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熊本・宮崎・鹿児島城めぐりの旅 #2-1 八代城

くまモン像
くまモン像

熊本・宮崎・鹿児島城めぐりの旅の2日目、まずはチェックアウト前にホテルから歩いてすぐの八代城から巡ります。朝6時ごろホテルを出るとすぐにくまモン像が立っていました。これはくまモンストリートファニチャーといって、「くまモンポート八代」完成を契機に「寄港地やつしろの魅力を向上させ、世界の旅行者にやつしろを周遊してもらいたい」という目的で整備されたものだそうで、いたるところに設置されているとか。ここから西に少し歩くと八代城跡の内堀、南東隅に出ます。

■■ 八代城 ■■

八代城は熊本県八代市にある輪郭式平城で別名松江城ともいいます。大地震で麦島城が崩壊したため、加藤正方が新たに築いたのが八代城です。南北朝時代の古麓城と安土桃山時代の麦島城の三つの城跡を併せて「八代城跡群」として国の史跡に指定され、続日本100名城の190番です。

さて散策ですが、最初に内堀の周りをぐるり反時計回りに一周後、本丸へ入ることにしました。

■内堀外周

宝形櫓跡
宝形櫓跡
磨櫓跡
磨櫓跡
欄干橋
欄干橋
表枡形門跡
表枡形門跡

本丸の南東隅は宝形櫓跡です。宝形櫓跡の石垣は算木積みで、八代城の中で最も進化した石垣です。北へ進むと磨櫓跡と欄干橋が見えてきます。欄干橋は、本丸のに架かる、本来の正門(大手口)の表枡形門跡 へと続く橋です。内堀を一周した後にここから本丸へ入ることにします。

本丸石垣(北東隅付近)
本丸石垣(北東隅付近)
くまモン像
くまモン像

そのまま北へ進むと、今度は小さなくまモン像を発見しました。三階櫓跡の説明板がありました。

三階櫓跡
本丸の鬼門にあたる北東角に設けられていた櫓です。外から見ると三階建ての櫓で、1階約9m×10.8m、2階5.4m四方、3階5.4m四方の櫓でした
くまモン像正面の石垣
くまモン像正面の石垣

この正面が三階櫓石垣かと思いきや、三階櫓石垣はその右奥の端っこでした。普通は正面がそうだと思いますよねぇ。石垣の上には朝の散歩でしょうか、人がいるのが見えました。登れるんですねぇ、あとで行くことにします。

三階櫓跡
三階櫓跡
内堀(北東隅付近)
内堀(北東隅付近)
三階櫓跡
三階櫓跡
三階櫓跡にアオサギ
三階櫓跡にアオサギ

内堀の北東隅にくると三階櫓跡です。三階櫓は大天守に次ぐ大きさでした。三階櫓跡石垣の隅ではアオサギさんが気持ちよさそうでした。

本丸石垣(北側)
本丸石垣(北側)

内堀に沿って西にすすみます。三階櫓跡から西へずっと長い石垣が続いています。

北の丸石垣
北の丸石垣
北の丸石垣
北の丸石垣

さて道路を挟んで北側に見える北の丸石垣は築城当時の古いものです。

北九間櫓跡
北九間櫓跡

内堀沿いの石垣の先端部は北九間櫓跡で、本丸搦手を守っていました。その先に架かる橋は当時は廊下橋でした。

■本丸

 廊下橋と 廊下橋門跡
廊下橋と 廊下橋門跡
唐人櫓跡(左)・北九間櫓跡(右)
唐人櫓跡(左)・北九間櫓跡(右)

橋を渡ると廊下橋門で搦手の一の門です。少し先走りして本丸に入ってみます。門の正面は大天守跡から続く唐人櫓の石垣です。先走りはここまで、内堀へ戻ります。

■北の丸

北の丸
北の丸
北の丸外堀跡
北の丸外堀跡
北の丸外堀跡
北の丸外堀跡

道路を挟んだ北側は、現在松井神社の境内となっている北の丸で、城主や一族の邸宅があった曲輪です。神社の裏手には北の丸外堀の跡を見ることができます。

■内堀外周

大天守石垣
大天守石垣
大天守石垣
大天守石垣
大天守石垣
大天守石垣

内堀に戻り、本丸北西隅の大天守の石垣を見ながら進みます。大天守石垣は、城内で最も高く一番古い技法で積まれたものです。内堀北西隅を折れて南へ進みます。

大天守・小天守石垣
大天守・小天守石垣
本丸西側石垣
本丸西側石垣
くまモン像
くまモン像

大天守石垣の南側に小天守石垣が連結しています。小天守から月見櫓までの本丸西側の石垣では修復された跡が見られます。野面積みと打込み接ぎの境目は特によくわかります。進むとまたかわいいくまモン像がありました。積みなおされた石垣の説明があります。

積みなおされた石垣
築城以来、八代城跡の石垣は何度か積み直しが行われています。正面に見える石垣は江戸時代に3回の積み直しが行われ、昭和50年代に4回目の積み直しが行われました。
月見櫓跡
月見櫓跡
くまモン像
くまモン像

内堀の南西隅にくると月見櫓跡です。内堀に沿って東へ進むとまたかわいいくまモン像発見!月見櫓跡の説明があります。

月見櫓跡
本丸南西隅にあった二階建ての櫓で、1階9m×10.8m, 2階5.4m×7.2mと記されています。
実際に月見が行われたこともあったそうです。
神橋
神橋
八代城跡案内板
八代城跡案内板
八代宮
八代宮

