今年も早くも9月も終わる時期ということで、ふるさと納税しました。
- テレビ台 スタンドテレビ台 UTS-900R-LN 75型
- クラリスボックスティッシュ60箱(1箱220組(440枚))(5個入り×12セット)
- 冷凍肉も切れる!ムテキバサミ【食洗機対応】〈ざわつく!金曜日〉で話題
の三点です。
テレビスタンドを設置するには、部屋の大掃除が必要ですが、まぁ、これくらいの目的がないと掃除もなかなか手をつけないのでちょうどいいか。
今年も早くも9月も終わる時期ということで、ふるさと納税しました。
の三点です。
テレビスタンドを設置するには、部屋の大掃除が必要ですが、まぁ、これくらいの目的がないと掃除もなかなか手をつけないのでちょうどいいか。
今回の旅の最後は湯築城です。

15:33ごろ、道後公園西口駐車場に到着しました。
湯築城は、松山市の現在の道後公園にある平山城で国指定史跡、日本100名城の80番です。伊予の守護職であった河野通盛が築城しました。湯築古城図によると、内堀と外堀、丘陵頂部の本壇と北方の杉の壇、東方の中壇の郭や家臣居住空間等を構えています。
駐車場の横は西側の外堀土塁で、駐車場は外堀を埋め立てられて整備されました。



道後公園の西口にはかつて搦手門がありました。


搦手門跡を抜けるとすぐ右側に家臣団居住区があり、一番手前に湯築城資料館があります。ここで御城印をゲットのはずが月曜休館日で入手できず。スタンプは以前入手済みなのでそれほどショックでもないんですが、調べたら前回訪問時(2015年11月)も休館日だったようで。。。ご縁がないようです。ここから城の南東部にかけて、家臣団居住区、庭園区を含む上級武士居住区が続いています。


家臣団居住区には土塀や武家屋敷などの遺構が復元されています。武家屋敷1の脇には円形石積遺構がありますが、何に使われていたのか分からないそうです。





南側の内堀土塁に沿って道を進むと武家屋敷2があります。さらに進むと内堀に続く排水溝があり、内堀土塁が排水溝で分断されており、南側の内堀を見ることができます。



土塀と生垣に区切られた先は上級武士居住区・庭園区です。庭園区に入って左側には最大土坑跡がありますが、ちょっとくぼんでいる?という感じでよく分からず。最大土坑は、発掘調査で確認された中でも最も大きなごみ穴です。右側には池が復元されています。


庭園区の先は上級武士居住区です。 芝生の広場になっていて、発掘調査に基づいた礎石建物跡など遺構の平面表示がされています。



内堀側にいくと対岸への橋が架かっていますが、渡ることはできません。何のための橋なんだろう? 対岸右側には岩肌が広がっていて庭園のように美しいです。

南側の外堀土塁の方へ行くと、外堀土塁展示室があって土塁の断面などが展示されているのですが、休館日だからかこちらも入れませんでした。

外堀土塁に沿って道を進むと城内の南東隅には道路・排水溝・外堀土塁裾石の説明板がありました。道路に面する外堀土塁裾石は、ここが最も高く良好に残っているそうです。

広場にはもうひとつ土坑がありました。こちらもごみ穴ですが、はっきりと整備されています。



上級武士居住区の北東端部分には遮蔽土塁があります。ここは外堀と内堀が最も近く、外側からの見通しをさえぎり、 敵の侵入や撃を防ぐ効果がありました。ここにある排水溝は往時のものです。




北へ進むと東側の平坦な曲輪がありますが、 湯築古城図で言えばここが中壇でしょう。中壇には現在はグラウンドと児童公園があり、遺構等はほとんど見られませんが、大手門跡があります。大手門跡から外に出ると東側の外堀を見ることができます。



中壇の南側には鳥居が建っていて、丘陵部を登っていきます。少し登ると岩崎神社があります。





さらに上っていくと道後公園展望台が建つ本壇に出ます。本壇は最も高い位置にある郭曲輪 で、瀬戸内海も見ることができます。大部分は地山が露出していて、出土遺物もほとんど見つからなかったそうです。展望台からは松山の街並みや松山城が見られます。


