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坂東三十三観音御朱印額

坂東三十三観音御朱印額

谷汲の水谷美術さんに依頼していた坂東三十三観音の御朱印額が届いた。

秩父は掛け軸だったが、額の方がボードで保護されるし安心して飾れるのがいい。

さっそく仏壇の近くに設置したけど、依頼時にもらった2つの参画のクッションのようなものをどうするのが適切なのか分からずネットで調査。このクッションは額受けと額縁の間に入れて額縁を傷から守るためのもので、額ふとんということである。

岐阜旅行 #2

二日目、朝7時10分過ぎに東洋健康ランドを出発。8時過ぎには華厳寺に到着。今日は駐車場は無料で、参道も今まで来たときはクルマで入れなかったのが入れるようになっている。だが目的の水谷美術さんは参道の手前側なので大駐車場へとめ、まずは華厳寺の参拝へ。

こんな朝早く表装やさんやってるんだろうか?と心配してたがそんな心配は的中!他の参道沿いの店もぜーんぶしまっている。みな9時からのようだ。仕方ない。9時すぎまでゆっくり参拝しよう。

華厳寺手水舎おいずる堂

とはいっても、ここは昨年からの短い期間で3回目。ゆっくりするにもなぁというのが本音。でも前2回のときは工事中だったところの工事が完了していて、そこに登場したのは新しい手水舎。すこしずつ変化というのはあるもんだな。

そうそう、西国三十三所の2巡目を始める前に札所会発行の勤行次第が欲しいので納経中に聞いてみたら、ここは満願寺なので置いてないと。まぁ半分納得である。どの順で回ってもいいとされているが、わざわざこの寺を最初に参る人はそうそういないだろう。

水谷美術

ゆっくりしているうちに9時。水谷美術さんへ行くと今までいつも勉強してくれたおばさんに話を聞く。額装の38000円を35000円にすると言ってくれるが、「前もっと勉強してくれたし〜」とか言ってると、おじさんが3×000円にしてくれると!全然目標額を超えるうれしい金額まで下げていただけました。たまたま西国は軸を持っていないというと、おじさん曰く軸の絵師の9割は岐阜でこの店では絵師から直接手配しているので、お寺で軸を買うよりかなり安いそうだ。次回り始めるときにはこちらで準備しよう。(なお、おじさん、おばさんと言ってはいるものの、自分とそう変わらないのであしからず。)

さてミッション達成で帰路による観光地。今日は犬山城と昨日行けなかった岩村城へ行くことにした。犬山城は行ったことがあるが、日本100名城のスタンプを持っていないのだ。意外にこういう城は多く、この近辺では名古屋城もスタンプがない。

犬山城犬山城わん丸くん犬山城

犬山城につくと第一駐車場が満車で臨時駐車場に案内された。臨時駐車場は第二駐車場とかより近くてかなり便利な場所でよかった。犬山城の入城料は500円。門をくぐるなりおじさんから写真撮りますよと話かけてきて、?、よくある写真売り?と思ったけどそうではなくおそらくボランティアの写真撮りますという親切なもの。ほんとに撮ってくれるだけ。一人旅が多い自分としては、どの観光地でもあってほしいサービスである。まずは日本100名城のスタンプをゲット。犬山城も結構混んでて、天守に登るまでに20分くらい待ったか。天守自体はそんなに大きいものではないけど、木曽川に沿った高台に建ってるため、眺望は抜群である。散策後降りてくるとしたにかわいいゆるキャラが!それは「わん丸くん」。公式サイトによると全国で唯一市の名前に犬がつくのは犬山だけということで犬山のキャラなのだそうだ。そこそこかわいいが、ふっかちゃん贔屓の自分としてはまだまだかな。今回は木曽川対面からの犬山城も撮ってきた。犬山城の入城チケットではほかにも見れる施設があったが、そちらはパス、岩村城へ。

