病気にご利益があるそうです。本堂と大師堂をお参り後は、その間にある閻魔堂へ。左に地獄の径、左に極楽の径。トンネルのようになっていて、それぞれ地獄絵と極楽絵が壁に描かれています。

10分遅れの8:25、次は一旦お参りはお休みして、前回行くことを諦めた大洲城へ向かって出発。

■大洲城

大洲城は、鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって修築され、伊予大洲藩の中心として城下町は繁栄したそうです。明治維新後ほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、その後老朽化により天守は解体されました。その後、地元住民の城郭への保護活動と寄等により平成16年に復元されたのが現在の天守です。江戸時代から残る台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓は国の重要文化財です。

高欄櫓・天守・台所櫓
高欄櫓・天守・台所櫓
天守内部
天守内部
苧綿櫓
苧綿櫓
三の丸南隅櫓
三の丸南隅櫓

8分遅れの9:23に到着です。大洲市民会館駐車場に駐車し、二の丸跡を通り、井戸丸を経由して、本丸へ。日本100名城スタンプは大洲城内入口となっている、台所櫓入口にてゲット。天守は復元されたものですが、当時の工法・木造で復元、資料が充実していたためほぼ正確に復元できたそうです。確かに内部に入ると木は新しいけど構造はまさしく本物の城。こういう復元天守は好きです。ほんとに素晴らしい!肱川堤防上にある苧綿櫓は時間もないので、遠くから鑑賞。

ここではLX100をスタビライザーに装着して動画を撮影。なんとなくうまい感じで調整できた気がします。この手のスタビライザーの調整においてはカメラストラップを外すようですが、今回あえて着けてみました。するとこれがいい塩梅に舵取りの道具として役割を果たしちゃうような感じです。

ということで、10:27に48番に向けて出発しましたが18分も余裕ができているたことに気づきました。見学所要時間を90分としていたのに、60分のつもりで見てた。なので時間がある場合に予定していた、三の丸南櫓に行きました。ちょっとした公園として整備されていて中にも入れるようになっていましたが、それほど時間もないので入らずに写真と動画撮って48番へ向かいます。

■第48番札所 清滝山 安養院 西林寺

西林寺 御朱印西林寺 御影西林寺 記念御影
西林寺 御朱印・御影
西林寺 本堂
西林寺 本堂
西林寺 大師堂
西林寺 大師堂
西林寺 福授地蔵
西林寺 福授地蔵

西林寺は真言宗豊山派、本尊は十一面観世音菩薩です。聖武天皇の勅願により行基菩薩が伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」に堂宇を建立、本尊に十一面観音菩薩像を刻んで安置したのが始まりとされ、その後弘法大師が寺をいまの地に移して四国霊場と定めたそうです。

13分前倒しの11:27に到着です。お参りしていると後から袈裟を来たかっこいい姿のお坊さんでしょうか、お参りに来られました。もう完全にタイムスリップしたような光景に見えます。実際何者だろう?福授地蔵は納経所前の庭園にあり、お詣りすると1つだけ願いを叶えてくれるという、幸せを授けてくださるお地蔵様です。

16分前倒しの11:59、次の49番へ向かって出発。

■第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺

浄土寺 御朱印・御影浄土寺 御影浄土寺 記念御影
浄土寺 御朱印・御影
浄土寺 本堂
浄土寺 本堂
浄土寺 大師堂
浄土寺 大師堂
浄土寺 阿弥陀堂
浄土寺 阿弥陀堂

浄土寺は真言宗豊山派、本尊は行基菩薩作と伝えられる釈迦如来です。天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩が刻んだ釈迦如来像を本尊とし法相宗の寺院として開創されたとされます。のち弘法大師が荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗したとのことです。本堂と内陣の厨子は和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物で、国の重要文化財に指定されています。

19分前倒しの12:11に到着です。参拝客があまりいなかったので、お経をあげる自分を撮影してみました。どんな風に聞こえるかちょっと気になります。

24分前倒しの12:41、次の50番へ向かって出発。

■第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺

繁多寺 御朱印繁多寺 御影繁多寺 記念御影
繁多寺 御朱印・御影
繁多寺 本堂
繁多寺 本堂
繁多寺 大師堂
繁多寺 大師堂
繁多寺 鐘楼堂の天井画
繁多寺 鐘楼堂の天井画

繁多寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を刻んで安置し建立したのが始まりで当時は光明寺と号されました。その後弘法大師がこの地を訪れ、寺に逗留された際に繁多寺と改め、霊場とされたそうです。

34分前倒しの12:49に到着です。境内は高台にあり静かなところです。鐘楼堂の天井には絵が描かれています。

37分前倒しの13:13、次は湯築城なのですが、約40分も時間に余裕ができたので、急きょ51番に行くことにしました。

■第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺

石手寺 御朱印石手寺 御影石手寺 記念御影
石手寺 御朱印・御影
石手寺 本堂
石手寺 本堂
石手寺 大師堂
石手寺 大師堂
石手寺 三重塔
石手寺 三重塔

石手寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。神亀5年に伊予の豪族、越智玉純が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となり、天平元年に行基菩薩が薬師如来像を刻んで開基し、法相宗の安養寺としたのが始まりとされ、その後弘法大師が真言宗に改めたとされます。

