
今日の夕飯は、うな平さんでテイクアウト注文した、上うな重です。うな平さんのうなぎは、炭火焼きなのか、その香りが好きなんですよね。

16:26ごろ鳥羽山公園駐車場に着きました。
鳥羽山城は、浜松市天竜区二俣町にある山城で、「二俣城跡及び鳥羽山城跡」として国の史跡に指定されています。徳川家康が二俣城を攻める際に徳川方の本陣が築かれました。その後堀尾氏により改修され、枯山水庭園や破格の大きさの大手道など迎賓館的な性格が強くなっています。




案内板によると駐車場があるところは腰曲輪、隣にもう一つ、腰曲輪があり、そこの対面が大手道入口で、そこから登城します。大手道入口の階段を登ると大手道です。右側に堀切があり、右側(東側)を登ってみると荒れ放題ですが石壇と小さな祠跡のようなものがありました。ここも曲輪だったんですかね。



大手道を登ると正面に本丸東側石垣、それに面して右側は東曲輪です。石垣は本丸の東門まで続いています。


左側に南2曲輪、その上段に南1曲輪があります。


南1曲輪の北側は大手門跡で、外枡形の構造です。門跡西脇の石垣には、排水のために設けられた暗渠があります。





大手門を通って本丸に入ります。 南側には展望所が建っていて、浜松市方面を望むことができます。



東側には東門跡。東門跡は外枡形の構造で、ここにも北脇の石垣に暗渠が見られます。規模や位置から通用門として使われていたと思われます。


西側には枯山水庭園跡と礎石建物跡があります。



北側には搦手門跡。脇から土塁にも登ってみました。

搦手門跡から本丸を出ると、右下の方に見えるのは北曲輪です。わんぱく広場との名称がつけられていますが、あまり人は来ない感じです。




搦手門跡から左(西)方向、石段を登ると笹曲輪があります。


笹曲輪の南側は腰曲輪。


腰曲輪から遊歩道を南方向へ道なりに進むと本丸西側斜面の鉢巻石垣や腰巻石垣が見られます。この先駐車場に至り、散策終了です。


17:32ごろ駐車場を出発し、18:30ごろ掛川ターミナルホテル近くの駐車場に着きました。このホテル、ほんとに掛川駅前で飲食店も近くに多く便利です。夕飯はミライザカでリーズナブルに済ませました。
大分・宮崎城めぐりの旅の締めくくりは、国宝の臼杵石仏です。平安時代末期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われてり、磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定されました。全4群、61体で構成されています。城めぐりではお城に回るのが最優先で他の観光はあまりしないのですが、臼杵城のすぐ近くで国宝ともなれば行きたいということで、今回時間も取れて来れました。


15:03ごろ到着、観覧料550円です。ホキ石仏第二群、ホキ石仏第一群、山王山石仏、古園石仏の4群からなっていて、順路はこの順番です。ホキとは、「がけ」という意味の地名だそうです。



ホキ石仏第二群は2つの龕(がん)からなり、第一龕には阿弥陀三尊像、第二龕は「九品の弥陀」呼ばれる9体の阿弥陀如来像、左右に1体ずつの菩薩立像を配する比較的小さな仏像です。





ホキ石仏第一群は4つの龕からなり、第1龕は如来坐像3体と菩薩立像2体、第2龕は阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、如来坐像の3体、第3龕は大日如来像ほか4体、第4龕は地蔵菩薩半跏像並びに十王像の11体です。



ホキ石仏第一群を出るとすぐ国重要文化財の石造五輪塔の案内表示があったので、そちらもせっかくなので見学しました。刻銘のある五輪塔としては、日本で2番目と3番目に古いそうです。


山王山石仏群は、中央に丈六の如来像と左右に脇侍の様に如来を刻む3体の如来像です。

古園石仏群の手前右側の岩壁には追加で国宝指定された2体の金剛力士立像があります。





古園石仏群は通称古園十三仏とも言われ、金剛界大日如来坐像を中心に曼荼羅を構成し、左右にそれぞれ如来像2体、菩薩像2体、明王像1体、天部像1体を配する臼杵石仏の中心的存在です。