iwamurajo_map六段壁本丸本丸の石垣

岩村城は恵那市にある山城跡。岩村歴史資料館にスタンプが設置されていて、そこから歩いて城跡へ行くこともできるし、直接城跡までクルマで行くこともできる。とりあえずスタンプをゲットし城の案内図をみると、歩いて行った方が見どころ多いということで歩いて登ることにした。本丸までは800mちょっと約20分。サンダルに石畳の坂や石段はちょっときつい。現存する建物はないため山城ならではの石垣などが見どころとなる。一番印象的なのは六段壁。こういうのはあまり見たことのない綺麗なもの。一応案内図にあるスポットは全部見ようということで本丸まで順調に行けたが、最後の出丸と南曲輪が行けないなと思ったら本丸から見下ろす場所に駐車場があり、そこが出丸、そこをさらに少し道沿いに降りた場所が南曲輪。よかった全部制覇!山城跡はいくつかいままでも行ったことはあるが、ここは資料館駐車場からも20分程度で行けるので散策しやすい方だと思う。

道の駅木曽福島と御嶽山

ということで今日の観光は終わり、帰路へ。途中の道の駅木曽福島では夕方でもう暗くなり始めていたけど、噴火騒動真っ只中の御嶽山が見えた。

それと行きはパスした新和田トンネル有料道路を通らない、旧道の方へ行ってみる。前回夜間初めて通った時は逆向きであるが、基本の印象は同じでとにかく暗くてよく見えない。そしてまずお目見えしたのがもそもそと道を横切る狸。そしてそのあと野生のシカと狸が道の真ん中に!ほんと夜だと当たり前のように暗闇からシカが現れてマジあぶなく轢いてしまいそうになる。結局ここを抜けるのにシカは3頭、狸3匹と遭遇。初めてじゃないのもあって今回は結構楽しめた!今度は昼間通ってみたいかも。

ということで自宅には22時ごろには到着。予定より早く着いた。今回の旅では高速を使わない代わりにその途中の観光スポットを巡ったのだが、これは案外よかった。高速使わないなりの効率的な旅のやり方という印象で次回もやってみようか。というか、れくと君の燃費が良すぎて高速代がバカらしく感じるようになりつつあるよ。

岐阜旅行 #1

今日は岐阜旅行の一日目。先日坂東三十三観音を結願し、善光寺へお礼参りに行って納経掛け軸が全て埋まったので、西国三十三所の満願寺である華厳寺の参道にある水谷美術さんへ表装をお願いしに行くためである。

なぜわざわざ岐阜まで?昨年西国三十三所を結願したときにたまたま水谷美術さんで散華貼り台紙と額縁を見つけおまけしてもらったことを機に、なかなか表装できずにいた秩父三十四観音の掛け軸の表装をお願いした。その時もおまけしてくれた。知らないところでやってもらうよりその場でたくさんの商品を見比べてなおかつ勉強もしてくれるということが分かりやすくて面倒じゃないところがいいのだ。

でもガソリン代と高速代を考えるといくら勉強してくれても損してる?ということで今回は高速は使わない!以前四国行った帰りに明石から家まで高速使わずに帰ってきたのに比べればだいぶ楽なはず。往復約800キロ、燃費23km/L、レギュラー155円と想定すると5400円程度で行ける。ならば5400円くらい勉強してくれればいいということだ。

朝9時すぎに家を出発。長い道のり、高速使わないので9時間くらいは見ておく。今日は岐阜で常宿としている東洋健康ランドが最終目的地。表装のお願いは明日朝からとする。途中で一か所だけ有料道路を使う。新和田トンネル有料道路だ。650円も取られるがここは旧道を行くと結構大変なので一度夜間に旧道を通ってからは有料道路を使ってる。途中で適当な観光地に寄ったりして行けばそれなりに旅行っぽくなるということで、今日は岩村城へ寄るつもり。

