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4K – 大洲城

愛媛県大洲市にある大洲城の様子をLUMIX LX100とG7の4Kで撮影したものです。LX100でふわふわした感じのものはスタビライザーに付けて撮影しました。お城の中を歩きまわったりしてみましたが、まだまだ練習が必要です。

手ブレが気になる映像にはVegas Pro 13で手ブレ補正を使用、画質がゆるくなるので少しシャープネスをかけています。

お遍路さんの旅 6-3

お遍路さんの旅の第6回目の二日目です。今日は46〜50番と大洲城、湯築城、松山城に行く計画です。6:15に起床、6:50にホテルを出発、まずは46番へ向かいます。今日はかなり余裕のある時間取りなので20分遅れですが問題ありません。

■第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺

浄瑠璃寺 御朱印浄瑠璃寺 御影浄瑠璃寺 記念御影
浄瑠璃寺 御朱印・御影
浄瑠璃寺 本堂
浄瑠璃寺 本堂
浄瑠璃寺 大師堂
浄瑠璃寺 大師堂
浄瑠璃寺 説法石
浄瑠璃寺 説法石

浄瑠璃寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、布教に訪れ伽藍を建立、白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍の日光・月光菩薩、十二神将を刻んで安置し開基したとされます。その後弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復、四国霊場の一寺としたといいます。

12分遅れの7:12に到着です。今日は雨は残らない予報だったと思うけど、少しまだ降っています。今日の一番目の参拝者となりました。そんなわけで境内はとても静か。説法石は「おかけ下さい おしゃかさまが説法され修行されたインドの霊鷲山の石が埋め込んであります」と書かれているけど、あいにくの雨で濡れてて座れませんでした。

10分遅れの7:45、次の47番へ向かって出発。

■第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺

八坂寺 御朱印八坂寺 御影八坂寺 記念御影
八坂寺 御朱印・御影
八坂寺 本堂
八坂寺 本堂
八坂寺 大師堂
八坂寺 大師堂
八坂寺 救いの手
八坂寺 救いの手

八坂寺は真言宗醍醐派、本尊は恵心僧都作と伝えられる阿弥陀如来です。修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられ、1300年の歴史を有する古刹です。文武天皇の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立したとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来するそうです。その後弘法大師が荒廃した寺を再興して霊場と定めました。

八坂寺 いやさか観音
八坂寺 いやさか観音
八坂寺 山門
八坂寺 山門
八坂寺 閻魔堂
八坂寺 閻魔堂

8分遅れの7:48に到着です。

まずは駐車場の端にあるいやさか観音を参り、屋根付き橋のようになった単層小型の山門から境内に入ります。山門は天井には絵が描かれている極楽橋です。本堂前の石段の手前左側には、鎌倉時代に作られた宝筺印塔があり寺宝とされています。そして本堂に上がる石段の下から10段目の左側には「九難を去る救いの手」と言われる手形があり、足や目の病気にご利益があるそうです。本堂と大師堂をお参り後は、その間にある閻魔堂へ。左に地獄の径、左に極楽の径。トンネルのようになっていて、それぞれ地獄絵と極楽絵が壁に描かれています。

10分遅れの8:25、次は一旦お参りはお休みして、前回行くことを諦めた大洲城へ向かって出発。

■大洲城

大洲城は、鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって修築され、伊予大洲藩の中心として城下町は繁栄したそうです。明治維新後ほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、その後老朽化により天守は解体されました。その後、地元住民の城郭への保護活動と寄等により平成16年に復元されたのが現在の天守です。江戸時代から残る台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓は国の重要文化財です。

高欄櫓・天守・台所櫓
高欄櫓・天守・台所櫓
天守内部
天守内部
苧綿櫓
苧綿櫓
三の丸南隅櫓
三の丸南隅櫓

8分遅れの9:23に到着です。大洲市民会館駐車場に駐車し、二の丸跡を通り、井戸丸を経由して、本丸へ。日本100名城スタンプは大洲城内入口となっている、台所櫓入口にてゲット。天守は復元されたものですが、当時の工法・木造で復元、資料が充実していたためほぼ正確に復元できたそうです。確かに内部に入ると木は新しいけど構造はまさしく本物の城。こういう復元天守は好きです。ほんとに素晴らしい!肱川堤防上にある苧綿櫓は時間もないので、遠くから鑑賞。