臼杵石仏は臼杵八ケ所霊場の一番札所であり、ここに御朱印の無人販売がありました。石仏周辺にも徒歩で無料で見学できる文化財がまだ沢山あり、これを含めて1時間あれば大丈夫と思っていたのですが石仏だけで1時間でした。16:05空港に向けて出発です。

レンタカー返却時の総走行距離は731km、相当走ったなぁという感じです。空港には早めについたので、Standard Coffeeというカフェで、とり天とビールセットを楽しみました。とり天は注文してから揚げるのでサクッとして最高でした。飛行機は19:10発が19:20発に変更になったものの、予定時刻に帰宅できました。
今回の大分・宮崎城めぐりの旅、6城予定が7城もめぐれました。今後もこの数くらい回りたいものです。
今日一日の歩数は、25,788歩でした。
岡城その1からの続きです。




西中仕切跡から城の中心部です。ここからの三の丸石垣は素晴らしいです。西中仕切跡は城内で最も狭い場所で、石垣により通路を折り曲げ、敵が直進できないようにしています。ここを抜けると鐘櫓跡。


続いて正面に太鼓櫓跡があり城の中心部への入口です。




その先一段上がったところは三の丸で、他藩からの使者や家臣が藩主と対面するところです。中央付近には武器庫跡があります。正面には本丸の高い石垣がそびえたっています。くじゅう連山を望める絶景も。





三の丸の先、一段上がると二の丸で、入口付近には井戸跡があります。瀧廉太郎像も建っています。二の丸にあった御殿には、玄関、大広間、書院、北端に数寄屋風の月見櫓、東端に風呂屋がありました。二の丸は来客の歓迎や藩主が楽しむための空間だったようです。


風呂屋跡に建つ二の丸休憩所は、階段で本丸に行ける構造になっていて、なんでこんなの作っちゃったの?と思ったのですが、風呂屋が二階から階段で本丸へ通じていたんですね。




石段を登ると本丸です。中央に本丸御殿、それを取り囲むように、天守に相当する御三階櫓、角櫓、 多門櫓、金倉などが建っていました。南西隅に御三階櫓跡があり、ここから三の丸を見渡せます。




東奥の方には岡城天満宮が建っています。こちらをお参りし、御朱印もいただきました。その右側奥には金倉跡、いわゆる金庫の跡です。ここからは東中仕切跡とその先が見えます。




残るは本丸より東側の曲輪です。三の丸にある御三階櫓下の埋門跡から本丸石垣にそって東へ進んで行くと東中仕切跡があります。ここから先は観光客は激減しました。金倉跡の石垣は二重になっています。


東中仕切跡をすぎたあたりに米倉跡があります。先に進んで行くと左側に清水門跡があります。清水門は藩主が稲葉川のほとりに建てた休息場へ向かうため設けられたものです。



さらにその先に三楽亭跡、荘嶽社跡、御廟所跡。荘嶽社は初代藩主中川秀成、その兄中川秀政、その父中川清秀を祀っていた神社、御廟所にはかつて歴代藩主の位牌が祀られていました。




東側の曲輪の東端に下原門(しもばるもん)跡があり、こちらは搦手門でした。
以上でひととおり遺構は見れたので散策は終了、駐車場には16:20ごろ戻ってきました。それにしても岡城、本当にすばらしい山城で自分的にもトップクラスでした。



今日の城めぐりは終了です。今日の宿、ホテル延岡ヒルズには18:04ごろ到着しました。夕飯は延岡が発祥だというチキン南蛮が食べたくて予め調べておいた居酒屋さんにいったもののなんと閉まってた!飲食店がありそうな方へ歩いていくとJoyfull発見!Joyfullは九州のファミレスだから、多少本場のものとは違えどチキン南蛮あるかもと行ってみるとやった!ありました!ということで夕飯はチキン南蛮定食です。普通においしくいただきました。
そういえばホテルのフロントでアプリはお持ちではないですか?と聞かれ、そういえば最近BBHホテルグループのホテル、やたら泊まってるなと思い、アプリ会員になりました。昨日の鶴崎ホテルさん も、先々週のホテルクラウンヒルズ高岡さんもそうなのでした。会員になるの遅すぎたかも。
今日一日の歩数は、16,963歩でした。

