萩城の次、大内氏館・高嶺城は計画では高嶺城、山口市歴史民俗資料館でスタンプ・御城印入手、大内氏館の順としていましたが、位置関係分かっていませんでした。途中で大内氏館の案内板を見つけたので逆順にしました。
■ 大内氏館 ■
大内氏館は山口市にあった周防国・長門国を本拠とした大内氏の居館です。大内氏ゆかりの館跡・築山跡・高嶺城跡・凌雲寺跡の4遺跡は、史跡「大内氏遺跡附凌雲寺跡」として国の史跡に指定されています。城ではなく館として建てられたため、詰の城として背後に高嶺城があり、大内氏館・高嶺城として続日本100名城の174番となっています。
■館跡
10:20すぎ、史跡大内氏遺跡見学者用駐車場に到着。駐車場からは東西にのびる土塁が目を引きます。
土塁に沿って西へ進むと、北西隅付近に枯山水庭園(3号庭園)が復元されています。出土した石組を使って築城当時とほぼ同じ状態に復元されているそうです。南に進むと西門があり屋敷の中の区画を仕切る「内門」と考えられています。そのすぐ先には16世紀前半のものを修復した石組水路があります。
館跡には現在龍福寺が建っています。南側にある山門から大内氏館跡に入ります。龍福寺本堂へ伸びる参道左側に大内義隆公450回大遠忌に際建立された大内義隆供養塔。本堂左の龍福寺資料館の前に大内義興公「馬上展望」像があります。本堂は国の重量文化財になっています。
本堂に向かって右側には当時の形状をそのまま残す形で発掘・復元された池泉庭園(2号庭園)があり、池の南側に石組井戸、池の南東側に庭の観賞用と考えられる建物跡、北側には石組かまど・せん列建物跡があります。1号庭園や4号庭園も発掘されましたが埋め戻されています。館跡東側に出ると水路や堀の跡が整備されています。
■築山跡
続いて館跡北側にある築山跡にも行ってみました。跡は八坂神社、築山神社、築山跡史跡公園となっています。八坂神社の本殿は国重量文化財です。大内義隆を祀る築山神社の西側にある築地跡(土塁)は唯一露出している遺構です。築山跡史跡公園には堀跡表示や掘立柱建物跡の表示が整備されていました。



両遺跡合わせて1時間ほどの散策でした。次は高嶺城ですが、途中、山口市歴史民俗資料館に立ち寄ってスタンプと御城印(大内氏館・高嶺城各220円)を入手しました。
■ 高嶺城 ■
高嶺城は大内氏館の詰の城として作られた標高338mの鴻ノ峰にあり、頂上部の主郭を中心に四方に延びる尾根へ郭を配した山城です。
城跡には駐車スペースがありクルマで行けますが、そこまでの山道がとにかく狭くこれまでの中でも一番と言えるくらいでした。駐車スペースについたのは11:50ごろです。史跡の範囲は主郭までの西側と東側の段郭の区域です。最初に東側の一番上の郭(その下の郭はのちほど)で案内板を確認しました。高嶺城にはたくさんの郭がありますが、名称などがないので案内板にあった地形図に便宜上番号を振ってこのあと進めます。
駐車スペースに戻り、西方向主郭方面を目指しました。5分くらいで東屋のある郭10に着きます。途中郭11があったようですがよくわからず。
郭9、8と進み、「広大な郭」案内板のある郭7で主郭まで200mで城跡はここから北へ方向を変えます。進むと左側に石積みのようなものがありますが遺構なのかどうかよくわかりません。その先は郭4と5で郭5の北側から右方向下へ降りると虎口と郭6があります。郭4の北端に主郭まで20m、石垣まで60mの案内があります。先に石垣方向へ。途中井戸跡があるはずなのですが藪に埋もれて全くわかりませんでした。藪化した道を進むと、郭3に面した奥に長く伸びる主郭北側石垣に出ます。大規模な石垣はみどころです。先ほどの分岐に戻り主郭方面へ急な坂を登ると郭2があります。2段の段築となっている主郭南側石垣が見られます。主郭虎口から主郭(頂部郭跡)に入ります。主郭には建物の礎石が点在していますが、建物は2棟あったそうです。主郭からは広く山口盆地を見渡すことができます。
最後は東側段郭と石垣を見に行きました。最初に行った郭12から順に郭16まで段郭を下りると、石垣を確認できました。
13:10すぎ高嶺城をあとにし、次は秋芳洞へ向かいました。