ここではLX100をスタビライザーに装着して動画を撮影。なんとなくうまい感じで調整できた気がします。この手のスタビライザーの調整においてはカメラストラップを外すようですが、今回あえて着けてみました。するとこれがいい塩梅に舵取りの道具として役割を果たしちゃうような感じです。

ということで、10:27に48番に向けて出発しましたが18分も余裕ができているたことに気づきました。見学所要時間を90分としていたのに、60分のつもりで見てた。なので時間がある場合に予定していた、三の丸南櫓に行きました。ちょっとした公園として整備されていて中にも入れるようになっていましたが、それほど時間もないので入らずに写真と動画撮って48番へ向かいます。

■第48番札所 清滝山 安養院 西林寺

西林寺 御朱印西林寺 御影西林寺 記念御影
西林寺 御朱印・御影
西林寺 本堂
西林寺 本堂
西林寺 大師堂
西林寺 大師堂
西林寺 福授地蔵
西林寺 福授地蔵

西林寺は真言宗豊山派、本尊は十一面観世音菩薩です。聖武天皇の勅願により行基菩薩が伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」に堂宇を建立、本尊に十一面観音菩薩像を刻んで安置したのが始まりとされ、その後弘法大師が寺をいまの地に移して四国霊場と定めたそうです。

13分前倒しの11:27に到着です。お参りしていると後から袈裟を来たかっこいい姿のお坊さんでしょうか、お参りに来られました。もう完全にタイムスリップしたような光景に見えます。実際何者だろう?福授地蔵は納経所前の庭園にあり、お詣りすると1つだけ願いを叶えてくれるという、幸せを授けてくださるお地蔵様です。

16分前倒しの11:59、次の49番へ向かって出発。

■第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺

浄土寺 御朱印・御影浄土寺 御影浄土寺 記念御影
浄土寺 御朱印・御影
浄土寺 本堂
浄土寺 本堂
浄土寺 大師堂
浄土寺 大師堂
浄土寺 阿弥陀堂
浄土寺 阿弥陀堂

浄土寺は真言宗豊山派、本尊は行基菩薩作と伝えられる釈迦如来です。天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩が刻んだ釈迦如来像を本尊とし法相宗の寺院として開創されたとされます。のち弘法大師が荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗したとのことです。本堂と内陣の厨子は和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物で、国の重要文化財に指定されています。

19分前倒しの12:11に到着です。参拝客があまりいなかったので、お経をあげる自分を撮影してみました。どんな風に聞こえるかちょっと気になります。

24分前倒しの12:41、次の50番へ向かって出発。

■第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺

繁多寺 御朱印繁多寺 御影繁多寺 記念御影
繁多寺 御朱印・御影
繁多寺 本堂
繁多寺 本堂
繁多寺 大師堂
繁多寺 大師堂
繁多寺 鐘楼堂の天井画
繁多寺 鐘楼堂の天井画

繁多寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を刻んで安置し建立したのが始まりで当時は光明寺と号されました。その後弘法大師がこの地を訪れ、寺に逗留された際に繁多寺と改め、霊場とされたそうです。

34分前倒しの12:49に到着です。境内は高台にあり静かなところです。鐘楼堂の天井には絵が描かれています。

37分前倒しの13:13、次は湯築城なのですが、約40分も時間に余裕ができたので、急きょ51番に行くことにしました。

■第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺

石手寺 御朱印石手寺 御影石手寺 記念御影
石手寺 御朱印・御影
石手寺 本堂
石手寺 本堂
石手寺 大師堂
石手寺 大師堂
石手寺 三重塔
石手寺 三重塔

石手寺は真言宗豊山派、本尊は薬師如来です。神亀5年に伊予の豪族、越智玉純が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となり、天平元年に行基菩薩が薬師如来像を刻んで開基し、法相宗の安養寺としたのが始まりとされ、その後弘法大師が真言宗に改めたとされます。