佐土原城の次は岡城です。2時間以上のドライブ後、史跡岡城跡駐車場の直前で駐車待ちの渋滞が。。。そっか、みんな桜を見に来てるのか、仕方ありません。10分くらい待って駐車できたのは13:04ごろでした。
岡城は大分県竹田市にある、源義経を迎えるため築城されたと伝わる断崖絶壁に位置する難攻不落の山城で、国指定史跡、日本100名城の95番です。臥牛城(がぎゅうじょう)・豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)とも呼ばれます。志賀氏が拠点とし、後に中川秀成が近世城郭へ改修し280年続いたそうです。滝廉太郎作曲の「荒城の月」は、この城の荒れ果てた風景がモデルと言われています。


駐車場は総役所跡で、高く西の丸の石垣が見えて、すごそうだぞ、このお城と気持ちも高鳴ります。しばし桜と石垣などの写真撮りながら休憩後、料金所で入城料300円、スタンプ押印、御城印通常版(白地)と300円、切絵版(黒地)800円を購入しました。13:27ごろ登城開始です。


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登城道を進んでいくと、巨大な岩の壁が見えます。阿蘇溶結凝灰岩の岸壁です。城が阿蘇山の火砕流でできた岩山の上に建っていることが分かります。



しばらく進むと大手坂に着きます。脇にはアーチ形状の石垣、通称「かまぼこ石」が見られます。




石段を登っていくと大手門跡です。当時は櫓門が構えられていました。右側にある通路みたいなところは、古大手門跡ですが、外側には堀切と小さな曲輪が先にありました。行けないことはないけれど、やめました。

さてここからの散策ルートですが、西の丸から下りる七曲りが通行できないため、先に西側から散策して本丸、東側の順に回ることにしました。正面西方向には西の丸の大階段がありますが入ることはできません。大階段の手前南側に西の丸東御門前の表示、大階段を登ったところに東御門があったようです。



西の丸へは大階段の左、南側の坂道を進んでいくのがルートですが、左側に下りていく道も見えたのでそちらに行ってみました。一番奥の石段を登れば西の丸?と思いきや、石垣でふさがれていました。戻って坂を登ったところが新屋敷門跡です。先ほど石垣でふさがれていたところは新屋敷門の当初の虎口だったようです。




そこを抜けると西の丸で、正面に桜と菜の花が咲き誇っていて天国のようとはいいすぎでしょうか。西の丸は西の丸御殿跡で、城内で一番広い曲輪だそうです。一番西側に行ってみると一段下の左側に物見台跡、右側に角櫓跡、眼下には駐車場が見渡せます。駐車場から見えていた石垣はここですね。物見台跡に下りました。



そこから一段下の曲輪を通って角櫓跡に行こうと思いましたが、さすがにこれは危険すぎると思い、西の丸へ戻ってから行きました。 西の丸から家老屋敷へ続く坂には井戸跡があり、そこを戻るように石垣に沿って進むと角櫓跡です。



先ほどの井戸跡に戻ると少し先にも井戸跡がありました。坂を下りたところは家老屋敷の中川民部屋敷跡です。調査により確認された屋敷の間取りを礎石で復元しています。



その北東には近戸門跡があり、ここから七曲りにつながっています。




門の上につながる石段を登ると普請方跡があります。普請方とは、建築や修繕、土木工事を管理担当する部所です。







普請方跡の北東端から家老屋敷の中川覚左衛門屋敷跡へ降りると、屋敷の間取り等がわかる建物の床面が復元がされています。隅櫓の石垣も残っています。


中川覚左衛門屋敷跡からの景色は絶景で清水谷を挟んで本丸方面を望むことができます。



屋敷跡から出て石段を下り、石垣に沿って進んでいくと石垣に四角い穴がありました。これは普請方に至る埋門で立体交差になっています。



本丸方向へ道なりに進んで行くとトイレがある曲輪に出ます。ここは賄方跡で、来客者などのもてなしによる賄いを行う部所だそうです。北側から下を見ると古井戸がありました。