進むと神橋がありますが、明治時代に八代宮が創建されたときに参道として架けられたものです。渡って少しだけ本丸御殿跡に建てられた八代宮を確認。

くまモン像
くまモン像

戻って内堀沿いを東へ進むとすぐにまた、くまモン像がありました。説明板には、

国指定史跡 八代城跡本丸
1619年3月の大地震で麦島城が崩壊したため、1622年に現在の八代城が作られました。はじめ加藤清正の支城でしたが、後に細川氏の支城となり、明治維新まで松井氏が城代を務めました。

とあって、簡潔で分かりやすいなと思います。 約50分ゆっくり時間をかけて宝形櫓跡に戻ってきました。

■本丸

高麗門跡・欄干橋
高麗門跡・欄干橋
表枡形
表枡形
頬当御門跡
頬当御門跡

欄干橋から本丸に入ります。橋を渡ると八代城の正面にあたる表枡形門跡で、一の門の高麗門跡、その先右側に二の門の頬当御門跡があります。

高麗門跡・欄干橋
高麗門跡・欄干橋
三階櫓跡
三階櫓跡
三階櫓跡
三階櫓跡
三階櫓跡
三階櫓跡

道なりに進んで右側、登れそうなところから石垣に登りました。ここは朝見た人がいたところで、本丸の北東隅あたりです。柵はないので気をつけないと危ないです。石垣上を歩いて三階櫓跡へ。

本丸石垣(北側)
本丸石垣(北側)
北九間櫓跡
北九間櫓跡
廊下橋門跡
廊下橋門跡
唐人櫓跡
唐人櫓跡

その先北側の長い本丸石垣の上を進んで北九間櫓跡に至ります。廊下橋門跡を上から見ることができました。近くの階段を下りて右側は唐人櫓跡で、先ほど先走りして入ってきたところに出ました。

唐人櫓跡・大天守跡
唐人櫓跡・大天守跡
小天守跡
小天守跡
大天守跡
大天守跡
小天守跡
小天守跡

左へ進むと大天守跡と小天守跡があります。

小天守跡
小天守跡
小天守跡
小天守跡
小天守跡
小天守跡
小天守跡
小天守跡
小天守跡(大天守より)
小天守跡(大天守より)

小天守石垣の脇から石段を登ると小天守跡です。小天守は2層2階でした。

大天守跡
大天守跡
大天守跡
大天守跡
大天守跡
大天守跡
大天守跡
大天守跡
大天守跡より
大天守跡より
唐人櫓跡(大天守跡より)
唐人櫓跡(大天守跡より)

小天守と大天守は渡櫓でつながっており、その跡の石垣上を進んで大天守跡に入ります。大天守は4層5階の大きなもので、飾り屋根(破風)のない、シンプルで実戦的な「層塔型」だったと考えられています。

月見櫓跡
月見櫓跡

本丸の西側の石垣上を進んで三階櫓跡へ至ります。

八代宮
八代宮
八代宮
八代宮

その先は八代宮の入口で石垣は切れ、脇から下に下りると八代宮の正面に出ます。八代宮は後醍醐天皇の皇子で、征西大将軍として九州で南朝方の全盛期を築いた懐良親王を主祭神として祀っているそうです。とても大きく綺麗な神社で、朝早いからかまだ参拝客もなく厳かな雰囲気が漂っていました。

宝形櫓跡
宝形櫓跡
八代市相撲場
八代市相撲場
本丸石垣(東側)
本丸石垣(東側)
磨櫓跡
磨櫓跡

最後に、本丸南側から東側の石垣に登ってみました。宝形櫓跡の内側下には現在は八代市相撲場があります。東側の石垣を進むと磨櫓跡に至ります。

高麗門跡
高麗門跡
頬当御門跡
頬当御門跡

磨櫓跡 の石垣の上から高麗門跡や頬当御門跡を上から見ることができます。これでひととおり回れたので約2時間の散策は終了です。本丸の石垣にすべて上って散策できるのがとてもいいお城でした。

ホテル・アルファ-ワン八代
ホテル・アルファ-ワン八代
八代市民俗伝統芸能伝承館お祭りでんでん館
八代市民俗伝統芸能伝承館お祭りでんでん館
八代亜紀さん記念碑
八代亜紀さん記念碑

ホテルに戻って小休憩してからチェックアウトし、八代市民俗伝統芸能伝承館お祭りでんでん館へ開館時間に合わせて到着、スタンプと御城印をゲットしました。敷地内には八代市が故郷である八代亜紀さん記念碑があります。

次は飫肥城へ向かいます。

熊本・宮崎・鹿児島城めぐりの旅 #1 人吉城

2泊3日の熊本・宮崎・鹿児島城めぐりの旅1日目。計画では、
・1日目:人吉城
・2日目:八代城飫肥城志布志城
・3日目:知覧城鹿児島城
をめぐる予定です。

雲海に浮かぶ富士山
雲海に浮かぶ富士山

熊谷駅近くの有料駐車場に止めて、7:22の新幹線で羽田空港へ向かい、東京モノレールで羽田空港第1ターミナルには8:40前に到着。9:55羽田発鹿児島行きのJAL便は出発時刻が10:05に変更でした。途中雲海に浮かぶ富士山が見えてラッキーでした。11:40ごろ鹿児島に到着しました。