13:25に到着です。50番ととても近かったのでちょうどいい感じ。

石手寺 参道
石手寺 参道
石手寺 二王門
石手寺 二王門
石手寺 鐘楼
石手寺 鐘楼
石手寺 護摩堂
石手寺 護摩堂
石手寺 冊子
石手寺 冊子

参道が回廊になっていて仲見世のみやげ店が並んでおり、観光客も多い。なんとミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定されたこともあるそうです。このお寺は見どころがとても多く、特に、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されているというすごさ。国宝は二王門、重要文化財に本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、「建長3年」の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘です。境内では住職の説教が流れておりました。納経をすると「本来の仏教 ブッダの真実」という冊子を頂けた。面白そうな本です。

ほんとはもっとゆっくり色々なものを見たかったのですが、何せ急きょ加えた参拝なので早めに次の湯築城へ向かって14:07に出発。

■湯築城

湯築城(ゆづきじょう)は松山市道後町の県立道後公園内にある、14世紀前半に伊予国守護河野氏によって築城された城跡で、城郭の堀や土塁などの縄張り遺構が良好に残り、国の史跡に指定、そして日本100名城に指定されています。中世の城郭である湯築城は石垣や天守が無い地形を利用して作られた平山城です。

武家屋敷
武家屋敷
円形石積遺構
円形石積遺構
外郭
外郭
内堀
内堀
遮蔽土塁
遮蔽土塁
岩崎神社
岩崎神社
本丸跡
本丸跡
二の丸跡
二の丸跡
石造湯釜
石造湯釜
内堀
内堀

51番を入れたにも関わらず、8分遅れの14:13に道後公園西口駐車場に到着です。この駐車場は、搦手門跡そばにあり湯築城の復元区域に面していて、湯築城資料館、武家屋敷などの展示施設に行くには最も便利。まずは資料館で日本100名城スタンプをゲットしました。ただし月曜定休日のため今日は資料館も武家屋敷も見学することはできません。内堀にそって南側の外郭を回り、追手門跡手前で石段を登って本丸跡、続いて二の丸跡、最後に石像湯釜(通称:湯釜薬師)を見て城郭を一回りするような感じでおおよそ40分の散策でした。

10分前倒しの14:55、松山城へ向かって出発。

■松山城

松山城は標高132mの勝山に立つ、加藤嘉明が築き始めたお城で攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城です。現存12天守のひとつでもあり江戸時代以前に建造された天守を有する城郭で日本100名城にも選出、天守、櫓、塀など21もの建造物が国の重要文化財で、城山公園全体が国の史跡に指定されています。

リフト
リフト
本丸石垣
本丸石垣

10分前倒しの15:05に松山城駐車場に到着。松山城へは徒歩でも行けますが、ロープウェイとリフトがあるのでそれを使います。駐車場からのりばまでは数分です。山麓駅で観覧券と往復券がセットになった総合券1020円を購入。ロープウェイは10分感覚の運行で所要時間3分、リフトは6分。ちょうどいいロープウェイがなかったのでリフトで登りました。山頂駅から天守入口までは約10分、そこまでの間も巨大な石垣が出迎えてくれます。

 戸無門・筒井門
(中)戸無門(重文)
(上)筒井門
筒井門
筒井門
隠門・隠門続櫓
隠門・隠門続櫓(重文)
隠門続櫓・筒井門
(左)隠門続櫓(重文)
(右)筒井門
巽櫓
巽櫓
太鼓門
太鼓門
馬具櫓
馬具櫓
本丸
本丸
本壇入口
本壇入口

本丸に入る戸無門が最初に見る重文。高知城も本丸の建造物がよく残り重要文化財が多い城でしたが、規模はそれ以上。戸無門に続く門は筒井門ですが、その奥に隠門とそれと続いている隠門続櫓が重文。なのでこちらから入りました。広場に出て太鼓門をくぐると本丸の広場に出ます。本丸の広場は奥方向に広く伸びた感じで、一番奥に連立式の天守が見えてきます。天守手前にチケット売り場があり16:30で入場打ち切り。

