大阪・兵庫城めぐりの旅 #3-3 夜の姫路城

17時すぎに姫路駅前ユニバーサルホテル南口にチェックインしました。
ユニバーサルホテルチェーンは、1月の岡山城めぐりの旅にて利用しましたが、朝食も夕飯も無料、サウナ付きの大浴場もあって宿泊費も激安(今回4,130円!)というお財布にすごく優しいホテルです。中が吹き抜けになっていて、部屋もまるでマンションのよう。姫路駅前で新幹線もよく見えて最高ですが、姫路城はビルに隠れて見えません。

姫路駅前ユニバーサルホテル南口姫路駅前ユニバーサルホテル南口

夜の姫路城のライトアップを見るために、その時間に合わせて19:50ごろに無料夕食をいただきました。チェックイン時に日替定食かカレー定食を選べるのですが、日替定食にして、今日は唐揚定食でした。サラダバーももちろん無料で大満足!

日替定食
日替定食

■ 姫路城 ■

さて姫路城のライトアップは毎日日没から24時までですが、20時と21時からの15分間は、カラーLEDによる彩雲(さいうん)ライトアップが実施されています。夕飯の時間を合わせてというのは21時から見られるようにということでした。

さてホテルを出ると少し雨がポツポツ、傘を取りに戻るのも面倒だし、何とかなるかとそのまま姫路城へ向かってしまい、着くまでに普通に雨になっていました。

到着時は通常の白色ライトアップで、21時になるとライトが一瞬消えてカラーでライトアップされました。色は赤、緑、青などゆっくりと変化していくのでずっと見ていられます。15分あっという間に経過して白色に戻りました。

姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ姫路城ライトアップ
姫路城ライトアップ

雨に打たれながらのホテルまでの道のりはそれは遠く感じたものです。最終日の明日は朝からゆっくりと姫路城を堪能する予定です。

大阪・兵庫城めぐりの旅 #3-2 芥川山城

飯盛城の次は芥川山城です。

■ 芥川山城 ■

芥川山城は高槻市の三好山にある続日本100名城の159番、国指定史跡です。山裾の三方は芥川が流れる摂津峡の深い峡谷の天然の要害です。芥川山城への主な登城ルートは、上の口ルート、塚脇ルート、大手筋ルートがありますが、今回は上の口ルートで計画、11:30ごろ、芥川漁業協同組合上の口駐車場に着きました。芥川漁業協同組合で駐車料金を支払いにいったものの誰もいないため、帰りに払えばいっかと停めさせてもらいました。

芥川漁業協同組合上の口駐車場
芥川漁業協同組合上の口駐車場

芥川漁業協同組合
芥川漁業協同組合

駐車場から100m足らずで芥川山城跡上の口側入口です。ここから道なりに進みます。

芥川山城跡上の口側入口
芥川山城跡上の口側入口

芥川山城跡案内図
芥川山城跡案内図

アクセスマップにある「滑落注意!」と書かれた場所はどんな斜面で危険なのだろうと不安でしたが、行ってみると芥川沿いの絶壁で確かに危険ですが、山城ではこのような場所は当たり前の感じでした。

「滑落注意!」
「滑落注意!」

ここを過ぎればそれほどきつくない普通の山登りです。11:50ごろ塚脇ルートとの合流地点の城入口につきました。

城入口城入口
城入口

■東曲輪群

城跡案内図に番号が振られた曲輪をめぐります。城入口から東曲輪群に入り、最初に右側に曲輪25があります。

東曲輪群東曲輪群
東曲輪群

曲輪25曲輪25曲輪25曲輪25
曲輪25

曲輪25の西側一段高いところに曲輪23。

曲輪23曲輪23
曲輪23

曲輪23とその西側にある曲輪22の間に一段高くなった場所があるましたが、これはどちらに属するのでしょう。

曲輪23と22の間
曲輪23と22の間

曲輪22
曲輪22

曲輪22と23の北側に曲輪24があります。

曲輪24
曲輪24

曲輪22の南側虎口から登城道へ出ると左側に竪土塁が斜面に沿って伸びていました。

竪土塁
竪土塁

登城道を西へ進むと土橋と堀切I 、この先は中央曲輪群になります。

土橋と堀切I土橋と堀切I
土橋と堀切I

堀切I
堀切I

■中央曲輪群

土橋の先は切通しになっていて中央曲輪群に入ります。右側に曲輪20、その向かいあたりに曲輪17・16へ続くと思われる道がありましたが柵があり通行できませんでした。後で柵に扉があることを知りました、残念。

