前回からのつづきです。
■本丸



本壇から出て、本丸の北東側にいくと、昭和59年に復元された艮門と艮門東続櫓があります。

近くにある伯爵久松定謨頌徳碑は、旧松山藩主子孫の久松定謨伯爵が、松山城を私財で払い下げを受けた上で、維持費を添えて松山市へ寄贈したことを顕彰して建てられたものです。


本丸の北側へ進むと本壇を北側から見ることができます。

さらに進むと本丸の搦手に至ります。野原櫓は日本で唯一現存する望楼型二重櫓で国重要文化財です。搦手と本丸の北側を守っています。



乾櫓は築城当初の二重櫓で国重要文化財で、乾門と乾門東続櫓とともに、搦手を守っています。

搦手からは、連立式天守の北隅櫓・十間廊下・南隅櫓の連なりを真横から見ることができ、圧巻です。






搦手から本壇の南側を東へ進むと、搦手と大手を仕切る紫竹門があり、東塀・西塀とともに国重要文化財です。


本丸をひととおり散策したので、売店で伊予柑ソフトを買って休憩しました。
■黒門口登城道



続いて二之丸へ向かいます。大手門跡から黒門口登城道を下りていきます。



黒門口登城道は、二之丸から本丸へ通じる道へと続く江戸時代の正規登城道です。七曲りの石段が続きます。

七曲りの石段の先に中門跡があり、往時の石畳がそのまま残されています。



尾谷門跡を抜けると目の前に二之丸が広がります。持弓櫓台は登城道の食違虎口を形成しています。
■二之丸・三ノ丸




持弓櫓台の下を進むと、西大砲台、槻門に出ます。槻門は本丸大手への登城道と二之九搦手への道の分岐点に位置します。




二之九搦手への道を進むと二之丸多聞櫓があり、その門は二之丸御殿の通用口であり、二之丸史跡庭園の入口です。入って右側に券売所があります。入園料は200円です。


松山城二之丸史跡庭園は、表御殿跡と奥御殿跡に大別されます。多聞櫓の南側から出て、前の門を入ると有料貸室施設の聚楽亭があり、その先に奥御殿跡があります。流水園になっていて水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りが表現されています。


奥御殿跡の南側には南門があります。3つの門が集まっていて割と見たことない感じです。


林泉庭は庭園の東側山裾に作られた池泉回遊式庭園です。その脇から坂を登っていくと二之丸巽櫓台があります。この櫓台から南登り石垣が続いています。


さらに上っていくと有料貸室施設の勝山亭があります。

勝山亭から下りていくと林泉庭に出てその先は表御殿の御居間です。このあたりから北側に表御殿跡が続いています。




西の方へ進み右側にあるのは有料貸室施設の観恒亭です。表御殿跡は柑橘・草花園で、各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りが表現されています。


表御殿跡には大井戸遺構があります。発掘調査により発見され、井戸の東半分が床下になり、その上を囲炉裏で火をおこしていた焚木之間が覆っていました。




二之丸の北西部には四脚御門があります。四脚御門は二之丸御殿の正門にあたる門です。その横に番所と書かれたトイレ、その奥に米蔵があります。米蔵から南へ進むと井戸屋形があり、その先二之丸史跡庭園の出口です。


槻門跡から西へ抜けると栂門跡、黒門跡とクランク状の枡形がつづきます。


黒門跡を抜けると三之丸跡です。三之丸跡は大規模整備中です。


再度二之丸に戻って、多聞櫓と石垣に沿って進んで行くと県庁裏登城道に至ります。県庁登城道は長者ヶ平まで続きますが、登りながら南登り石垣を見ることができます。




登り石垣は、山腹から侵入しようとする敵を阻止するため、ふもとの曲輪と山頂の本丸を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたものです。南登り石垣はほぼ完璧な形で残っていますが、北側は一部分しか残っていません。

これで散策終了ということでこのまま登って長者ヶ平からロープウェイも考えましたが、もう登る気力がわかず。。。県庁裏登城道を下りて国道11号経由で駐車場に戻ることにしました。途中、期せずして外堀を見ることができました。
駐車場に戻ったのは、15:20ごろ、約4時間15分くらいの散策でした。三度目の登城ですが、やっぱり松山城は素晴らしいのひとこと、また来たくなります。
次は今回の旅最後の城、 湯築城に向かいます。