本壇から北方向へ下りていくと、杉ノ壇があります。発掘調査では、鍛冶炉、瓦敷遺構や礎石列、堀切などが確認されています。



杉ノ壇の東側から階段と坂を下りていくと北側の内堀に出て、道後公園の東口があります。東口では北側の外堀を見ることができます。外堀の反対側の建物は松山市立子規記念博物館です。湯築城資料館で「ようおいでたなもし。今日は、休館日ぞなもし。隣の「子規記念博物館」は開いとるけん寄っていってな。」と書いてあったので、休みの時はここで御城印とか売ってたりしないかなと期待して行ってみましたが、売ってませんでした。
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北側の内堀沿いを東へ進んで行くと道後公園北口に至ります。北口から内堀にかかる湯釜薬師前橋を渡った正面に、湯釜があります。


石造湯釜は、奈良時代に作られたと伝わる日本最古の温泉湧出口(湯口)です。現在の道後温泉本館ができるまでの間、使われ続けたものです。

これで見たいものは終了、西側の内堀沿いを散策しながら駐車場へ戻りました。17:13ごろ出発し帰路につきます。
17:54ごろレンタカー返却、今回の走破距離は550kmでした。今回もよく走ったもんです。
帰りのJAL便は20分遅れの19:20発になっちゃいましたが、帰宅時間は予定通りでした。
ということで、今回の旅は新たなスタンプは3つのみでしたが、
松山城、湯築城は前回訪問時より隈なく回れて大満足でした。さて、次の城めぐりの旅ですがもう予約済み!10月に長崎・熊本・福岡城めぐりの旅!楽しみです。
前回からのつづきです。



本壇から出て、本丸の北東側にいくと、昭和59年に復元された艮門と艮門東続櫓があります。

近くにある伯爵久松定謨頌徳碑は、旧松山藩主子孫の久松定謨伯爵が、松山城を私財で払い下げを受けた上で、維持費を添えて松山市へ寄贈したことを顕彰して建てられたものです。


本丸の北側へ進むと本壇を北側から見ることができます。

さらに進むと本丸の搦手に至ります。野原櫓は日本で唯一現存する望楼型二重櫓で国重要文化財です。搦手と本丸の北側を守っています。



乾櫓は築城当初の二重櫓で国重要文化財で、乾門と乾門東続櫓とともに、搦手を守っています。

搦手からは、連立式天守の北隅櫓・十間廊下・南隅櫓の連なりを真横から見ることができ、圧巻です。






搦手から本壇の南側を東へ進むと、搦手と大手を仕切る紫竹門があり、東塀・西塀とともに国重要文化財です。


本丸をひととおり散策したので、売店で伊予柑ソフトを買って休憩しました。



続いて二之丸へ向かいます。大手門跡から黒門口登城道を下りていきます。



黒門口登城道は、二之丸から本丸へ通じる道へと続く江戸時代の正規登城道です。七曲りの石段が続きます。

七曲りの石段の先に中門跡があり、往時の石畳がそのまま残されています。



尾谷門跡を抜けると目の前に二之丸が広がります。持弓櫓台は登城道の食違虎口を形成しています。




持弓櫓台の下を進むと、西大砲台、槻門に出ます。槻門は本丸大手への登城道と二之九搦手への道の分岐点に位置します。




二之九搦手への道を進むと二之丸多聞櫓があり、その門は二之丸御殿の通用口であり、二之丸史跡庭園の入口です。入って右側に券売所があります。入園料は200円です。


松山城二之丸史跡庭園は、表御殿跡と奥御殿跡に大別されます。多聞櫓の南側から出て、前の門を入ると有料貸室施設の聚楽亭があり、その先に奥御殿跡があります。流水園になっていて水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りが表現されています。


奥御殿跡の南側には南門があります。3つの門が集まっていて割と見たことない感じです。


林泉庭は庭園の東側山裾に作られた池泉回遊式庭園です。その脇から坂を登っていくと二之丸巽櫓台があります。この櫓台から南登り石垣が続いています。


さらに上っていくと有料貸室施設の勝山亭があります。

勝山亭から下りていくと林泉庭に出てその先は表御殿の御居間です。このあたりから北側に表御殿跡が続いています。




西の方へ進み右側にあるのは有料貸室施設の観恒亭です。表御殿跡は柑橘・草花園で、各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りが表現されています。