岩村城日本100名城に選ばれている。場所的になかなか行く機会がなかったので今回はベスト。道のりはいたって順調。三連休でも高速じゃないので渋滞はない。だけど、出発時間が少し遅すぎだよねー。岩村城は17時までスタンプをもらえるが、現地に到着見込みが16時くらい。時間的に余裕はあるけど日没近かったりするのが少し不安な感じ。

そんな状況下、少しその手前に馬籠宿がある。以前Fくんとその隣の宿場町である妻籠宿へは行ったことがあったので急きょ馬籠宿に行くことにし、岩村城は明日の帰路によることに変更。

馬籠宿馬籠宿馬籠宿

タイミングもあるだろうが、馬籠宿は沢山の観光客でにぎわっている。基本的に中仙道の坂道になったところに構成されていて景色もきれい。建物は妻籠宿やほかの宿場町と同じ感じで木造の古い風情あるものが立ち並ぶ。やたら外国人観光客がいたけど、こういう風景は日本そのものを感じるんだろう。

東洋健康ランド東洋健康ランド東洋健康ランド

馬籠宿を観光し、そのまま東洋健康ランドへ向かい、到着は19時40分ごろ。ゆっくり風呂入って飯食って寝るにはベストの時刻。ここは夕方4時から入館料700円で深夜割増1000円ととても安いのがいい。

明日は8時から華厳寺拝観可能なのでそれに合わせて出発することにしよう。

坂東のお礼参りで善光寺

今日は午後半休をとったので、坂東三十三観音結願のお礼参りに善光寺へ行ってきた。ほんとは高速使わずに行くつもりだったけど、参拝時間が16時までということなので間に合わない可能性も少なからずあったので、行きは高速。

善光寺はかなりの回数行ってるので、もう最近は写真撮る必要もほとんどなし。だけど今日はなんとなくいつもと違うなーと思う景色が目に留まり、みるといつもしまっている経堂が開いていて、どうやら整備のようなことをやっているようだった。

あと今日はお線香も買ってみた。お寺で売っているお線香は少し高いけど御利益ありそうだし。

ということで帰りは高速使わずに帰ってきた。

坂東三十三観音 #17

今日はどこかとりあえず日帰りでも行くぞということで、ちょうど先日予約はしたものの都合でキャンセルした、れくた君ことCT200hのガラスコートをしてもらおうと予約の電話を入れる。すると今日の今日なので17時からに。ならばその前にそっち方面のどこかに行ってからレクサスに行けば充実だよね、ということで、レクサス店の途中に寄れそうな、坂東三十三観音の満願寺へ。

■第17番 出流山 満願寺

宗派:真言宗智山派
本尊:千手観世音菩薩
詠歌:ふるさとを はるばるここに たちいづる わがゆくすえは いづくなるらん

縁起について、公式HPから引用(抜粋)する。

満願寺山門満願寺本堂

今から千二百余年前に修験の行者、役の小角によって「観音の霊窟」(鍾乳洞)が見つけられ、天平神護元年(765年)日光山繁栄の源を作られた勝道上人によって開山されました。この「観音の霊窟」には鍾乳石によって自然にできた十一面観音像があります。当山の奥之院にお祀りされている鍾乳洞で自然にできた「十一面観音菩薩」は子授け、安産、子育てのご利益があると信仰されています。

ちょうど境内には桜などが美しく咲き時期的にはいい参拝タイミング。奥之院にも行きたいところだが、満願寺には何度も参拝していて今日は時間が限られているため、本堂をお参りするにとどめ、奥之院へはお参りしないことにした。それでも結構ギリギリな時間。ちゃんとお参りもして、写真も収めてとなると結構な時間を使ってしまい、予定の17時にレクサス店に着けるかそうとうやばい時間になってしまった。

レクサス店についたのは、17時20分ごろ。ガラスコートと洗車で美しくよみがえったれくた君。明日からはどこか一泊しに行くつもりなので、あまり汚れててもね。

ということで明日どこに行く?候補は四国か竹田城。宿を調べるとどちらもまだ取れるが竹田城へ行くなら城崎温泉に泊まるつもりで、直前予約もOKという記載のあるよさそうな宿があったので、明日早起きできたらそのタイミングで予約しよう!もし起きられなかったら日帰りに変更だ!