セレナe-power
セレナe-power

鹿児島空港からは日産レンタカー、今回の相棒はノートではなく、なんとセレナです。奮発したのではなく、ノートがリコール中で変更の確認は事前に受けていました。ミニバン運転するのってほぼ初めてですが、意外に違和感なくすぐになれましたね。
人吉城へ向かいます。

■■ 人吉城 ■■

人吉城は、熊本県人吉市にある梯郭式平山城です。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年にわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁でした。国の史跡、日本100名城の93番です。

■西外曲輪

人吉城歴史館
人吉城歴史館

13:23ごろ、人吉城歴史館に到着しました。こちらでまずスタンプとパンフレットを入手しました。歴史館は西外曲輪にあり、相良清兵衛屋敷跡に建設されています。西側から東側に向かって散策します。

西外曲輪の西側には古写真をもとに復元された角櫓、長塀、多門櫓が連なっています。

角櫓
角櫓
軍役蔵跡
軍役蔵跡

角櫓は球磨川と胸川の合流点、城跡西北隅にあります。角櫓の前には軍役蔵跡と思われる表面表示がありました。

多門櫓北側長塀
多門櫓北側長塀
石落とし
石落とし
多門櫓
多門櫓

角櫓からは多門櫓北側長塀が伸びています。長塀の途中には、敵の侵入を防ぐための石落としがあります。長塀は多門櫓に続いています。

多門櫓
多門櫓
多門櫓
多門櫓
多門櫓
多門櫓
大手門櫓跡
大手門櫓跡
大手門櫓跡
大手門櫓跡

多門櫓は大手門の北側石塁上にある長櫓です。多門櫓の南側に続く石垣は大手門櫓跡で、大手門は胸川御門とも呼ばれました。

渋谷家屋敷跡
渋谷家屋敷跡
下台所跡・犬堂市衛門屋敷跡と方形井戸
下台所跡・犬堂市衛門屋敷跡と方形井戸

西外曲輪を東西に伸びる後口馬場の南側は上級武士が屋敷があった場所で、長塀の向かいには渋谷家屋敷跡、奥には下台所跡や犬堂市衛門屋敷跡が整備されています。

後口馬場
後口馬場
後口馬場の井戸跡
後口馬場の井戸跡

後口馬場は幅約10メートルの大きな道路・馬場跡です。後口馬場の北側、球磨川に挟まれた区域には相良清兵衛屋敷や息子の相良内蔵助屋敷がありました。相良清兵衛屋敷跡の歴史館の前には井戸跡があります。

大台所跡・御厩跡
大台所跡・御厩跡

球磨川と後口馬場に挟まれた区域の東部は、大台所や御厩になっていました。

相良内蔵助屋敷地下室(大井戸遺構)
相良内蔵助屋敷地下室(大井戸遺構)
相良内蔵助屋敷地下室(大井戸遺構)
相良内蔵助屋敷地下室(大井戸遺構)
相良内蔵助屋敷地下室(大井戸遺構)
相良内蔵助屋敷地下室(大井戸遺構)

大井戸遺構は、人吉城跡で二つ発見された井戸のある地下室の一つで、相良内蔵助屋敷の地下室の遺構です。地下室の構造は、石段の降り口、踊り場、方形の大型の井戸、黒色の小石敷き、その下のスギ板敷きなど。実物展示のため復元修理を行い、 上部に覆屋を設け休憩施設となっていますが、遺構はガラスで囲われている上、ガラスが反射して少し見づらいのが残念。もう一つの大井戸遺構は人吉城歴史館内にあり内部にも入れたようで、入ればよかったと悔やんでいますが、知らなかったし。下調べは十分にしないとですね。

馬責馬場
馬責馬場
馬責馬場
馬責馬場

馬責馬場は、東側の城主御館跡のある東外曲輪と西側の武家屋敷跡がある西外曲輪の間を、南北に貫いている道です。球磨川の方へ進み、東外曲輪の北側から本丸を目指します。

■東外曲輪

水ノ手門西側長塀と石垣
水ノ手門西側長塀と石垣
水ノ手門西側長塀
水ノ手門西側長塀
水ノ手門西側長塀
水ノ手門西側長塀

球磨川に出ると橋が架かっていますが、この橋は当時はなかったものです。橋からは復元された水ノ手門西側長塀と奥まで続いている石垣が見られます。

間米蔵跡
間米蔵跡
武者返し石垣
武者返し石垣
武者返し石垣
武者返し石垣

長塀の内側にある間米蔵跡は年貢米を収めた蔵の遺構です。御館北辺の石垣には武者返しと呼ばれる突出部がついた石垣があり、これは日本全国でも他には五稜郭と龍岡城にしかないという珍しいものです。

水ノ手門跡
水ノ手門跡
水ノ手門跡
水ノ手門跡

水ノ手門は、球磨川に面した場所にあった門で、年貢米や物資の搬入に使われ、川に面した石垣には船着場が設けられていました。

堀合門
堀合門
大村米御蔵跡・欠米蔵跡
大村米御蔵跡・欠米蔵跡

水ノ手門のすぐ近くにある門は堀合門で、城主御館の北側入口に置かれた門です。復元されたものですが移築された門は現存しています。堀合門の東側には大村米御蔵跡と欠米蔵跡があります。

御下門跡
御下門跡
御下門跡
御下門跡
御下門跡
御下門跡
御下門跡
御下門跡
御下門跡
御下門跡

さらに東へ進むと御下門跡があります。本丸・二の丸・三の丸への唯一の登城口に置かれた櫓門でした。いかにも城への入口といった雰囲気がとてもいいです。奥へと続く石段を登っていきます。