紫竹門東塀・南隅櫓・小天守
(中央)紫竹門東塀(重文)
(奥から)南隅櫓・小天守
一ノ門南櫓・一ノ門東塀・二ノ門南櫓
(左)一ノ門南櫓(重文)
(中)一ノ門東塀(重文)
(右)二ノ門南櫓(重文)
大天守・鉄筋門東塀
(中上)大天守(重文)
(中下)鉄筋門東塀(重文)
南隅櫓・小天守
(奥)南隅櫓
(手前)小天守
一ノ門・三ノ門南櫓
(中)一ノ門(重文)
(上)三ノ門南櫓(重文)
二ノ門
二ノ門(重文)
大天守
大天守(重文)
二ノ門・三ノ門東塀・三ノ門
(左)二ノ門(重文)
(中)三ノ門東塀(重文)
(右)三ノ門(重文)
小天守・鉄筋門東塀・鉄筋門
(左上)小天守
(左下)鉄筋門東塀(重文)
(右)鉄筋門

ここから先の本壇が目に入ってくる建造物の半数以上が重文。石垣を右に見ながら坂を登ります。その石垣の上に見えるのが手前から二ノ門南櫓、一ノ門東塀、一ノ門南櫓の重文。正面の紫竹門東塀が重文。坂を右に折れると正面に重文の大天守とその下に重文の鉄筋門東塀。右に折れて一ノ門(重文)をくぐると正面が二ノ門南櫓(重文)、左に折れて二ノ門(重文)をくぐると左側に三ノ門東塀(重文)、少し広場になっており左にUターンするような感じで三ノ門(重文)をくぐった正面が三ノ門南櫓(重文)、右に折れて左に鉄筋門東塀(重文)を見ながら進みます。ここまで重文の連続。

正面にある鉄筋門は連立式天守を構成している門のひとつでここをくぐると本壇の内庭に出ます。因みに連立式天守を構成しているのは、右回りに筋鉄門、小天守、多聞櫓、南隅櫓、十間廊下、北隅櫓、玄関多聞、玄関、内門ですが、これらは1968年に復元されたもの。

北隅櫓・玄関多聞・玄関・内門
(左)北隅櫓
(中)玄関多聞・玄関
(右)内門
玄関多聞・内門・大天守・鉄筋門
(左)玄関多聞・内門
(中)大天守(重文)
(右)鉄筋門
大天守最上階
大天守最上階
大天守より西望む
大天守より西望む
 

大天守より北望む
大天守より北望む
仕切門内塀
仕切門内塀(重文)
仕切門
仕切門(重文)
天神櫓
天神櫓

天守入口は大天守の階下にあり、中に入ると左回りにぐるりと一周して大天守に戻り、上層階へ登る順路となっています。現存天守では階段がとても急で狭く登るのに一苦労という印象がありますが、松山城の場合、それほどではないという感じ。天守最上階からの眺めは素晴らしいものでした。内門から左に仕切門内塀(重文)を見ながら仕切門(重文)をくぐると二ノ門に出ます。

紫竹門
紫竹門(重文)
紫竹門西塀
紫竹門西塀(重文)
乾門東続櫓・乾門
(中)乾門東続櫓
(右)乾門
乾櫓
乾櫓(重文)
乾櫓・野原櫓
(中)乾櫓(重文)
(右)野原櫓(重文)
(北隅櫓より)
081松山城
100名城スタンプ

本壇の見物後、紫竹門(重文)をくぐり乾櫓(重文)や野原櫓(重文)のある方へ進み、戻ってきた時のこと。ああああーっ!スタンプゲットしてない!やばい!焦りました。時刻はもう16:30を過ぎていて、本壇にはもう入ることはできない!もうしまっているチケット売り場で聞いてみました。するとこの時間は管理事務所(馬具櫓)にあるとのこと。ふー、よかった。無事ゲットすることができました。