坂東三十三観音 #5、小田原城

今日は小田原まで出かけ、坂東三十三観音の第5番、勝福寺(飯泉観音)と、小田原城へ行ってきた。
先日ゲットしたHDR-AS100Vをクルマに積んで、途中のルートを録画しながら現地にむかう。ところが途中で知らない間に電源が落ちていることに気づいた。買ってから今まで何度か車に乗せて録画をしてみたけれど、こういう事は初めて。原因はよくわからないのでとりあえずもう一回録画を始めて様子をみた。その後は1度もそんな事は一切なし。何だったんだろう、間違えてボタンを押したかな。3連休の初日なので大混雑を覚悟したが、方向が違うからか、それほど大した渋滞等には巻き込まれずに現地に着いた。

■第5番 飯泉山 勝福寺(飯泉観音)

宗派:真言宗
本尊:十一面観世音菩薩
詠歌:かなはねば たすけたまえと 祈る身の 船に宝を つむはいいづみ

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勝福寺観音堂青銅水蜂勝福寺観音堂

勝福寺は小田原厚木道路の小田原東インターチェンジから近く、比較的大きめの駐車場も境内前にあるのでアクセスは良い。境内にある手水鉢が形が船の形で船頭が竜の頭、船尾に十一面観音様が座っているという変わった形のもので青銅製。勝福寺について、境内に設置された案内板から引用する。

『飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、十一面観音を本尊とする。創立は、奈良時代の頃で、弓削道鏡が流されて下野に赴くとき、千代の里に寺を建立し、孝謙天皇より賜った唐国伝来の観音像を安置したのに始まると伝えられる(千葉山弓削寺)。後に寺が焼けて当地に移され、飯泉山勝福寺と称した。伝承として、曽我兄弟が仇討祈願のために日参し、五郎が百人力、十郎が十人力を授かり、富士の裾野で仇討ちに成功したことや、講談で有名な雷電為右衛門が、田舎相撲の大岩大五郎を倒したことがある。また、二宮尊徳が少年時代の頃、旅僧から観音経を聞き、一念発起した地であるといわれている。』

小田原城天守から

小田原城天守閣小田原城スタンプ

参拝後、ご朱印を頂き小田原城へ向かう。記憶によれば小田原城には、2回くらい訪れていると思う。ただ、日本100名城のスタンプはまだ入手していなかった。あまり時間も無いので、足早に散策。天守閣内は、様々な展示がされているが、ほとんど見ずに最上階まで行き、天守閣からの360度の景色を堪能。危うく日本100名城のスタンプを忘れるところだった。日本100名城のスタンプは、天守閣の1階にあるため、勇気のある人ならスタンプだけくださいといえるかもしれないが。

小田原城を後にして今日は都内で1泊して明日別の観音様に参ろうかと思っている。途中小田原東インターチェンジの近くにあるPCデポにより、アクションカム用にもうひとつSDXCカードを購入。都内までのルートは、より景色の良いところを通りたいなと思ったので、西湘バイパス、鎌倉と抜けて、朝比奈インターチェンジから上野まで高速利用。おかげで横浜ベイブリッジやレインボーブリッジなど、なかなかいい車載カメラの動画が撮影できた。

上野の民間駐車場へ車を停めて飲みに行きそのまま泊まり。

坂東三十三観音 #3,4,6,7

先週末から始めた、坂東三十三観音の午歳特別結縁巡礼。今日も鎌倉へ。

先週頂けなかった杉本寺の散華を入手も含め、参れるだけ参ろうと早めに出発するつもりが寝過ごしてしまったものの、10時前には杉本寺近くの民営駐車場に到着。杉本寺にて、境内図をよく見ると、先週見ていないものがあったことも分かった。拝観料をお納めする際、「本堂は奥まで入れます」との担当者から案内。先週のおじさんはそんな案内は全くなしだったので、当然本堂の奥には入っていない。もう一回来なさいということだったのかと少しは納得した気持ちになる。本堂の奥に入ると本尊が祀られており、やはりまた来てよかったと思う(あとで分かったが18日だったので入れたようである、これも今日来なさいという意味だったのかとまた納得)。そして納経所へ行って事情を話し、散華を無事頂くことができ、次の安養院へ向かう。