表御殿跡には大井戸遺構があります。発掘調査により発見され、井戸の東半分が床下になり、その上を囲炉裏で火をおこしていた焚木之間が覆っていました。




二之丸の北西部には四脚御門があります。四脚御門は二之丸御殿の正門にあたる門です。その横に番所と書かれたトイレ、その奥に米蔵があります。米蔵から南へ進むと井戸屋形があり、その先二之丸史跡庭園の出口です。


槻門跡から西へ抜けると栂門跡、黒門跡とクランク状の枡形がつづきます。


黒門跡を抜けると三之丸跡です。三之丸跡は大規模整備中です。


再度二之丸に戻って、多聞櫓と石垣に沿って進んで行くと県庁裏登城道に至ります。県庁登城道は長者ヶ平まで続きますが、登りながら南登り石垣を見ることができます。




登り石垣は、山腹から侵入しようとする敵を阻止するため、ふもとの曲輪と山頂の本丸を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたものです。南登り石垣はほぼ完璧な形で残っていますが、北側は一部分しか残っていません。

これで散策終了ということでこのまま登って長者ヶ平からロープウェイも考えましたが、もう登る気力がわかず。。。県庁裏登城道を下りて国道11号経由で駐車場に戻ることにしました。途中、期せずして外堀を見ることができました。
駐車場に戻ったのは、15:20ごろ、約4時間15分くらいの散策でした。三度目の登城ですが、やっぱり松山城は素晴らしいのひとこと、また来たくなります。
次は今回の旅最後の城、 湯築城に向かいます。
前回からのつづきです。



券売所から続く坂を登った正面には国重要文化財の紫竹門東塀があります。





右側が本壇の入口です。ここからの、左に小天守、正面に天守と手前の筋鉄門東塀、右に一ノ門南櫓の景色は圧巻ですごくかっこいいです。





正面右側の一ノ門から入ります。一ノ門はじめ、二ノ門までの間に囲んでいる建物の、三ノ門南櫓、一ノ門南櫓、一ノ門東塀、二ノ門南櫓、二ノ門、二ノ門東塀は全て国重要文化財です。



二ノ門をぬけると右に天神櫓南塀、左に国重要文化財の三ノ門南塀があり広場になっていて、天守の東側の真下に出ます。



奥に天神櫓が立っているので先にそちらを見ます。天神櫓は、本壇の鬼門の方向にあることから、その忌を避けるために久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祀ったことに由来する建物です。

天神櫓の前から見た天守はいい感じ。





三ノ門から先へ進みます。三ノ門は国重要文化財で、東側には三ノ門東塀がつながっています。門をくぐった正面には三ノ門南櫓、右折して左側に筋鉄門東塀、これらも国重要文化財です。正面は本壇中庭入口となる筋鉄門です。




筋鉄門を抜けると天守や小天守、北隅櫓、南隅櫓に囲まれた連立式天守の本壇中庭です。天守は三重三階地下一階の層塔型で国重要文化財です。天守以外の建物はすべて昭和43年に復元されたものですが、旧国宝指定後に作成された基本設計と仕様書により、幕末の姿が忠実に再現されていて国登録有形文化財となっています。




天守石垣の入口から内部に入ると、天守地階の穴蔵です。

階段から順路に従って進むとまもなく内門に入り、反時計回りに一周して天守に戻ってきます。内門は、天守と玄関多聞櫓の間に建つ一重櫓門で、ここは上層の渡廊下部分です。


内門の先は一重多聞櫓の玄関多聞櫓で、南側に玄関がつながっていますが、本来はここが正式な玄関です。




その先の松山城北隅櫓は、連立式天守の西北隅に建つ二重二階櫓です。二階からは北東側の仕切門内塀、天神櫓西折曲塀や、西側の乾門、乾櫓、野原櫓がよく見えます。

十間廊下は、 南隅櫓と北隅櫓をつなぐ一重多聞櫓です。

松山城南隅櫓は、連立式天守の西南隅に建つ二重二階櫓です。二階は非公開でした。

多聞櫓は、小天守と南隅櫓をつなぐ一重多聞櫓です。




小天守は、連立式天守の東南隅に建つ二重二階櫓です。二階から東方向を見ると一ノ門まわりの複雑な造りがよく確認できます。

筋鉄門は、天守と小天守の間に建つ一重櫓門です。ここは上層の渡廊下部分です。










天守は三重三階地下一階の層塔型で国重要文化財です。




中庭から内門を抜けると仕切門と仕切門内塀の桝形です。ともに国重要文化財です。本壇散策はここまで。
つづきはこちら。
愛媛・高知城めぐりの旅最終日の今日は、松山城、湯築城をめぐります。

