


大分・宮崎城めぐりの旅、最後に訪れたのは臼杵城です。14:48ごろ臼杵市観光交流プラザに着きました。臼杵城は道を挟んですぐで、畳櫓や大門櫓が見えています。こちらでスタンプと御城印、パンフレットを入手後、登城します。
■■ 臼杵城 ■■

臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にある城で、戦国時代、大友氏により臼杵湾内最大の丹生島に築かれました。島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害でした。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれました。廃藩後は周囲の海も埋め立てられました。国指定史跡、続日本100名城の193番です。現在は臼杵公園となっています。
■鎧坂・帯曲輪





古橋口から入ります。堀(以前は海)にかかる古橋を渡った右側は亭櫓跡です。



その先は岩を掘り切って作られた鎧(あぶみ)坂で大友時代からの登城路です。上を見ると湾曲した土塀がユニークで綺麗です。坂は落石の防護壁を設置していて両脇は金属板で覆われていました。金属板が一旦亡くなったところで上を見ると時鐘櫓台が見えます。


再度金属板の間をあがると先ほど見えていた湾曲する土塀に出ます。




その先に中門櫓跡と畳櫓があります。畳櫓は天保年間に再築された櫓で重箱造りの現存建物です。


畳櫓横の大きな石垣は、井楼櫓台の石垣です。井楼櫓は最も規模の大きかったものです。


道なりすぐ右側に大門櫓があります。これは模擬復原建物でここから二の丸に入ります。
■二の丸




二の丸に入ると臼杵護国神社の鳥居があり臼杵護国神社に続いています。神社の少し南側には大友宗麟公碑があります。



右横方向には先ほど畳櫓前から見上げた井楼櫓跡があります。


左方向には会所櫓跡があります。


井楼櫓跡前から本丸方向へ向かう道の右側に小さな出入口があり下まで続いています。出入口を出ると城跡の南側斜面を眺めることができます。



戻り進むと井戸跡、義太夫前櫓跡、左側はグラウンドになっています。


北方向に若干戻る感じで臼杵護国神社の裏手に行くと着見櫓跡がありました。




グラウンドの先、二の丸の東側には土橋があって大きな空堀があります。空堀は南側と北側、作られた時代が違うそうです。土橋を渡ると本丸です。
■本丸・井戸丸




鉄門は本丸への入口で鉄門櫓跡があり桝形を形成しています。その南側に武具櫓跡。



東側に卯寅稲荷神社がありその参道坂道の鳥居を下りて行ったところに、もうひとつの現存建物である卯寅口門脇櫓があります。「うとら」ではなく、「うとの」と読むそうです。鉄砲薬櫓とも呼ばれ火薬庫としても使われていたようです。




さらに下りて行ったところは井戸丸で井戸跡があります。西側に卯寅口門櫓跡、その先奥に搦手口である卯寅口(写真奥の冠木門のところ)があり、かつては海に面していました。


本丸に続く階段を登ると本丸の東端部に出ます。東端右端部には亀首櫓跡、左端部に海雲櫓跡があります。



西方向へ戻り桜満開の本丸跡を歩いて天守櫓跡に着きました。


天守櫓跡は北側の空堀に面しています。
■腰曲輪



天守櫓跡の近くから空堀に下りてそのまま腰曲輪を東へ進むと松明櫓跡、埋門前櫓跡と埋見門跡と続きますが、埋見門跡は正直どこなのかよくわかりませんでした。
■帯曲輪


その先、上ノ門跡から畳櫓までは帯曲輪です。




帯曲輪を進んで行くと右側に下りる坂と分岐します。このあたりは中ノ門跡です。坂を下りたところが今橋口で、今橋門櫓跡、今橋門脇櫓跡があります。



帯曲輪に戻り進んで行くと弓道場がありますが、ここの北隅が海鹿櫓跡のようですがよくわかりません。弓道場を過ぎると時鐘櫓跡です。この先は大門櫓なのでこれで一周です。


城跡から出て、南側から見た畳櫓、古橋の北側の様子など確認して散策終了しました。
次は臼杵石仏に向かいます。14:02ごろ出発しました。