13:25に到着です。50番ととても近かったのでちょうどいい感じ。

石手寺 参道
石手寺 参道
石手寺 二王門
石手寺 二王門
石手寺 鐘楼
石手寺 鐘楼
石手寺 護摩堂
石手寺 護摩堂
石手寺 冊子
石手寺 冊子

参道が回廊になっていて仲見世のみやげ店が並んでおり、観光客も多い。なんとミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定されたこともあるそうです。このお寺は見どころがとても多く、特に、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されているというすごさ。国宝は二王門、重要文化財に本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、「建長3年」の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘です。境内では住職の説教が流れておりました。納経をすると「本来の仏教 ブッダの真実」という冊子を頂けた。面白そうな本です。

ほんとはもっとゆっくり色々なものを見たかったのですが、何せ急きょ加えた参拝なので早めに次の湯築城へ向かって14:07に出発。

■湯築城

湯築城(ゆづきじょう)は松山市道後町の県立道後公園内にある、14世紀前半に伊予国守護河野氏によって築城された城跡で、城郭の堀や土塁などの縄張り遺構が良好に残り、国の史跡に指定、そして日本100名城に指定されています。中世の城郭である湯築城は石垣や天守が無い地形を利用して作られた平山城です。

武家屋敷
武家屋敷
円形石積遺構
円形石積遺構
外郭
外郭
内堀
内堀
遮蔽土塁
遮蔽土塁
岩崎神社
岩崎神社
本丸跡
本丸跡
二の丸跡
二の丸跡
石造湯釜
石造湯釜
内堀
内堀

51番を入れたにも関わらず、8分遅れの14:13に道後公園西口駐車場に到着です。この駐車場は、搦手門跡そばにあり湯築城の復元区域に面していて、湯築城資料館、武家屋敷などの展示施設に行くには最も便利。まずは資料館で日本100名城スタンプをゲットしました。ただし月曜定休日のため今日は資料館も武家屋敷も見学することはできません。内堀にそって南側の外郭を回り、追手門跡手前で石段を登って本丸跡、続いて二の丸跡、最後に石像湯釜(通称:湯釜薬師)を見て城郭を一回りするような感じでおおよそ40分の散策でした。

10分前倒しの14:55、松山城へ向かって出発。

■松山城

松山城は標高132mの勝山に立つ、加藤嘉明が築き始めたお城で攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城です。現存12天守のひとつでもあり江戸時代以前に建造された天守を有する城郭で日本100名城にも選出、天守、櫓、塀など21もの建造物が国の重要文化財で、城山公園全体が国の史跡に指定されています。

リフト
リフト
本丸石垣
本丸石垣

10分前倒しの15:05に松山城駐車場に到着。松山城へは徒歩でも行けますが、ロープウェイとリフトがあるのでそれを使います。駐車場からのりばまでは数分です。山麓駅で観覧券と往復券がセットになった総合券1020円を購入。ロープウェイは10分感覚の運行で所要時間3分、リフトは6分。ちょうどいいロープウェイがなかったのでリフトで登りました。山頂駅から天守入口までは約10分、そこまでの間も巨大な石垣が出迎えてくれます。

 戸無門・筒井門
(中)戸無門(重文)
(上)筒井門
筒井門
筒井門
隠門・隠門続櫓
隠門・隠門続櫓(重文)
隠門続櫓・筒井門
(左)隠門続櫓(重文)
(右)筒井門
巽櫓
巽櫓
太鼓門
太鼓門
馬具櫓
馬具櫓
本丸
本丸
本壇入口
本壇入口

本丸に入る戸無門が最初に見る重文。高知城も本丸の建造物がよく残り重要文化財が多い城でしたが、規模はそれ以上。戸無門に続く門は筒井門ですが、その奥に隠門とそれと続いている隠門続櫓が重文。なのでこちらから入りました。広場に出て太鼓門をくぐると本丸の広場に出ます。本丸の広場は奥方向に広く伸びた感じで、一番奥に連立式の天守が見えてきます。天守手前にチケット売り場があり16:30で入場打ち切り。

紫竹門東塀・南隅櫓・小天守
(中央)紫竹門東塀(重文)
(奥から)南隅櫓・小天守
一ノ門南櫓・一ノ門東塀・二ノ門南櫓
(左)一ノ門南櫓(重文)
(中)一ノ門東塀(重文)
(右)二ノ門南櫓(重文)
大天守・鉄筋門東塀
(中上)大天守(重文)
(中下)鉄筋門東塀(重文)
南隅櫓・小天守
(奥)南隅櫓
(手前)小天守
一ノ門・三ノ門南櫓
(中)一ノ門(重文)
(上)三ノ門南櫓(重文)
二ノ門
二ノ門(重文)
大天守
大天守(重文)
二ノ門・三ノ門東塀・三ノ門
(左)二ノ門(重文)
(中)三ノ門東塀(重文)
(右)三ノ門(重文)
小天守・鉄筋門東塀・鉄筋門
(左上)小天守
(左下)鉄筋門東塀(重文)
(右)鉄筋門

