どこかよいお城はないかなとネットで調べていたところ、みつけた 島崎城 を訪れました。島崎城は15世紀前半、島崎成幹が築城した茨城県潮来市にある城で市指定史跡です。中世城郭遺構がとてもよく残っています。
島崎氏は鎌倉時代から戦国時代にかけて南方三十三館と称された鹿行地方を治めた豪族の筆頭となり隆盛を誇りましたが、16世紀後半、南方三十三館の城主たちは佐竹氏のいる常陸太田に呼び出され謀殺され、滅亡しました。




11:07頃、城跡専用駐車場に到着しました。登城口には案内板やパンフレットがあり、とてもきれいに整備されている印象です。予めスマホに入れておいた案内図を片手に登城です。

登城口の階段から進むと、進む方向を教えてくれる案内板があります。このような案内板が城跡一帯に設置されていてとても散策がしやすいです。ここまで丁寧に案内があるところは珍しいかも。案内板によると左に進んですぐにある旧階段を登ると一の曲輪、それ以外はまっすぐ進むとなっています。外側から徐々に攻めたいので、そのまままっすぐ進みます。




突当りは表門通りで西二の曲輪の西端下あたり、ここを右に登っていきます。登城入口の案内板があり、隣に島崎城が別名「竜巻城」と呼ばれる由縁が書かれていました。




表門通り右側は水の手曲輪の切岸と西二の曲輪間の空堀、左側は腰曲輪です。



腰曲輪の先に表門通りの虎口があり、右方向は一の曲輪、二の曲輪(西・東)、水の手曲輪、馬出曲輪方面、左方向は物見台、大堀方面との案内があります。三の曲輪は左方向なので左へ進みます。





左に進んですぐに帯曲輪。ここは東二の曲輪の西下に位置します。一番奥には虎口があります。


帯曲輪の虎口を抜けると左側下には坊主屋敷、正面には物見台が見えてきます。物見台の前には、右へ行くと物見台(二重空堀)、左に下りると三の曲輪・大堀との案内。ここでは物見台を挟んだ二重空堀の南側の空堀(物見台 – 東二の曲輪間)を見るために右へ。






空堀を進むと途中物見台へ登る階段がありますが、そのまま進んで行くと最終的にはものすごい絶壁で行き止まりになっています。








戻って空堀の途中にあった階段を登って腰曲輪をとおり、再度階段を登って物見台へ。物見台からは先ほどの坊主屋敷や三の曲輪、二重空堀の北側の空堀など見降ろせます。



物見台の下に戻り、階段を下りたところは坊主屋敷です。右に進むと三の曲輪方面、左は越前屋敷方面です。三の曲輪方向へ坂を登っていきます。大堀への分岐がありますが先に三の曲輪へ。








そのまま進むとすぐに三の曲輪の東端の区域に入ります。北側には全長270メートルの土塁が西の方まで続いていて、その下は大堀、土塁の途中で大堀に下りられる階段があります。三の曲輪展望台の案内板があったので土塁に沿って西の方へ行ってみます。大分進むと「大堀上から確認しよう」の案内があり覗いてみると、いや、ほんとに高いです。さらに進むと展望台がありましたが、木が邪魔してそれほど展望できない感じですね。近くには越前屋敷氏神神社跡がありました。戻って大堀を目指します。



先ほどの大堀への分岐の坂は二重空堀の北側の空堀です。しばらく下りていくと大堀方面と金井柵(搦め手) 方面への分岐にでます。先に搦め手方面へ行ってみました。ほどなく城外部に出て、ここが金井柵かなぁという感じでした。





戻っていよいよ大堀へ。これが楽しみでここにやってきました。
左に 三の曲輪の切岸、右に竹林を見ながら進んで行くと、左右岩盤になる場所に出ます。ここに「大堀」の看板が立っているということは、ここからが全長240メートルの大堀ですね。いや、ほんとに感動ものの堀です。今日は天気がよかったからか、それほど暗くはなかったですが、日が照っていないと相当暗い堀底道かと思います。 結構蛇行していてアップダウンもあります。






先ほど三の曲輪から大堀に下りる階段の反対側にも階段があり、外曲輪(私有地ですが)に出るようになっていました。その先にも堀が浅くなった場所が1か所、外に出られるようになっていました。



さらに進むと前方が明るくなり大堀の出口です。そのまま下りていくと右側に内堀が残っています。
長くなったので一旦ここで切ります。島崎城 #2につづく。。。