
マッサージチェアが届きました。さっそく使用しましたがほんとに気持ちよくて、口がぽかーんと開いて眠くなります。

マッサージチェアが届きました。さっそく使用しましたがほんとに気持ちよくて、口がぽかーんと開いて眠くなります。
松江城の次は米子城です。先に米子市立山陰歴史館に立ち寄ります。13:15ごろクルマを米子市役所駐車場にとめて徒歩で向かいました。


米子市立山陰歴史館でスタンプと御城印を入手しました。歴史館を利用すると駐車料金は2時間無料になります。
米子城は、鳥取県米子市にある城で久米城、湊山城とも呼ばれます。戦国時代の飯山(いいのやま:国道9号線南側)に作られた砦と、湊山(みなとやま:国道9号北側)を中心に作られた近世城郭があります。国指定史跡で続日本100名城の169番です。
13:50ごろ米子城跡三の丸駐車場に駐車しました。ガイダンス施設としての三の丸番所があって、スタンプはここにも設置されています。駐車場横は現在整備中の三の丸広場でとても広大。二の丸石垣や天守台も見えます。来年2月まで二の丸桝形からの登城路通行止めによる迂回路の案内表示を見つけ、面倒なことになったと思いながらも行ける遺構は見たいので、予定通り二の丸方面へ。
歩いてすぐ二の丸桝形虎口跡があります。桝形の入口には門はなく開口していたそうです。桝形から二の丸表中御門跡を登ると二の丸です。
城下町で唯一残る武家屋敷の建物である旧小原家長屋門が移築されています。二の丸は現在テニスコートになっていますがここに二の丸御殿がありました。脇に御殿御用井戸跡があります。さてここから上に伸びていく道が通行止めと案内があった登城路ですが、通行止めの表示もないし上から人が下りてきます。行けそうなのでそのまま進むことにしました。
坂を登り切ったところは分岐になっていて、右方向は湊山公園側登城口や中海側登城口に続き、左方向は本丸へ続いています。正面に内膳丸から天守遠見櫓にかけて尾根を登るように築かれた登り石垣を見ることができます。後ろ側には城下町方向に細長くはりだした内膳丸があります。続いて本丸へ続く石段を登っていきます。
石段を登り切ったところは本丸の番所があった番所郭で、右側には天守台の石垣。
石垣に向かって左へ進むと四重櫓台、その先に鉄御門跡、さらに登ると本丸(天守郭)です。
右手前方向には四重櫓跡。四重櫓は初代の天守で副天守とも呼ばれます。
天守台には礎石がそのままよく残っています。大山、日本海、中海、米子の市街地が一望できる素晴らしい眺望です。
天守郭の西側の冠木御門跡の下は水手郭です。門跡石垣に沿って右方向へ進むと遠見櫓跡のあった遠見郭です。水手郭の西端には水手御門跡があり、中海側登城口へ続いています。ここから下山します。
しばらく下りていくと近年発掘調査で発見された水手御門下の郭、さらに下りていくと道沿いに石仏が並んでいます。城山大師・八十八ヶ所石仏めぐりの石仏で、米子城山の中腹を一周するコースになっていて、四国八十八ヶ所を巡ったと同じ御利益があるそうです。分岐があり中海展望所方向へ進み下りていくと中海展望所、おり切ったところが中海側登城口です。
中海側登城口の舗装された道を東方向へ進むと国道9号線に出ますが、すぐ道手前方向へ下りたところが御船手郭(深浦郭)です。深浦水軍が配備され海上防備と共に城下町に入る船などを監視していたそうです。続いて飯山(采女丸)へ。国道9号線から特に何も案内のない舗装された坂道を登り、坂道終点の長い階段を登ったところに采女丸があります。戦国時代の砦跡が出丸として改修されたものだそうです。戦没者慰霊の英霊塔が建っています。これで米子城散策は終了、駐車場へ戻る途中に時刻は15:45ごろ、だいたい2時間の散策となりました。