切通し切通し
切通し

曲輪20
曲輪20

さらに西に進むと南から上ってくる大手道と合流します。大手道を下りていくと大手石垣がありますが、これはのちほど見るとして西へ進みます。

大手道
大手道

■西曲輪群

虎口ウを過ぎると西曲輪群に入ります。道なりに左に折れると左側に曲輪10、その先すこし登ると曲輪11です。曲輪11からの眺望は素晴らしく、先ほど訪れた飯盛山や生駒山、大阪平野を見渡せます。

虎口ウ
虎口ウ

曲輪10
曲輪10

曲輪11曲輪11曲輪11
曲輪11

その先は分岐になっていますが、主郭めざし右側の道を登っていきます。

分岐
分岐

登りきると右側に曲輪9、左側に曲輪3、その先道なりに登ると虎口アを通って主郭(曲輪1)に到着です。三好長慶社がありました。主郭の南側一段下がったところは曲輪2です。

曲輪9曲輪9
曲輪9

曲輪3
曲輪3

虎口ア
虎口ア

主郭(曲輪1)主郭(曲輪1)
主郭(曲輪1)

三好長慶社
三好長慶社

曲輪2
曲輪2

主郭の北端へ行ってみました。北東方向下側に曲輪6、北西方向下側に曲輪4が見えました。曲輪4~8は行けるのかもわからず。たぶん行けない感じでした。

曲輪6
曲輪6

曲輪4
曲輪4

曲輪11の分岐に戻って直進し、堀切Cを見て戻りました。本当は田ノ丸と勘違いしてしまい、戻ってしまったのでした。

堀切C
堀切C

大手道分岐で大手道を下りて大手石垣を見て今日はここまでかなということで、もと来た道を戻ります。

大手石垣

曲輪21を見れないかなと曲輪20の手前で、登城道北側一段下の曲輪に下りてみると北側に確認できました。

曲輪21
曲輪21

城入口までもどり、最後曲輪26と27を見ようと塚脇ルートをすこし進んで曲輪26と思っていた曲輪はどうやらそうではなかったようです。あとから案内図と照らし合わせてもそもそもそこへ続く道へ行けない、入れない感じ、どちらも行けないようですね。最初の城入口の写真中央奥に見えるのが曲輪26のような気がします。今回は自分のチョンボもあったりで見ようと思って見られなかったところが多かった気がします。もう少し現地の案内板とかあればいいですね。

下城し上の口駐車場について芥川漁業協同組合で駐車料金支払いに行ってみたところ今度は人がいたのでちゃんと1000円後払いしました。

13:40ごろ、上の口駐車場をでて高槻市立しろあと歴史館に14:10すぎに到着しました。高槻市立しろあと歴史館では、芥川山城のスタンプと御城印、高槻城の御城印をゲット。こちらはおもに高槻城に関する展示になっていて、高槻城のことを係員の方が説明してくれました。高槻城の遺構はほとんどないとのことでしたが、高槻城三の丸北郭に位置する野見神社内の摂社、永井神社の社殿と唐門が遺構だとお聞きしたので見てきました。あいにく社殿は修理中のようでした。