賄方跡を抜けて坂道をあがった上がった先は、家老屋敷の中川但見屋敷跡です。




奥一段下がったところに武具方跡、東側一段上がった場所は、御朱印状等公文書の保管をしていた朱印状倉跡です。






本丸方面へ進んで行くと中休所跡、桜馬場跡、城代屋敷跡(城代とは城主の不在時に代わって城の管理、防衛、政務を行う重臣)、米を保管していた籾倉跡と続きます。


この辺りから本丸方向を見ると石垣が壮大です。その先、西中仕切跡に至りますが切りがいいので、つづきはこちら。

大分・宮崎城めぐりの旅2日目の今日は佐土原城と岡城をめぐります。佐土原城までは2時間程度かかるので朝食は抜きかと思いましたが、ホテル朝食6時からということで助かりました。朝食は、とり天やニラ豚など大分名物もあるバイキングでした。6:45ごろ出発しました。
佐土原城(さどわらじょう)は、宮崎市にある日本の城で江戸時代には佐土原藩の藩庁が置かれました。2代藩主島津忠興の代に城は山の上から山の下へ移されました。国指定史跡、続日本100名城の196番です。



9:00ごろ、二の丸御殿が木造復元されている宮崎市佐土原歴史資料館(鶴松館)に到着しました。駐車場は三の丸にあたります。鶴松館に向かって階段のある辺りは内堀跡で、その先は二の丸で鶴松館が建っています。





鶴松館は二の丸御殿の一部が復元されたもので、大広間、書院、数寄屋が再現されています。案内所?でスタンプを入手しました。念のため撮影について資料館の方に聞いてみると、展示物や資料は撮影禁止とのことで、内部でも建物の様子などはよいようです。




内部見学は無料で掛け軸・屏風・鎧兜など佐土原島津家の調度品などが展示されています。なお、鶴松館は土日祝日のみの開館です。
さて次は山の上へ、今散策できる場所を聞いてから登りました。大手道から登って、本丸、天守台を見て中の道から下りるコースになり、現在も南の城、松尾丸は行けないとのことです。



鶴松館の西側の道を南に進むと大手道の入口です。時刻は9:30ごろ、ここから両側にそびえた崖の下を登っていきます。尾根を縦に断ち割って作られているそうです。



途中で道が立ち入り禁止となって右側へ登る階段(迂回路)がありました。登ったところは曲輪になっていてそのまま進むと大手道に戻りました。そのすぐ先に堀切があります。手前に松尾丸への分岐がありますが今は行けません。先には南の城への分岐がありますが今は行けません。その先で曲輪に出ます。本丸、三層櫓跡方面と番屋坂、あずま屋方面の分岐地点となっています。




本丸方面を進みます。本丸桝形虎口を抜けると本丸に出ます。本丸はかなりの広さで、土塁なども残っています。




本丸の北部分には天守台が残っています。


天守台の東側から中の道を通って下りてきました。途中左側にあずま屋のある曲輪があります。


中の道を下り切ったところは二の丸で、正面に見える建物は出土文化財管理センターです。




周辺を見渡すと何やら遺構表示柱が見えます。センターに向かって左、少し上がった右側に御馬繋場跡、センターの向かい側の広い敷地はなんとなくですが区画分けされていて、反米役所跡、御代官所跡、御厩役所跡となっていました。駐車場に10:30ごろ戻ってきたので鶴松館含めて90分の散策でした。


御城印は鶴松館の道挟んで東側にある城の駅佐土原いろは館で入手しました。
時刻は10:43ごろ、次は岡城へ向って出発です。