■三の丸

三の丸へ
三の丸へ
三の丸
三の丸
三の丸
三の丸
三の丸
三の丸

石段を登り切ると三の丸です。三の丸は球磨川沿いの最も低い場所にある広大な曲輪で、長屋や井戸、塩蔵がありました。そのまま道なりに進むと中御門跡です。

■二の丸

中御門跡
中御門跡
中御門跡
中御門跡

中御門跡は三の丸から二の丸へと繋がる巨大な櫓門跡で桝形虎口になっています。ここの石垣も素晴らしいです。

二の丸
二の丸
二の丸
二の丸
二の丸
二の丸
埋御門跡
埋御門跡

石段を登ると二の丸です。二の丸には御殿が建てられ、城の実質的な中心地でした。北西北端には埋御門跡があり、三の丸へ直接下りることができます。

■本丸

本丸へ
本丸へ
本丸
本丸
本丸
本丸

二の丸南西部には石段があり登ると本丸ですが、適当に地図を見たため護摩堂があるだけの場所だし疲れたし登らなくていいかなと思ったことが今思うと危なかった。思いなおして登ったらそこが本丸でした。本丸は、城内最高所にある天守台に相当する曲輪ですが、天守閣は築かれず二階建ての護摩堂が建てられていたそうでその礎石も残っています。

■三の丸

埋御門跡
埋御門跡
三の丸
三の丸
三の丸
三の丸

本丸から二の丸へ戻り、埋御門跡から三の丸に下りた左方向は虎口のようになっていて三の丸の各曲輪へつながっています。

三の丸(二の丸西側)
三の丸(二の丸西側)
三の丸(二の丸西側)
三の丸(二の丸西側)

二の丸の西側には広い曲輪が広がっています。

三の丸(北西部の曲輪)
三の丸(北西部の曲輪)
於津賀社跡
於津賀社跡

少し下側の三の丸北西部の曲輪には於津賀社跡があります。相良氏入国前の城主だった平氏の代官の矢瀬主馬祐をまつる霊社跡です。

■城主御館跡

外曲輪への石段
外曲輪への石段
城主御館跡
城主御館跡
相良護国神社
相良護国神社

三の丸西端部からの石段を下りていくと、東外曲輪の相良護国神社と相良氏の歴代藩主が祀られた相良神社が建っている、城主御館跡に出ます。ここは、かつて相良氏の藩庁や表屋敷(御殿)が置かれていた中心的な場所でした。

御館跡庭園
御館跡庭園
社務所
社務所
御館御門橋
御館御門橋
御館御門橋
御館御門橋
水堀
水堀

御館跡庭園は、池泉廻遊式の日本庭園で300年以上前に作庭されたそうです。無人社務所では、御城印や神社の御朱印を買うことができます。城主御館跡の最西部には水堀に架かる御館御門橋があり、石造りの桁橋として熊本県内最古として県指定重要文化財になっています。

岩下門跡
岩下門跡

最後に人吉城に入る4ヶ所の門のうち、南側入口にあった岩下門跡に行ってみました。ほぼ何も残っていない感じでよく分からずでした。

駐車場に戻ってきたのは15:45ごろで、大体2時間20分ほどの散策でした。

居食屋がらっぱ
居食屋がらっぱ
居食屋がらっぱ
居食屋がらっぱ

15:53ごろ、今日の宿・ホテルアルファーワン八代へ向けて出発、ホテル提携のセイワパーク八代本町にとめて、17:35ごろチェックインしました。夕飯はホテル1階にある居食屋がらっぱさんで、熊本名物のちくわサラダ(ちくわの穴にポテトサラダを詰めた天ぷら)やお刺身などいただきました。ホテルには大浴場もあってしっかり体を休めました。

明日は八代城を巡りますが、早起きしてチェックアウト前に散策することにしました。

塩原旅行#1

塩原温泉ホテルニューもみぢ
塩原温泉ホテルニューもみぢ

伊藤園ホテルズの塩原温泉ホテルニューもみぢにやってきました。今「うなぎ・金目鯛・牛タン 初夏の選べる贅沢釜飯」ということで、温泉でゆっくりが目的です。

創作和食膳
創作和食膳

ホテルニューもみぢの夕食は、1泊2食付創作和食膳+ハーフバイキングプランで、それに釜飯が付くということです。写真撮るの忘れちゃいましたが、金目鯛釜飯を堪能しました。

十枚荘温泉

十枚荘温泉朝食
十枚荘温泉朝食

今回の旅は銃埋葬温泉でジビエをいただくのが目的だったので、帰りは国道300号沿いにある南アルプス展望台で景色を少し堪能して帰ってきました。

南アルプス
南アルプス

帰りの道の駅でサンリオコラボの信玄餅を買いました。なんか最近サンリオコラボよく見ますねぇ。

サンリオコラボ信玄餅
サンリオコラボ信玄餅

富士山とジビエ

富士山
富士山

何度か行っていて今回4回目、ジビエ旅館の十枚荘温泉に行ってきました。行きに軽く富士山を見に行って、夜はジビエを堪能しました。

十枚荘温泉のジビエ
十枚荘温泉のジビエ

しし鍋、鹿刺身など堪能しました。鮎の塩焼きも絶品で、これまで食べた中で一番おいしかった!たまに来たくなる旅館です。

皆川城

皆川城
皆川城

栃木市にある皆川城へ行ってきました。標高147mの山城で、その形から『法螺貝(ほらがい)城』 とも呼ばれています。室町時代中頃、長沼(皆川)秀宗によって築かれました。栃木市指定史跡です。

