
免許更新に警察署へ行きました。昨年捕まっちゃったからなぁ、講習が一時間と長くて面倒でした。
そのあと厄除けの祈願に佐野厄除大師へ行ってきました。今年は本厄です。無事に過ごせますように。

狩野城に続いて韮山城に向かいますが、御城印は反射炉物産館たんなんで入手できます。11:15ごろたんなんに到着しましたが、韮山反射炉の隣なので見学はせずともよく見えました。たんなんの裏手にある反射炉・富士山展望デッキはフォトスポットです。さてここから韮山城まではクルマで5分足らずです。
韮山城は、伊豆の国市韮山にあった室町時代後期から安土桃山時代にかけての城で、城跡は国の史跡に指定されています。丘陵に沿って縦に曲輪が連なる典型的な平山城です。
散策には江川邸の無料駐車場を利用しました。スマホで地図を見ながら西の方へ歩いていくと三ノ丸の東側の堀跡に出ました。南へ進むと城池があり、右側は登城口で道は堀切になっています。
堀切を登った先は城の北端にある三ノ丸で現在は韮山高校のテニスコートになっています。高土塁が残っています。道を西へ進むと韮山高校のグラウンドの上に出ますが韮山高校は御座敷跡です。
道の手前に南へ続く道がありそこを行くと権現曲輪です。権現曲輪には北条早雲)が城の守護神として創建した熊野神社があります。
権現曲輪とその南側の二ノ丸の間は堀切2(堀の番号は韮山城跡「百年の計」縄張図でのもの)です。二ノ丸切岸に沿って階段を登っていくと二ノ丸です。
二ノ丸は土塁で囲われています。二ノ丸とその南西、本丸の間は堀切1です。
道に沿って進むと本丸に出ます。富士山と御屋敷跡をのぞめます。
本丸から伸びる土塁の上を南に進んでいくと、立ち入り禁止になるのですが、その先に塩蔵が見えました。
戻って権現曲輪と二ノ丸間の堀切を下り城池のほとりに出ました。遊歩道を南に進んで、現在確認ができる堀切3から5を確認し、城池の周りを半時計回りに進んで戻ってきました。
13:30前、帰路に着きました。今日一日の歩数は、11,973歩でした。
朝食は自分的には珍しく和ではなく洋にしてみました。洋もいいもんです。
8:15ごろ宿を出発し、8:40ごろ狩野城跡駐車場に到着しました。駐車場には狩野氏の系図と狩野派の系図、狩野氏の歴史年表の看板や案内板が設置されています。狩野城は伊豆市の狩野川と柿木川合流点の南側、標高189mの丘陵に築かれた山城で、伊豆市の指定史跡になっています。平安時代に狩野氏の祖狩野維景により造られたと考えられています。絵師狩野派の祖先の地なんだそうです。
城跡までは遊歩道が整備されています。遊歩道を進んで少し行くと直進と右に折れる道の分岐点。直進は城跡に東側から行くコース、右は西側から行くコースです。今回は直進しました。遊歩道ではいくつか分岐がありますが、案内があるので迷うことはありません。
20分ほど歩き城跡に入ると出丸があります。ここから主郭部めざして東へ進みます。
途中小さな曲輪のような空間があり、これが東郭かなと思ったりしますが、そのうち堀切が現れます。右に登ると東郭、左へ登ると本郭方向へ続いています。東郭は郭の内部がえぐれていて2段になっています。
本郭方向へ登ります。案内図によればこの道沿いに中郭があってそのまま入れるように読めるのですが、進んでいくと本郭についてしまいました。先ほどの堀切上がってすぐ左に上がる道が中郭へ続く道でした。中郭に着くと題目堂と掲げられた建物がありますが、どのようなものかよくわかりません。中郭は城跡で一番広い郭です。中郭の右奥にあるのが南郭で一番高いところにあります。
先ほどの遊歩道に戻って進むと水手方向に下りていく竪堀状の道と本郭へ続く階段に分かれます。本郭の手前東側には堀切があります。
本郭は名前にしては小ぶりの曲輪で中央が臼状にえぐれ周囲の土塁が残っています。ということで主郭は本郭ではなく中郭とも考えられているようです。
本郭東側の堀切を下りてみました。突当りは整備されていない獣道。西の方へ進んでから戻ると先ほどの竪堀状の道との分岐、さらに進んでいくと水手に出ました。