ホテルでの朝食は弁当か約15種類の和洋ビュッフェとのことでしたが、お弁当でした。そりゃそうです。宿泊客明らかに自分だけ、お風呂稼働しないのも当然ですね。しかしこのお弁当、結構豪華で具沢山、満腹になりました。お弁当で大正解。

7:30ごろホテルを出て松山城へ。途中、道の駅みかわで小休憩。松山城駐車場には着いたものの予想どおり満車だったため、10:38ごろ近隣のコインパーキングにとめました。徒歩で松山城ロープウェイのりばに向かいます。


ロープウェイのりばの北側に加藤嘉明公騎馬像がありました。加藤嘉明は、松山城の築城主で伊予松山藩の初代藩主です。ロープウェイ東雲口駅の入口では、松山城のマスコットキャラクター「よしあきくん」がお出迎え。ここから松山城本丸へ向かいます。


今回は黒門口登城道で下りたいので片道切符(270円)にします。ロープウェイとリフトのどっちも使えますが、ちょうど出発のタイミングだったロープウェイで約3分で長者ヶ平駅へ。長者ヶ平は、松山城築城より前、長者の屋敷があったという伝承にちなんで名付けられたところで、特に城の遺構ではないようです。
松山城は、松山市にある標高132mの勝山山頂に本丸、山麓に二之丸と三之丸を構えるをおく連郭式平山城です。現存12天守の一つであり、大天守を含む21棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。国指定史跡、日本100名城の81番です。松山城には2015年、2022年に続き三回目の登城です。


長者ヶ平から緩やかな石畳の坂を進むと本丸石垣が見えてきます。いつ来てもこの高石垣には圧倒されます。 隠門続櫓の石垣は城内で最も高く17mです。


石垣に沿って進んでいくと、揚木戸門跡。揚木戸門は築城時に建てられ、西の太手門とともに本丸大手の入口を固める重要な門でした。その先にある平坦地は待合番所跡です。待合番所は、東雲口からの登城道と二之九からの登城道の合流する地点に警備のために設けられ、常時三人が詰めていたそうです。

石垣に沿って進むと左側に大手門跡。大手門は築城時に建てられ、黒門口登城道を経由して山麓の二之九と三之九へと通じる門です。


先に見える櫓は太鼓櫓、その石垣下は中ノ門跡です。この門を直進する攻手は乾門下で行き止まり、そこまでの間横矢掛が続きます。登城道を進むと戸無門があります。戸無門は国重要文化財の高麗門で、当初から扉をありませんでした。

門を過ぎて左に折れると、大手で最も堅固な筒井門と隠門の防衛線です。ここからの眺望は松山市街や瀬戸内海を一望できます。


筒井門は本丸下段にある本丸最大の櫓門で、西続櫓と東続櫓とにつながっています。隠門は筒井門の石垣の陰に隠れた埋門形式の櫓門です。隠門上部の渡櫓を挟んで隠門続櫓がつながっています。隠門と隠門続櫓は国重要文化財です。





門を抜けると太鼓櫓、太鼓門西塀、太鼓門南続櫓、太鼓門、太鼓門北続櫓、巽櫓西塀、巽櫓が連なっていて、隠門と筒井門による第1の防衛線に続く第2の防衛線となっています。



太鼓門を抜けると広大な本丸広場が広がっています。太鼓櫓は本丸西南隅にある二重櫓です。

巽櫓は本丸南東隅にある二重櫓です。


本丸広場にある井戸は、南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った際、谷底にあった泉を囲むように石を積み上げて造られたと伝えられています。


本壇に向かう左(西)側には馬具櫓があり、二之丸や登城道を見下ろす位置にあります。


本壇手前の右(東)側には玉薬土蔵跡があります。



続いて本壇へ。天守観覧料は520円、券売所ではスタンプと御城印(300円)もあります。
つづきはこちら。



次は岡豊城です。途中で道の駅布施ヶ坂で休憩をはさんで、高知県立歴史民俗資料館には13:00ごろ到着です。
岡豊城は、高知県南国市にある山城で、戦国時代に四国の覇者となった長宗我部氏の居城として知られています。国指定史跡続日本100名城の180番で、「おこうじょう」と読みます。