居館跡
居館跡

当時の居館跡に皆川公民館があり、そこの駐車場にとめました。

居館跡土塁
居館跡土塁
居館跡土塁
居館跡土塁

駐車場北側に登城口がありますが先に居館跡西側にある土塁へ。

竪堀(南側)
竪堀(南側)
案内図
案内図

戻って登城口から登城します。正面は立派な竪堀、左に折れて西方向へ進むと案内図がありました。

雷電神社
雷電神社
厳島神社
厳島神社

西桜平方面へ進んでいくとすぐに雷電神社、厳島神社が並んでいます。

曲輪群と道
曲輪群と道
西桜平方面へ
西桜平方面へ

城跡南西側にある、みどころの竪堀をめざします。途中道の分岐点があり、いくつもの曲輪の法面やくねくねした道が伸びています。

竪堀(南西側)
竪堀(南西側)

さらに西桜平方面へ進むと右側に長大な竪堀がありました。これは幅9m、深さ4~5mの空堀を復元したものです。

西の虎口
西の虎口
横堀(西の虎口西側)
横堀(西の虎口西側)
横堀(西の虎口西側)
横堀(西の虎口西側)

さらに進むと右側に西の虎口があります。西の虎口の反対側を下りてみると横堀がありました。

西桜平
西桜平
見はらし平と竪堀への分岐
見はらし平と竪堀への分岐

さらに西桜平方面へ進み、見はらし平と竪堀への分岐を見はらし平方面へ向かうと山道に変わります。

城跡北側
城跡北側
北側の竪堀群
北側の竪堀群

進むと城の北側の竪堀群へ。

西の虎口枡形
西の虎口枡形
西の虎口枡形
西の虎口枡形

分岐まで戻って、竪堀方面へ進んで途中、右下に下がる坂道を下りていくと、西の虎口の枡形へ。

竪堀(南西側)
竪堀(南西側)
竪堀(南西側)
竪堀(南西側)
竪堀(南西側)
竪堀(南西側)
竪堀(南西側)
竪堀(南西側)

西の虎口から竪堀へ進み、堀底を登っていきました。竪堀を登り切ったところは東屋がある休憩広場と呼ばれる曲輪です。上から見る竪堀は迫力十分です。

休憩広場
休憩広場
西の丸南側枡形
西の丸南側枡形
西の丸南側枡形
西の丸南側枡形
西の丸
西の丸
西の丸
西の丸

休憩広場の西側から伸びる道を登っていくと桝形があります。左側高くなっているところは西の丸です。

二の曲輪
二の曲輪
二の曲輪
二の曲輪

枡形の正面はみはらし平と呼ばれる二の曲輪でとても広い曲輪です。

枡形(二の曲輪南西側)
枡形(二の曲輪南西側)
井戸と池のある曲輪
井戸と池のある曲輪
井戸
井戸
池

二の曲輪の南西側の道を下りると桝形があり、下りた先の曲輪には井戸と池があります。

北方向に登る階段
北方向に登る階段
枡形
枡形

井戸と池のある曲輪の西側には、北方向に登る階段と南方向に下りる坂があり、南方向部分は枡形になっています。

一の曲輪と二の曲輪分岐
一の曲輪と二の曲輪分岐
一の曲輪(本丸)
一の曲輪(本丸)
案内板
案内板
一の曲輪(本丸)
一の曲輪(本丸)
一の曲輪(本丸)
一の曲輪(本丸)
一の曲輪より
一の曲輪より

階段を登ると左が二の曲輪、右側をしばらく登っていくと山頂の 一の曲輪(本丸)です。展望台が建てられていて景色や段々になった曲輪群が楽しめます。ここにある案内板には割と正確そうな縄張り図も書かれています。

北側の曲輪群
北側の曲輪群
北側の曲輪群
北側の曲輪群

一の曲輪(本丸)から北側に下りてみると北側の竪堀群あたりに続いていました。

城南桜平
城南桜平
城南桜平
城南桜平

一の曲輪(本丸)のまわりの遊歩道を時計回りに進んでいくと、城南桜平とよばれる曲輪に出ました。この一段上は井戸と池のある曲輪です。

梅林
梅林
梅林
梅林
枡形(梅林東側)
枡形(梅林東側)
枡形(梅林東側)
枡形(梅林東側)
東あじさい平へ
東あじさい平へ

一段下の梅林と呼ばれる曲輪に下りて、桝形をとおり、東あじさい平方面へ。

東あじさい平
東あじさい平
東あじさい平
東あじさい平

東あじさい平は北の方まで続き、一番奥に東の虎口があるのですが、よく分からず。これで散策終了とし、南側の竪堀上から駐車場へ戻ってきました。

竪堀(南側)
竪堀(南側)
竪堀(南側)
竪堀(南側)

いろいろ回ったので2時間半くらいでした。この城跡は南側は整備が行き届き、北側もまぁまぁ整備されていて、特に段々になった曲輪群などはとてもいい感じでした。

静岡城めぐりの旅 #2-3 丸子城

今回の静岡城めぐりの旅、最後は丸子城です。

匠宿エントランス
匠宿エントランス

13:01ごろ駿府匠宿第一駐車場に到着しました。匠宿エントランス コトコトストアで御城印を買いました。茶染職人により染められた和紙に一枚一枚手作業で仕上げられたというもので800円です。かっこいいですね。