■第3番 祇園山 安養院 田代寺(田代観音)

宗派:浄土宗
本尊:千手観世音菩薩
詠歌:枯樹にも 花咲く誓ひ 田代寺 世を信綱の 跡ぞ久しき

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安養院には駐車場があるが、数台分しかないため満車の場合は困りそうであるが、今日は一台も停まっていなかった。このお寺について、ウィキペディアの引用方法もついでに習得したので引用してみることにする。

『この寺の歴史には、長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係している。長楽寺は、1225年(嘉禄元年)北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うため長谷笹目ヶ谷に願行を開山として創建した寺と伝えられる。山号を祇園山と号し、律宗の寺院であった。長楽寺は1333年(元弘元年)兵火により焼失し、大町にあった善導寺に統合され安養院長楽寺と号した。なお、安養院は政子の法号から取られたものである。一方、田代寺は1192年(建久3年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷に建立したのに始まると伝えられ、江戸時代になって安養院に統合された。千手観音は田代寺にあったもので、田代観音とも称されている。本堂内には寺の本尊の阿弥陀如来坐像(室町時代)の背後に札所本尊の千手観音立像(江戸時代)を安置する。』

-引用- 「安養院 (鎌倉市)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2014年1月12日 (日) 12:20 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

安養院本堂石造宝篋印塔(重文)と北条政子供養塔

一方、境内に設置された鎌倉市の案内板によると、
『尼将軍と称される北条政子が、夫である源頼朝の冥福を祈るために佐々目ガ谷に建立した祇園山長楽寺が前身であると伝えられます。その後、鎌倉末期に善導寺の跡(現在地)に移って安養院になったといいます。安養院は北条政子の法名です。延宝八年(1680)に全焼したため、頼朝に仕えていた田代信綱がかつて建立した田代寺の観音堂を移します。こうして「祇園山安養院田代寺」となりました』
とあり、こちらの方が簡潔で分かりやすい。

拝観料は100円。まず本堂をお参りしたのだが、平成5年にお参りしたときは中に入れたかすかな記憶があるが、今日は入れなかった。内陣には金色の阿弥陀様が見え、その背後に千手観音様が安置されているとのことだが、観音様は見えない。本堂の裏側には右側に石造宝篋印塔(重要文化財)と左側に北条政子の供養塔が並んで建っている。それほど大きな境内ではないが、明るく落ち着いた雰囲気のお寺。御朱印を頂き、次の長谷寺へ向かう。

■第4番 海光山 長谷寺(長谷観音)

宗派:単立(浄土宗)
本尊:十一面観世音菩薩
詠歌:長谷寺へ まいりて沖を ながむれば 由比のみぎはに 立つは白波

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長谷寺は門前も賑わう大きな寺で、駐車場も有料だが大きめであるので、クルマでの参拝もしやすい。長谷寺について、同じく境内に設置された鎌倉市の案内板から引用する。

長谷寺観音堂

『本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)の初瀬の山中で見つけた樟の巨大な霊木から、二体の観音像が造られました。一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一帯が衆生済度の願いが込められ海に流されたといいます。その後、三浦半島の長井浦(現在の初声あたり)に流れ着いた観音像を遷し、建立されたのが長谷寺です。』
と、なんとロマンのある話ではないか。入山料として300円を納め山門を入ると左右に池があり石段を登って、地蔵堂、更にその上に鐘楼(梵鐘は重文)阿弥陀堂、観音堂、大黒堂が立ち並ぶ境内上部に出る。観音堂の巨大な木造の十一面観音様をお参りし御朱印を頂く。