スタンプと御城印(300円)は高知県立歴史民俗資料館にあります。御城印は資料館からの登城口に立つ長宗我部元親飛翔之像をモチーフにしたものです。カッコいいんですがもはやこれは御城印?とちょっとした疑問も。すみません。。。
スタンプと御城印(300円)は高知県立歴史民俗資料館にあります。御城印は資料館からの登城口に立つ長宗我部元親飛翔之像をモチーフにしたものです。カッコいいんですがもはや御城印と呼べるのか?とちょっとした疑問も。すみません。。。

長宗我部元親飛翔之像の後ろの階段を登って登城です。パンフレットの散策コースの案内順に回っていきます。




二ノ段は詰(本丸)の東側に位置し、堀切で隔てられた細長い曲輪です。土塁跡が約30mにわたって残っています。詰と二ノ段の間の深い堀切には、方形に掘られた井戸跡があります。


石段を登っていくと左側に詰下段があります。詰への出入口を守る曲輪で、礎石建物跡があります。堀切に面して土塁が築かれ、その基部には土留め石積が施されています。




ここから石段を下りて三ノ段へ進みます。三ノ段は、詰の周りを帯状に取り巻く曲輪です。









三ノ段南部から長い石段を登ると詰です。詰は城の中心となる曲輪で、標高97mの岡豊山頂にあります。石敷遺構や礎石建物跡、土塁が残されています。 片隅に小さな祠がありました。

祠の脇から下りると再度三ノ段の西部に出ますが、ここには礎石建物跡、曲輪の縁に土塁や斜面を補強する石積が残っています。






さらに下りていくと四ノ段の北部から虎口を経由して四ノ段の南部に入ります。四ノ段は三ノ段の西部を囲むように造られた曲輪です。四ノ段南部には岡豊城址標柱が立っています。


四ノ段南部から西の方へ少し下りると横堀を確認できます。


最後に伝厩跡曲輪へ向かいます。四ノ段南部のすぐ一段下に展望広場がありますが、展望はいまいちでした。


展望広場 から道をひたすら下りていくと、最後に舗装道に出ますがこの付近では竪堀が確認できます。



伝厩跡曲輪の案内に従って、一直線の坂道を登り切ると伝厩跡曲輪です。詰の西南方向にあたり、西方からの攻撃に対して詰を中心とする本城を守る出城としての役割を果たしました。展望台があります。眺望はよく、遠く高知市の街並みが望めます。

岡豊公園征清凱旋碑も立っています。政治小説家の坂崎紫瀾による、長宗我部元親の偉業を偲び、海を渡って日清戦争で活躍した地元兵士たちの活躍を称える内容が刻まれています。ここで散策は最後です。駐車場に戻ってきたのは14:27ごろ、約1時間30分の散策でした。


今日の宿はホテルSP-haruno-さんです。17:30ごろ到着しました。高知県立春野総合運動公園内にあるという珍しいホテルです。部屋からの眺望は運動公園そのものですが、意外といい雰囲気でしたね。

大浴場(サウナ付き)があるのですが、今日は稼働しないと事前に連絡をいただいていました。ということでチェックイン後すぐ近くにある天然温泉はるのの湯(700円)へ。サウナや岩風呂、露天風呂などとても風情のある浴場で大満足でした。

ホテルでの夕飯は、高知と言えばのカツオタタキや金目鯛煮付け、天ぷらなどついた御膳で、シンプルながらも大満足でした。
愛媛・高知城めぐりの旅の2日目、今日は河後森城、岡豊城をめぐります。


宝泉坊ロッジでの朝食は、綺麗な景色を眺めながらの少しおしゃれな朝食でした。朝からカレーは少し以外でしたけれど。おいしくいただきました。
7:30すぎに出発して河後森城に向かいます。
河後森城は、愛媛県松野町にある、戦国時代の土づくりの城の遺構が極めて良好な状態で残された山城で、国指定史跡、続日本100名城の179番です。最高所の本郭を中心として、馬蹄形の尾根に多くの曲輪が段状に配置されています。