■■ 丸子城 ■■

丸子城跡鳥観図
丸子城跡鳥観図

丸子城(まりこじょう)は、静岡県静岡市駿河区にある山城で、最高所の標高は136m、比高100mです。駿河国守護今川氏の家臣斎藤安元によって築城されました。曲輪、土塁、 空堀、三日月堀、堀切、竪堀、枡形、馬出し等の遺構が残っています。

丸子城跡登城口
丸子城跡登城口
登城道(猪出没注意!)
登城道(猪出没注意!)
登城道
登城道

匠宿敷地内にある登城口から登城開始、登城道に入ると猪出没注意の表示があります。熊じゃないのは少し安心(とは言え危険)ですが、最近はどうなんでしょう。この表示から先は整備されているとはいえ、外曲輪に着くまでひたすら急な階段が続きました。キツかった山城を思い出すくらいキツイですが、でも距離は短めなので15分足らずで外曲輪へ。

■外曲輪

丸子稲荷神社奥宮
丸子稲荷神社奥宮
外曲輪
外曲輪

外曲輪の入口には麓にある丸子稲荷神社の奥宮があります。丸子稲荷神社は丸子の氏神として祀られ、武田信玄や徳川幕府に崇敬されたそうです。鎮座1050年を記念して奥宮が建立されました。外曲輪は東西に長い広い曲輪です。

丸子城案内板
丸子城案内板

外曲輪にも案内板がありました。これで3種類の案内図があったことになりますが、表記が統一されておらずわかりにくいです。地形の確認にはここのもの、曲輪の確認には登城口にあったものがよかったです。

■大手曲輪(東曲輪)

土橋
土橋
三日月堀
三日月堀

外曲輪の間は緩やかですが、終わると急坂になり、その先に土橋と三日月堀があります。木や草のせいで写真だと三日月堀がよく分からないですね。

大手曲輪(東曲輪)
大手曲輪(東曲輪)
大手曲輪(東曲輪)
大手曲輪(東曲輪)
北曲輪へ
北曲輪へ

土橋の先は大手曲輪(東曲輪)です。ここからはずっとなだらかな坂で北曲輪に続きます。

■北曲輪

北曲輪
北曲輪
北曲輪
北曲輪
北曲輪
北曲輪

北曲輪は今川氏時代の本丸です。

北曲輪土塁
北曲輪土塁
横堀
横堀

大きな土塁があり、その先下方に横堀が見えます。

堀切(北曲輪-三の曲輪)
堀切(北曲輪-三の曲輪)
堀切(北曲輪-三の曲輪):東側竪堀
堀切(北曲輪-三の曲輪):東側竪堀
堀切(北曲輪-三の曲輪):西側
堀切(北曲輪-三の曲輪):西側

北曲輪と三の曲輪間の堀切があります。

■三の曲輪

三の曲輪
三の曲輪
横堀
横堀
横堀
横堀

土塁の手前西側へ下りられそうだったので横堀へ寄り道してみました。

三の曲輪
三の曲輪
三の曲輪
三の曲輪

さて先ほどの土塁が高く登れば二の曲輪かと思ったのですが、案内図に寄れば三の曲輪に土塁が2つあるのと二の曲輪との間の東側に堀があるようなので、この先もまだ三の曲輪かなということでそのていで進めます。

竪堀
竪堀

進むと先の一段上の手前左側に竪堀がありました。三の曲輪はここまででよさそうです。とはいえ鳥観図では三の曲輪の表記はなく二の曲輪にまとめられています。おそらくはっきりしないのかも。確かにこの地形では全部二の曲輪にまとめちゃっていい気がします。

■二の曲輪

二の曲輪へ
二の曲輪へ
二の曲輪
二の曲輪
二の曲輪
二の曲輪
二の曲輪より
二の曲輪より

二の曲輪は平坦で、静岡市街がのぞめるビュースポットです。

湾曲する土塁
湾曲する土塁

二の曲輪からは横堀の湾曲させた土塁を上から見れます。

堀切(二の曲輪-本曲輪)
堀切(二の曲輪-本曲輪)
堀切(二の曲輪-本曲輪)
堀切(二の曲輪-本曲輪)
堀切(二の曲輪-本曲輪)
堀切(二の曲輪-本曲輪)
堀切(二の曲輪-本曲輪)
堀切(二の曲輪-本曲輪)

二の曲輪と本曲輪の間は堀切です。

■本曲輪

桝形虎口
桝形虎口
桝形虎口
桝形虎口
本曲輪
本曲輪
本曲輪
本曲輪

堀切から登ると本丸ですが、虎口は桝形虎口になっています。

平虎口
平虎口
平虎口
平虎口
袖曲輪
袖曲輪

本丸に入って左側(東側)には平虎口があり、その下に袖曲輪が段状に下に続いていますが、ここからは一段くらいしか見えません。

物見曲輪
物見曲輪

本曲輪西端部には馬出曲輪の案内板があります。これはこの場所ではなく、ここから見えるという意味で下を見ると物見曲輪がありますが馬出し的な役割を持ったとしてこう呼ぶようになった?