長谷寺経蔵長谷寺弁天窟

大黒堂のさらに奥には経蔵があり、輪蔵と呼ばれる形式で蔵内には一切経が納められている。この輪蔵を時計回転へ一回まわすとそれだけで経典を一通り読んだのと同等の功徳があると言われている。なんとこちらも観音縁日である18日に限り回せるとのことで運がよかった。なお同じ形式の経蔵が坂東三十三観音第16番水澤寺にもあり、そちらはいつでも回せるので何度か回したことがある。

大黒堂と経蔵の間には眺望散策路の入口があり、行ってみると途中に小さな千手観音様。更に進むと鎌倉を一望できる場所に続いている。観音堂と同じ高さの見晴台よりも高く、散策路自体一周するのもそれほど時間を要さないので余裕があればお奨めである。それと面白い見所としては下の境内にある弁天堂の奥にある弁天窟。洞窟になっており壁面には弁財天とその眷属である十六童子が彫られていて独特な雰囲気であった。

本来であれば次は第5番の飯泉観音と行きたいところだが、場所は小田原とかなり遠いため、帰る方向に向かいながら第7番の金目観音を目指す。

■第7番 金目山 光明寺(金目観音)

宗派:天台宗
本尊:聖観世音菩薩
詠歌:なにごとも いまはかなひの 観世音 二世安楽と たれか祈らむ

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光明寺は神奈川県平塚市にある。このお寺に関してはこんな場所にこんな感じで建っているという記憶がかなり残っているつもりだったが、着いた場所も景色も正直記憶とは違っていた。駐車場があるので心配していなかったのに、着いてみると満車。どうやらここも18日でなにやら行事(あとで調べると初観音会護摩供だった)をやっているらしかった。はてどうしたものか。そう言えば近くにコンビニがあったなと少し置かしていただいて(ちゃんとその後買い物はしました)お参り。

光明寺について。
『伝承によれば702年(大宝2年)に海女が海中から観音像を得たという。その後道儀上人が一宇を建立しこの観音像を安置したのが光明寺の始まりという。』

-引用- 「光明寺 (平塚市)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2014年1月22日 (水) 08:23 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

歓喜堂と本堂

境内に入るとなにやら賑やか。行事でお参りに来ている人の他、坂東を巡礼しているツアー団体も。団体さんは、本堂からかなり離れた場所で本堂に向かって勤行をしていて気遣いされてるのだなと少し感心。なお、本尊を安置する本堂内の厨子が国の重要文化財になっている。お参りの後、納経所に行くと先ほどの団体さんの納経帳が御朱印待ちの状態。御朱印をくださる人が一人だったため、ここで時間かかると今日はこれでお参り終了かと心配したが、大抵は個人の場合途中で割り込みさせてくれることが多く、今日も先に御朱印いただくことができた。面白かったのは御朱印担当の方が個人が来るたびに「先にこちらを入れてよろしいですか」と団体さんのツアコンに毎回聞くものだから、ツアコンさん、「どんどん入れて書いちゃってください」と返していたこと。いちいち聞かなくてもいいよとさも言いたさげだった。

さて時刻はまだ14時半、次は飯山観音である。

■第6番 飯上山 長谷寺(飯山観音)

宗派:高野山真言宗
本尊:十一面観世音菩薩
詠歌:飯山寺 建ちそめしより つきせぬは いりあいひびく 松風の音

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長谷寺は厚木市にある。現地には15時半ごろ到着したが、あまり参拝客はなく、駐車場も十分広かった。

長谷寺本堂長谷寺からの眺望

境内は山の上にあるということもあってか、荘厳な雰囲気が漂う。本堂でお参り後、本堂向かって左側にある納経所で御朱印を頂く時、午の土鈴が売っていたので、一緒購入した。歳男なので。境内には本堂のまわりを一周するような感じで坂東の第一番から三十三番までの観音様像が並んでおり、順に参拝できるようになっている。