高槻市立しろあと歴史館
高槻市立しろあと歴史館

#159 芥川山城スタンプ芥川城御城印高槻城御城印

永井神社唐門
永井神社唐門

15:50すぎにレンタカーを返却し、新大阪から新幹線で今日の宿、姫路駅前ユニバーサルホテル南口のある姫路へ向かいました。

大阪・兵庫城めぐりの旅 #3-1 飯盛城

部屋からのながめ
部屋からのながめ

ニューコマンダーホテル 大阪 <寝屋川>ニューコマンダーホテル 大阪 <寝屋川>

3泊4日の大阪・兵庫めぐりの旅3日目。城めぐり再開、飯盛城芥川山城を巡る予定です。どちらも山城で疲れそう。
6:40ごろホテルを出発しました。

■ 飯盛城 ■

飯盛城は大東市および四条畷市にまたがる飯盛山にある続日本100名城の160番、国指定史跡です。戦国時代に三好長慶が居城としたことで知られ、長慶は芥川山城からここに拠点を移しました。この城は政権が所在する「首都」といえるような場所で織田信長に先駆ける天下人ともいわれているそうです。

大東市側にある飯盛城跡駐車場に7:20ごろ到着しました。スタンプと御城印があるキャンピィだいとうは10時からなので、先に登城します。

飯盛城跡駐車場
飯盛城跡駐車場

飯盛城跡案内図
飯盛城跡案内図

駐車場のある道が登城道、そのまま上っていくと途中2本連続して竪堀を見ることができます。

竪堀竪堀
竪堀

さらに進むと馬場(X郭)で楠公寺があります。トイレの壁面にパンフレットがあるはずが、空っぽでした。楠公寺は楠木正行はじめ四條畷の戦いの戦死者を弔うために開山されたお寺で、高櫓郭には小楠公銅像があります。

馬場(X郭)
馬場(X郭)

楠公寺に向かって左には登城道が続き、しばらく登ると三方向への分岐に出ますが、右の山道を進み少し行くと石垣1があります。崩壊防止のための布団かごが設置されていました。この山道の下側にも石垣69があるはずなので少し探しました。あれかなぁと思われる石垣を木の枝の間から見つけましたが正しいかどうか。

石垣1石垣1石垣1
石垣1

石垣69
石垣69

山道を戻り、先ほどの分岐を道なりに登っていくと高櫓郭(Ⅰ郭)と千畳敷郭(Ⅷ郭)の間の大きな堀切に出ます。

堀切堀切
堀切

ここを境に大きく北側と南側に分かれていて、先に北側を見ていきます。2本の階段がありますが、どちらも高櫓郭(Ⅰ郭)に行けるようです。堀切と土橋があり、ここを登ると高櫓郭(Ⅰ郭)ですが手前はロープのある急な登り坂でした。

堀切と土橋堀切と土橋
堀切と土橋

急な登り坂
急な登り坂

高櫓郭(Ⅰ郭)に出ました。高櫓郭(Ⅰ郭)は飯盛山の山頂です。高櫓郭(Ⅰ郭)には、小楠公銅像(楠木正行像)があり、その横には戦時中に供出された小楠公銅像を再建した田伐兼松の像、他に国旗掲揚台があります。

小楠公銅像(楠木正行像)
小楠公銅像(楠木正行像)

田伐兼松銅像
田伐兼松銅像

国旗掲揚台
国旗掲揚台

高櫓郭(Ⅰ郭)から北側すこし下がったところが本郭(Ⅱ郭)で、展望台からは大阪平野が一望できます。

展望台
展望台

展望台からの眺望
展望台からの眺望

展望台からの眺望(大阪城)
展望台からの眺望(大阪城)

本郭(Ⅱ郭)から北側すこし下がったところがⅢ郭で、Ⅲ郭手前右方向の山道を行ってみると、石垣3・石垣4を見ることができます。

石垣3石垣3
石垣3

石垣4
石垣4

Ⅲ郭から西側にある曲輪群A・北條神社へ続く山道を少し下りると石垣5・6・7があります。

Ⅲ郭Ⅲ郭
Ⅲ郭

石垣5
石垣5

石垣6(上)・7(下)
石垣6(上)・7(下)

Ⅲ郭から北側への山道はかなり急になっています。下りたところは旧道と新道へ分岐になっていますが、旧道は法面崩壊の恐れがあるため新道へとの案内が出ていました。三本松丸(Ⅳ郭)はここをすこし上がった旧道沿いのため、安全そうなところまで行って戻ってきました。