喰違い虎口
喰違い虎口
喰違い虎口
喰違い虎口

物見曲輪へ行くには、本曲輪西側にある喰違い虎口を下りるのがルートのようですが、ロープが張られていたので二の丸との堀切から横堀経由で向かいました。

■物見曲輪・大鈩曲輪(丸馬出)

物見曲輪
物見曲輪
物見曲輪から見た大鈩曲輪(丸馬出)
物見曲輪から見た大鈩曲輪(丸馬出)
大鈩曲輪(丸馬出)
大鈩曲輪(丸馬出)
長大竪堀
長大竪堀
三日月堀
三日月堀
大鈩曲輪(丸馬出)
大鈩曲輪(丸馬出)
大鈩曲輪(丸馬出)南側の竪堀
大鈩曲輪(丸馬出)南側の竪堀

物見曲輪の一段下には大鈩曲輪(丸馬出)と三日月堀があります。その脇からは一直線に下に伸びる長大竪堀があります。

横堀
横堀

ひととおり遺構は見ることができたので横堀経由で下城しました。14:43ごろ登城口に下りてきました。予想よりも短時間で済んだので、計画通りに帰宅しました。

静岡城めぐりの旅 #2-2 小山城

道の駅掛川
道の駅掛川

横須賀城の次は小山城に向かいましたが途中道の駅掛川でうなぎパイをお土産に買いました。

■■ 小山城 ■■

小山城は、静岡県吉田町にあった日本の城で吉田町の指定史跡です。武田氏が遠州攻略のため砦を拡張し小山城としました。舌状台地上に本曲輪・二の曲輪・三の曲輪を配置した連郭式平山城です。

駐車場?
駐車場?

Google Mapで適当に小山城跡でナビセットしたせいか、11:06ごろ駐車場らしきところについたものの、何の表示もなく。。。しかし目の前に登城路が見えたのでクルマを置かせてもらって登城しました。戻ってから思いましたが、これどう見ても資材置き場かなんかでしたかね。

■大手門跡・三重堀

大手門跡
大手門跡

登城路を登っていくとすぐに大手門跡に至ります。以前は冠木門が建っていたようですが、今は何も建っていません。

勘助井戸
勘助井戸
三重堀
三重堀
三重堀
三重堀
三重堀
三重堀

右側には勘助井戸と三重堀。勘助井戸は、武田氏の軍師といわれた山本勘助の声がかかっていると伝えられる井戸です。三重堀は三日月堀が三重になっていて当時のままの形が残されています。

■三の曲輪

展望台小山城
展望台小山城

三重堀の土塁を通り反対側に出ると、天守の形をした展望台が見えます。

三の曲輪
三の曲輪
空堀(三の曲輪-二の曲輪)
空堀(三の曲輪-二の曲輪)
空堀(三の曲輪-二の曲輪)
空堀(三の曲輪-二の曲輪)

三重堀の東側は三の曲輪です。二の曲輪とは空堀で区切られています。

■二の曲輪

丸馬出・三日月堀
丸馬出・三日月堀
丸馬出・三日月堀
丸馬出・三日月堀
丸馬出
丸馬出

空堀を渡ると二の曲輪です。二の曲輪には丸馬出とそれを囲む三日月堀があります。

■本曲輪

本曲輪虎口
本曲輪虎口
空堀(二の曲輪-本曲輪)
空堀(二の曲輪-本曲輪)
本曲輪
本曲輪
本曲輪
本曲輪

丸馬出の東側は本曲輪への虎口で本曲輪との間の空堀に橋が架けられています。説明板には土橋と書かれていて、確かに木橋の下に土橋のようなものがあります。本曲輪は芝生広場になっています。

■展望台小山城

展望台小山城
展望台小山城
展望台小山城
展望台小山城
展望台小山城
展望台小山城

高さ21m、3層5階の模擬天守(展望台小山城)は二の曲輪に建てられています。

縄張り模型
縄張り模型

展望台小山城は入館料200円で、武田氏ゆかりの品々が展示されています。

展望台より
展望台より
展望台より
展望台より
展望台より
展望台より

最上階は展望台。本来の駐車場(吉田町営駐車場)も見えて「あそこだったか」と納得しました。

小山城御城印

12:00ごろ資材置き場に戻り、御城印は吉田町営駐車場にある「しらすのまどぐち」さんで入手しました。駐車場からの展望台小山城をパチリ。

展望台小山城
展望台小山城

12:17ごろ丸子城に向けて出発しました。本来11:40ごろ丸子城に到着する計画だったので、大幅なタイムロスです。

静岡城めぐりの旅 #2-1 横須賀城

静岡城めぐりの旅二日目は横須賀城丸子城です。小山城にも行きたいので早起きし、6:39ごろ出発しました。

■■ 横須賀城 ■■

横須賀城跡公園駐車場
横須賀城跡公園駐車場
横須賀城案内板
横須賀城案内板

7:03ごろ横須賀城跡公園駐車場に到着しました。駐車場は二の丸と西の丸の間にあります。

横須賀城御城印

横須賀城は、掛川市にある平城で、国の史跡に指定されています。戦国時代末期に徳川家康が家臣大須賀康高に命じて築かれました。他では見られない玉石垣が特徴です。

■西の丸・帯曲輪

西の丸
西の丸
西の丸西斜面の石段
西の丸西斜面の石段
西の丸帯曲輪
西の丸帯曲輪

西の丸へ登る階段には石垣の復元遺構が見られます。途中平坦な帯曲輪となっていて、さらに登ると西の丸です。

西の丸
西の丸
西の丸
西の丸
西の丸から下りる石段
西の丸から下りる石段

西の丸の東端は本丸に続き、少し手前に本丸南斜面下段へ下りる石段があります。特徴的な玉石垣が見えてきます。

■本丸南斜面下段

本丸南斜面高石垣
本丸南斜面高石垣
本丸南斜面中段(中)、下段(下)
本丸南斜面中段(中)、下段(下)
本丸への石段(左)、本丸南斜面中段への石垣(右)
本丸への石段(左)、本丸南斜面中段への石垣(右)
西の丸への石段(左)、本丸への石段(右)
西の丸への石段(左)、本丸への石段(右)
本丸南下門跡
本丸南下門跡

