延岡城に続いては佐伯城です。10:04ごろ佐伯市城下町観光交流館に到着しました。佐伯市歴史資料館が休館日のため、こちらでスタンプと御城印をゲットしました。10:09ごろ、佐伯市歴史資料館の駐車場にとめて登城します。
■■ 佐伯城 ■■
佐伯城(さいきじょう)は、大分県佐伯市にある、標高144メートルの八幡山山頂一体に築かれた山城で、江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれました。国指定史跡、続日本100名城の194番です。初代藩主毛利高政により築城、1606年に完成しました。山麓の三の丸は三代藩主毛利高尚が開きました。
■三の丸
駐車場の西側高くなったところは三の丸です。三の丸にはかつて御殿がありました。三の丸櫓門は現存する唯一の建築物で、高尚の代に城の正門として建てられました。石畳の坂を登り門を抜けると工事中のただただ広い佐伯文化会館の跡地に銅像が建っているのみです。村上勇先生像で、日本の戦後復興のために尽力した自民党の政治家の銅像だそうです。登城道沿いにある櫓は御下櫓と名付けられたトイレですが、ちゃんと城っぽいです。
■登城路
登城口にある鳥居は、昭和初期天守台跡に建てられた毛利神社のものですが鳥居のみ残っています。坂を登り切った場所から登城ルートが分かれます。ここからは独歩碑の道、翠明の道、登城の道のいずれかからです。なお、ルートには山の反対側からの若宮の道もあります。今回は一番緩やかで登りやすいという独歩碑の道から登ります。どのコースも20~30分とのこと。独歩碑の道だけが舗装されていて、あと2ルートは昔の細い山道です。独歩碑の道を登っていくと100メートルごとに頂上までの距離表示柱があります。
頂上まで200メートルを切った先の左に戻る感じで折れる場所に雛壇状石垣の案内板がありますが、ここまで独歩碑の道の開始地点から約14分ほどでした。まっすぐ進むと4段になった雛壇状石垣を下から見ることができます。道に戻り少し先、頂上まで100メートル地点の左側に捨曲輪があります。特に案内等はなく眺望はいいですが上からの眺望の方がもっとよいです。少し上に本丸外曲輪の石垣が見え、あと少しです。
■本丸外曲輪
坂を登り切ると本丸外曲輪で、正面の立派な階段がついて高くなっているところが本丸です。虎口右側にある独歩碑は、明治時代に佐伯に英語教師として赴任した国木田独歩が、後に佐伯を舞台とした作品を多く残し、城山山頂を舞台としたものもあったことからここに建立されたものです。独歩碑の左側に少し下がるところがあって先ほど下から見た階段状石垣を上から見ることができます。また釣りバカ日誌19のロケ地の表示もあり、佐伯市街地を望むことができます。その隣には二重櫓跡があります。
■本丸
階段を登って本丸にあがると、地元のおじさんに「撮っちゃだめだよ、写っちゃうよ、昔裏が処刑場だったから」と言われ、ちょっと変なの写ったら怖いなぁと思いつつ、撮らないことはないわけで。まぁ、城跡に関してはどこも同じようなものですよね。一段高くなったところは天守台跡で三重の天守があったと伝わっています。ここには小さな祠が建っていますがのちの毛利神社の跡です。本丸からは二の丸や北出丸を望むことができます。本丸の南西隅に本丸虎口があります。本来本丸への入口はここのみで、東側の階段は毛利神社を作った際のもの。本丸虎口を出ると廊下橋跡、渡った先は二の丸ですが、先にこの橋をくぐって北出丸へ向かいます。
■北出丸、雄池・雌池
本丸外曲輪の北側の虎口から出ると北出丸です。入ってすぐに若宮の道への虎口があります。北出丸は南北に細長く伸びていて、北端にはかつて二重櫓が建てられていたそうです。
雄池・雌池は北出丸にある若宮の道へ続く虎口から結構下がったところにあります。上下二段構えの人口の池で上に雄池、下に雌池となっています。上から6分ほど雌池までかかりました。実は二の丸に行った際見るのを忘れていたことに気づき、一度戻って見学してから二の丸へ戻ったのでした。
本丸外曲輪に戻って本丸南側石垣沿いに進むと廊下橋跡の下に出て、二の丸へつながります。
■二の丸、西出丸
二の丸に入ると正面、二重櫓跡に独歩文学碑があります。二の丸の中央には屋形と呼ばれる建物がありました。二の丸南端の虎口は櫓門跡でその先は西出丸です。西出丸に入ってすぐ左側は虎口になっていて、翠明の道と登城の道につながっています。南西隅には櫓台跡があり、その近くには井戸跡のようなものがありましたが、これは城の遺構ではないそうです。
ひととおり散策を終え、昔からの登城ルートである登城の道で下りることにしました。11:56ごろ廊下橋跡から下城、かなり急な道ですが、まぁ山城ってこんなもんでしょうという感じで11分で降りてこれましたが、行きは独歩碑の道、帰りにこっちで正解でした。
さて次は今回の旅最後の城、臼杵城へ向かいます。12:22ごろ出発しました。