本郭に戻って遊歩道を西へ進むと二重堀があり、その先に西郭。西郭の西側は大きな堀切(案内図での空堀)となっています。ひととおり案内図にある遺構はめぐったので西側のコースで下山しました。

次は狩野城の御城印を買いに行きます。10:20ごろ駐車場を出発しました。御城印は伊豆市観光協会天城支部(天城会館横)で入手しました。次は韮山城へ向かいます。
1泊2日で伊豆の長浜城、狩野城、韮山城をめぐる旅です。今日は長浜城へ。

7時過ぎに出発し高速使わずに長浜城の御城印が買えるJAふじ伊豆 OH!MOS(オーモス)さんに着いたのは13:10すぎでした。御城印とみかんを購入しました。
長浜城は沼津市の内浦地区にあった城で現在まで戦国時代の海賊城の遺構を多く残しています。国の史跡に指定されています。
OH!MOSさんの目の前は長浜城の田久留輪の一部でガイダンス広場になっており、安宅船原寸大模型が展示されています。発掘調査で見つかった石積みのレプリカなども整備されています。
ここからも登城できますが、すぐ近くの長浜城跡見学者駐車場へ移動し登城しました。駐車場周辺には長浜城に関する説明や案内板が設置されています。
登城路は整備されていて階段をずっと登っていくと直進は弁天社、左は第四曲輪へ続く堀切Ⅳとの分岐にでます。堀切Ⅳを進むと左側に第四曲輪があります。この位置から尾根伝いに登ってこようとする敵をここで撃退する役目を担っていたと考えられています。
堀切Ⅳ右側の階段を進むと第二曲輪と第三曲輪の間の堀切Ⅲに出ます。ここには当初跳ね橋がありその後虎口に改造して門が建てられたそうです。今来た道は昔の道ではないような気がしたので、一旦堀切Ⅳの分岐に戻って弁天社へ続く階段を登っていきました。登り切ったところに長浜城弁財天社が建っている第三曲輪に来ました。南側から南東側に土塁があります。弁天社が建っている部分は削り取られて低くなっていますが、本来は南側の高くなっている部分の高さだそうです。
弁天社の脇を進むと先ほどの堀切Ⅲに出て、そのまま直進すると第二曲輪へ。第二曲輪は城跡で一番広い曲輪で、南側と西側に土塁が築かれています。
掘立柱の建物が建っていたと考えられ、最大の大きさの第1号建物とそれに直文する第6号建物の柱が復元表示されています。
北東隅の第一曲輪との境に、半地下式構造の掘立柱建物跡が確認され、当時の状況を推定し再現した櫓が建っています。海側の見張りと第一曲輪と第二曲輪をつなぐ登り口を兼ねた櫓と推定されています。西側北端にある堀は断面形が逆台形をしている箱堀で、下の竪堀とは分断されています。櫓と組み合わせて第一曲輪を守るためのものだったようです。
櫓に登ると第一曲輪へ。第一曲輪は城内の最高地点にあります。西側から北側にかけて、土塁がL字状に設けられています。東側に2つの柱穴、南側から西側にかけてL字状に延びる柱穴列が発見され、門と塀があったと推定されています。北端からは内浦湾と遠く沼津市街と富士山を眺めることができます。
続いて第一曲輪の海に向かって北東へ伸びる尾根上にある曲輪に進みます。櫓の半地下部分から整備された散策路は曲輪Aに続いています。第一曲輪に近い方からAからDの便宜上の名称がついていて、腰曲輪と呼ばれます。
曲輪Cまでは上からもよく見えていますが、曲輪Dは木に覆われてよく見えず曲輪Cから急な道を下りたところになります。曲輪Dの先は岩礁になっていて下りることもできます。
戻って櫓からの散策路の下側、曲輪Iに行ってみました。
最後に上から安宅船原寸大模型を見下ろせる曲輪K方面へ。曲輪Aの西側からつづく道を進むと曲輪Jがありますが、これを曲輪というのかと思うほどよくわかりません。その先少し進むと曲輪Kに出ます。下方に安宅船原寸大模型、テレビでも見たことのある光景でした。曲輪Kの先はまだ道が続き、行き止まりには第二曲輪にあった堀に位置を合わせて作られた竪堀があります。
案内図によれば曲輪の遺構は他にもありますが行けないのでこれで散策終了です。