本丸南斜面下段で見られる石段はすべて玉石垣でこのような城跡は確かに見たことがありません。ここからは本丸、本丸南斜面中段への石段があります。さらに一段下に下りる坂に本丸南下門跡があります。

三日月池
三日月池
三日月池
三日月池

さらに一段下りた道沿い東側には三日月池があります。これは唯一残る水堀だそうです。

■三の丸

太鼓櫓跡
太鼓櫓跡
三の丸
三の丸
牛池跡
牛池跡

三日月堀から東へ進んで行くと三の丸です。途中に東大手門の跡がありますが、遺構は何もありません。城跡保存活用計画の地図からすると道路から三の丸に入る坂の途中辺りに太鼓櫓があったようですが、案内等は何もありません。三の丸は広大な敷地ですがやはり遺構の案内等もないのでただ広いだけ。三の丸の西側には牛池がありました。

■三日月池北側中段

三日月池北側中段の本丸石垣と玉砂利敷遺構
三日月池北側中段の本丸石垣と玉砂利敷遺構
三日月池北側中段の本丸石垣
三日月池北側中段の本丸石垣

三ノ丸の西南隅から三日月池の西側に進みます。その上段は三日月池北側中段で、玉砂利敷遺構や本丸の巨大な石垣を見ることができます。石垣の右側には本丸へ続く坂がありますが、ここは一旦、本丸南下門跡まで戻って本丸にあがり、その坂から下りてきて北の丸をめざすことにします。

■本丸南斜面中段

本丸南斜面中段の石垣
本丸南斜面中段の石垣
本丸南斜面中段より
本丸南斜面中段より
本丸南斜面中段
本丸南斜面中段

本丸南斜面下段から右手前石段を登ると本丸南斜面中段です。

■本丸

本丸への石段より
本丸への石段より
天守台
天守台
天守台
天守台
本丸土塁
本丸土塁

本丸の北東隅には4層の天守があった天守台があります。北側に土塁、東・南側では石垣が確認され、天守1階北側が土塁上に架かる形態だったそうです。

本丸
本丸

南側には横須賀城跡復原模型が設置されています。こういう模型って後から見返す時にすごく役に立ちますね。

本丸南東隅の崩れた斜面
本丸南東隅の崩れた斜面

本丸南東隅から先ほど三日月池北側中段へ下りる坂の手前の斜面は崩れています。

本丸南東隅の崩れた斜面
本丸南東隅の崩れた斜面


坂を下りて北の丸へ向かいます。

■北の丸

北の丸
北の丸
本丸北側斜面
本丸北側斜面
建物跡石列遺構
建物跡石列遺構
溝状石列遺構
溝状石列遺構
地覆石溝状石列遺構
地覆石溝状石列遺構

北の丸では建物跡石列遺構、溝状石列遺構、地覆石溝状石列遺構などが見られます。

■松尾山

松尾山へ
松尾山へ
松尾山
松尾山
多門櫓跡
多門櫓跡
多門櫓跡
多門櫓跡

北の丸の東側にある松尾山に登ります。松尾山はもともと本丸があった場所だそうです。一番奥に多門櫓跡があります。

大堀切
大堀切
大堀切
大堀切

松尾山の北側と東側には大堀切があり、上から見ることができます。かなりの高さです。

■米倉

北の丸の東側から少し下がったところは米倉です。

米倉へ
米倉へ
米倉
米倉
米倉
米倉

■二の丸

米倉を進むと駐車場に戻ってきます。続いて二の丸を散策します。二の丸には御殿や御朱印蔵、武器蔵、土蔵などがあり、城主の住居や執務を行う場所だったそうです。三の丸同様、遺構の案内等もないのでただ広いだけです。

二の丸
二の丸
北外堀跡
北外堀跡
北外堀跡
北外堀跡

二の丸を左手に見ながら北上すると米倉の北側、北外堀跡を確認できます。北外堀跡は二の丸の北側、不開門跡あたりまでずっと続いています。

■不開門・外堀跡

不開門跡
不開門跡
撰要寺山門(横須賀城移築不開門)
撰要寺山門(横須賀城移築不開門)
撰要寺山門(横須賀城移築不開門)
撰要寺山門(横須賀城移築不開門)

二の丸は西に向かって西曲輪、厩曲輪と続いていますが、その境界はよくわかりません。厩曲輪には不開門跡があります。不開門はすぐ北側にある撰要寺の山門として移築されています。

西外堀跡
西外堀跡
西外堀跡
西外堀跡
西大手門跡
西大手門跡
西櫓跡
西櫓跡
中土居道跡と南外堀跡
中土居道跡と南外堀跡

不開門跡の西側に用水路が流れていますが、これは西外堀跡です。南に進むと県道に出ますが、県道の部分は中土居道と呼ばれる土手で、その南側は入り江でした。北側は南外堀跡です。東に少し進むと西大手門跡、その隣に西櫓跡があります。

これで散策は終了です。早起きの甲斐があり時間ができたので、小山城に行くことにしました。9:32ごろ出発しました。