Ⅲ郭北側山道
Ⅲ郭北側山道

旧道新道分岐
旧道新道分岐

三本松丸(Ⅳ郭)
三本松丸(Ⅳ郭)

新道へ進みます。分岐を下りだしてすぐ右に振り替えると山道の下側に石垣90が確認できました。

石垣90石垣90
石垣90

進むと御体塚郭(Ⅴ郭)の南側に出ますが、その手前右側には石垣14・15・16が確認できます。

石垣14・16
石垣14・16

石垣14
石垣14

石垣16
石垣16

石垣15
石垣15

階段をずっと登ると御体塚郭(Ⅴ郭)です。御体塚郭(Ⅴ郭)は三好長慶の死を公表しなかった2年間の仮埋葬地だといわれています。

御体塚郭(Ⅴ郭)御体塚郭(Ⅴ郭)
御体塚郭(Ⅴ郭)

Ⅵ郭へ向かいます。御体塚郭(Ⅴ郭)北側から山道を下りていくと右側に石垣18がありました。さらに下りて、御体塚郭(Ⅴ郭)とⅥ郭間の大堀切にでました。岩盤が削り抜かれいていて見事です。

大堀切
大堀切

大堀切を左手に山道を進むと北端のⅥ郭です。比叡山、六甲山、淡路島、南河内まで見渡せる視界270度の眺望が広がります。

Ⅵ郭Ⅵ郭Ⅵ郭Ⅵ郭Ⅵ郭
Ⅵ郭

飯盛山史蹟碑
飯盛山史蹟碑

ここまででⅠ郭からⅥ郭までの北側遺構を見たので、Ⅴ郭(御体塚郭)の東側の山道経由で南側へ戻ります。途中で石垣19を確認できました。

石垣19
石垣19

御体塚郭(Ⅴ郭)の南側でもと来た山道に合流し、三本松丸(Ⅳ郭)南側の分岐(行きに通った旧道新道分岐)で左側石垣1方向へつながる山道を進みます。Ⅲ郭東側あたりでⅢ郭へつながる山道に進みすこし上がったところに石垣9、つづいて石垣54を確認しました。

Ⅲ郭へつながる山道(右)
Ⅲ郭へつながる山道(右)

石垣9
石垣9

石垣54
石垣54

Ⅲ郭に戻り、石垣3・4を経由してそのまま進んでいけば石垣71が見られるはずでしたが、よくわかりませんでした。

そのまま進んで、高櫓郭(Ⅰ郭)と千畳敷郭(Ⅷ郭)の間の大きな堀切へ戻ってきました。これから南側を見ていきます。管理用道路を登るとっていくと千畳敷郭(Ⅷ郭)です。千畳敷郭の最高部にはNHK・FM送信所が立っています。

中断を西方向へ行くと土塁が見られます。

千畳敷郭(Ⅷ郭)千畳敷郭(Ⅷ郭)
千畳敷郭(Ⅷ郭)

土塁
土塁

千畳敷郭(Ⅷ郭)の南側は南丸(Ⅸ郭)です。南丸(Ⅸ郭)には石垣で築かれた虎口があります。

南丸(Ⅸ郭)
南丸(Ⅸ郭)
南丸(Ⅸ郭)
南丸(Ⅸ郭)

石垣31(左)石垣30(右)と虎口
石垣31(左)石垣30(右)と虎口

石垣30
石垣30

これで飯盛城散策は終了、行きとは違う道で帰りました。虎口から南へ道なりに進み、途中、「桜池・野外活動センター」の道標で左折し、山道をひたすら下っていくと駐車場近くまで戻れました。

「桜池・野外活動センター」の道標
「桜池・野外活動センター」の道標

時刻はちょうどキャンピィだいとうが開館するちょうど10時すぎ、スタンプと御城印をゲットしました。

#160 飯盛城スタンプ飯盛城御城印

次は芥川山城へ向かいます。