8:05ごろ河後森城風呂ヶ谷駐車場に到着しました。案内板の脇にはパンフレットも設置されていました。



登城口から登城道を登っていくと5分くらいで西第十曲輪の南側下につきます。



ここでは何本かの竪堀や堀切を見ることができます。ここから西第十曲輪へ行けるはずなのですが、それらしき道がなかなか見つからず、あたりをしばらくうろちょろしてしまいました。最後、草ぼうぼうでもなんとなく道筋っぽいかもと思うところに行ってみて、やっと西第十曲輪に登れました。上の写真見て、その道筋分かります?少し経つと別の観光客が登ってきました。よくあっさり来られたなぁと思いましたが、違いますね、自分が通って跡がつき迷わなかったんでしょう。






西第十曲輪は、馬蹄形尾根の最も低い西端にあり、掘立柱建物の馬屋が復元されていて、続日本100名城のスタンプはそこにあります。地元の小学生が作った手書きの案内板もありかわいいです。




他にも復元された門や、土塁があります。土塁が断ち切られた柵の下方を見ると堀切状遺構が見えます。といっても、草ぼうぼうでよくわかりません。

これから本郭に向けて段状の曲輪を順に登っていきます。



西第十曲輪の門をすぎると西第九曲輪で、その先に木の階段がありますが崩壊していて使用不可なので脇の小道を右側に西第八曲輪を見ながら西第七曲輪へ登ります。





西第七曲輪から西第六曲輪までは直接は登れず、西第六曲輪切岸下の道を経由します。




西第六曲輪から西第五曲輪にあがり、西第四曲輪、西第三曲輪切岸下の道を進み、堀切の手前を登ると西第三曲輪です。


堀切は 西第三曲輪と西第二曲輪を分断していますが、遺構を保護するために盛り土をして整備されています。




堀切から切岸を登っていくと西第二曲輪です。



北に進んで行くと本郭虎口があり、堀切や土橋、石垣など複雑な構造が見られます。


本郭は城内で最も高い標高171m、ふもとの集落との比高は88mです。発掘調査では、建物跡10棟、門跡1基、土塀跡1基が確認されました。このうち、建物6棟、門と土塀について、柱の位置や間仕切りの様子が整備されています。


本郭からは松野町の田園風景や山並み、松丸駅方面を一望できます。また東端からは東第二曲輪が望めます。








本郭の東側の虎口から下りていくと東第二曲輪、東第三曲輪、東第四曲輪と続いています。



東第四曲輪の東端には城内最大級の堀切と復元された城門があり、その先は古城です。




堀切から上がると古城二曲輪です。その東側一段上が古城です。大型番小屋、石打棚、納屋、井楼、番小屋の柱の位置や間仕切りが分かりやすく地面に表示されています。


さて、最後に向かうのは新城です。堀切から西へ戻ってすぐ、新城へ続く下り道が続いています。途中の案内どおりに下っていき、また登ると小さな曲輪群があり、その先進んだところに新城があります。




新城は土佐方面からの侵攻に備えた出丸の役割を果たしていました。 その一段下がった周囲をぐるりと帯曲輪が囲んでいます。



さてこれでひととおり見たと地図を確認するとまだスポットがありました。風呂ヶ谷の奥の方で西第十曲輪へ登る途中にある井戸です。
井戸を見てから風呂ヶ谷をずっと下って、10:10ごろに駐車場に戻ってきました。国指定史跡だけのことはあり、整備や案内が行き届いていますし、特徴的な縄張りが面白かったです。約2時間と意外に時間をかからずに散策できました。


次は御城印をもらいに松丸駅にある松野町ふれあい交流館観光案内所へ。駅舎内には河後森城模型があるとの情報でしたが、芝不器男記念館に移動したようで、徒歩で行きましたが入館料がかかるのでやめました。ケチな自分。
10:48ごろ次の岡豊城へ向けて出発しました。
2泊3日の愛媛・高知城めぐりの旅1日目。計画では、
・1日目:能島城
・2日目:河後森城、岡豊城
・3日目:松山城、湯築城
をめぐる予定です。天気予報では四国など台風と前線の影響で雨が予想されていたのが、今日になって雨の心配がかなりなくなったので一安心です。
熊谷駅近くの有料駐車場に止めて、6:46の新幹線で羽田空港へ向かい、東京モノレールで羽田空港第1ターミナルには8:10前に到着。9:15羽田発松山行きのJAL便、松山空港からは日産レンタカー、今回の相棒もノートです。能島城へ向かいます。
能島城は愛媛県今治市の大島沖にある無人島「能島」と「鯛崎島」に築かれた海城です。芸予諸島海域で活躍した海賊衆、村上海賊を代表する能島村上氏の拠点海城で、国指定史跡、続日本100名城の178番です。