ここから先の本壇が目に入ってくる建造物の半数以上が重文。石垣を右に見ながら坂を登ります。その石垣の上に見えるのが手前から二ノ門南櫓、一ノ門東塀、一ノ門南櫓の重文。正面の紫竹門東塀が重文。坂を右に折れると正面に重文の大天守とその下に重文の鉄筋門東塀。右に折れて一ノ門(重文)をくぐると正面が二ノ門南櫓(重文)、左に折れて二ノ門(重文)をくぐると左側に三ノ門東塀(重文)、少し広場になっており左にUターンするような感じで三ノ門(重文)をくぐった正面が三ノ門南櫓(重文)、右に折れて左に鉄筋門東塀(重文)を見ながら進みます。ここまで重文の連続。

正面にある鉄筋門は連立式天守を構成している門のひとつでここをくぐると本壇の内庭に出ます。因みに連立式天守を構成しているのは、右回りに筋鉄門、小天守、多聞櫓、南隅櫓、十間廊下、北隅櫓、玄関多聞、玄関、内門ですが、これらは1968年に復元されたもの。

北隅櫓・玄関多聞・玄関・内門
(左)北隅櫓
(中)玄関多聞・玄関
(右)内門
玄関多聞・内門・大天守・鉄筋門
(左)玄関多聞・内門
(中)大天守(重文)
(右)鉄筋門
大天守最上階
大天守最上階
大天守より西望む
大天守より西望む
 

大天守より北望む
大天守より北望む
仕切門内塀
仕切門内塀(重文)
仕切門
仕切門(重文)
天神櫓
天神櫓

天守入口は大天守の階下にあり、中に入ると左回りにぐるりと一周して大天守に戻り、上層階へ登る順路となっています。現存天守では階段がとても急で狭く登るのに一苦労という印象がありますが、松山城の場合、それほどではないという感じ。天守最上階からの眺めは素晴らしいものでした。内門から左に仕切門内塀(重文)を見ながら仕切門(重文)をくぐると二ノ門に出ます。

紫竹門
紫竹門(重文)
紫竹門西塀
紫竹門西塀(重文)
乾門東続櫓・乾門
(中)乾門東続櫓
(右)乾門
乾櫓
乾櫓(重文)
乾櫓・野原櫓
(中)乾櫓(重文)
(右)野原櫓(重文)
(北隅櫓より)
081松山城
100名城スタンプ

本壇の見物後、紫竹門(重文)をくぐり乾櫓(重文)や野原櫓(重文)のある方へ進み、戻ってきた時のこと。ああああーっ!スタンプゲットしてない!やばい!焦りました。時刻はもう16:30を過ぎていて、本壇にはもう入ることはできない!もうしまっているチケット売り場で聞いてみました。するとこの時間は管理事務所(馬具櫓)にあるとのこと。ふー、よかった。無事ゲットすることができました。

さて時間的には出発予定時刻の17:55まで大分あります。ただこの季節、17:55なんて暗くなってるでしょうからあまり遅くまでいても意味はない。ということで現存12天守の城郭では彦根城松山城でしか確認されていないという登り石垣を見に行ってみました。ロープウェイとは逆の方ねと石段をどんどん下がっていくもなかなかそれらしきものが見えない。しかも地図ではこんなにくねくねしてなかったと思うんだけど、地図がいい加減なのかと思いました。でもあとから分かったこと、ショックなことにこの道じゃなかったんですね。見つからないわけでした。ということで登城はここまで。帰りはリフトは止まっていて、ロープウェイ。

ということで25分前倒しの17:20に空港へ向かって出発です。あまり早く着いても暇ですが、あたりも暗いので留まっても仕方なし。途中コンビニで荷物整理したりしてゆっくり向かいました。空港近くのガススタで給油したんだけど、レギュラー142円とはとんだ誤算。トヨタレンタカーでも給油設備があったけど、132円とかだったので絶対外で入れた方が安いと思ったのでした。ここまで242.3km、13.6L入ったので、パッソ君の燃費は17.8km/L。ヴィッツより悪い。。。でも今回は結構のろのろ走るシーンも多かったからなぁ。パッソ返却時では244.2km走破なのでした。

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ちょい呑みセット

空港まで送迎してもらいさっさと手荷物預けてから時間があるので、空港内のヴァンヴェールというお店でちょい呑みセットというビールとつまみのセット1000円で時間を潰しました。早めに来てこういうのがいいかも。

ということで飛行機は時刻通りに松山を出発して帰ってきたのでした。今日は月曜だけど、休日の合間なので酔虎伝開いてるかなと電話入れると普通にやってるとのことなので、今回も疲れたから飲んで泊まり。明日早く帰宅するつもりです。