さて旅程では水木しげるロードへ行くことにしていましたが、時間が押していたため帰路へ。飛行機は17:45発が18:05発に変更になってました。ということで今回の城めぐりの旅は終了です。
次回は12月、山口・福岡・大分城めぐりの旅です。
出雲大社のあとは、松江城です。10:40ごろ、土日祝のおもてなし駐車場となっていて無料の、島根県庁職員駐車場に到着しました。計画より50分遅れです。
松江城は島根県松江市にある江戸時代の日本の城で別名千鳥城(ちどりじょう)といいます。現存天守は国宝、城跡は国指定史跡で、日本100名城の64番です。月山富田城に入城した堀尾忠が城の移転を計画後死去、忠の父、堀尾吉晴が6歳で当主となった孫・忠晴の後見役となり、松江城を築城したそうです。
駐車場から堀の橋を渡り、現在島根県庁がある三之丸を内堀沿いに進みり、内堀にかかる千鳥橋から城跡に入ります。千鳥橋はかつては屋根付きの廊下橋でした。橋を渡り右の坂を登ると南門に出て、その先は二之丸です。
右側、二之丸南東隅にある二階建ての南櫓は内部公開されています。
続いて中櫓 (御具足蔵)、太鼓櫓、番所跡、井戸跡と順にまわりました。南櫓、中櫓、太鼓櫓は平成に復元されたものです。
二ノ丸の北端に三ノ門跡と定番所跡、その南西側に二ノ門跡があります。
二ノ門跡から少し石段を上って右側石段を上ると正面に南多聞櫓、左に一ノ門があり、入ると本丸です。国宝の天守は、こんなに大きいのかと少しびっくりしました。もう過ごし小ぶりだと勝手に思っていたので。本丸販売窓口で天守入場料800円を支払います。多聞跡、鉄砲櫓跡など本丸を少し散策後天守へ。

天守は附櫓から入り、天守地階へ。受付カウンターでスタンプをゲットしました。地階は塩蔵で井戸や旧鯱、石打棚が見られます。
一階の見どころは天守最大柱や階段の引き戸。
五階まで順に上がって景色を堪能しました。
天守を出て本丸北西隅に乾ノ隅櫓跡があり、その脇の北ノ門跡から本丸を出て腰曲輪へ。
水ノ手御門跡を通ると中曲輪で、左側にギリギリ井戸跡、右側に馬洗池があります。池に沿って進みつきあたり右へ降りていくと二之丸下段の北側に出ます。


そのまま東へ進んで脇虎口ノ門跡と北惣門橋を経由、二之丸下段に戻って南下すると米蔵跡、その先にぶらっと松江観光案内所があり、ここで御城印を買うことができます。しまねっこ御城印も入手しました。
さらに南へ進んで大手門跡があり、その先は外曲輪(馬溜)、大手木戸門跡を出ると堀尾吉晴公像があります。
大手門跡へ戻り、二之丸へつづく本坂を上がります。途中喰い違いになっていてそこに火点の石垣があります。石垣には細尾氏の家紋の分銅紋が刻印されています。
さて坂を登り切り、三ノ門跡、二ノ門跡をとおり本丸を右に見ながらそのまま西へ進むと西ノ門跡、そのまま進んでいくと内堀にぶつかり、舟着門跡があります。そこから今度は北上し、椿谷後曲輪、外曲輪を経由して搦手虎口跡まできました。最後、北之丸(松江護國神社)を見てひととおり見た感じです。二之丸を経由して下城、2時間ほどの散策でした。
次は米子城に向かいます。
2泊3日の鳥取・島根城めぐりの旅最終目。今日は出雲大社、松江城、米子城、水木しげるロードをめぐる予定です。
なるべく早く動きたいので無料の朝食はパス、6:25ごろホテルを出て出雲大社参拝者大駐車場には8:05ごろに到着しました。本当はゆっくりお参りと行きたいところですが、なるべく早めに動きました。
勢溜の鳥居から有名な下り坂の参道を進み、松の参道の鳥居をくぐり、銅の鳥居の前にくると、右側には大国主大神と幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)のムスビの神が一体となった姿を表したムスビの御神像、左側に因幡の白兎の神話に基づく大国主命と白兎の像、御慈愛の御神像があります。