なお、縁起には2説あるそうで、五色に輝く清水が湧く泉から十一面観音が現われて行基の持つ托鉢の中へ入ったことで、行基は観音像を刻み、泉の観音像を胎内に納め堂宇を建立したとする説と、領主飯山権太夫が旅僧を家に泊めると、僧侶(空海だった)にお礼にと大和長谷寺の本尊と同じ木で彫刻した一体の十一面観音を授けられ、観音堂を建立したとする説。

ということで今日は杉本寺含め5寺も巡ることができた。早起きするに限る。

坂東三十三観音 #12

昨日は帰りに上野に飲みに行きそのまま泊まって、朝帰る途中にふと思いつく。そう言えばこの2巡目の納経帳を購入した慈恩寺だけは、すでに御朱印を頂いてしまっている。ということは午歳結縁の印を押してもらうためにもうひとつ御朱印帳が必要になるな、ということで急遽そちらにお参りすることに。

■第12番 華林山 慈恩寺(慈恩寺観音)

宗派:天台宗
本尊:千手観世音菩薩
詠歌:慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても

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慈恩寺本堂慈恩寺納経所

都合三度目の参拝になる慈恩寺は、慈覚大師によって開かれた天台宗の古刹で岩槻にある。クルマでの参拝も駐車場があり行きやすい。さすがにこのお寺は雰囲気など覚えていた。他の参拝客が本堂の内陣に入るのを見て中に入れることを初めて知った。内陣には中央にご本尊の厨子があり、その両脇に二十八部衆(本尊千手観世音菩薩の従者)の仏像が並んでおり見事。納経所で御朱印を頂く際、手持ちの納経帳と同じものを購入し、そちらに御朱印を頂いた。手持ちの慈恩寺の御朱印と本日いただいたものをページ毎交換するのだ。我ながらいいアイデア。

玄奘塔の門玄奘塔

御朱印を頂いたあとはクルマで玄奘塔へ向かう。玄奘塔とは、かの三蔵法師・玄奘の遺骨が分骨され安置されている塔とのことで、これは知らなかった。着いてみるとなるほど、なんとなく門などは中国の雰囲気。わざわざ境内から離れたこの場所をお参りする人いるのかなと思っていたら、さきほど境内で見かけた男性も。でもお寺を参拝する前は事前に下調べしておいた方がいいなとつくづく感じる。たとえばこうやってブログを書くときにそのお寺について調べたりすると、見ていないものなどがあったことをあとから気づいたりすることが多いのだ。

坂東三十三観音 #1,2 午歳特別結縁巡礼

ふと思いつき、鎌倉へ。西国三十三所も満願したし、実は坂東三十三観音も納経軸で回りだしていたのも、西国をメインで回っていたため止まっていたので再開しようと思ったわけだ。ちなみに前回、坂東三十三観音を回ったのは、手元の納経帳によると平成5年の1月からで10月に満願。今回の納経軸で回りだしたのは開始はよくわからない。というのも納経軸では参拝日が記入されないからである。なので今再開しても間が開いたということも関係なし。

■第1番 大蔵山 杉本寺(杉本観音)

宗派:天台宗
本尊:十一面観世音菩薩
詠歌:頼みある しるべなりけり 杉本の 誓ひは末の 世にもかはらじ

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杉本寺は鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代に行基が開いたと伝えられる、鎌倉最古のお寺。坂東三十三観音の中でもお寺の駐車場がないという、クルマで回るには大変不便というか心配なところである。事前に駐車場情報を調べると鎌倉五山 第五位の浄妙寺の駐車場がすぐ近くにあるとのことで、そちらを目指す。前回はどうしたんだったか、全く持って記憶にない。浄妙寺駐車場に着くと一杯。すぐ空いたのでよかったが、もう夕方に近いからかもしれず、休日昼間だとはやり駐車に困ることは確実かも。なお駐車料金は1時間500円。そこから徒歩で杉本寺に向かうが、途中の信号左側のすぐ先に民営駐車場を発見。休日は同じ料金だが、平日なら30分200円とのこと、しかも少し穴場的なのでこちらの方が停めやすいかも。