15:15ごろ今日の宿へ向けて出発、宿に着いたのは16:10ごろでした。今日の宿は伊藤園ホテル土肥さんです。部屋はオーシャンビューの和室で、海に沈む太陽を見ることができました。
今回の旅最後に訪れるのは、昨晩散策した小倉城です。最寄りの勝山公園地下駐車場に12:55ごろ到着しました。



小倉城は北九州市にある梯郭式平城で続日本100名城の181番です。江戸時代には小倉藩の藩庁が置かれました。駐車場から地上に出て西へ進むと石垣が現れますが、石垣の切れ目が走る白い忍者のようにみえてかわいいです。ここから天守の方向へ進み、右側一段高くなっているところは御城米屋跡、正面にしろテラス。ここはお土産屋で、スタンプと御城印はここで入手できます。
しろテラス手前左側が大手門枡形・大手門跡で正面に天守がそびえています。天守に入る前に付近を散策します。
大手門から入り、右に曲がった後左に折れた先にある槻門(けやきもん)跡は藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された本丸への正門です。槻門跡と西側にある鉄門(くろがねもん)跡の間の本丸石垣下部に「卍」の刻印(このあたりの石垣を請け負った家臣の家紋)や井戸跡があります。
南側の郭は松ノ丸跡で南端部に白洲灯台岩松翁記念塔が建っています。鉄門跡は中老以下一般武士が通行した門です。さらに西側にある西ノ口門跡は裏門にあたり、二の丸から本丸と松ノ丸へ入る門です。
戻って槻門跡から本丸へ向かいます。石段を登ると本丸、天守の前にでます。天守には続櫓がついています。
天守に入ります。天守は連結式望楼型4重5階の復興天守で、歴史や文化を学べる体験型展示はエンターテイメント性に富んでいます。1階はエンターテイメントエリア「小倉城シアター&体験コーナー」です。時間があればひとつずつ展示を体験するのも楽しそう。バーチャル技術で江戸時代のさまざまな衣装に着替えられるデジタルなりきりで遊びました。
2階は細川家・小笠原家の歴史と小倉の歩みのフロア、3階は宮本武蔵と佐々木小次郎のフロアで、巌流島の決闘の歴史や、二人の伝説を体感できる展示などがあります。
4階はギャラリースペース。
5階は小倉の街を一望できる展望スペースでカフェもありました。
天守から出て西側には巌流島の戦いをイメージした宮本武蔵と佐々木小次郎のモニュメント、本丸の北西側に着見櫓があります。沖からの通航船を監視した木造三重二層の櫓が再現されています。北西隅から多聞口門跡を抜けて北ノ丸へ。門跡抜けて右側の本丸石垣を見ると毛利氏時代と細川氏時代の石垣の境目がはっきりと確認できます。
北ノ丸には八坂神社が建てられています。八坂神社の東楼門から一旦外へ出て北ノ丸石垣を見て戻り東へ進みます。
北口門跡は八坂神社参道の門の入って右側(このルートでは門の手前左側)が門跡です。八坂神社参道の門の東側は下台所。参道を東に進み鳥居の先に、中津街道の出入り口であった中津口門で使われていた大石があります。
続いて小倉城庭園へ。小倉城庭園は池泉回遊式庭園で、御下屋敷跡を復元した大名庭園と、江戸時代の典型的な武家書院が再現されています。ここから見る天守は絵になりますね。
小倉城庭園の南東には虎ノ門跡。大手門、西の口門と並ぶ正門の一つです。
天守東側を堀沿いに西に進むと左側に大手先門跡があります。時間が少しあるのでもう少し城内を散策してから駐車場へ戻りました。
15:45ごろ駐車場を出発し北九州空港へ向かい、直前でガソリンを補給、レンタカー返却時の総走行距離は424kmでした。空港にはメーテル像がありました。銀河鉄道999は大好きなので、うれしい。ということで18:05の飛行機で帰りました。
夕飯はすき家で鬼おろしポン酢牛丼テイクアウト、22:10ごろ帰宅です。
山口・福岡・大分城めぐりの旅の最終日、今日は中津城と小倉城をめぐります。
あさのホテルさんでの朝食後、7:25ごろ中津城へ向けて出発、9:10ごろ中津城第3駐車場へ到着しました。
中津城は大分県中津市にある梯郭式の平城で、大分県指定史跡、続日本100名城の191番です。黒田官兵衛が築城し、細川忠興が完成させました。