銅の鳥居をくぐると正面に拝殿があり、巨大なしめ縄を見てこれがテレビとかで見たやつかぁと感慨にふけりました。


拝殿の奥に八足門と中には国宝の御本殿。出雲大社の作法である二礼四拍手一礼でお参りしてから御朱印帳と御朱印をいただきました。
御本殿の周囲を一周しながら彰古館、素鵞社を見た後、神楽殿の方に行ってみると、なんとテレビでよく見る巨大なしめ縄はこちらでした!拝殿のしめ縄よりはるかに巨大です。予定していなかったのになんとなくこちらに来たのは正解でした。神馬神牛像を見て約一時間ではありましたがちゃんと参拝できました。
次の松江城へ向かいました。
津和野城から3時間半ちょっとかけて、14:15ごろ道の駅広瀬・富田城に到着しました。
月山富田城は島根県安来市の標高190mの月山の山頂の主郭部、尾根上の多くの曲輪からなる複郭式山城で、日本100名城の65番、国指定史跡になっています。
道の駅並びの安来市立歴史資料館でスタンプ、御城印(300円)を入手してから登城です。
道の駅から千畳平へつづく登城道に入ったところに尼子興久の墓、道なりに進むと馬乗馬場と千畳平の谷間を登っていきます。登り切ったところの後ろ側は馬乗馬場、まっすぐは千畳平へ続いています。
千畳平入ってすぐ右側に尼子神社。千畳平は城兵集合の場として使われたそうです。
千畳平から本丸方面へずっと南に向かって進みます。南へ少し登ると時と戦を知らせる大太鼓が置かれていたと伝わる太鼓壇で、山中鹿介幸盛祈月像があります。
進むと左側に折れる道があり、そこをいくと奥書院があったと伝わる奥書院平です。奥書院平には戦没者慰霊塔が立っています。
奥書院平から少し進むと花ノ壇で主屋と侍所が復元されています。ここからは主郭部がよく見えますが、登るの結構きつそう。
進んでいくと、花ノ壇と山中御殿平の北側の曲輪の間に堀切、堀切と道を挟んだ反対側に通路跡があります。山中御殿平の北側の曲輪はかなり広いですが、曲輪名がよく分からず。山中御殿平は南北の上下二段に分かれているようなので、ここが北側下段かもしれません。
山中御殿平はとても広大で、城主の居館があったとされ、周囲は石垣で囲まれています。多聞櫓跡、山中御殿跡、軍用大井戸、雑用井戸、菅谷口虎門跡・櫓台跡などを見て、菅谷口の西側から月山軍用道を進み主郭部方面へ向かいます。
少し登ると分岐があり左側に親子観音、右側は塩谷口方面へ降りる道になっています。まっすぐ進むと山中御殿平から山頂までの険しい道の七曲りですが、石畳で舗装されているので登りやすくはあります。七曲りの途中には山吹井戸。このあたりで雨も降ってきました。
親子観音から15分足らずで七曲りを登り切り主郭部に着きました。三ノ丸石垣があり、右側には西方を監視する櫓があったとされる西袖ヶ平。
石段を上がると三ノ丸で勝日高守神社の鳥居があります。
南側へ一段上がる手前に井戸跡、上がると二ノ丸で南側奥に休憩所があります。二ノ丸は水や食糧を蓄えていたとされます。二ノ丸から深さ7~8mの大きな堀切を挟んで月山最高所に位置する本丸があります。
二ノ丸西側の虎口から下りて堀切経由で本丸に登ります。本丸には山中鹿介幸盛記念碑があり、奥にある勝日高守神社は城の守護神社で築城前からあったそうです。
本丸から下りて二ノ丸・三ノ丸の西側下の石垣を見ながらを進むと西袖ヶ平に出ます。
親子観音まで下りてきて左側の道を下ると山中御殿平の塩谷口の近くに出ました。狭間土塀跡、塩谷口搦手門跡、北に進んで大手門跡。
山中御殿平の西側にある大土塁から能楽平を経由するルートで降りていきます。大土塁から先は行きのルートとは違って薄暗い山の中を下っていく感じです。能楽平、御茶庫台跡・堀尾吉晴公の墓と山中鹿之介幸盛公供養塔、巖倉寺、御子守神社と順にめぐり、散策は終了、2時間40分ほどでした。