さて時間的には出発予定時刻の17:55まで大分あります。ただこの季節、17:55なんて暗くなってるでしょうからあまり遅くまでいても意味はない。ということで現存12天守の城郭では彦根城松山城でしか確認されていないという登り石垣を見に行ってみました。ロープウェイとは逆の方ねと石段をどんどん下がっていくもなかなかそれらしきものが見えない。しかも地図ではこんなにくねくねしてなかったと思うんだけど、地図がいい加減なのかと思いました。でもあとから分かったこと、ショックなことにこの道じゃなかったんですね。見つからないわけでした。ということで登城はここまで。帰りはリフトは止まっていて、ロープウェイ。

ということで25分前倒しの17:20に空港へ向かって出発です。あまり早く着いても暇ですが、あたりも暗いので留まっても仕方なし。途中コンビニで荷物整理したりしてゆっくり向かいました。空港近くのガススタで給油したんだけど、レギュラー142円とはとんだ誤算。トヨタレンタカーでも給油設備があったけど、132円とかだったので絶対外で入れた方が安いと思ったのでした。ここまで242.3km、13.6L入ったので、パッソ君の燃費は17.8km/L。ヴィッツより悪い。。。でも今回は結構のろのろ走るシーンも多かったからなぁ。パッソ返却時では244.2km走破なのでした。

IMG_5057
ちょい呑みセット

空港まで送迎してもらいさっさと手荷物預けてから時間があるので、空港内のヴァンヴェールというお店でちょい呑みセットというビールとつまみのセット1000円で時間を潰しました。早めに来てこういうのがいいかも。

ということで飛行機は時刻通りに松山を出発して帰ってきたのでした。今日は月曜だけど、休日の合間なので酔虎伝開いてるかなと電話入れると普通にやってるとのことなので、今回も疲れたから飲んで泊まり。明日早く帰宅するつもりです。

次のお遍路さん計画

今週末、というか次の日月で行く次のお遍路さんの旅、開始から6回目で愛媛として2回目となりますが、旅のしおりを作成しました。

前回は各所での所要時間がことごとくオーバーしてしまったため、今回は少し多めに設定してみました。

今回は44〜50番の7寺と、前回行けなかった大洲城、それと湯築城と松山城となります。

お遍路さんの旅-第6回 愛媛2回目

お遍路さんの旅 5-4

さて、お遍路さんの旅 第5回の2日目です。6:15起床、朝風呂は眠いのでやめました。昨日は日が暮れて見えなかった部屋からの景色は、海も少し見える高台でなかなかのもの。いいホテルだなぁと素直に思います。

さて予定では6:30出発ですが、朝のお通じ、出来たら済ませたいので様子見しているところ。冷たい缶コーヒーで刺激後済ませて7時前出発です。

ということで今日はやはり無視せず行けるところまでにしようと思います。そう言ってる時点でやはり大洲城に行く気は失せてるようです。まずは39番へ向かいます。

■第39番札所 赤亀山 寺山院 延光寺

延光寺は土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場です。真言宗智山派、本尊は薬師如来です。神亀元年に行基菩薩が聖武天皇の勅命を受け薬師如来刻んで本尊とし、本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされます。その後弘法大師がこの寺を訪ね、桓武天皇の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えたといいます。

延光寺 御朱印延光寺 御影延光寺 記念御影
延光寺 御朱印・御影
延光寺 本堂
延光寺 本堂
延光寺 大師堂
延光寺 大師堂
延光寺 赤亀の石像
延光寺 赤亀の石像

予定より18分遅れの7:33に到着。

赤い亀が境内にある池からいなくなったが、やがて銅の梵鐘を背負って竜宮城から戻ってきたという伝説があり、境内にはその赤亀の石像があります。また、弘法大師が再興時に掘ったとされる眼洗い井戸は眼病にも効くとされています。