駐車場は二ノ丸にあります。二ノ丸公園として整備されています。
二ノ丸と本丸の間には薬研堀があり、模擬天守が建っています。薬研堀に面した本丸上段北面石垣では黒田時代(右側)と細川時代(左側)の石垣の継ぎ目を確認できます。近くには黒田官兵衛(如水)像と正室光姫像が仲良く並んでいます。
堀に沿って進んでいくと天守の南側に大鞁櫓を見ることができます。
堀が切れるところの石段を上がって鳥居を抜けると本丸の上段で、料金所があります。スタンプはここにで押して入城料は1,000円(ドリンク付き)です。有料区域内に入ると右側に黒田官兵衛資料館があり、大鞁櫓、天守と並んでいます。左側奥には藩主であった奥平家の祖を祀った奥平神社があります。


黒田官兵衛資料館に入ったところでドリンクをいただきました。黒田官兵衛資料館の売店で御城印を入手。
大鞁櫓は望楼型の二重櫓です。天守は本丸上段の北東隅櫓跡に建てられた模擬天守です。
天守に入ると奥平家歴史資料館となっていて、奥平家歴代の当主の甲冑など色々展示されていますが、何よりもものすごい量の造花で館内が彩られているところに驚きます。これに関しては色々と辛口な意見も多いようですが、自分的にはこれはこれで華やかでいいんじゃない?と思います。最上階は外に出られて眺めがいいです。
有料区域から出ると先ほどの料金所の対面には高輪地蔵、南へ進むと本丸下段で、三斎池という池があります。この西側は中津城第1駐車場で広大です。中津大神宮は、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉斎し、『豊前の国のお伊勢様』とも言われますがこちらは本丸の上段にあります。
本丸下段西側の松の御殿跡には中津神社が鎮座しています。本丸下段の南西隅は水門跡で虎口の石垣が残っています。
東の方へ戻ると右側に大鳥居があり三ノ丸へ道が続いていますが、本丸南側石垣のこの部分は道を作るために分断されました。東側の石垣は戦後撤去された上半分を復元したとのことで、上下で若干色が違っています。西側の堀に面した石垣は昔のままです。
独立自尊碑は福澤諭吉の偉業を称えて建立された記念碑ですが福澤諭吉の生誕地だったんですね、知りませんでした。本丸南東隅の鳥居がある入口は椎木門跡です。門跡北側の天守方向へ続く石垣の切れ目はかつて扇型だった石垣にあった入口のひとつ。椎木門跡の外は二ノ丸です。
椎木門跡から東へ進み角を右へ曲がったところは黒門跡、その南側は三ノ丸です。南へ進むと小学校があり大手門跡石垣。道挟んで反対側の公民館は御用屋敷跡です。
西側へずっと進み三ノ丸西端まで行くと搦手門だった西門跡で、その先城下町、西へ進むと城戸口のひとつだった小倉口があります。
すぐ北側は中津川なので川沿いに北側の石垣を眺めながら駐車場へ戻りました。最後に天守をバックにハートの木をパチリ。
約2時間の散策を終え、中津城で計画した最後の遺構のお囲い山・広津口へ。お囲い山は城下町外周の外堀の内側に築かれた総構えの土塁のことですが、城戸口のひとつだった広津口で確認できます。
今日の宿は小倉駅に近い、あさのホテルさんで17:20ごろ到着しました。
夕飯は事前に調べておいた小倉駅改札口正面のVIERRAにある竹乃屋VIERRA小倉店さんです。せっかく九州に来たのだからと博多もつ鍋や豚タンネギ塩を堪能、3,256円なり。
夕飯後、そのまま夜の小倉城へ。小倉城のあたりではなにやら音楽と歌声が聞こえ、すごいイルミネーションが見えてきました。今日から開催される小倉イルミネーションのようです。イルミネーションを前にライトアップされた小倉城がなかなか絵になっていました。イルミネーションを通り過ぎて小倉城へ。
虎ノ門跡から入ると、ライトアップ天守の東側に出ました。大手門枡形、大手門跡を通って、本丸へ。天守、着見櫓とみて最後は松ノ丸跡の白洲灯台岩松翁記念塔を。
帰りは川沿いに少し歩いたのですが、偶然、常盤橋を見つけました。九州各地につながる五つの街道(小倉の五街道)の全ての起点となっていたのが常盤橋です。