今日の宿は米子ユニバーサルホテルで18時ごろ到着。ユニバーサルホテルは例のごとく、夕飯が無料、大浴場つきで格安で泊まれるので、これまでも姫路駅前、倉敷駅前と利用していますが、今回は大浴場が修理中とかでやっていなかったのはがっかりでした。先書いといてよー。
2泊3日の鳥取・島根城めぐりの旅2日目。今日は、津和野城、月山富田城をめぐる予定です。
宿で朝食を取った後は、津和野城跡観光リフトが動き出す9時まで時間があるので、チェックアウト前に、津和野城の山麓遺構を散策する予定です。
そういえばすごく驚いたことが。夕食時に会話した夫婦のクルマが、ナンバー見たらなんと今年の3月に行った広島・山口城めぐりの旅で借りたレンタカーだった!こんな偶然あるんですね。夫婦に話したらびっくりして喜んでました。
津和野城は、島根県津和野町のにある標高367メートルの霊亀山に吉見頼行・頼直によって築かれた山城です。比高は約200m。国指定史跡で、日本100名城の66番です。
津和野城の山麓遺構は宿から徒歩5分ほどのところにありました。藩主亀井氏の藩邸跡(嘉楽園)で、馬場先櫓、物見櫓は現存遺構です。
物見櫓から少し南へ行ったところに大手登山口、そこから伸びる大手道。大手道を少しあがったところでは石垣を見ることができました。


チェックアウトの後は、最初に太皷谷稲成神社へ。かなり大きな立派な神社で、そう言えば昨晩暗くなってからも太鼓の響きが聞こえていました。ここでは御城印(500円)、御朱印をいただきました。

続いていよいよ津和野城です。津和野城跡観光リフトは太皷谷稲成神社のすぐ近く。リフト乗り場にスタンプがあります。リフトの料金は往復700円です。比高200mの山城を登るのはかなりきついのでこれは正直とてもうれしいです。
リフトを下りると登城路が整備されています。少し登った左側に堀切跡があります。
登城路をさらに進んでいくと左側に出丸、まっすぐは本丸へ続きます。出丸の虎口を入って西側(右側)に平櫓跡、二重櫓跡、東側(左側)に土塀の控柱跡、土手と土塀跡を見ることができます。
虎口を出て石垣を左側に伝って回ると出丸石垣が見られますが、少し危ないので慎重に。
登城路に戻ります。しばらく進むと前方向に左右に分岐していて、右側が旧登城路とあったのでそちらに進みましたが、新しい方が歩きやすいだけで、旧登城路に特別何かがあるわけではありませんでした。
新旧登城路の合流後、すぐ先にあずまやのある曲輪にでます。大手道もここで合流します。あずまやの東側の坂道を登ると東門跡へつながるようですが通行止めで、本丸方面へは西側に作られた足場の仮歩道を進みます。
仮歩道に入る直前右下へ降りると万代の池があります。
仮歩道は三の丸の西側部分まで続いていますが、途中、三十間台石垣や三段櫓跡石垣、三の丸石垣などが見られます。
仮歩道を登り切ったところは三の丸の西側部分で、台所跡、エビ櫓跡、馬立跡、三段櫓跡があります。三段櫓跡は現時点下からは見ることができないので、上段から見降ろす感じです。
馬立跡の東側には天守台があり、向かって左側に下りると三段櫓跡の下側や東門へつづくのですが立ち入り禁止です。向かって右側すぐに西櫓門跡があります。天守台を左に見ながら三の丸の南側部分へ向かいます。
三の丸の南側部分に出ると、左側に人質櫓台高石垣がそびえています。三の丸南端には、南櫓門跡があります。
三の丸の次は本丸へ。三の丸から坂を登り、天守台にあがると三の丸の西側や東門跡など見降ろせます。天守台は城の最高所である三十間台の西側一段低い場所にあるとても珍しい構成になっています。
三十間台へは天守台東側から上ります。三十間台は津和野城の最高所、ここからの眺めは最高です。
三十間台北側の虎口から一段下りると太鼓丸(二の丸)です。太鼓丸の南西隅から二の丸、天守台を経由して下城。大体2時間弱の散策でした。