ということで次の40番に向け出発したのは予定より21分遅れの8:06。遅れ拡大です。

さて、高知の霊場が終わり、次からいよいよ伊予の国、「菩提の道場」に入ります。

■第40番札平城山 薬師院 観自在寺

観自在寺は真言宗大覚寺派、本尊は弘法大師が刻んだとされる薬師如来です。一番霊山寺からもっとも遠くにあり「四国霊場の裏関所」とも呼ばれます。弘法大師が平城天皇の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を刻んで安置し、開創したとされます。

観自在寺 御朱印観自在寺 御影観自在寺 記念御影
観自在寺 御朱印・御影
観自在寺 本堂
観自在寺 本堂
観自在寺 大師堂
観自在寺 大師堂
観自在寺 栄かえる
観自在寺 栄かえる

8:47に到着。大師堂の回廊では四国八十八ヶ所のお砂踏ができたり、境内にある栄かえるは、撫でてお願い事をすると、親子孫と三かえる。お金がかえる。福がかえる。病気が引きかえるのご利益があるそうです。

さて次ですが、41番の前に日本100名城のひとつに選定されている宇和島城へ向かいます。20分遅れの9:20に出発し、さらに遅れが拡大して25分遅れ10:15到着です。

■宇和島城

桑折長屋門
桑折長屋門
苔むした石垣
苔むした石垣
井戸丸跡
井戸丸跡
三の門跡
三の門跡
二ノ丸跡
二ノ丸跡
櫛形門跡
櫛形門跡
天守
天守
天守最上階
天守最上階
城山郷土館(旧山里倉庫)
城山郷土館(旧山里倉庫)
宇和島城スタンプ
宇和島城スタンプ

宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭で、現存天守のうちのひとつです。標高74メートルの丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸を中腹に配置した梯郭式の平山城となっています。

登城口は二か所ありますが、今回は城山下駐車場にとめて、桑折長屋門から入ります。井戸丸跡、二ノ丸、本丸と進み、いよいよ天守です。

天守見学料は200円、天守入口に日本100名城スタンプが設置されています。内部を見学して思うのは、大きくなくても現存天守はいいなぁということ。どんなに有名で大きな復元天守でも、鉄筋コンクリートでエレベーターもあり、内部は博物館みたいなのは、正直あまり好きではありません。

天守を見たあとは、藤兵衛丸へ行き月曜日の今日は定休日の旧山里倉庫である城山郷土館をチラッと見て、長門丸方から桑折長屋門へ戻るルートを取りました。見学所要時間85分と大幅に超過。実は大洲城には行かないとなれば、逆に時間をつぶさなくてはならないという状況です。

宇和島城を11:40に出発し、次の41番へ向かいます。

■第41番札所 稲荷山 護国院 龍光寺

龍光寺 御朱印龍光寺 御影
龍光寺 御朱印・御影
龍光寺 本堂
龍光寺 本堂
龍光寺 大師堂
龍光寺 大師堂
龍光寺
龍光寺

龍光寺は真言宗御室派、本尊は十一面観世音菩薩です。地元では「三間のお稲荷さん」と親しまれており、神仏習合の面影を色濃く伝えています。山門が鳥居であったり、仁王像に代わる守護役・狛犬が。弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれ、「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げ姿を消したので、大師はこの老翁が五穀大明神の化身と悟り、稲荷明神像を刻み、堂宇を建てて安置し、十一面観世音菩薩、不動明王、毘沙門天も共に安置し開創したと伝えられています。

11:59に到着。開創記念御影は残念ながら売り切れ。2寺目です。ないところにはないものです。これから先はもっとなくなる可能性が高いです。12:33次の42番へ向け出発。来た時に通り過ぎた鳥居の山門も写真に収めました。

第42番札所 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺

仏木寺 御朱印仏木寺 御影仏木寺 記念御影
仏木寺 御朱印・御影
仏木寺 本堂
仏木寺 本堂
仏木寺 大師堂
仏木寺 大師堂
仏木寺 家畜堂
仏木寺 家畜堂

仏木寺は真言宗御室派、本尊は大日如来で伝弘法大師作と伝えられています。弘法大師がこの地で牛を引く老人と出会い誘われるまま牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって光を放っているのを目にし、これは唐から帰朝するときに、有縁の地が選ばれるようにと、三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠であったので、この地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心したと言われています。