工事中の石段と仁王門本堂工事中本堂

杉本寺に着くと何やら現在石段工事中。手すりを挟んで右側(登りの場合)が通れなくなっている。拝観料は200円。工事中だとお参りの記録としての写真もちょっとがっかりしたものになってしまうのが残念。石段をあがり、仁王門さらにいくと今度は本堂がなにやらグリーンのシートに囲まれている状況が見える。実は本堂の茅葺き替え工事もやっているのであった。これは終わった頃にまた綺麗になったところを見に来ないとなぁ。本堂内の納経所にて掛け軸と納経帳に御朱印をいただく。

■第2番 海雲山 岩殿寺(岩殿観音)

宗派:曹洞宗
本尊:十一面観世音菩薩
詠歌:たちよりて 天の岩戸を おし開き 仏をたのむ 身こそたのしき

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続いて向かったのは岩殿寺。杉本寺からクルマなら近い。ただし、通りから寺のあるところまでの道にかなり狭いところがあり気を使う。小さめのクルマに乗り換えたからよいが、前乗ってたクルマだと通れるか?っていうくらい。

納経所観音堂午歳結縁朱印

もうあたりは暗くなり始めているので、先に納経を済ませたのだが、なんと西国でも配布していたような散華を頂いた。なにこれ?杉本寺では頂いてないぞ。裏を見ると「午歳特別結縁巡礼 奉修記念」とある。あれ、もしかして午年だから坂東でも散華を配布するのか?あとで調べてみると、散華だけではなく、全く気づかなかったんだが「午歳結縁」と書かれた印が一つ増えていたのだ。「午歳結縁」の印は確かに杉本寺の御朱印にも押されていた。あー、杉本寺に散華頂けなかったからまた行かねば(因みに上にある杉本寺の散華は後日頂いたもの)。というよりも、午歳の間に三十三観音回らねば!ということでもある。これはやる気がでるというものだ。

御朱印を頂いたあと、観音堂をお参りした。

今日はここまで。第3番の安養院も近いのだが時間切れとなり帰路につく。

誕生日だぁ!

館乃誕生日だぁ!

かと言って特にイベントはない。

都畿山慈光寺に関東九十一薬師のガイド本が売ってたから買いに行くということで、まずは昼飯に館乃。ここ大昔に一度かな、来たことあるがそれっきり。久々に行くと結構いいじゃん。和食で酒のつまみもあるし、使える。なぜ来なかったんだ?不思議だ。縁がなかったとしか言いようがない。

文殊寺仁王門文殊寺鐘楼門文殊寺

次は文殊寺参り。このへんでは、このお寺は文殊様として学問の神様みたいな感じで親しまれている。日本三体文殊のひとつとも。俺も確か高校受験前だったかなぁ、お参りした気がする。つまりそれ以来なので初めて来た気分と同じ。

そして次は親父の墓参り。誕生日の報告ってわけじゃないけどね。いつもきれいにしてあげたいし。花もそろそろ枯れてるかもと思ったら何もなかった。でもこぎれいになってたから弟でも来たんだろう。

慈光寺どんどん亭

んで慈光寺。本堂のなかに薬師如来が祀られている。お参りしてご朱印もらったけど、住職、あっ、間違ったなぁだって。そう、印を観音様のやつ押してたんだった。あれぇ、これって薬師様?観音様?多分観音様なんだろうな。観音様お参りしなかったいたずらか?また来ます。

で夕飯は誕生日だということで、ごちしてもらえるってんで、伊勢崎へ。先に湯まーるで風呂入ってどんどん亭。そうしゃぶしゃぶだ!しかも今日は食べ放題。うれしー。チョー満腹でしあわせ。