次は月山富田城に向かいました。
2泊3日の鳥取・島根城めぐりの旅1日目。計画では、
・1日目:浜田城
・2日目:津和野城、月山富田城
・3日目:出雲大社、松江城、米子城、水木しげるロード
をめぐる予定です。
熊谷駅近くの有料駐車場に止めて、6:34の新幹線で羽田空港へ向かい、東京モノレールで羽田空港第2ターミナルには8時前に到着。
羽田9時発米子行きの飛行機に乗り、10:25米子に到着。
空港の手荷物受取所では、目玉おやじがスーツケースに入って出迎えてくれました。
米子空港からは日産レンタカー、今回も相棒はノートで、乗り出しは25,266km。浜田城へ向かいました。
13:50ごろ、浜田城山公園駐車場に到着しました。実は初島根県です。
浜田城は、江戸時代に古田重治によって標高67mの丘陵上に築かれた城で、別名亀山城といいます。本丸の南側に二の丸、三の丸、西側に出丸が配された梯郭式平山城です。島根県指定史跡、続日本100名城の170番です。
駐車場脇の浜田城資料館でスタンプをゲット、資料館と駐車場の間にある駅鈴モニュメントは12代浜田藩主松平康定侯が松阪(三重県)の本居宣長に贈った駅鈴のモニュメントです。駐車場の東側にある散策路を登って浜田城へ向かいます。


浜田城跡にある濱田護國神社社務所で御城印(300円)を入手してから、本殿に向かって右側の道を進み、本丸を目指しました。
本殿の裏手に浜田藩追懐の碑、その先に旧浜田県庁表門と立派な石垣があります。門をくぐり、石段を登ると三丸です。左側石段を登ると出丸へ行けますが、ここはかつてはなかった道で、石垣が続いていたそうです。
三丸から桝形虎口になっている二ノ門跡をとおり、二丸へ。二丸から一ノ門跡をとおると本丸です。
本丸入って正面に報国忠勇之碑の台座があり、東側からは北前船の寄港地だった外ノ浦を眺めることができます。北西隅には三重櫓(天守)跡があります。一ノ門跡右側の石段を下りると右側に出丸があります。
護國神社方面に戻り、本殿裏手を左側に続く道を進むと焔硝蔵の曲輪、手前下りたところに井戸跡。
戻り、護國神社手前左側に下りる道があり、そこをひたすら下りていくと中ノ門跡。
中ノ門跡を過ぎると、城山公園を出ることになります。裏門跡、大手門跡と確認し、駐車場に戻ってきたのは15:30ごろです。
浜田城古田重治武将印
駐車場には、しゃべる!浜田城跡自販機が設置されていて、歴代藩主印(330円)を購入しました。全6種類で、何がでるかわかりません。ゲットしたのは初代藩主、古田重治の印でした。買うときに「よう参ったの!これが続日本100名城浜田城じゃ!あっぱれじゃ!頂上へ参れ!絶景が見えるぞ。日本遺産北前船寄港地外ノ浦じゃ」としゃべってくれました。
今日の宿は、明日めぐる予定の津和野城のすぐ近くの若さぎの宿さん。17:30前に到着しました。宿の前からは霧に覆われた津和野城が見えます。夜になると津和野城はライトアップされました。宿での夕食時、名古屋から来たという夫婦から声をかけていただき城めぐりの話など楽しく過ごせました。
食事の後は、「山陰の小京都」と呼ばれるせっかくの津和野です、殿町通りに散歩へ。掘割に泳ぐたくさんの鯉、津和野カトリック教会など、ほとんど人通りがない夜の通りは少し寂しかったかな。
明日は朝から津和野城です。
今日は岩殿城へ行ってきました。
岩殿城は、山梨県大月市にある標高634メートルの岩殿山に築かれた山梨県指定史跡の山城です。
見るからにおーっ!となる巨岩の上にありますが、結構急峻な坂道が続くとのことで、あそこ登るのかと思うと結構心配。でも先月有子山城や鳥取城も登ったのだ、あれよりキツイことはないはず。有子山城で借りた竹杖の効果を信じて今回はトレッキングポールも調達し準備は万端、行けるはず!