12:39に到着です。境内に家畜堂という小さなお堂があり、以前は農耕をともにした家畜の安全を祈願していましたが、最近ではペットなども含め動物一般の霊を供養したりするようになっているそうです。

続いて43番へ向かい、13:08出発。

■第43番札所 源光山 円手院 明石寺

明石寺 御朱印明石寺 御影明石寺 記念御影
明石寺 御朱印・御影
明石寺 本堂
明石寺 本堂
明石寺 大師堂
明石寺 大師堂
明石寺 延命地蔵堂
明石寺 延命地蔵堂

明石寺は天台寺門宗、本尊は千手観世音菩薩です。この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされてきました。6世紀の前半、欽明天皇の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため七堂伽藍を建立して開創したとされています。その後荒廃した伽藍を見た大師が諸堂を再興したそうです。

13:28に到着。ここの建物は他のお寺の多くとは違って仁王門、本堂、大師堂など色が綺麗という印象です。磨かれているのですかね。

ということで、大洲城に行かないことにした分、時間もゆっくり目に参拝できました。14:05駐車場で荷物整理して14:22に駐車場出発、それでも時間に余裕があったので、とりあえず大洲経由してから、高知空港へ向かいました。こうするとちょうど大洲城発の予定時刻に近くなるので。結局道も空いていたので高速も使わずにちょうどいい時間にレンタカー返却、空港に送迎してもらって18:22に到着です。

あとは飛行機乗って帰るのみ。

お遍路さんの旅 5-1

今日は一泊二日でお遍路さんの旅の第5回目。予定では37〜43番と宇和島城、大洲城を計画。明日は初の愛媛になります。

6:10に起床、6:51自宅出発、今、7:11のあさまで羽田へ向っています。

前飛行機は回の高知便から時刻が変わって9:35発と、10分早くなったけど、さすがに飛行機も慣れたので大丈夫、それでも余裕のはずです。

さらに次の四国を予約

10月末からの飛び石連休にのみ使えるじゃらんパックの4000円クーポンとリクルートカードプラスの先月分ポイントが加算されたので11月1日〜2日の一泊旅行を予約。2週連続四国行き決定である。

じゃらんJALパックで35200円のところ、クーポン4000円、ポイント4300円適用で26900円!

この6回目となる四国では、愛媛の四国八十八ヶ所霊場と日本100名城の2つを巡る。松山空港は初となるが、日産レンタカーが表示されず。しかたないのでトヨタレンタカーで予約。

鉢形城

今日はせっかくの三連休なのでとりあえず日帰りでもどっか行きたいなということで日本100名城のひとつ、鉢形城に行ってきた。

018鉢形城

鉢形城ってどこ?と思われるかもしれないが、実はこの城、自宅から最も近い100名城で当然行ったこともある。写真もちゃんと沢山撮ってある。たまたまだが、スタンプをゲットしていなかったのだ。最近はデジカメの4K動画をyoutubeにアップしたりしてるので、スタンプと動画撮影が目的である。スタンプは鉢形城歴史館の受付に設置されており、まずゲット。今回は時間もあるので、ゆっくり散策することにした。

鉢形城は埼玉県寄居町にある城跡で国指定史跡。文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家臣長尾景春が築城したと伝えられ、後に、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなったとされる。

案内図
案内図
鉢形城歴史館
鉢形城歴史館
外曲輪の土塁
外曲輪の土塁
笹曲輪
笹曲輪
本曲輪(伝御殿曲輪)
本曲輪(伝御殿曲輪)
二の曲輪
二の曲輪
二の曲輪の土塁
二の曲輪の土塁
三の曲輪
三の曲輪
池と四阿
池と四阿
四脚門
四脚門
馬出
馬出

堀や土塁が良く残っており、また荒川と深沢川に挟まれた形になっていて天然の要害をなしている。城跡としては分かりやすいのは三の曲輪では、四脚門や石積み土塁などが復元されている。

ということでたっぷり2時間30分ほど散策し、いい運動であった。