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能島城に行くには事前に予約が必要です。12:40ごろ、13:45発の能島上陸&潮流クルーズ集合場所の能島水軍に到着です。受付時刻までまだ時間があったので、今治市村上海賊ミュージアムで先にスタンプを押させてもらい、御城印も買いました。
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能島水軍で受付を済ませると上陸者限定の御城印ももらえます。

能島上陸&潮流クルーズは「最大10 ノット( 時速18km) の潮流かき分けるクルージングと瀨戸内海を支配した能島村上海賊の本拠地、能島城跡に上陸!」ということで、能島城だけではなく、周辺の潮流スポットも回ってくれます。乗船時にはライフジャケット着用ですが船は予想よりもスピードがかなり速く着用に納得。


だんだんと能島が近づいてきます。隣には鯛崎島。この2つの島から能島城はなっています。


矢櫃の下側は潮流スポットで川のように激しく流れています。



上陸前に船上から船だまりや岩礁ピットを案内してくれます。潮流が激しい中で潮の流れが緩やかな 船だまりは、村上海賊時代の対外的な窓口や船の出入口でした。岩礁ピットは、船を繋留するための柱を立てるために岩をくり抜いて作られた穴です。


三之丸の下を通って、南部平坦地が見えるといよいよ上陸です。


南部平坦地は今から450年ほど前に完成した埋立地で、ここから上陸します。ガイドさんの楽しい案内を聞きながら城を順に回っていけます。船着き場の近くの岩礁は階段状になっていて、その上まで続いていたようですが、今ある階段は後から作られたもの。




南部平坦地から東南出丸へ階段を登ります。東南出丸からは鯛崎出丸(鯛崎島)がよく見えますが、かつては能島と橋で繋がっていたとされ、現在は頂上に弁財天が祀られています。



次は二之丸です。二之丸は本丸の周りを囲むようにあり、東南出丸から二之丸南区につながっています。



本丸下東側を進むと二之丸東区です。


二之丸東区の先には矢櫃がつながっていますが、立ち入ることはできません。矢櫃には弓の稽古場や武器庫があったと言われています。先ほど船で行った潮流スポットでクルーズ船が潮流に流されるようすも確認できました。




二之丸東区から本丸へ上がります。本丸は島全体を階段状に削った3段の曲輪の最高所に位置しているので、島全体の構造がよく見て取れます。





本丸から二之丸西区、三之丸と下りてきました。三之丸からは先ほど船から見た船だまりがよく見えます。ガイドさんによると三之丸にある東屋は撤去される予定だそうです。




三之丸から南部平坦地へ戻ってきました。上陸時間は約45分でした。
上陸時間は約45分、クルーズ船で大島へ戻ります。帰りにもスポットの案内。鯛崎島の南端にあるくじら地蔵は、母くじらが海で居眠りをしていると潮が引いて動けなくなり、子くじらの泣き声を聞いたお地蔵様が、海の生き物に呼びかけみんなで母くじらを助けたという昔話に因んだものです。このお地蔵様は2代目だそうです。続いて潮流スポットに案内されたあと、クルーズ終了です。
能島城はこれまで訪れた城とは全く趣の違うものでした。上陸には多少手間がかかるけど、上陸は絶対ですね。

15時ごろ出発し、宿についたのは17:30すぎ。宿に着く前に買い出ししたかったのに、店が一軒もなく一旦宿とおりすぎて、道の駅日吉夢産地に行ってお酒と塩けんぴをつまみに買ってきました。



今日の宿は宝泉坊ロッジです。隣接の食酔坊宝の食事券2000円分がついたプランで宝泉坊温泉にも入れます。夕飯は地鶏ステーキのセットにしました。歯ごたえがしっかりしてうまかった!