大月駅前観光案内所で御城印を入手後、畑倉登山口へ。現在山頂まで行けるのはここからだけです。登城口にYAMAPの案内があったので使ってみることにしました。
10:59スタートです。登山口に置かれた登山者カウンターでは1416人目でしたが、いつから?
登り始めて5-6分の分岐点で、まずは左側へ進んで鬼の岩屋へ。鬼の岩屋(新宮洞窟)は修験道場・円通寺の新宮として十一面観音を祀った懸け造りの堂宇があったそうです。
分岐に戻り岩殿山方向へ。すぐに右側に見えてきたのは畑倉神宮畑倉大神。無事登山をお願いしました。
本丸のある山頂までは多少ゆるやかな部分があるものの、ひたすら急坂を登っていくことに。2~3か所トレッキングシューズでも容赦なくずるっといく場所がありましたが転倒はせずに済みました。途中2回ほど座っての休憩と数回の息整え立ち休憩をはさんで、
11:51本丸に到着しました。自分的には思ったよりも早く登れたのははやりトレッキングポールのおかげ?
残念ながら富士山は雲に隠れています。通信施設の脇を通っていった東側先に空堀があります。案内板が見えるので以前は入れたようですが、今は通行禁止になっていて上から眺めるのみです。
本丸から西側へ降りていきます。途中二の丸、三の丸があるようなのですが、全くどれなのかわかりません。そうこうしているうちに蔵屋敷跡に出ます。
進むと先が明るく見えてきて、そこは城内で一番広い馬場跡です。
馬場跡の先に四阿が見えます。その先が南物見台で案内板や乃木大将詩碑があります。南物見台は展望所になっていて眺望は抜群ですが、相変わらず富士山は雲に隠れたまま。
南櫓台からさらに西に進んで少し降りていくと、右側には馬屋跡。法面が崩れて立ち入り禁止となっています。
さらに進んだ最西端は西物見台。今日は全く行ける気がしない稚児落としをこちらから眺めます。
西物見台の手前には浅利登山口へ続く分岐があり、ここを少し下りたところに番所跡と揚城戸跡があります。個人的には揚城戸跡が一番のみどころ。
馬場跡に戻り、案内表示に従い少し下りたところに用水池があり、上側が飲用の亀ヶ池、下側が馬や兵士の水浴用の馬洗池です。
ここで今日の散策ポイントは最後です。本丸に戻り13:08下城、登山口には13:35に到着しました。2時間半ちょっとの散策となりましたが、途中相当気をつけていたのに一回ずるっとすべってこけました。粘土質のぬかるみは要注意です。
岩殿城は遺構はあまりないですが、天然の地形を利用した面白い山城でした。
ちなみに今回は初めてCONTEMPORARY 20–200mm F3.5–6.3 DGを持ち出して主な写真を撮影しました。手振れ補正はないのが気になっていましたが全然大丈夫でしたね。
CONTEMPORARY 20–200mm F3.5–6.3 DGが届きました。手持ちのLUMIX S 28-200 mm F4-7.1 MACRO O.I.S. S-R28200と比べて長くて重いですが、これでレンズ一本余計に持っていく必要がなくなる方が大きいです。87g程度の違いですが、持ってみると違いますねぇ。28-200は売る予定です。
試し撮りをしましたが、明らかに違うという感じはないし、レンズ手ぶれ補正がないことについては若干28-200よりもしっかり構えないとという程度で心配したほどではありませんでした。
CONTEMPORARY 20–200mm F3.5–6.3 DGが出荷されてポイントが付与されたので、CONTEMPORARY 20–200mm F3.5–6.3 DG用のフィルターWR UV FILTER 72mmを注文しました。
8,800円もする高価なフィルターですが6150ポイント使えるので2,650円のお支払です。